火遊びウサギは笑わない 3
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城ケ丘安優香の「妊娠した」って言葉を、鵜呑みにしたわけじゃない。
いや、ほんとはそう思いたいだけかもしれない。
彼女の無神経さに振り回されるのが嫌で、ここで会わなきゃ後々SNSで「冷たい女」なんて悪口書かれそうなリスクを避けたかっただけ。
そう自分に言い訳しながら、ファミレスのガラスドアを押した。店内はエアコンの冷気と、どこか懐かしいハンバーグの匂いが混じり合っていて、家族連れの笑い声や食器の軽いカチャカチャ音が響いている。夕方の窓際席に座る私の前には安優香がいた。
彼女の出立ちは、バーベキューパーティーの派手さとは打って変わって地味だった。白いTシャツに色褪せたデニム、髪はポニーテールで少し乱れている。
控えめな姿なのに、なぜかそこにはほのかな悲壮感が漂っていた。時折、スマホをチラッと覗いては伏せる彼女の視線は、テーブルクロスのチェック柄に落ちたままで、どこか心ここにあらず。
悔しいけど、こうやって俯く安優香は確かに可愛い。
ファミレスの蛍光灯が彼女の肌を白く照らし、長いまつ毛が小さな影を落としている。こんな時にそんなこと思う自分に内心で舌打ちした。
「具合、大丈夫ですか?」
メニューを決めてからも、ずっと黙り込む安優香に耐えきれず声をかけた。
私の声は思ったより硬く、他人行儀な上司みたいだった。心の中では、早くこの重い空気を終わらせたいと焦っていた。
「うん、まあ。まだ悪阻は来てないよ。早くに下そうと思ってるから」
安優香は私を見ずテーブルに置いたスマホを指で軽く叩きながら言った。その声にはどこか投げやりな決意が滲んでいた。彼女の言葉が脳に響き、私はなんて答えればいいか分からなくなった。
産まないって決めてるなら、なんで私を呼んだんだ? ただの愚痴聞き役? 頭の片隅でそんな疑問が湧いてくる。
「彼氏さんには話したんですか?」
距離を保ちたいのに、つい口から出てしまった。安優香の無責任さに巻き込まれたくない、でも放っておけない。そんな矛盾した気持ちが私の声を少し曇らせていた。
「大輝くんに? まだ言ってない。絶対に産んでほしいって言うに決まってるでしょう? 言えない」
安優香の声は小さく、言い訳する子どものようだった。あの合コンの大輝か。
海辺で笑ってた男の顔がぼんやり浮かぶ。
この二人、出会ってまだ一ヶ月だろ?
結婚なんて現実的じゃないし、赤ちゃんを産むって言われたら男は確かに「産んでくれ」って言うかもしれない。
でも、中には我が子かどうか疑う奴だっている。どっちにしろ、めっちゃ厳しい状況だ。安優香の俯いた顔を見ながら、胸の奥で何かモヤモヤしたものが膨らんだ。
「まあ、そうかもしれませんね。下せというのは残酷ですもんね」
無難な言葉を選んだつもりだったが、内心では彼女の軽率さに苛立っていた。安優香がパッと顔を上げ、目が合う。
「瑠璃ちゃんは中絶反対派? 普通、そうだよね。でも、事情があって産めない人もいるんだから」
声は消えそうに弱く、でもどこか抵抗するような響きがあった。
その言葉に、私は何も言い返せなかった。
彼女の言う「事情」がどんなものか、知りもしないのに、簡単に意見なんて言えない。ファミレスの窓の外、夕暮れの街路樹が風に揺れているのが見えた。私の心も葉っぱみたいに揺れていた。
安優香の視線がまたテーブルに戻り、彼女の指がスマホの縁を神経質に撫でているのが目に入る。
「それでも。赤ちゃんはお二人のお子さんです。話はしないといけないと思います」
私は意を決して言った。自分の声が、思ったより強張っているのに気づいた。安優香の肩が小さく震え、顔を上げた。
「ねぇ、私の代わりに大輝くんに話して。ねぇ、お願い」
はぁ? 何それ。安優香、ふざけないでよ。
無責任すぎるだろ!
心の中で叫びながら、彼女の懇願する目を見たら、なぜか言葉が詰まった。安優香の瞳には、確かに恐怖と焦りが揺れていた。
でも、こんな大事なことを他人に押し付けるなんてあり得ない。怒りと同情がハンバーグのように混ざり合って塊になりそう。
「安優香さんが言いづらいのなら、私が大輝さんを呼び出しますね。それから話し合いをしてください」
冷たく突き放すように言った。しかし、内心ではこの状況に巻き込まれた自分を呪っていた。
「大輝くん、今、名古屋に出張してる」
安優香の言葉に、思わず「は?」と声が漏れそうになった。
なんなの、この女。全部後手後手じゃん。
イライラがピークに達して、ファミレスの明るすぎる照明が目眩を誘う。やっぱり、ここに来るべきじゃなかった。
私のバカ! なんで心配なんかしたんだ!
頭の中で自分を罵りながら、テーブルに置かれた水のグラスに映る自分の顔が疲れ切っているのが見えた。
安優香と話しても埒が明かず、結局、私は大輝の電話番号を聞いてファミレスを後にした。
外に出ると、夕方の空気がひんやりと肌を撫で、遠くで車のクラクションが鳴る。歩道を歩きながら、スマホを握る手に力が入る。
何度も大輝に電話をかけたけど、コール音が虚しく響くだけで誰も出ない。
「安優香は捨てられたんだ」
そんな考えが頭をよぎり、どうしてかホッとする自分がいる。安優香の軽率さが招いた結果なら、自業自得だろう。
心のどこかで、そんな厳しい声が響いた。
けれども彼女に頼まれた以上、投げっぱなしにはできない。自分に言い訳しながら、今日はもう電話をやめようと決めた。
家に帰り、風呂上がりの濡れた髪をタオルで拭きながらソファに座ってスマホを手に取る。リビングの時計がカチカチと秒を刻む音が、静かな部屋に響く。意を決して大輝に電話すると、ようやく低い声が着信に出た。
「もしもし、合コンの時の里見です」
私は焦って名乗り、スマホを握り直す。
大輝の声の向こうに、かすかに電車の走る音が聞こえた。こんな夜遅くに、なんで私がこんな電話かけてるんだろう。
安優香の懇願する目が、頭から離れなかった。
