本能寺の変1582 5月12~15日 大要 №6-175 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
5月12~15日 大要 №6-175
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣
5 時は今、・・・・・。
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
5月12~15日 大要 №6-175
1/5 概略
この日が、信長の誕生日である。 【重史052】
信長には、絶大な自信があった。 →1 勝利の余韻
背景にあるのは、「武田効果」。
信長は、目的意識の強い男。
「五十年」を強く意識していた。
2/5 概略
これが、信長である (①~⑲) 。 →【重史146】 0512 4/7
特に、以下の五つに注目!!
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。→【光秀という男】 目次
3/5 概略
戦いが終われば、粛清が始まる。 →【重史163】
信長は、誇り高い男。
己に口答えする家臣を、決して、赦さない。
信長は、粛清の人。 →【重史163】
不意を衝く。
光秀は、それを怖れていた。 →【重史009】
4/5 概略
信長は、人々の心を大いに引きつけた。 →0512 6/7 【重史235】
信長は、戦国乱世を終わらせようとしていた。 →【重史237】
信長は、一般大衆に人気があった。
5/5 概略
信長は、傲慢だった。 →0512 7/7 【重史236】
「武田効果」により、
信長は、さらに傲慢になっていた。 →【重史259】
光秀は、そのことを、他の誰よりもよく知っていた。
これが、天正十年五月中頃の、信長の精神状態。
5月15日 概略
家康は、安土に到着した。 →0515 【重史226】
信長は、光秀に、接待役を命じた。
この日から、十七日までのこと。
⇒ 次へつづく
