本能寺の変1582 5-1 勝利の余韻 №6-141 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
5-1 勝利の余韻 №6-141
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断 大要 概略
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日
4月24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3
5月11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
5月17日
坂本にて 大 概 1 2 3 ① ② ③
4 ① ② ③ 5 6
5月19日 大 概
5月20日 大 概
5月21日 大 概
5 時は今、・・・・・。
5月26日 大 概
5月27日 大 概
5月28日 大 概
5月29日 大 概
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
5-1 勝利の余韻 №6-141
4月21日
信長は、安土に凱旋した。 →【四国問題】 天正十年 目次
途中、各所で、大勢の家臣らの出迎えをうけた。
以下、①~⑥。
四月廿一日、濃州岐阜より安土へ御帰陣のところに、
①ろくの渡りにて、御座船飾り、稲葉伊予(良通)、一献進上なり。
②捶井(垂井)に御屋形立ておき、こぼう殿(織田信房)、一献御進上候
なり。
③今洲(今須)に御茶屋立てて、不破彦三(直光)、一献進上候なり。
④柏原に御茶屋拵らへ、菅屋九右衛門(長頼)、一献進上なり。
⑤佐和山に御茶屋立て、惟住五郎左衛門(丹羽長秀)、一献進上。
⑥山崎に御茶屋立ておき(滋賀県彦根市里根町)、山崎源太左衛門(秀家)、
一献進上候なり。
「御威光有りがたき御代なり」
信長の勢威・威光は、最高潮に達していた。
今度、京都・堺・五畿内、隣国の各(おのおの)、はるばる罷り下り、
御陣御見舞の面々、門前市をなす事に候。
路次中、色々進物、員(かず)を知らず上覧に備へ、
誠に、御威光有りがたき御代なり。
四月廿一日、安土に御帰陣。
【重史035】(『信長公記』)
【参照】【 重史 034】 三月五日、出陣。
雲上を歩むが如し。
心地がいい。
勝利の余韻が、まだ、尾を引いていた。
安土城は、新緑の中に聳え立つ。
4月24日
→【四国問題】 天正十年 目次 0424
→そ第78話③ ポ02③
→【重史036】
秀吉は、備中にいた。
「毛利本軍を誘き出す」
これが、その役目。
秀吉から、注進あった。
「小早川隆景、幸山城に入る」
備中高松城から、西南へ凡そ二里8Kmの地。
近い。
なれど、・・・・・。
吉川元春、未だ、現れず。
毛利輝元、同。
信長は、動かない。
「引きつけよ」
次の報せを待つ。
信長は、出陣のタイミングを窺っていた。
以下は、信長が、光秀を介して、細川藤孝に宛てた命令書。
その日は、近い。
中国進発の事、来秋たるべきの処、
今度、小早川、備前児嶋より敗北せしめ、備中高山に楯籠るの間、
羽柴藤吉郎、出陣せしめ取巻くの由、注進候、
重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
由断なく、用意専一に候、
(命令あり次第、直に、出陣できるよう、準備せよ)
猶、惟任日向守、申すべく候也、
謹言
四月廿四日 信長(朱印)
一色五郎殿
長岡兵部大輔殿
【重史036】(「細川家文書」)
そもそも、出陣は、「来る秋」のはずだった。
「来秋たるべきの処」、とある。
その時期が、大幅に、早まりそうになって来た。
信長には、絶大な自信があった。 →4 武田の滅亡 (3) 武田効果 0317
背景にあるのは、「武田効果」。
信長は、最大・最強の武器を手に入れた。
信長は、目的意識の強い男。 →【信長という男】 3/5⑤⑦
性急・短気。 →【信長という男】 5/5⑮
先を急いでいた。 →本能寺への道1 そ第78話③この年、四十九歳。 →【重史052】
「人間五十年」 → 【重史169】
それまでに、・・・・・。
「天下布武」は、成る。
そして、「さらなる夢」があった。 →【重史008】
信長に、休む間などない。
光秀は、高齢だった。 →本能寺への道1 そ第78話③
この年、五十九±四歳ぐらい。 →3光秀と光慶 2光秀の年齢
己の「老い」を自覚していた。
残された時間は、短い。
光秀は、「来る秋」に合わせて行動していた。
光秀は、出来る男。
キレ者である。
もちろん、十分な余裕を持って。
ところが、事態が急変。
「一左右次第、出勢すべく候」
おそらく、二ヶ月程も、早まることに・・・・・。
となれば、当然、
時間的に、余裕がなくなる・・・・・。
石谷頼辰は、土佐へ向かっていた。
未だ、到着していない。
頼辰は、間に合うのか、合わぬのか、・・・・・。
光秀の心中や、如何に・・・・・。
光秀の妹 妻木氏は、すでに亡く。
ために、信長の心の内が、よくわからない。
信長のことについて、従前の様に、完璧に、掌握することが、困難な状況になっていた、と言うこと。
すなわち、情報不足。
→【重史173】「多聞院日記」天正九年1581八月十九日条
一、佐久間(信盛)、十津川の湯にて、死ぬにつき、
一、惟任日向守、郡山城普請見舞として
→【重史007】「多聞院日記」天正九年1581八月二十一日条
今暁、惟任帰られおわんぬ、
惟任の妹の御ツマキ、死におわんぬ
これぞ、明智の一大事。
「中国出陣」と「四国問題」。
光秀は、同時に、二つの大きな問題に直面していた。
「一寸先は、闇」
何が起きるかわからぬ時代。
光秀は、急激に、追い込まれて行く。
【参照】
【時は今・・・】 目次
0521 目 0526 目 0527 目 0528 目 0529 目
本能寺への道 1 2 3 4 5
本能寺への道1
そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
そ第78話② そのような時代
そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
そ第78話④ 事態急変 五月七日
そ第78話⑤ 同十五日
そ第78話⑥ 「足蹴事件」
本能寺への道2
そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間
本能寺への道3
そ第78話⑩ 同二十六日
そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
そ第78話⑫ 同二十七日
本能寺への道4
そ第78話⑬ 同二十八日
そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った
本能寺への道5
そ第78話⑯ 六月一日 出陣
そ第78話⑰ 同日 公家参集
そ第78話⑱ 同日、夜
光秀は、決断した。
【四国問題】
天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】
天正八年 天正九年 天正十年
←重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次
←テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
←その一因 目次大 概説大 目次中
←3光秀と光慶
(1)光秀の素性
(2)光秀の年齢
(3)光秀の嫡男
←見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
←【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
←【ここがポイント!!】
只今、進行中!!
⇒ 次へつづく
