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本能寺の変1582 5月7日 3/3 №6-144 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

5月7日 3/3 №6-144

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮
 
 1戦国時代=相互不信の時代
  2美濃
  3尾張
2 光秀の実像
 
 1信長という男
  2光秀という男
  3光秀と光慶  1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
  4先祖の教訓
  5大量殺戮
  6信長の弱点
3 光秀の苦悩
 
 1粛清の怖れ
  2志向の相違
  3光秀の老い
  4四国問題
  5自立への道
4 武田の滅亡
 
 1甲斐遠征
  2勝頼の首
  3武田効果
5 信長の油断
  
「事態急変」
  1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
  2 四国出陣  概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
  3 足蹴事件  概略 5月12日 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 15日
             密室にて 1/3 2/3 3/3    ④ ⑤
  4 中国出陣
  5 時は今、・・・・・。
さる程に、不慮の題目出来候て、
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正

5月7日 3/3 №6-144

【記事一覧】【五大要因】  5 信長の油断2 四国出陣
         →【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
         →【重史036】 【重史012】 【重史167】 【重史014】
          【重史174】

中国出陣の時が、迫っていた。              →4月24日
「重ねて、一左右次第、出勢すべく候」         →【重史036】

そこに、突然、四国出陣命令。             →5月7日 1/3
総大将は、三七信孝。
「今度、四国に至って差し下すに就きての条々」     →【重史012】

これすなわち、光秀の「油断」。
妹(妻木氏)、亡き今。                  →【重史007】
気づくのが、遅すぎた。
知らぬ間に、知らぬところで、事は進行していた。
迂闊であった。

光秀は、蚊帳の外。
「外された」
そういうこと。

光秀は、信長の性格・気性を知りつくしていた。
信長は、絶対専制君主。
誇り高い男。
決して、「逆らってはならぬ」のである。

光秀は、このことを肝に銘じていた。
           →【注ポ04】 【光秀という男】⑨㉑ 目次 6/7
           →【信長という男】③⑨

信長は、西国攻めに出陣するつもりだった。 →5月7日 1/3 【重史012】
「天下布武」の総仕上げ。
中国・四国・九州平定戦。
本陣は、淡路島。
「其外両国の儀、信長、淡州に至って出馬の刻、申し出すべきの事」
それまでに・・・・・。
否、それでは遅すぎる。

ならば、その前。
光秀が、中国へ出陣するまでに。
頼辰が、間に合えば、全て、良し。
光秀の経歴にキズはつかず、信長の覚えは、これまで通り。

間に合わねば・・・・・。
元親との交渉は、失敗したとされ。
光秀の責任問題となる。

光秀は、元親の取次。
当然のこと。

となれば、
光秀は、信長の信を失い、失脚・・・・・。
明智は、没落する・・・・・。

光秀が、何よりも怖れること。            →3-1粛清の怖れ
ここに、その可能性が出て来た・・・・・。

ならば、いつ・・・・・。
今直ぐに、ではない。

信長は、合理主義者。
使えるだけ、使った、その後で・・・・・。

信長は、忍耐強く、執念深い。        →【注ポ11】【重史167】
このことを決して忘れない。
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。

佐久間信盛を見よ!!                →3-1粛清の怖れ
信長は、重臣といえども、容赦しない。
粛清は、ある日、突然、訪れる。
信盛は、全く、予期していなかった。

信長は、不意を衝く。
恐ろしい男なのである。
「隙」を見せてはならぬ、口実を与えてはならぬ、のである。

そればかりに、あらず。

光秀は、高齢だった。                 2-3 光秀と光慶
年齢は、五十九±四歳ぐらい。
生年は、大永四1524±四年ぐらい。
「気力・体力の衰え」
誰もが通る道である。
人生の残り時間が、少なくなっていた。
「長くて五年」・・・・・。
おそらく、そのくらいの感覚だったのではなかろうか・・・・・。

嫡男光慶は、まだ、十三歳。         →そ第7話② 【重史014】
若すぎた。

光秀は、明智の将来に不安を感じていた。

 【参照】
  3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男

  そ第6話② そ小6 光秀は、大きな悩みを抱えていた。 テ6 ◎6   6
  そ第7話① そ小7 光秀は、高齢だった。 テ7 ◎7   7
  そ第7話② 十三歳 嫡男光慶は、若すぎた。 テ7 ◎7   7
  そ第7話③ 他に光慶が登場する場面 史料  テ7 ◎7   7

光秀は、嫡男光慶を守らねばならなかった。
光秀にとって、家臣は、「宝」。
明智秀満と斎藤利三が、明智の柱石である。         →【人物】
光秀の亡き後は、彼ら二人が、中核となって、光慶を補佐することになる。

明智は、世代交代の時期に入りつつあった。
そう、考える。
そのために、光秀は、負の遺産と成り得るものを、全て、除去しておきたかった。
当然、である。

正に、明智の一大事。          →5-1 勝利の余韻 4月24日
                    →5月7日 1/3 【重史012】

光秀は、追い込まれた。
心の内は、焦燥感。
なれど、表には出さず。
平静を装う。

頼みの綱は、石谷頼辰。
土佐は、僻遠の彼方。
今頃は、・・・・・。
早い帰還を祈るのみ。

 【参照】【四国問題】  5月17日
     そ第78話⑨ そ第11⑩02 ◎第147話② 第147話

斎藤利三は、土佐の問題に強い責任を感じていた。    →【重史174】
利三が、土佐の空然(石谷光政)に送った書状(天正十年一月十一日付)を見れば、そのことがよくわかる。
「弥(いよいよ)、始末、然るべく様に」
「万事、御異見、尤もに、存じ候」
そういうこと。

君臣ともに、一枚岩。
二人は、強い絆で結ばれていた。

利三の年齢については、よくわからない。
だが、その娘 お福=後の春日の局(第三代将軍 徳川家光の乳母)の生年は、
天正七年1579とされる(「国史大辞典」) 。
したがって、山崎の合戦時=天正十年1582は、4歳。
また、この戦いに参戦した兄がいたらしい。
とすれば、少なくとも、14~5歳年長。
これらのことから、大雑把であるが、利三の年齢は、40代前半ぐらい
だった、と考える。
如何、だろうか。

【参照】
【時は今・・・】 目次
 0521 目 0526  0527  0528 目 0529

本能寺への道

本能寺への道1
  そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
  そ第78話② そのような時代
  そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
  そ第78話④ 事態急変 五月七日
  そ第78話⑤ 同十五日
  そ第78話⑥ 「足蹴事件」

本能寺への道2
  そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
  そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
  そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間

本能寺への道3
  そ第78話⑩ 同二十六日
  そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
  そ第78話⑫ 同二十七日

本能寺への道4
  そ第78話⑬ 同二十八日
  そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
  そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った

本能寺への道5
  そ第78話⑯ 六月一日 出陣
  そ第78話⑰ 同日 公家参集
  そ第78話⑱ 同日、夜
        光秀は、決断した。

【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】 天正八年 天正九年 天正十年

重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次

←【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道

その一因 目次大 概説大 目次中

3光秀と光慶
 
(1)光秀の素性
 (2)光秀の年齢
 (3)光秀の嫡男

見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】



   只今、進行中!!



 ⇒ 次へつづく




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