火遊びウサギは笑わない 7
フードコートの喧騒が、遠くの波のようにざわめく中、安優香の唇が嘲笑のような弧を描いた。彼女の指がコーラのグラスに映り、照明がその輪郭を鋭く照らす。
私の言葉が彼女の神経を逆撫でしたのか、彼女の目が薮睨みに変わった。
「瑠璃ちゃんは私の気持ちが分からないし、もとより私の何を知ってるのかしら?」
さっきまでの軽薄な声が消え、三十代の熟成した低音がした。声にはどこか貴族的な余裕と抑制するような冷徹さが混ざっていた。
私は思わず息を呑んだ。
安優香はこんな声も出せるの?
「何も知らないですよ。だけど、あれでしょう? 高卒ニートが水商売の果てに、子どもができて家庭に入るみたいな」
私の言葉は自分の苛立ちを隠す盾のようだった。
でも、内心、安優香の声に何か底知れぬものを感じて、背筋がゾクッとした。
安優香は湿り気のある目で私をじっと凝視し、ゆっくりと微笑んだ。
「ふふ、残念、ハズレよ。正解はね、幼稚園卒。
三十三年生きてきて、働く必要なんてなかったの。だって私の人生は自分で構築してきたものだから」
彼女はあっけらかんと大きな口を開けて笑う。
笑顔には、どこか計算された優雅さと、底抜けの自信が滲んでいた。
(やっぱり……この女!)
真面目に生きてきた私が婚期を逃しかけ、社会の理不尽さに振り回される中、こんな女が幸せを掴んでるなんて!
「今、瑠璃ちゃんの脳内では、私を自由奔放で自業自得な最低の女と決めつけて高笑いしてるんでしょう? ふふ、実際、私が自分を見つめても、そう思う瞬間はあるわ。瑠璃ちゃんみたいな高学歴でバリキャリの人は、私みたいな女を社会の底辺、ゴミみたいに思うんでしょうね」
安優香は崩していた姿勢をピンと整え、前髪を高雅にかき上げた。彼女の仕草には、舞台女優のような洗練された雰囲気が漂い、ピンクのネイルが光を弾く。私の口に彼女の言葉はナイフのように突き立てる。
私のこと、こんな風に見てたの?
「エイブラハム・リンカーンが言ったわ。『意志あるところに道は開ける』って。私は自分の意志でこの人生を選んだの。素敵でしょ?」
安優香の声には挑発と自慢が重なり合い、私を試すような声色がする。幼稚園卒の頭脳で、こんな生き方を「選んだ」って?
私の常識がガラガラと崩れる音が頭の中で響く。フードコートには第二幕が上がり、安優香の声だけが耳に残る。
「ピーター・ドラッカーの言葉も好きよ。『重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことだ』って。間違った問いに対する正しい答えほど、役に立たないものはないよね?」
安優香の唇がふふふと笑い、独演会を開く評論家のようだ。幼稚園卒なんて冗談だったの?
反撃されて私の頭は混乱で目眩がし、でも言い返す言葉が見当たらない。もう帰ろうかと思った。
「ちび太はね、旦那の両親が手放さないのよ。
二人とも後期高齢者で、年金暮らしだからちび太にお金を出し渋る。それなのに、私には金銭要求だけを押し付けてくる。滑稽よね。
私が産んだ子なのに、アイツらの所有物みたい」
安優香の声には、ほのかな皮肉と諦めが混じっていた。彼女は遠くを見るように目を細めた。
「それは義理の親御さんも安優香さんみたいに合コン行って、不倫して、流産や中絶するようなお嫁さんに孫を安心して任せておけないからですよ」
安優香の目が据わり、私を一瞥し
「ねぇ、お金を貸してくれるの?貸さないの?
答えはシンプルでいいの。今ここで議論してもお金は降って湧いてこないわ、でしょう?」
フードコートの家族連れの笑い声が、反論できない私を嘲笑うようだ。安優香への怒りと、なぜだか共感のようなものがチラッと芽生えた。
しかし、すぐそれを振り払った。
共感? 冗談じゃない。この女、腹立つ!
「ポテト、熱いうちに食べなよ。
瑠璃ちゃん、ほら。
それとも冷えてシナシナになったのが好きかな」
安優香の言動は私の苛立ちをさらに煽り、私は、彼女のこの完璧な演技に飲み込まれそうだった。
