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一人分のロマン


六月十九日は「ロマンスの日」らしい。六で「ロ」、十九で「マンティック」。語呂合わせなのだという。大切な人と、極上の一日を。そういうことが、どこかのサイトに書いてあった。

なるほど、と思った。それから、今日は何の予定もないな、と思った。

世の中の人は、こういう日にちゃんとロマンスをするのだろうか。花束とか、夜景の見えるレストランとか。私はその手のものを長いこと経験していない。経験していないが、別に困ってもいない。困っていないことに、自分でも少し驚く。


仕事帰りに買い物に行った。缶ビールを一本だけ買った。ほんとうは二本欲しかったが、一本にしておいた。こういうとき、私はだいたい後で後悔する。案の定、家に着いて一本目を半分飲んだあたりで、もう一本あればよかったと思った。仕方がない。

窓を開けると港が見える。日が落ちて、停泊している船にぽつぽつと灯りがつきはじめる。数えたことはないが、たぶん十か、もう少しある。あれは漁船なのか、貨物船なのか、私は今でもよくわかっていない。わからないまま、もう何年も眺めている。

ロマンスの日に、私は何をしているかというと、編み物をしている。


去年の冬に編みかけて、そのまま放置していたセーターがある。三月をすぎたあたりで「もう間に合わない」と判断して、かごの奥に押し込んだ。それを引っぱり出してきた。六月に冬のセーターを編むのは、季節としては間違っている。だが、編みたくなったのだから仕方がない。

毛糸を指にかけて、一段、また一段と編んでいく。途中で何段編んだかわからなくなる。数え直すのが面倒で、まあいいか、と続ける。手だけが勝手に動いている。頭は別のことを考えている。

港の灯りを見ていると、いつのまにか物語がはじまる。

あの船には誰が乗っているんだろう。今ごろ何を食べているんだろう。船の中にも、きっと一人くらいは、今夜が「ロマンスの日」だなんてまったく知らずに、黙々と何かをしている人がいるはずだ。たとえばロープを巻いているとか。私が今、毛糸を巻いているように。

そう考えると、その見ず知らずの誰かと、急に親近感がわいてくる。会ったこともないのに。これはたぶん、ビールのせいだ。

ロマンというのは、恋愛のことだとずっと思っていた。誰かと一緒にいて、胸がどきどきして、というような。ところが最近、どうもそうではないらしい、と気づいてきた。

私にとってのロマンは、説明のつかないものを、説明のつかないまま面白がることだ。あの灯りはなんだろう、あの船はどこへ行くんだろう、と考えている時間。答えは出ないし、出なくていい。出ないからこそ、いつまでも眺めていられる。

港の向こうの山に、龍脈が通っているという話を聞いたことがある。本当かどうかは知らない。知らないが、知らないほうが楽しいので、私はそれを確かめないことにしている。

気がつくと、ビールはとっくに空になっていた。セーターは三段ほど伸びていた。船の灯りは、あいかわらず海に浮かんでいる。さっきより少し数が減った気もするが、酔っているのでよくわからない。

明日もたぶん、同じ場所に座って、同じ港を眺めるのだろう。誰と過ごすわけでもなく、何が起きるわけでもなく。

それで、じゅうぶんロマンチックだと私は思う。一人分の、ちょうどいい量のロマンである。


ところで、やっぱりビールはもう一本買っておくべきだった。


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