吉田和彦さんとの思い出:その9
今週から吉田レッスンは、第二段階に入る。詰まり単に音を「なぞっている」のか、或いは「つくろうとしている」のかだけに注目するのではなく、その「つくり方」にもようやくご指導が頂ける訳だ。
第一段階での吉田先生のレッスンは、マラソンの練習に来た筈なのに、一向に走り始めようとしない選手に「マラソンとは足を動かして走ることなんだよ」と、必死に教えている様なものだった。これに対して第二段階では、やっと走り始めた選手に「もう少しアゴを引いて」とか「もっと腕を降って」とかいった、具体的な指示を出すことに相当する。
第二段階の吉田先生は、僕の「音楽性」にグイグイと手を突っ込んで来た。そうすると僕の「薄っぺらい」音がメキメキと厚みを増して、輝き始める。
この頃の僕は、生まれて初めて「音楽の楽しさ」を謳歌していた。
或いは別の表現を用いるならば、この頃になって僕は「音楽が上達する」ということが、どういうことなのかを、ようやく理解したのだ。詰まり、まずは「つくりたい音」が有って、それに付随するかたちで今度は「つくり方」を身に付けなければならない、ということだ。そして前者が「音楽性」で、後者が「テクニック」であることは言うまでもない。
と言うことで早速、第二段階の話を始めたいところなのだが、矢張り少しだけ第一段階に遡ったところから書き始める。何故なら音楽性とテクニックという両輪の問題は、その時点でも既に存在していた。
吉田レッスンが始まって間もない頃、僕は三連符が弾けなくて困っていた。この言葉で明らかだと思うが、僕は基本的に指の運動性が極めて低い。だから僕はピアノの練習において「指の運動性を高める」ということばかりに気を取られていた。
そしてピアノの先生に「三連符が弾けない」と言うと、返って来る答えは基本的に決まっている。それは「三連符は音符が二つしかない時間に三回打鍵しなければならないので、その分だけ速く弾きなさい」というものだ。実際、打鍵の速度を1.5倍にすると、ひとつの音符の長さが三分の二になり、確かに音符二つ分の時間で三回打鍵することが出来る。
これは全く正しい指導で、基本的に誰もがそうい言うだろう。だから僕の統計では、100人中256人が「三連符は速く打鍵しろ」と言うのだが、吉田先生は違った。彼は僕に「三連符を弾く時は、そこだけ時間がゆっくり流れていると思いなさい」と言った。
時間がゆっくり?
これはもう、全く無茶苦茶な説明だ。何故なら時間そのものが、そこだけゆっくり流れているならば、何も急ぐ必要は無い訳なのであって、そうすると「二つ分の間に三つ」弾くことも出来なくなってしまう。何より僕はザ・ワールドもスタープラチナも持っていないのだから、時の流れを止めたり動かしたりすることなんか出来ない。
オイオイ吉田はん、アンタはピアノを弾き過ぎて、頭がおかしくなったんかい、と思いつつ、何とか呑み込んで「はい」と答えてやってみる。すると、どうだろう。今までどうしても上手く弾けなかった三連符が、スルリと弾ける様になっているではないか。
そして、この辺りが吉田先生と藤本先生との決定的な違いになる。詰まり藤本先生がテクニカルな問題は「テクニカルな問題」として対処したのに対して、吉田先生は生徒のテクニカルな問題を、その背景に有る「音楽性の問題」に関与することで修正にかかるのだ。
念の為に言っておくと、僕は藤本先生の指導が「間違っていた」とは微塵も思わない。そうではなく、僕の様に、音楽的に著しく「鈍い」生徒には、吉田先生の様な「根本的な対応」が必要だったというだけのことだ。
この度、僕は吉田先生の思い出を書くに当たって、自分のバイオグラフィーにおける音楽の位置付けについて考えている中で、藤本先生からの影響の大きさに改めて気付かされた。
僕は二十歳を過ぎてから、クラシック音楽の本場ドイツで、初めて吉田先生に「音楽とは何か」ということを学んだと思っていた。しかし実際には、その前の藤本先生から、そして更に、その前の中川先生からも多くのことを学んでいたのだが、そのことに僕は長らく気がついていなかったのである。
話を三連符に戻して吉田先生は、だから「三連符というのは『タタタ』じゃなくて『たたた』なんですよ」
と締め括った(後者にはテヌートがかかっている)。こんな感じで吉田先生の指導は、全てが鈍い僕に、ドンピシャに的確な物だった。
そして僕が自分の生徒に教えるならば、「三連符というのは詰まり、そこだけ時間の濃度が局所的に高くなっていると言う指示なんですよ」と説明するだろう。
さて第二段階の吉田レッスンは兎に角、楽しかったという記憶しかない。
僕が「こうだ」と思って弾くと、すかさず「いや、そうじゃない」と吉田先生から修正が入る。そして、言われた通りにしてみると、それまでの音楽の見え方がガラリと変わる。また別のところでは、僕が特に思い入れも無く弾いていたパッセージに「色」を付けることで、僕の曲に対する「理解」がグッと深くなる。
この頃の僕は、まるでエスカレーターに乗った様に、音楽の「大人の階段」をスイスイと上に昇っていた。詰まり、全て「言われた通り」にすれば、僕のピアノの音は、別人が弾いた様に「美しい響き」になっていくのだ。そんな調子に乗っているある日、いつもの様に僕が最初に通して弾き終わると、吉田先生はポツリと一言:
……おもしろくない……
と言った。こんな酷い仕打ちは無いと思った。ここのところ僕は、ずっと吉田先生の望む様に弾いてきた。僕は吉田先生が「ああしろ」と言えば、そのとおりにし、また「こうしろ」と言えば、そのとおりにした。僕は人生の中で、これほどまでに素直に先生の指示に従ったことは、他に一度も無かった。
しかし僕は、一番大切なことを見落としていた。それは、ピアノを弾いているのは僕なのだから「僕の音」を出さなければならない、ということだ。それなのに僕が出していたのは「吉田先生の音」であって「僕の音」ではなかったのだ。
或る意味で僕は、また振り出しに戻って来ていた。この時点で僕は、全ての音を「つくろう」としていた。しかし、それは吉田先生の「つくり方をなぞっている」だけだったのだ。
勿論、当時の僕にそんなことが分かる訳もなく、この時は只管落ち込んだ。僕は本当に「素直に」吉田先生の言われるままに弾いて見せただけなのだ。しかし、だからこそ僕の頭の中は「ああしろ」とか「こうしろ」とか言った、吉田先生の指示で一杯になっていた。だから僕は吉田先生の操り人形としては100点だったのかも知れないが、芸術家としては0点だったのだ。何故なら音楽を自由に創造していない演奏家が、聴衆に感銘を与えることなど、出来る訳が無いからだ(分かったかミュウ?)。
僕は、これを「憑依芸」と呼んでいる。詰まり外から見て指を動かしているのは確かに生徒自身だけれども、実際に「音を出している」のは先生の方なのだ。念の為に言っておくと、師弟関係において憑依芸というのは、一定の範囲内であれば「普通のこと」だと言える。最も典型的なのは中学や高校の部活で、それは音楽を含めた芸術に限らず、スポーツ全般に言えることだ。中でも柔道や剣道といった武道系は、憑依芸がデフォルト、詰まり「師匠のコピー」になることが、弟子の最初のステップだとさえ言える。
僕は別に、憑依芸を否定する積もりは無い。実際、吉田先生は僕に憑依芸で弾かせていた。しかし憑依芸を教育のスタートと見るか、或いはゴールと見るかで、指導者としての「格」の違いが明らかになる。素晴らしい指導者は、自分で仕掛けた憑依芸を出発点にして、それを今度は否定することを次のステップにする。これに対してポンコツの指導者は、憑依芸の完成度を上げて弟子を自分の奴隷にすることを生業とする。
その曲を「弾きたい」と言ったのは僕自身だ。だけれども、僕は吉田先生が望むほどには、その曲に向き合えてはいなかった。だから吉田先生は僕に、あれが出来ていない、これが出来ていないと丁寧に教えてくれていたのだが、その内に僕は「吉田先生の言う通りにしておくと上手くなる」と勘違いしてしまっていた。ピアノを弾いているのは、僕自身なのだから、それを自分でやらなければならないのにだ。これは音楽と吉田先生に対する、僕の「甘え」以外の何ものでもない。
或いは僕は自分のキャパを超える指示に雁字搦めになってしまって、芸術の中での「自由」を見失っていたのかも知れない。確かに芸術には無限の「不正解」が存在する。だから芸術の指導者は差し当たり、この「不正解」を指摘することで間接的に「正解」を指し示そうとする。そして、この「正解」とは詰まり芸術的必然性に則しているということなのだが、だからと言ってその「正解」が一つしか存在していないとは誰も言っていない。
いや寧ろ、「不正解」が無限に存在するのと同様に、「正解」もまた無限に存在すると考えなければならない。かのピアノの詩人ショパンも、そのことを繰り返して弟子に強調していた。その事実は、例えばジャン=ジャック・エーゲルディンゲルの『弟子から見たショパン「増補最版」』2020/5/21の中にも、以下の様な記述が見られる:
ショパンは自分の曲を、二度続けて同じように弾くことは絶対にない。その場のインスピレーションによって、いつも違うふうに弾くのだが、この気紛れなインスピレーションというのがまた何とも魅力のあるものなのであった。彼の演奏は比類のないものだ。努力の跡がまったく感じられず、柔らかくも微妙なニュアンスを帯びた螺鈿の光沢そのままである。
ヒプキンズ
彼の作品を弾くときは、毎回表現を変えなければならない。それを私に教えてくれたのは、ショパンその人であった。私が何かショパンの曲を弾き、その後で彼がもう一度演奏してみせてくれるとき、必ずと言ってよいほど私の目には涙が溢れてくるのだった。彼は奏法を理解させるために、同じ曲を最初とはまったく違うふうに弾き直してくれた。それにしても素晴らしい演奏だった!(中略)ソファに横になっていたショパンが、ふと立ち上がって、私の代わりにピアノに向かい、先ほど私がまずく――つまり長いこと練習したのに、まったく変なふうに――弾いた作品を、彼の感じるままに演奏してくれた。そんなことが何度あったことだろう!
レッスンが終わっても、私は敬虔な気持ちで聴きとったこの感覚を忘れまいとした。先生を真似てこの曲を練習し、自分ではかなり満足がいったので、次のレッスンのときにもう一度演奏してみた。ところが残念なことに、いつものように横になっていたショパンは、またしても立ち上がり、私のことをいきなりからかったあげく、自らピアノに向かって、「よく聴いていなさい。こういうふうに弾くんですよ」と、前回とは打って変わった演奏を聴かせてくれたのである。最初の演奏とは似ても似つかない実演を耳にして、私はただ涙が頻を伝うばかり。まったく意気沮喪している私を見て、さすがに憐れをもよおしたのだろうか、ショパンは「まあ、あれでもほぼ良かったんだけれどね、ただ私の感じとは違うのですよ」と言ってくれた。
『弟子から見たショパン「増補最版」』
2020/5/21
どうやらショパン大先生も、憑依芸はお嫌いの様子だ。だから今週は安西先生の「諦めたら、そこで試合終了ですよ」に匹敵する、吉田先生の名言で終わりたい:
哲生くんが考えているほど、音楽はつまらないものではないですよ。

27.9 x 38.3 cm
1927年 パウル・クレー、バウハウス時代の油彩画
ワシントンナショナルギャラリー ワシントンD.C(アメリカ合衆国)蔵
その10 🎹
