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同じ本を二度買う男は、おにぎりでもやらかすのである(ハローディの明太子おにぎり)



博多マルイ一階、ボンラパスのフィッシュデリで、大きな明太おにぎりを買って帰った。卵焼きがのっているはずであった。のっていなかった。経費削減か、とわしは呟いた。ところが自分で撮った写真を見ると、卵焼きはちゃんとそこにあったのである。犯人は店ではない。わしの手であった。

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誰にでも間違いはある、というのは、たいてい間違いを犯した本人だけが言う台詞なのであった。

わしは卵焼きののった明太おにぎりを買うつもりだった。あの黄色いだし巻きが、明太子と大葉の上にどっかり横たわった、見るからに腹にたまるやつである。

ところがどうしたわけか、卵焼きののっていないほうを掴んで、レジまで運んでしまったのであった。

場所は博多マルイの一階、ボンラパスタンブルの「旬惣庵 FISH DELI」。この日はちょうど明太子フェアをやっていて、籠のなかに「大きな!おむすび(博多めんたい)」が山と積まれていた。本体五百円、税込五百四十円。三百八十七キロカロリー。でかい。とにかくでかい。

わしは一つ掴み、サラダも一つ手に取り、満足してマルイを出たのである。

家に帰って、ラップを剥がした。

明太子がぬらりと光っている。大葉が緑をのぞかせている。海苔が黒い。うまそうである。だが、卵焼きが、ない。

「あれー、以前は卵がのっていたのに。経費削減かな」

わしは独りごちた。世の中はどこもかしこも値上げと中身減らしで、ついにおにぎりの卵焼きまで召し上げられたか、と。ちっちゃな目を三角にし、大きな腹のなかで小さく憤慨したのであった。

ところが、である。

売り場の方に断って撮らせてもらった写真を、あとから見返してみた。すると、どうだ。籠のいちばん上に、卵焼きをでんとのせた明太おにぎりが、堂々と鎮座しているではないか。

店は何も削っていなかった。卵焼きはそこにあった。それを素通りして、わざわざ卵焼きののっていないほうを選び取ったのは、ほかでもない、わしの手なのであった。

犯人は経済情勢ではない。わし自身であった。

こういうことを、わしはたまにやる。いや、たまにではない。

椎名誠先生の『哀愁の町に霧が降るのだ』を、わしは別々の日に二回買ったことがある。本棚にちゃんとあるのに、書店でまた手に取り、レジへ運び、家で全く同じ背表紙を二冊並べて呆然とした。あのときも犯人はわしであった。

椎名誠先生

ちなみに椎名誠先生の本は全部読んでいて、あまりにも好きすぎて知人に頼んで会いにいったことがある。
あの時は日給が牛丼かカツ丼だけでもいいから、事務所で働かせてほしい、と思ったくらいなのだ。
その翌年、椎名誠先生から年賀状をいただいた。
今もほぼ日手帳にセロテープでとめて、落ち込んだ時はみたりしてウヒヒヒとニヤついているのである。

すまんすまん。
脱線してしまった、話を戻そう。

つまり、わしという男は、卵焼きのありなしを取り違えるくらいの頭しか持っていないのである。であるから、今回のおにぎり事件も、まあしかたがないなあ、とため息をつくしかないのであった。

いやはや、いやはや。

ただ、ここで終わらないのが救いである。

おにぎりだけではいかんと思って買ったサラダ、「カラフルミニトマトととうもろこしのサラダ」を開けてみると、これがまた良かった。赤いミニトマトと黄色いミニトマト、輪切りのとうもろこし、人参の千切り、貝割れ。色だけで腹が鳴るような盛りつけなのであった。

そして肝心のおにぎりである。卵焼きはなくとも、明太子はたっぷり、大葉の香りが鼻に抜けて、海苔は国産。一口かじれば、これはこれで、文句のつけようがないのであった。

卵焼きがのっていれば、それはそれで良かったろう。だが、のっていなくても、うまいものはうまい。

人生もたぶん、そういうものなのである。狙ったほうを取り損ねて、ちがうほうを掴んで帰って、それでも家で食べてみたら、案外うまかった。

まったく、間違えてばかりの男の食う飯が、なぜこうもうまいのか、わしにはさっぱりわからんのであった。

読んでくれて、ありがとう。次もまた、こういう間の抜けた話を書く予定なのである。

#おいしいお店


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