タイムトラベル新京極(9)
第7章 その他の路地や図子(辻子)
ここまで三条通から四条まで伸びる新京極の成り立ちと、明治以前に存在した寺院群の物語を綴ってきたが、今も残る寺々を巡る散歩道は新京極と裏寺だけではない。ほかにも通り抜けができる細い道路がこの界隈のあちこちに存在している。
最後の散歩はそれらの路地や図子を巡る歴史散策で締め括ろう。
(1)第二京極
第二京極は明治44年に開通した。当初は南側に芝居小屋からすぐに映画館となった八千代館、北側には食堂(のちに松永食堂を経て丸二食堂)と加藤菊花園という盆栽店がある程度。程なくして三友(さんゆう)劇場や大正座(のちの京極東宝)が出来、加藤菊花園はその後中央映画劇場(中央館)になるが、終戦直前に劇場統制で中央館は取り壊され、周辺の杵屋食堂、日米写真館なども疎開して、できた空き地が現在の新京極公園の原型になった。
三友劇場は昭和2年に松竹映画館となり、昭和23年に京極大映となった。大正座は大正13年に新富座と改称し、昭和29年に京極大映と合併して京極東宝映画劇場となったが、平成18年に京都宝塚劇場、京都スカラ座と共に閉館。平成20年に現在のスーパーホテルが誕生している。
八千代館は昭和2年の火災で焼失し、松日劇場として再建後、昭和24年に名前を戻すも、その後成人映画館となって平成19年に閉館。
現在の第二京極は映画時代を偲ぶ光景も消え、静かな通りに戻っている。


(2)花遊小路
四条道場金蓮寺の境内に梅林庵という塔頭があり、その跡地に明治時代「いもぼう」などを出す精進料理屋の「花遊軒」という店が出来て繁盛していたが、閉店後の跡地を再開発して大正元年ごろに商店街が出来たのが花遊小路の起源である。和装小物を扱う店が多く、昭和初期には役者・女優・舞妓・芸妓らで賑わったが次第に廃れていった。「よーじや本店」は今も花遊小路に残っている。近年はふたたび若者の足が戻りつつある。

(3)ウッサンの図子(ずし)(烏樞沙摩図子、烏須沙摩辻子)
花遊小路と第二京極の間、阪井座ビルの北側に新京極から裏寺へと抜ける小道があり、突き当りに大龍寺があったことから「ウツサンの図子」と呼んでいたらしいが、今ではそのような呼び方も聞かれなくなった。
戦後しばらくは「美松」系列の映画館やビヤホール、ダンスホールなどがあって賑わっていたが、今は比較的静かな通りになっている。
タイムトラベル新京極(9)のタイトル画像は、ウッサンの図子を美松ビルあたりから裏寺方面に向かって撮影した写真である。



(4)柳小路とタヌキの神様
最後に柳小路について書き留めておく。
第二京極とウツサンの図子の間を、裏寺のすぐ西側に並行するように短い路地があり、これが柳小路と呼ばれる飲食街である。元々は歓喜光寺の裏手であったと思われる。
言い伝えによると、新京極開通当時に、歓喜光寺の境内で死んでいた3匹の狸を祀り、近辺の地を清めるために「六兵衛明神」「七兵衛明神」「八兵衛明神」という3つの鎮守社が創建された。「八兵衛明神」は現在と同じ柳小路にあったが、あと二つは元々錦天神の裏にある新京極公園の公衆便所の北側あたりに置かれていた。その後「六兵衛明神」は京極東宝の事務所に移されたが、今はどこにあるのだろうか。また「七兵衛明神」は丸二食堂に祀られていたが、閉店後オーナー宅に移ったという情報も誰かのブログで目にした記憶が有るが、今はどうなっているのだろうか。知っている方がおられればぜひ教えて欲しい。



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