本能寺の変1852 その一因 2(3)光秀の嫡男 そ第7話③ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 2光秀と光慶 (3)光秀の嫡男 そ第7話③
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2光秀と光慶
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(3)光秀の嫡男 そ第7話③
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1信長の後継者 そ第5話① そ第5話② そ第5話③
そ第6話①
2光秀の後継者 そ第6話②
そ第7話① そ第7話② そ第7話③ そ第7話④
2光秀の後継者 2嫡男光慶は、若すぎた。 光慶関連史料
他に、光慶が登場する場面 (①~③) 。
①天正八年1580、一月九日
年始の茶会。
一月九日。
光秀は、坂本城にいた。
この日、年始の茶会を催した。
堺より、津田宗及。
嫡男光慶も、登場している。
正月九日朝 惟任日向守殿会
一床にすゞはち(錫鉢)に紅梅の大枝一ツ、但、手水間にのけられ候、
一長板 八角釜 風炉
芋頭(いもかしら)水指、但、梅雪(不住庵)所持なり、
道設(草部屋)かうらい茶碗 備前水下
御振舞、 上様より拝領の生靍(つる)一種、吹物に、
鳥子皿、宗及みやげに参り候皿に入て、
酒三遍斗、 菓子 ふぉつす(小壺)のやうなるふたのある物に、
昼、御成の間にて、
床に三ぷく一ついの絵、かけて、
本膳七ツ 二膳五ツ 三膳五ツ 色々引物
金ニダミテ、
御子息(十五郎光慶)より、小袖二重給い候、数四ツ
【重史069】(「天王寺屋会記」)
②天正九年1581、四月十二日
光秀の丹後遊覧。
光秀一行は、宮津に到着した。
細川藤孝が、これを出迎えた。
そして、饗応。
心地よい時が流れる。
四月十二日の朝、 長岡与壹郎殿の振舞
一、御人数 惟任日向守殿父子三人
長岡兵部太夫殿父子三人
紹巴 宗及 宗二 道是
本膳七ツ、二膳五ツ、三膳五ツ、四膳三ツ、五膳三ツ、引物二色
以上七の膳なり、
菓子むすび(結)花にてかざ(飾)り、十一種なり、
「惟任日向守殿父子三人」
光秀、十五郎光慶、明智秀満。
「長岡兵部太夫殿父子三人」
細川藤孝、嫡男忠興(与一郎)、二男興元(頓五郎)。
細川忠興は、光秀の娘婿。 →【 人物 】
忠興、この時、十九歳。
妻は、光秀の三女。
後の細川ガラシャ。
忠興から光秀へ。
太刀を進上。
一、御酒半に、地蔵行平の太刀、
与一郎殿より、日向殿へ御進上候なり、
光秀は、風流の人だった。
「紹巴 宗及 宗二 道是」
里村紹巴は、連歌師。
津田宗及・山上宗二・平野道是は、茶人。
何れも、当代一流の文化人である。
光秀、天橋立に遊ぶ。
「戦のない世」
その有難さが身に染みた。
人生最良の一日であった。
同十二日の巳の刻に、
九世戸へ見物、かざり船にて、并びに橋立の文殊にて御振舞これあり、
一、俄(にわか)夕立の雨ふりて、 兵部大夫殿藤孝
夕立のけふハ(刃)はハや(早)き切戸哉、
一、紹巴と、日向殿と、太夫殿と連歌あり、
九世戸の松になへ松といふ松なり、其れについての発句あり、
うふ(植)てる松は千年(ちとせ)のさなえ(早苗)哉 光秀
夏山うつす水の見なかみ(水上) 藤孝
夕立のあとさりげなき月見へて 紹巴
(「天王寺屋会記」)
これが、光秀の実像である。
信長とは、異なる部分を有していた。
光秀は、心(しん)から、茶の湯・連歌が好きだった。
武将でありながら、文芸を好む人物だった。
それ故、宗及ら文人を同道した。
正に、「忙中閑あり」、である。
光秀には、このような一面があった。
光秀は、節度の人。
己の分を弁(わきま)えていた。
佐久間信栄(信盛の嫡男)は、深入りしすぎて、その身を滅ぼした。
この違い。
まことに、雲泥の差である。
光秀は、文武両道の人。
だが、その反面。
光秀は、権謀術数に長けていた。
目的のためには、手段を選ばず。
信長の家臣として、また、戦国武将として。
為すべき時に、為すべきことを、躊躇なく、実行した。
信長にとっては、まことに、重宝。
得難い人材だった。
③天正十年1582、五月二十七日 →テ第7話 ◎第7話 第7話
愛宕百韻。
明智光秀張行百韻 天正十年五月二十七日。
発句 ここから、始まる。
時は今、あめが下なる五月哉、 光秀
(中略)
結句 ここで、終わる。
国々は、猶、長閑(のどか)なる時、 光慶
(「続群書類従」)
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