火遊びウサギは笑わない 8
どうしてか、安優香を脅威に思う私がいた。彼女のあの自信たっぷりな笑顔、計算された仕草が私の心の隙間を覗き込むように感じる。
本能的に、畏怖の念が胸にじわじわと膨らんだ。
フードコートを背に、彼女の後ろをついていく。
すっかり暗くなった立体駐車場のコンクリートの床に、安優香のゴム草履がパタパタと軽い音を立て、薄暗い蛍光灯が彼女の影を長く伸ばす。
空気はひんやりと湿り、遠くで車のエンジン音が低く唸る。
「お家、どこ? 家まで送るよ」
安優香の声は気軽だけど、どこか試すような節がある。お金を借りに私を呼び出した女が、送るなんて。彼女のこの図太さに、
(何企んでるの?)と呟きながら、彼女の後についていった。
誰もいない喫煙所の隅で、安優香はタバコに火をつけた。彼女が上向きに吐き出した白い煙が、蛍光灯の光にぼんやり揺蕩う。駐車場のコンクリートの壁に、煙がゆっくり溶けていくのが不気味だ。
「瑠璃ちゃんって、地元は飯田町? てか、何歳?」
唐突な質問へ焦りを感じた。彼女の声には、私を値踏みするような語気がある。
「そう、飯田です。年は三十三。安優香さんは?」
言葉を慎重に選びながら答えたけど、内心では意図を探り合ってる気がした。
「あっ、同じ年? 私も十八まで飯田町よ。全然、瑠璃ちゃんと会わなかったけど、ずっと公立なん?」
安優香の声には、軽い挑発が混じっている。
ずっと公立って、どういう意味? 十八歳まで?
まさか? 頭の中で、彼女の言葉がパズルのピースみたいに散らばる。
「安優香さんと会いませんでしたね」
淡々と答えたけど、心が何かザワザワしたものが動いた。
「そうね、私は幼稚園から私立だったもん」
安優香はタバコを指で弾き、煙をもう一度吐き出した。彼女の横顔が蛍光灯の光に照らされて、腹が立つのに、安優香の顔や仕草は可愛いと思う。
私の嫉妬と劣等感が腕のように伸び、胸倉を締められている感覚がする。
帰宅しても、胸のモヤモヤは消えなかった。家のダイニングは母の作ったカレーの匂いと、テレビのニュースの音で息苦しい。
テーブルには使い古されたチェックのテーブルクロスが敷かれ、キッチンの灯りが母の疲れた顔を照らす。母はスプーンを手に辛気臭い顔で話し始めた。
「瑠璃の同級生の、ほら。駆けっこが速かった、あの子、なんて名前だったかしら」
ご飯くらい静かに食べさせてほしい。心の中で毒づきながら、スプーンを動かした。
「麻里奈ちゃん?」
適当に答えたけど、母の言葉が続くにつれ、胸のモヤモヤがさらに膨らんだ。
「そう、麻里奈ちゃんよ。あの子、もうすぐ出産なんだって。麻里奈ちゃんのお母さん、嬉しそうに『娘が札幌にいるから、一か月、孫の世話に行かなきゃ』だってよ。うちの瑠璃はいつになったら……」
ああ、もう、うるさい!
母の押し付けが、私の心に杭を打ち込むようだ。
手を止め、残りのサラダをラップで覆う。
イライラが頂点に達して歯軋りしそうだ。
どうしてみんな私の人生に口を出すの?
自分の空っぽさを突きつけられるたび、翔太のSNSの家族写真が頭で再現され、胃液が上がってくる。
ふと思いつき、口を開いた。
「ねぇ、母さん。城ケ丘さんって知ってる?」
テレビに目を向けていた母が、顔を上げた。「城ケ丘さんはひまわり小児科のお宅じゃない?」
いや、それじゃない。
「病院以外の城ケ丘さんってある?」
「どうしたの? 城ケ丘さんは先生のお兄さんも息子さん達も医者でしょう」
「そこに娘さんっている?」
母の目が一瞬、怪訝そうに細まった。
「ああ、それなら。小児科先生のお兄さんのところに京都へ行った子がいるわよ。瑠璃と同じ年で、可愛いお嬢さんだったわ。あの子、すみれ女学院だったから、瑠璃と会ったことはないわね。それがどうしたの?」
「うん、まあ。城ケ丘さんって人と知り合いになったから、どんな人かなって」
「あんなに頭のいい子なら、話が合わないでしょ。瑠璃とは大違いよ。子役みたいな、お人形さんみたいな可愛い子」
はあ? はあ? はあ? 母の言葉は斧のように私の胴体を真っ二つにする。食べたカレーが喉元まで込み上げ吐きそうになった。
安優香が医者一家の御令嬢で、すみれ女学院出身の才女? あの無神経な女が?
ないない、絶対ない。
頭の中で、彼女のピンクのネイルとタバコの煙、フードコートでの挑発的な顔がぐるぐる回る。
そんなはずがない。
御令嬢が合コンに来て、男を取っ替え引っ替えして、フードコートでコーラをちゅうちゅう音を立てて飲むなんてあっちゃいけない。
安優香は母さんの知らない城ケ丘さんなんだ。
だけど苗字が珍しい。もし、それが安優香なら。
私の人生と比べて、彼女の全てが羨ましすぎる。嫉妬と劣等感がドロドロと煮えたぎった。テーブルクロスに跳ねたカレーが、私の惨めさを映してるみたいだった。
