見出し画像

フレッド・アステア主演、スタンリー・ドーネン監督 『結婚準決勝戦』 : やはりアステアのダンスがすべて。

映画評:フレッド・アステア主演、スタンリー・ドーネン監督『結婚準決勝戦』(1951年/アメリカ映画)

フレッド・アステア主演のミュージカル映画の傑作である。
監督も、ミュージカル映画の巨匠である、スタンリー・ドーネン。かの『雨に唄えば』を撮った監督だ。

本作の場合、何で損をしているいって、その邦題『恋愛準決勝戦』の意味不明さをおいて他にはあるまい
「なんだそれ?」という、あまりよろしくない第一印象を与えてしまうこと必至の、ダメタイトルなのだ。

本作の原題は『ロイヤル・ウェディング』という実にストレートなもので、これは本作が、

『1947年のエリザベス王女マウントバッテン公爵のご成婚』

(Wikipedia「恋愛準決勝戦」

を、物語の背景として取り込んだ、一種の便乗映画だったためである。

ではなぜ、こんなにわかりにくい邦題にしたのか、それ自体は不明なのだが、いずれにしろ現在では、原題どおりの『ロイヤル・ウェディング』のタイトルで、ソフト化されることもあるらしい。

たしかに邦題が変わるのは混乱のもとなので、決して好ましいことではないのだが、この場合は、やむを得ないと思う。

次善の策としては、『ロイヤル・ウェディング(恋愛準決勝戦)』とでもするしかない。しかし、これはこれで、いささかダサいのだが、致し方あるまい。

古い作品にはたまにあることだし、アステアの初期主演作品にもある事例なのだ。

原題『スイング・タイム』
 ↓
邦題『有頂天時代』
 ↓
現在の一部のソフト
『スイング・タイム(有頂天時代)』

といった具合でなのである。

○ ○ ○

さて、そんな「邦題に難あり」の本作ではあるが、作品そのものは素晴らしい

とにかく、アステアが歌って踊ってくれるのだから、それだけで十分だし、むしろ余計な「物語要素」が、ごてごてと付け加えられていないところこそが良いのだ。

本作は、エリザベス王女の「ご成婚」に沸くイギリスに乗り込んだ、アメリカの人気ダンサー・トムとエレン兄妹の、彼の地でのそれぞれの恋愛模様を描く、ミュージカル映画である。

無論、兄がアステアであり、妹がジェーン・パウエル

アステアの方は、いまさら紹介するまでもない、ハリウッドミュージカル映画黄金期の最大のスターなのだが、ジェーン・パウエルの方は、少なくとも日本では、そんなに有名な人ではない。
もちろん、ミュージカル映画の黄金期に活躍したスターの一人なのだが、元が、映画女優ではなく、舞台のミュージカルダンサー出身なので、ミュージカル映画の衰退と共に、映画の世界では活躍の場を失ったようである。一一まあ、このあたりは、死ぬまで有名だってアステアとは、格が違ったと言うべきなのであろう。

では、アステアのミュージカルダンサーとしての「格の違い」というのは、奈辺に存するのだろうか。

それは無論、そのダンスの素晴らしさにあって、アステアのダンスを評する場合によく言われるのは「軽やかな華麗さ」「品格のある華麗さ」といったことである。

つまり、オリンピック競技のそれのような「超人的な運動能力によって、超人的な技を見せる」といった「力技」の対極にある、それこそ「夢見るようなダンス」なのだ。

見る者は、そのダンスに「圧倒される」のではなく、見ているこちらまでが思わずニコニコしてしまうような、そんな多幸感にあふれた、魅惑的なダンスなのである。

そしてこれは、「やろうとしてやれるもの」ではない。
すべてはアステアの持って生まれた「天稟」の為せるわざであって、真似しようとしても、他人に真似のできるようなものではない。
だからこそ、アステアのダンスは「唯一無二」だったのであろう。

そして、そのダンスが「天稟」だというのは、こう言ってはなんだが、アステアが決して「美男」ではない点にこそ、明らかだろう。
「人の良さそう顔」ではあっても、決して美男ではない。醜男ではないとしても、言うなれば「どこにでもいそうなオジサン」顔なのである。

ただし、顔の造作は「どこにでもいそうなオジサン」だけれども、その表情には、アステアという人の、優しさや温かい人柄、決して威張ったりはしない苦労人であり紳士としての人柄が、最初からはっきりと表れていた。

だからこそ彼は、最初からそんな役ばかりを演じたのだし、その人柄がダンスにも表れて、見る人を、安心感の中にも惹きつけて止まなかったのである。

無論、こうした「天稟」は、血の滲むような努力によって支えられたものだったというのは論をまたないのだけれど、それはやはり、努力だけではどうにもならない、特別なものだったのだ。

そんなわけで、本作は、アステアによる、バラエティに富んだダンスを見せてもらえるだけで、完全に満足できる、その意味で豪華な映画である。

部屋の壁を登り天井で踊りといった特殊撮影によるダンスが、ビジュアル的なインパクトによって有名だけれども、今となっては、そんな特撮に驚く人は少ないだろう。
むしろ、部屋の回転に合わせて、不自然ならないように踊ってみせた、アステアの運動能力にこそ感嘆すべきシーンだと思う。

だから、それよりも感心させられるのは、これも有名な、帽子掛けを相手にしたペアダンスである。

円盤上の重しの台に、人の背丈より少し高いくらいの棒が立てられており、その棒のトップ部分に幾つかの帽子掛用のフックが付いているという、昔は普通にあった、ごく普通の帽子掛けである。

ダンスの練習相手である妹が、時間になっても姿を見せないものだから、やむなくアステアは、帽子掛けを相手にしてダンスの練習を始める、というシーンなのだが、これがとにかくすごい。
基本、長回しで撮られており、ぶつ切りで良いところだけを貼り合わせて繋いだような代物ではなく、アステアの非凡な力量がはっきりと示された、地味だが、圧巻のダンスシーンなのだ。

このほかにも、手をかえ品をかえてのダンスシーンがあって、「ここが地味にすごい!」といちいち解説したくなるのだが、そんなものをいくら文字で読んでも、アステアの凄さは決して伝わらないのだから、私はここで「とにかく見ろ!」と、心からそう訴えたいのだ。

(物語冒頭の、アメリカでの舞台シーン)

前記のとおりで物語自体は、エリザベス王女の「ご成婚」に沸くイギリスに乗り込んだ、アメリカの人気ダンサー兄妹それぞれの恋愛模様を描いており、それはまあ、型どおりものと評してもいいだろう。

つきあう男を取っ替え引っ替えしている遊び人の妹は、イギリスで、こちらも遊び人として知られる貴族男性と知り合い、お互いに柄にもない相思相愛になってしまう。
しかし、彼と結婚すれば、世界を股にかけたダンサーとしての旅など続けられるわけがない。けれども、兄とのそんなダンサー人生に満足していた妹は、そこでどちらを選ぶべきかと悩んでしまうのだ。

(イギリス公演のための船旅の途中、エレンはイギリス貴族の青年と仲良くなる)

一方、アステアの演じる兄の方は、ダンスの舞台にすべてを賭けて生きてきた、恋愛にはちょっと奥手な、真面目な男である。
女性に興味がないというわけではない。だが、妹のように恋愛遊戯が楽しめるようなタイプではない。

ところが、そんな彼がイギリスの舞台で、ある新人ダンサーに一目惚れしてしまう。
当初は、彼女から誤解されたアステアだが、すぐに誤解は解けて、二人はお互いに憎からず思い合うようになる。

けれども、大きな問題がひとつあった。
それは、彼女には、アメリカでデパート勤めをしている婚約者がいたのだ。
婚約者がアメリカの地で一旗あげたら、彼女を呼びよせて結婚することになっていたのである。

だから、彼女は、アステアをあくまでも親しい友人として遇する一線を譲らないし、もともと強引なタイプではない紳士アステアも、その一線を守るしかなかった。

だが、そんな婚約者を持つ彼女は、少しも幸福そうには見えなかった。
そこで、親しくなった彼女の父親に事情を尋ねてみると、アメリカへ渡った婚約者からの連絡が途絶えがちだというのである。
そこでアステアは、自分たちをイギリス興業へ送り出した興業主に、その婚約者の現状を探ってもらい、彼女を安心させようと考えた。

ところが調べてみると、その婚約者はアメリカですでに結婚していたというのが判明する。
そこでアステアは、その彼女に「余計なことをしたのかもしれないが、実は」と、その婚約者の現状を伝える。
アステアとしては、これで堂々と彼女とつきあえるぞと、内心浮き浮きしてはいたのだが、他人の不幸を喜ぶわけにはいかないので、気を遣って慎重に話したのである。

ところが豈図らんや、彼女はその知らせを聞いて「これで私も安心したわ。あなたとも心置きなくつきあえるし、結婚だってできる」と積極的になる。

すると今度は、これまで芸人人生一筋だったアステアの方がビビってしまい「僕は、結婚には向いていない男だと思う」などと言い出してしまう。

そんなわけで、ダンサー兄妹は、それぞれに相思相愛の相手を見つけていながら、いざ結婚となると、躊躇して腰がひけてしまう。
そして、二人で話し合った挙句、やっぱり結婚は止そうという結論に落ち着いてしまうのだ。

そうこうするうちに、いよいよエリザベス王女ご成婚の当日となる。
兄妹は浮かない顔のまま、イギリス側のプロモーターに、ご成婚パレードの見物に連れ出されることになる。

(本篇でのドキュメンタリー映像)

そしてその華やかなパレード(ここは実物の映像)を魅せられているうちに、兄妹共に「やっぱり結婚しよう」と翻意して、それぞれの恋人のところへ走ってゆき、兄妹一緒に結婚式を挙げる。

四人が並んで、式をあげたばかりの教会から出てくると、表の通りにはまだ「ご成婚」に浮かれる人々が大勢いたので、兄のアステアは、最後にひと言、

「世界中に人々に祝福されて、僕らは幸せだ」

というジョークを飛ばして、この物語は幕を閉じるのである。

一一本作は、そんなハッピーエンドの、実にわかりやすい作品なのだ。

ちなみに、Wikipediaによるば、アステアの恋人役をやった女優は、なんと、かのウィンストン・チャーチル首相(当時)の令嬢だという。
また、妹の恋人のイギリス貴族役を演じたのは、後に大統領となるジョン・F・ケネディ上院議員の妹パトリシアの夫だというのだから驚きだ。

(アン役のサラ・チャーチル
(イギリス貴族ジョン・ブリンデイル役のピーター・ローフォード

しかしこれは、特別に金のかかった大作だからといったようなわけではなく、単純にそういうことがあり得る時代の作品だったということなのであろう。

だが、だからこそそんな「逸話」などは、どうでもいい。

本作はやはり、アステアのダンスがすべての作品であり、その邪魔にならない配役や物語であったことが、なによりも良かったのである。


(2025年12月25日)

 ○ ○ ○











 ● ● ●

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○


 ○ ○ ○

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○


この記事が参加している募集