火遊びウサギは笑わない 6
安優香からの連絡はいつも突然だ。
私の人生を勝手に割り込む台風でしょ。
退社して、薄暗い商店街を急ぎ足で抜ける頃、スマホが震えた。
アーケードの屋根に雨粒がパラパラと当たり、スマホを店頭販売する「いらっしゃい!」という呼び声や、無造作に捨てられたビニール袋が風に流される音が耳を掠める。
街灯のオレンジ色の光が濡れたアスファルトに滲み、足元のパンプスが小さな水たまりを跳ねた。
(今度は何の用事よ) 心の中で毒づきながら、画面に映る安優香の名前を見て、前頭部が締め付けられた。
大輝との子どもはどうなったのか、知りたくないと言えば嘘になる。野次馬根性がムクムクと頭をもたげ、ため息をつきながら通話ボタンを押した。
「瑠璃ちゃん。今から会いたいんだけど、いいかな?」
安優香の声は、相変わらずの図太さで耳に侵入してくる。ショッピングモールのフードコートを指定してきた彼女の軽い調子に、イラッとしながらも「No」と突き放せばどうなるんだろう、と考える。
でも、ファミレスでの彼女の俯いた顔や、大輝の「運命の人」という軽い言葉が頭をよぎり、結局、聞きたい衝動に負けた。
商店街の雑踏を抜け、ショッピングモールのガラスドアを押し開く。エスカレーターの機械音と、子どもたちの笑い声が混ざり合い、鼻に漂う甘いドーナツの匂いが妙に現実感を薄くした。
フードコートの喧騒の中、安優香はプラスチックのテーブルにどっかり座っていた。
ピンクのネイルは健在だけど、今日は薄いグレーのスウェットと色褪せたジーンズで、どこか疲れが滲む。
背後では、家族連れがトレイを持ってガヤガヤと笑い合い、フライドポテトとケチャップの匂いがする。安優香はストローでコーラをちゅうちゅう音を立てて吸い、ポテトを一つ摘まんで口に放り込みながら、ニコッと笑った。
「赤ちゃんはね、大輝くんが同意書にサインしてくれたの。
ね、すごいでしょ?
いっぱい愛してるって言ってくれたし」
彼女の声は軽やかだけど、どこか芝居がかった響きがあった。
人は墜ちてゆく様を美化して話すのも美学なんだろうか。
そんな言葉が頭を掠め、胸の奥でモヤモヤが掃き溜めになる。
安優香の「愛してる」という言葉が、フードコートの騒音に混じって、なんだか侘しく響いた。彼女が私の方を向き直り、テーブルに肘をついて身を乗り出す。
「お願いがあるんだけど」
そして、さらっと爆弾を落とした。我が子の習字道具を買う金がないって。
何、コイツ!
私の眉がピクッと動き、喉元で言葉が詰まった。
子どもの話なんて、今日が初めてだ。
子持ちが平気で合コンに来る。
頭の中で安優香の合コンで振りまいた笑顔と、ファミレスでの悲壮感がチラつく。
問い詰めたい衝動がググッと湧き上がるけど、彼女の人生に踏み込むのが怖い自分がいた。心のどこかで、安優香の持つ「何か」に触れたら、自分の空っぽさがバレる気がした。
「瑠璃ちゃん。五千円でいいの。貸してくれない? 旦那か大輝くんがお金をくれたら必ず返す」
旦那と大輝の名前が平気で並ぶその緩さに、唇を噛んだ。安優香の声はコンビニでお菓子を買うみたいに気軽だ。
フードコートの灯りが彼女の顔を照らし、ピンクのネイルがコーラのグラスに映る。私は怒りと呆れが濁流になり、頰が熱くなる。
「ダメ? ね? 絶対、返すから。
ほんとさ、チビ太は金食い虫よね」
安優香は足を組み替え、ため息をつきながらポテトをもう一つ摘まんだ。
自分の金銭感覚のなさを子どものせいにするその態度に、頭に血がカッと昇る。安優香のスウェットに付いた小さなケチャップのシミが妙に目についた。
「ごめんなさい。私も今月、ピンチなんだ」
ちょっぴり嘘をついて突き放した。声が冷たすぎたかもしれないけど、もう我慢の限界だった。
心の中で、なんで私がこんな女に振り回されてるんだ、と叫んでいた。
「じゃあ、旦那さんや大輝さんにお金を借りたらいいと思いますよ」
私の言葉に安優香は腰を浮かし、テーブルに身を乗り出した。
「無理だよ。旦那はケチだし、先週、大輝くんから『風俗で働く』って言って七万円もらったばかり」
七万円!? 私の声が思わず飛び跳ねた。
「そんなにもらったの? もう使ったの? 何に使ったんですか!」
安優香は目を丸くし、口を尖らせた。
「え〜っ、覚えてない。お金って一万円を崩したらすぐに財布からなくなるよね」
無防備で無責任な笑顔に、頭がカッと沸騰した。フードコートの喧騒が、私の苛立ちを増幅するように頭上へ響く。コイツのこの軽さ、なんなの? 私の時間をこんな女に乱されるなんて、有り得ない。
「安優香さん。牛津さんから聞いたんですが。安優香さんは合コンがあった日に、牛津さんの家へ泊まったそうですが、お子さんは?
あなた、お母さんなんでしょ」
言ってしまった。
言葉が口から飛び出し、興奮は心臓はグイッと押し上げ、喉がイガイガする。
安優香の目がほんの秒、ピクッと動いた気がした。フードコートの雑音が遠のき、彼女の顔がスローモーションのように歪んで見えた。
私にないものを持つ、安優香。
結婚して、子どもがいて、更には彼氏まで。
本気でなんなの、この女!
嫉妬と怒りが火花を散らし、頭がクラクラする。彼女の持つ全て。家庭、子ども、恋愛が、私の空っぽな人生を突きつけてくる。
かつての恋人・翔太のSNSに映る幸せな家族写真が頭の中で上映され、胸が刺すように痛くなる。
安優香のスウェットの袖口が、ポテトの油で少し光ってるのが、癪に触り腹立たしかった。
