Red Hot Chili Peppersのジャムと「没入OS」という生き方
──成果を最大化しない人たちへの共感
今回は以下の「John Frusciante OS」についての記事の続編だ。
Red Hot Chili Peppersのライブを観たことがある人なら、1度はこう思ったことがあるはずだ。
「……このジャム セッション長くない?」
曲と曲の間。イントロやアウトロにもジャムがある。名前の無い時間だ。再生回数にも、ランキングにも、セトリ最適化にも、ほとんど寄与しない“空白”の時間だ。
普通の売れ線アーティストの発想なら、ここは削る。ヒット曲をもう1曲入れた方が合理的だからだ。観客満足度も、SNS映えも、その方が高い。
それでも彼らは、ジャムを止めない。
■ジャムは「無駄な時間」ではない
このレッチリのジャムセッションは、演出ではない。ファンサービスでもない。ましてや即興を“見せている”訳でもない。
あれは、彼らが音楽に没入するために必要な時間なのだ。
正解は無い。評価も存在しない。失敗という概すらない。成果も測定されない。外部評価が完全に遮断されたゾーンなのだ。
多くの人にとっては「意味の無い時間」だが、レッチリの面々の様な没入型の人間にとっては、唯一、呼吸ができる時間でもあるのだ。
■「John Frusciante OS」 と 「Flea OS」
特にこのバンドの中で象徴的なのが、John FruscianteとFleaだ。
彼らは、音楽を「完成品」として扱わない。曲は目的ではなく、入口だ。
本体は、その先にある“状態”なのだ。音を重ねながら、互いの呼吸を探り、
今この瞬間に自分がどこにいるのかを確かめる。
評価のために弾いていない。
売上のために鳴らしていない。
自分のOSを安定させるために、音の中に入っているのだ。
■成果最大化OSとの決定的な違い
現代社会は、成果最大化OSが支配的だ。時間はROIで測られる。行動はKPIに紐付く。「無駄=悪」の世界だ。社会的ステータス・所得・SNSの見栄などを中心とした成果最大化OSから見ると、RHCPのジャムは理解不能だ。
「あんなセッションは意味がないだろ」「長過ぎる」「もっと売れるやり方がある」等の不満が聞こえてきそうだ。
でも、彼らはそれらを“分かった上で”ジャムセッションを止めない。なぜなら、成果を最大化すると、没入が死ぬことを知っているからだ。
■私自身との重なり
このレッドホットチリペッパーズの没入OSの構造は、驚くほど自分自身と重なっている。私は、雑談に参加しないし、形式的な仕事が苦痛だし、マニュアルが読めない。でも、経営戦略の文脈で、判断・配置・撤退を考えるのは得意だ。発表する予定の無い未完成の個人的なデモ音源も一杯ある。
外から見ると、「何を考えているか分からない人」「非協調的な人」「やる気がない人」などと思われているかもしれない。
でも内側では、意味のない入力を遮断し、没入できる領域を守っているだけだ。
Red Hot Chili Peppersのジャムを聴いていると、「これは音楽の話ではないな」と思う。これは生き方の話なのだ。
■成果を出さない勇気
彼らは、世界的に大成功した後も、成果をさらに最大化する道を選ばなかった。代わりに選んだのは、ジャムセッションというステージ上でも没入を維持することや自分たちのOSを壊さないことだ。
ジャムは派手ではない。でも、長く続く。
そして私は思う。「人生も、仕事も、このジャムのように生きられたら、壊れずに済むのではないか?」と。
成果を出さない時間。評価されない時間。名前の付かない時間。それを「無駄」と切り捨てない人間だけが、自分のOSを保ったまま、前に進めるのだ。
Red Hot Chili Peppersのジャムは、そのことを、音で教えてくれている気がする。
