見出し画像

日本人なのに、思考と感情の一部が2010年代のPhiladelphiaで育った人


今日の投稿は、アメリカの現代社会について思いながらの、昔の個人的な思い出話だ。

Philadelphia時代のルームメイトの姉にAlisaという女性がいた。彼女はTemple UniversityでArt Educationを学び、Philadelphiaの公立中学校でart teacherをしていた。最近のプロフィールを見ると、今はレストランでserverとして働いているらしい。

日本だと、「教員免許を取ったのに、なぜ?」と思われるかもしれない。

でも、私には妙に自然に見えた。なぜなら、それは私が知っていた2010年前後のPhiladelphiaそのものだからだ。私が彼女を知った時もserverをやっていた。

知っている人もいるかと思うが、アメリカのpublic teacherは給料が安い。Alisaに関しても「理想を持って学校教育の世界に入ったけど、結局は慣れているhospitality industryに戻ったんだろうな」という印象だ。とても現代アメリカ的な話だ。でも、アメリカではこの彼女の動きは、必ずしも「敗北」扱いではない。

特に東海岸の大都市のNew YorkやPhiladelphiaだと、

“I worked in education, now I’m in hospitality.”

が比較的自然に共存する。むしろ、interpersonal skill, empathy, communication, communityが繋がってる仕事として認識されることもある。

あの頃のPhiladelphiaには、artist, server, bartender, grad student, public school teacher, musicianみたいな人達が大量にいた。昼は大学や学校。夜はレストランで働く。そして空いた時間で、アート、音楽、activism、writing、communityを続ける。そんな人達ばかりだった。

私はTemple Universityに通いながら、Manayunkというエリアに住んでいた。Alisaはそのエリアでserverをしていた。Alisaとの思い出を振り返ると、今思えば、あの時代の私は、単に「アメリカに留学していた」のではない。私は、「2010年代のEast Coast urban liberal culture」の中で人格形成されていたのだと感じる。

Temple Universityは、所謂アイビーリーグ的な大学ではない。もっと街に近い。diverseで、working classの学生も多く、immigrantの子供達も多い。public school出身者も多い。

そして、そもそもPhiladelphia自体が粗く、sarcasmが強く、working-class realismがあり、でもartsやmusicへの愛情が強い独特な都市だ。New Yorkほどは洗練されていない。  Washington DCほどは官僚的でもない。もっと、人間臭い街だ。

私は最近になって「自分の思考OSの一部は、あの街で形成されていたのだ」と気付いた。

例えば、私は“fake”なものが苦手。vulnerabilityにも強く惹かれる。sarcasmが自然に出てしまう。nicheな話題には深く没入する。そして、authenticityを重視する傾向が強い。これは、John Fruscianteに惹かれる理由とも繋がっている。そして同時に、これはPhiladelphiaの文化ともかなり近いのだ。

最近、Alisaが、“Love on the spectrum is so endearing”と言っていた。それを見て、妙に腑に落ちた。Temple周辺やPhiladelphiaのart / education cultureでは、ASD・ADHD・learning differences・mental healthなどへの理解が、日本より遥かに自然だったからだ。もちろん問題が無い訳では無い。アメリカのpublic educationは疲弊している。  teacher payも低い。  burnoutも多い。でも少なくとも、「普通じゃないOperating System」を持つ人間が、即座に排除される空気ではなかった。

今の私は、Philadelphiaから遥か彼方の日本の地方で家業に向き合っている。でも、自分の人格のどこかには、今でもPhiladelphiaが残っている。あの街で出会った、artists, teachers, servers, musicians, politically progressive peopleの空気感が、今でも私の中にある

私は日本人だ。でも同時に、「思考と感情の一部が2010年代Philadelphiaで育った人間」の1人でもあるのだ。私は最近になって気づいた。自分は、単にアメリカに留学していた訳ではない。私は、「2010年代のPhiladelphiaの空気」の中で人格形成されていたのだ。当時の私は、それを全くcherishしていなかった。Templeも、Manayunkも、White Dog Cafeも、Eaglesも、sarcasmも、全部「日常」だった。

人間は、空気の中にいる時、その空気を認識できない。でも今、日本の地方で家業や経営問題や社会構造に向き合っていると、逆に分かる。あの頃の自分は、かなり自然体だったのだと。私は昔、Philadelphia時代を特別なものだと思っていなかった。でも今なら分かる。今では全ての思い出をcherishしている。とても貴重な時間だった。普通の日本人と比較すると、ユニークな経験をしてきた。単なる青春 nostalgiaではない。今持っている、Philadelphiaへの懐かしさは「失われたOSとの再接続」なのだと思う。


関連投稿:

いいなと思ったら応援しよう!