火遊びウサギは笑わない 4
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リビングの蛍光灯が白々と部屋を照らし、壁の時計がカチカチと秒を刻む。風呂上がりの濡れた髪から滴る水が首筋を冷たく濡らし、タオルを握る手に少し力が入っていた。
スマホを耳に当て、牛津大輝の声が聞こえる。
夜の静けさの中で、自分の呼吸が妙に大きく感じる。
「ああ、あの時の瑠璃さん? お久しぶりです。バーベキュー、お疲れ様でした。どうしました?」
大輝の声は、昼間の営業トークみたいに軽快で親しみやすい。
向こうからは、かすかに電車のゴトゴトという音と、ロビーらしいざわめきが漏れていた。エレベーターのピンポンという音まで聞こえて、なぜかその日常的な音がこの会話の異様さを際立たせた。
私はソファの端に腰かけ、背筋を伸ばしたまま深呼吸して切り出した。
「夜分遅くに失礼します。今、城ケ丘安優香さんに頼まれて電話をしております」
声が少し上ずった。こんな夜に、ほぼ知らない男にこんな話をするなんて、頭のどこかで「なんで私が?」と叫んでいた。
「ああ、そう。それで?」
大輝の声は軽いまま、業務の話を振られたような調子だ。心の奥でイラッとしたが、意を決して単刀直入に言った。
「安優香さん妊娠されたそうで、大輝さんと話がしたいそうです」
一瞬、向こうの雑音が途切れた気がした。スマホを握る指に力が入る。
「マジで? 安優香ちゃん、妊娠したの?」
大輝の声には驚きよりむしろ好奇心みたいな声色がした。あまりにも軽率な反応に眩暈がしそうだ。
「……だそうです」
私は言葉を絞り出し、内心では「マジでって何? ふざけてる?」と毒づいていた。
「デキちゃったんだ。だろうなぁ、流産してすぐは子どもがデキやすいんでしょう? そっか、デキちゃったのか」
大輝の声はクリーニングの仕上がりを確認するようなポップさが耳に突き刺さった。
流産? すぐデキやすい? 何それ?
言葉の意味が頭の中でバラバラになり、理解が追いつかない。
妊娠って、人生の重大事だろ? なんでこんな軽く流せるんだ?深刻な状況だろうよ。
私の常識がガラガラと音を立てて崩れる気がした。窓の外、夜の街は静まり返り、遠くの車のライトがチラリとカーテンの隙間を照らした。心のどこかで「この人たちに関わっちゃダメだ」とブレーキを踏む声が響くのに、野次馬根性が口を滑らせた。
「大輝さんはバーベキューパーティー前から安優香さんとお付き合いをしていたんです?」
声に出した瞬間、後悔した。なんでそんなこと聞くんだ、私。深入りしたくないのに。
そんな一言が余計なお世話なんだよ、私!
「ううん、違うよ。この間の合コン、あの主催者は安優香ちゃんの元彼さん。合コンの翌日、安優香ちゃん、お腹が痛くなって流産したのよ。俺が病院に連れて行ったから」
はあああ? 頭の中で警報が鳴り響いた。
流産? 元彼? 病院? 情報が多すぎて、思考がフリーズする。
安優香のあの無邪気な笑顔が脳裏にチラつき、ファミレスで俯いていた姿と重なる。なんなの、この女の人生。身体の全細胞が混乱と嫌悪感で圧縮して叫び声が出そうだ。
「大輝さんが病院へ?」
思わず聞き返した。声がビブラートしているのに気づいたけど、止まらなかった。
「そうよ。安優香ちゃん、うちに泊まった翌朝だったからさ、俺は責任感じて連れて行ったよ」
大輝の声は、いいことをした自慢話みたいに明るい。
泊まった? 合コンの翌日に?
私の頭はパラレルワールドに迷い込んだみたいだ。
この人たちの倫理観、常識、私の知ってる世界と全然違う。ソファのクッションを握る手に汗が滲み、スマホの画面が顔に張り付く。
「差し出がましいのですが、大輝さんは安優香さんと遊びですか?」
つい、棘のある口調で聞いてしまった。
自分でもびっくりするくらい批判めいて咎める言い方になる。安優香を心配してるのか、この軽薄な男にムカついてるのか、自分でも分からない。
「違うって。彼女は俺の運命の人。いつか結婚できたらいいねって話してるし、今月末は二人で旅行に行くんだ」
大輝の声には少年のような純粋さが混じっていた。その言葉が本気なのか、ただの気まぐれなのか、判断がつかない。
なぜかその「運命の人」って言葉にゾッとした。それが、どうしてだか分からないほど恐ろしく感じられた。
安優香の懇願する目と大輝のこの軽さが、頭の中で不気味にリンクする。
「フロントに着いたから、また電話するね」
大輝の声が急に途切れ、通話が終わった。
スマホを耳から離し、画面を見つめる。掌の汗でスマホがじっとり湿っている。画面に自分の歪んだ顔がぼやけて映る
時計はもう深夜に近く、リビングの静けさが耳に痛い。私はピンボケした思考を振り払おうと頭を振った。
パラレルワールドに嵌ったみたいだ。
これが普通なの? 私の常識がおかしいの?
ソファに背を預け、天井を見上げる。
蛍光灯の白い光が私の混乱を嘲笑うみたいに煌々としている。
