火遊びウサギは笑わない 1
あらすじ
父の介護と母の支配に疲れ、地元でくすぶる主人公・瑠璃。マッチングアプリに逃げ場を求めていたある日、合コンで知り合った安優香と再会する。人生の選択肢も過去の痛みも違う二人は、それでも「火遊びするウサギ」のように、不安と寂しさを抱えながら必死に生きていた。夜の電話で告白される母との確執、自分の子を怒鳴ってしまう恐怖。誰にも言えなかった痛みを分け合ううちに、他人の幸せと比較する自分をも赦せるようになる。「こんなダメな私でも、ダメじゃないと愛されたかった」――静かな朝、笑いあう二人は知る。バカになるって、少し自由になることなのかもしれないと。
創作大賞 ファンタジー小説部門。
→②
episode 1
「友達になろうよ」
安優香の声は古傷に砂を擦り込むみたいに痛かった。笑顔でうなずく自分が心底みじめに思えた。
ビールの匂いとピンクのネイルと、あの笑顔。
全部が薄気味悪くて、でも断れなかった。
十年ぶりの合コンなんてやっぱり来るんじゃなかった。
こんなのただの暇つぶしのはずだった。
あの女に会うまでは。
友達ができたらラッキーくらいの気持ちで。
合コンは婚活なんて気負ったものじゃなく、人脈がちょっと広がればいいなぐらいのライトなノリ。
単調な一週間に小さな花を挿すような、無欲な楽しみだった。
海辺の風が髪を揺らし、鼻腔にほのかな塩気を運んでくる。遠くで波がザザッと寄せては返す音が、日常の硬い枠をほぐしてくれる気がした。
三十代ばかりが集まる合コンは、海を眺めながらのバーベキューパーティーだった。
主催者が精肉の卸を経営しているらしく、鉄板の上でジュウジュウと音を立てる上等な肉の香りが、潮風に混じって漂ってくる。
脂が弾ける音と炭の煙が立ち上る様子が、開放的な雰囲気を盛り上げていた。テーブルには色とりどりの野菜やビールの缶が並び、笑い声が波の音に負けないくらい響き合っていた。
夕暮れが近づく頃、合コンはお開きとなった。
オレンジ色の陽光が海面に反射し、砂浜に長く伸びる影が少しずつ濃くなっていく。
私は少し火照った頬を潮風で冷ましながら、内心でこの集まりを振り返っていた。別に運命の出会いを求めてたわけじゃない。ただ、こんな風に知らない人と笑い合える時間は、なんだか悪くない。心のどこかで、ほんの少しだけ新しい繋がりに期待していたのかもしれない。
そんな中、私の隣にいた女。
天然なのか、養殖なのか、ボケ担当を自認してるらしい城ケ丘安優香がひときわ目立っていた。
彼女の声は高めで、子どものように無邪気だったが、時折その目には何か計算高い光がチラつく気がした。
安優香の化粧は少し濃いめで、ピンクのネイルが陽光に映えていた。ビールの缶を片手に、さっきからずっと誰かと笑い合ってるか、スマホをいじってるかだった。
「ここでは出会いは期待できないよね」
安優香が唐突に言った。
彼女の声は軽やかだった。しかし、どこか周りの熱気を冷ますような響きがあった。私はその場のノリに合わせて、笑顔を貼り付けたまま相槌を打つ。
「そうかもしれませんね」
心の中では、彼女のその言葉に少し引っかかっていた。
期待してないって言うなら、なんでこんな楽しげに振る舞ってるんだろう?
でも、そんな疑問を口にするほど親しくもない。家に帰るまでが遠足、いや、車に乗り込むまでは合コンだ。私はそう自分に言い聞かせ、適度な距離感を保つことにした。
そんな折、安優香がニコニコしながらスマホを差し出してきた。
「ね、瑠璃ちゃん、LINE交換しようよ。 私たち、友達だしさ」
安優香の声は弾んでいたが、なぜかその笑顔に底知れぬ違和感を覚える。
砂浜に落ちる彼女の影が妙に長く見えた。
断る理由もないし、社交辞令の範囲だと思って、私はスマホを取り出しQRコードを読み込んだ。
指先が少し汗ばんでいるのに気づいて、内心で苦笑した。こんなことで緊張してるなんて私もまだまだだな。
交換を済ませた安優香はスマホの画面をタップしながら、天気の話を振るような軽さで聞いてきた。
「瑠璃ちゃんはこの中で誰と付き合うの?」
その質問に言葉が詰まった。彼女の目はスマホに落ちたままだが、口元にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。私の反応を試すような雰囲気。
「いえ、そこまでは考えてないです」
私は敬語で答えた。距離感のない彼女に、ついバリアを張ってしまう。
心の中では、(なんでそんなこと聞くんだよ)と、少しイラッとしていた。安優香の無神経さが砂浜の熱気と一緒にじわじわと私の神経を逆撫でしていた。
「そうなんだね。
私はね、大輝くんと一緒に帰るんだ」
安優香はふふっと鼻で笑い、髪をかき上げた。
仕草に、どこかよからぬ下心が滲んでいるように感じる。彼女の声には小さな秘密を自慢するような響きがある。
私は何も言わず、ただ砂浜を一周見渡した。
波打ち際では、誰かがまだ笑いながらビーチバレーをしている。遠くの空は茜色に染まり、水平線がぼんやりと霞んでいた。
安優香の言葉が、頭の中で妙に引っかかる。
大輝くんって誰だっけ?
さっき話してた男の名前だっけ?
でも、わざわざ「一緒に帰る」って言う必要ある? 私の喉元で、好奇心と嫌悪感の小さな棘が刺す。
バッグとゴミ袋を手に私は立ち上がった。
「城ケ丘さん、お疲れ様でした」
軽く会釈して、社交の仮面を崩さないまま言った。
安優香は「え、うそ、帰るの?」と少し驚いた顔をしたけど、すぐにまた笑顔に戻った。
「皆さん、お疲れ様でした!」
私は周囲に声をかけ、砂浜を後にした。
他の参加者たちも互いに手を振り、軽い挨拶を交わしたりしながら、三々五々、海水浴場の駐車場へと向かっていく。
誰もがまだ社交の仮面を被ったまま、笑顔を崩さなかった。私もその一人だ。こんな場では本音なんて誰も見せない。見せる必要もない。
春の日差しとはいえ、じりじりと暑い。火照った頬と汗ばむ身体がなんだか少しだるかった。
駐車場に向かう道すがら、さっきまで一緒に笑い合っていた人たちの声が波の音に掻き消されていく。安優香の笑い声もその中に混じっていた。彼女の無邪気な声がなぜか少し耳に残った。
あの女、ほんと何だったんだろう。心の中でそう呟きながら、私は少し苛立っている自分に気づいた。
車に乗り込むとエアコンの冷気が火照った肌を冷やしてくれた。エンジンをかけ、街へ向かう道を走り出す。バックミラーに映る海は、もう遠く小さくなっていた。
合コンの余韻は砂浜に残した足跡のように、すぐに消えてしまった。ハンドルを握りながら私は小さくため息をついた。
結局、何も変わらない日常が待ってるだけだ。
でも、どうしてか安優香のあの笑顔が頭の片隅にこびりついていた。
たぶん私は、ああいう女を笑い飛ばせるほど強くも賢くもないのだろう。私もあの子のような笑顔を武器にしたことがある。
