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旅の終わりに〜ハイリゲンシュタットは、もう『田園地帯』ではない、とVは知る

 ブダペストからウィーンに戻る。帰りは2時間半くらいで、あっという間に戻って来た。ハンガリーの国境を越える時に、多少の混雑を味わった程度。ドイツのナンバープレートの車は、まず止められることはない。安心の証らしい。

 Vはまだ夕方の衝撃に時折背中がゾクゾクしていた。

 本編より先に書いた番外編をしつこくご紹介。
Vに走った戦慄、狼狽する姿、まだお読みでない方はこちらでどうぞ。

 

 ハンガリーに行く前に、ウィーンで一泊したホテルに到着する。今回も、ホテルの目の前の路上駐車可能なスペースが一台空いていた。ラッキー!
 荷物を持って中に入ると、前回よりも更に広い部屋に変わっていた。

 歴史ある建物を改築して、個人で経営するホテルである。こうしたホテルは、部屋の造りが面白かったり、大変広かったり、アメニティが充実していたり、朝食を部屋まで運んで来てくれたり、個性的で便利で快適な点が多い。

 多くのホテルが、犬連れの場合、広い部屋にしてもらえるので大変ありがたい。 *犬の宿泊は有料

 しかし、ここのオーナーは、建物の歴史の自慢話の後、
「この部屋に犬を泊めるのは初めてである、くれぐれも部屋で排泄をさせないように」
と。
 結構くどい。こちらは常にトイレの準備をしているけれど、犬が嫌なら、そもそも犬連れの客は泊めなければいいだけの話だ。
 犬の宿泊料だって上乗せされているのに、犬用の水の器すら用意されていない。毎回餌用と水用の器は持参しているので必要ないけれど。

 これまで泊まってきたホテルは、水の器はどこでもあったし、犬の毛布やクッション、おやつや餌まで用意してくれたところもある(お気に入りのものを持参しているので使わないけれども、心遣いはありがたい)。

「うちは日本製の犬用トイレ持参の上、トイレットシートを多めに敷くので絶対大丈夫」と、オーナーの目の前で、早速Vはトイレの準備。これまで一度もホテルの部屋を汚したことなどない。

 「ドイツでは『犬のトイレは外』というのが常識だけれど、うちは日本人なので違います」
と、前回同様説明する。

 Vは、こういう個人オーナーのホテルの時は、使用済みトイレットシートや他のゴミも部屋には残さないようにして、しっかり袋に入れてまとめたものを、道に置かれた大きなゴミのボックスに捨てるようにしている。
 そして部屋は念入りに綺麗にして立ち去る。

 翌朝、旅の最終日だ。頼んでおいた朝食が運ばれてきた。今日はトーストにポーチ・ド・エッグが乗っている。ハムやチーズ、数種類のジャム、サラダに果物、コーヒー。いつもなら写真を撮るけれど、少しイラッとしていたので撮る気もない。

16畳くらいの広さでゆったり
部屋の内側に廊下がついてゆったり
手前がトイレ、クローゼット、その奥は荷物置き場
突き当たり右側は浴室
奥にシャワールーム 大きな浴槽付き、広い。
しかしお湯を[溜める/流す]切り替えの栓を捻っても
閉まらず、お湯が溜められなかった。予備の栓もなし。
オーナーは部屋自慢や、使用上の注意をくどくどいう代わりに、そういうところを万全にチェックしたらどう?
 でも伝えない。
他の人から指摘されて困ればいいのだ。



 広いお部屋は結構だけれど、前夜に注文する朝食の件にしても、大変細かくてうるさい。
 Vが多めに準備してきている荷物のことでも、オーナーはぶつぶつと一言多かった。重ければ手伝おうとしなければいいのだ。

『あなたが軽く持てるように、一泊分だけの荷物にまとめ直して、小分けにして持ち込むようなことは、わざわざ致しません』
と思うけれども、勿論言わない。にっこり笑って、
“ Vielen Dank”のみ。

 愛犬はそういう雰囲気を察するので、オーナーには愛想を振りまかなかった(^◇^;)
 犬が大好きな人と、そうでもない人との区別は顔に出るので、OもVもよくわかるけれども、犬も明らかにその空気を察し、区別して違う顔で接している。
 
 ホテルは地下鉄の駅がすぐ近くてとても便利。
でも次はたぶん利用しない。オーナーがくどいから。


朝の光が差す地下鉄ホーム この駅は地上だけれど地下鉄


 いつもは毎週土曜日開催のアンティークマーケットに合わせて行く駅だ。マーケットがなくても、その横の市場は観光客でいつも賑わう。


アンティークマーケットの時はこんな風景


 
 興味がおありの方はこちらで。


 Vの過去記事でお馴染み、広場の道向かいの豪奢なアパート。相変わらずお美しい。

アール・ヌーヴォーの様式が美しいマジョリカハウス


メダイヨン•マンション


 ナッシュ•マルクトは今日も美味しそうな食べ物がずらり。 

トルコ食材店はこんな時期にもスイカ🍉が
この日も大変寒く、暖かそうな帽子に目が行く


  市場を抜けて、裏側の道を渡ると、いつもの日本食材店のある通りへ。
 お正月料理の食材を買い込む。冷蔵庫にうやうやと陳列されているごぼうや大根、冷凍の蒲鉾に竹輪、お団子、すき焼きのタレやドレッシング、カルピスに箱入りセットのヤクルト、ついでにお米。

 買った物をバギーの下の物入れに入れ、エコバッグに詰めた物は、ハンドル部分のフックに掛ける(この時の重さが響いたようで、旅から帰ってすぐハンドルのフックは割れた( ⌯᷄௰⌯᷅ ))。
 入り切らない瓶やお米などは座部に並べ、その上を厚めのカシミアのストールで覆う。愛犬にはその上に乗ってもらう。
 大荷物のまま、ウィーン最後の観光に向かう。
 
 日本食材店からは、歩いてもカールスプラッツ駅は近い。前回のウィーンへの旅でコンサートを聴いた、楽友協会の建物を眺めながら駅へ。


楽友協会
2025年4月 黄金ホール


 
 ここまで歩いて来て、Vの頭に限界がきた。寒い。とにかく寒すぎる。プラハやブダペストの寒さは相当なものだけれど、雪も降らず、風もなく、天気が良かったので、何とかニットのベレー帽で乗り切ってきた。
 しかし、最終日にウィーンの風の寒さでもう無理、となる。

 地下鉄に乗る前に、カールスプラッツ駅地下の通路にある店に飛び込んだ。バックや小物の店のショーウィンドウに、求める品があった。

 そう、フェイクファーの帽子だ。ドイツも寒いけれど、カジュアルなスタイルが多いこともあって、ニット帽を被って、寒ければその上にダウンコートのフードを被るのが一般的で、ファーや装飾的な帽子は殆ど見かけない。

 ハンガリーやチェコ、また北欧に行くと、圧倒的にこの帽子率が増す。何というか、寒さの傾向が違うのだ。吹雪の時などもこれさえあればいける。

 店に並ぶ品は4色いずれも美しく、厚みもあって完璧だ。Oも店員さんも、深い焦茶色がVに似合うと意見が揃った。

 先程のナッシュマルクトのような土産物店の軒先にも「ウィーンを甘く見て、帽子無しで来てしまったうっかり者の旅行者向けの防寒用」に売ってはいたが、あれは薄くてペラペラ。この店の帽子とは出来も値段も違う。

「すぐ使います」とタグを外してもらい、被って外に出た。

 厳寒の中、防寒の最後の決め手は帽子!!!  

 これを再び実感する。前回実感したのは20年前のプラハ、吹き荒ぶ雪の中、カレル橋を渡ったところで力尽き、橋のたもとの店でフェイクファーの帽子に替えたのだった。あの時の帽子は日本に置いてきてしまった。

 被ると頭にヒーターを取り付けたような暖かさになる。凍りついた脳が正常に戻るような感覚になる。ウールではこうはいかない。それに伴い、身体中に血が巡るような感覚になる。

 旅の最後に、結局これを買う羽目になったけれど、とても素敵なので大満足だ。もう風が吹いても何ともない。


展示用のスタンドがないので、縫いぐるみのようですが



 地下鉄でベルヴェデーレ宮殿へ。

大きな池の向こうに聳えるベルヴェデーレ宮殿

 
 ベルデヴェーレとは『美しい眺め』を意味する。
その名の通り、広大な庭園側、池の側、どちらの門から入場しても、宮殿は壮麗な姿を見せる。

 ベルヴェデーレ宮殿は、オスマン帝国を撃退した英雄オイゲン公の夏の離宮であった。オイゲン公の死後、ハプスブルク家に売却され、その後世界初の公立博物館となった。

 二つの宮があり、上宮はオーストリア•ギャラリーと呼ばれる美術館で、クリムトなど19〜20世紀の絵画が展示されている。
 また下宮はオイゲン公の居城として使われていた場所で、中世からバロック時代の作品の展示となっている。
 バロック建築の傑作の宮殿、外観だけでも満足するが、クリムトの『接吻』などが展示されるギャラリーも魅力的である。
 この日は見学可能であったものの、Oと交代で見学すると帰宅が遅くなる為、また次回に。

 そもそもOは、宮殿前のクリスマスマーケットに行きたかった訳なので、麗しい宮殿前のマーケットに大満足している。市庁舎前は25日で終了したが、宮殿前はこの日もまだ開催されていた。

 この旅でもあちらこちら寄って来たというのに、どれだけマーケットが好きなの?と思うけれど、やはり行くととても楽しい🎄。それがクリスマスマーケットなのだ。
 大規模であっても、こぢんまりしていても、それぞれの良さや特徴があって可愛らしく、心躍る。


グリューワインのマグ。こちらもペアで持ち帰ることに。
躍動感ある馬の像🐎 そういえば2026年の干支
庭園側へ
庭園は夏に来たい



 こちらが正門。美しい城のマーケットへ、人が続々と集まっていた。

 Oの決めたウィーンの日程はこれにて終了。ホテルに戻り、出発する。

 帰る途中、ハイリゲンシュタットに寄りたいとVが以前から希望していたので、ウィーンをいつもより早めに出発した。
 
 ハイリゲンシュタットは、ベートーヴェンの「遺書の家」があることで有名な街である。
 その遺書にまつわる物語もまたベートーヴェン自身を語るものとして、よく知られている。

 ベートーヴェンは、22歳の頃からウィーンを拠点として音楽家として成功を納めていた。しかしその数年後、次第に聴覚を失い始めると、音楽家としての限界を感じ、それを打ち明けることもできないまま、人との距離を置くこととなった。

 医師から温泉療養を勧められて、ハイリゲンシュタットに居を移す。この地でも改善は見られず、悪化の一途を辿った。
 32歳、殆ど聴力を失い、絶望したベートーヴェンはこの家で弟と甥に遺書をしたためたのだった。

 しかしこの遺書は投函されることなく、生涯ベートーヴェンの手元に置かれ、死後に発見された。
 その内容は、聴覚を失う絶望や苦悩、人と距離を置かなければいけなかった心のうちを伝えるものだったという。
 生前に遺書を書き上げた。だがしかし、それは自死を選ぶ為の遺書なのではなく、そこからベートーヴェンは再生する。

 この有名な手紙の文章に、それが表されている。音楽家でありながら耳が聞こえない、その絶望を味わいながらも、やはり音楽と共に生きる選択をするのである。
「音楽の女神が私を死から救ってくれた」
遺書にはそう記されているという。

 聴覚を失った現実を受け入れ、絶望から立ち上がり、その後も音楽と共に生きる為に、ベートーヴェンは自分が生きる為に遺書を書いた、ということなのだろう。

 その後のベートーヴェンの曲は、古典的なスタイルから、ドラマチックで情熱的なものへと変わっていく。

 交響曲第6番『田園』は、ベートーヴェンが自然豊かな風景の中で、構想を得て生み出した曲である。

 Vは下調べもせず、当然のように田園地帯を想像しながら来たものの、高速道路を降りてから、ずっと住宅地が続いていた。通りを曲がって、丘を上り、遺書の家に向かう。どこまで見回しても住宅地だ。

 「現在では住宅地となっている」という文章を、後になってガイドブックで見た。
 起伏の多いこの周辺は、かつては豊かな田園風景、丘や川が望める一帯だったのだろう。

 この日は月曜なので、『遺書の家』は閉館だと知っていたけれど、今回は日程的にやむを得ず。
 Oはいつでも来られるから、と気楽に言う。

 坂の途中に、小さな広場。車を停めて、建物のそばに行ってみると、
「ローマ•カトリック教区、ベートーヴェンホール、クレメンス、クラメルトホーム、教区幼稚園」
と書かれた案内板を見つけた。
 営業時間が書いてあるけれど、この日は休み。門から先は立ち入り禁止のようだ。

『遺書の家』のご近所であるから、言葉の通り、ベートーヴェンゆかりのホールがあるのだろう。


 この広場から遺書の家は近いものの、どうやら一方通行の道らしい。来た道を下ってやり直しだ。今度は左側の坂道を上って、道なりに進むと『遺書の家』が現れた。小さな家‥‥

 先程の広場辺りを歩いていた、他の何人かの観光客もやって来て外観を撮影している。


『ベートーヴェンの遺書の家』
Haus des Heiligenstädter Testaments
とても小ぢんまりとした家
本日は休館日


 近くにベートーヴェン公園があるということで、そちらに向かって、丘を上っていく。

到着

 住宅地が途切れて、林が続く。その公園の一番奥に銅像がある一角を見つけた。


Beethoven-Park
ベートーヴェン像
像の向きのせいで、どうにも暗く写ってしまう

 近隣の人々が散歩している姿を見かける。この公園周辺は静かで、自然が残されている。
 この辺りもベートーヴェンが散歩をしながら、作曲の構想を練った場所の一つなのだろう。

 ベートーヴェンは厳しい表情をしているけれども、静かな公園の中の像は実に穏やかだ。
 この日も黄昏の時刻が近づいていたが、ブダペストでエリザベート像に感じたような怖さは全く感じない。
 あれ以来銅像を見ると緊張するようになったVだけれども、ここでは自然の中で、ただただ静かな時間を共有したような心持ちであった。

 絶望の中に音楽という希望を見出し、時代を超えて演奏され続ける曲を作ったベートーヴェン。
 宮廷を嫌って旅をし続け、娘や息子を失った悲しみを生涯持ち続け、思いもよらない暗殺という形でこの世を去ったエリザベート皇妃。
 それぞれの人物の歴史を知っている為の先入観もあり、像を眺めながら、ついついその人生に思いを馳せてしまう。

 音楽に希望を見出して人生を切り開いたベートーヴェンの人生と、自由な生き方をしながらも、悲しみのうちに死を望んでいた皇妃の生き方との違いをつい感じてしまう為に、こうして銅像を前にした時、Vの中に湧き上がる何かがある。

 寒さの中、夕暮れ時の静かな公園は人も少ない。けれどもその静けさは不思議と穏やかで心地良い。

 Vは銅像の表情を見つめる。人生を諦めなかった人の強さや希望、音楽への崇高な喜びと共に生きた人の思いを感じながら、Vは公園を後にした。



丘陵を進んでいくと葡萄畑が


 ハイリゲンシュタットでは、田園地帯はもう見られない。完全な住宅地に変わっている。
 しかし、その一帯をぐるぐる走っている間に、街の雰囲気や丘の上までの距離感、起伏の多いうねうねと続く丘の道などから、当時の風景は何となく想像がついた。狭い道幅は当時のままのはずだ。

 駅に近い、小川が流れるベートーベンの小道、遺書の家から丘を超えた林、いずれも静かな場所だ。ウィーンを離れてこの町で過ごした期間、豊かな自然の中を歩きながら思索するベートーベンを思い浮かべる。

 作曲家として華々しく活躍する時代、聴力を失って絶望する時代、そして絶望の中から再び創作に打ち込んだ時代、音楽家としての生き様は壮絶だ。

 それでもこのハイリゲンシュタットの自然の中で安らぎを得て、再び作曲家として生き続けることを選択したのだ。

 ここはベートーヴェンの再生の地。
 去り際にVが感じたのは、そんな幸福感であった。

 山を越え谷を越え、車はドイツに向けて走り続ける。


 
 

                —了—




【旅のまとめ】
既にお読みいただいた方は、さぞお腹いっぱいかと思いつつ、是非またお暇な時にどうぞ。


▪️番外編




▪️本編  6泊7日の旅


【あとがき】
 年末は旅疲れ、新年はお正月の料理疲れでした。
ですので、この旅のエッセイは、1月半ばから書いて順次投稿しようと思っておりました。

 しかしよく考えてみたら、コニシ木の子氏が『なんのはなしですか通信』の回収をしてくださるのが19日からの週です。

 是非回収していただきたいものの、この1話が長いシリーズを、うっかりその週に仕上げて全部投稿してしまったら、律儀にお読みくださるコニシ木の子氏にどれだけご負担をかけてしまうのだろう、と思い直しまして、「遅筆のナマケモノV」の名を返上し、先週までに大急ぎで7つの記事を書き上げ、この最終話のみに#を付けようと思い至りました。
 大急ぎで仕上げた為に、深みのない単なる旅日記です(余計なことも結構書いてはありますが)。

 1話目の番外編を新年初投稿としました。エリザベート像の前で戦慄の体験をし、狼狽してからというもの、何故かVは喝を入れられたかのようになり、何もかも大急ぎで過ごしています。

 生き急いでいるのではないことを、自ら祈るのみです。
 皆様、本年もどうぞ宜しくお願いします🎍



#なんのはなしですか


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