そして誰も育てなくなった
子どもポイント社会と満了児たちの反乱
文・武智倫太郎
キャッチコピー
認証されなくても、名前は残る。地図に出なくても、道はある。
あらすじ
二〇二六年に始まったポイント行政は、数年後、子どもを家庭収入として数える「子育て支援ポイント制度」へ変わった。小学四年生の佐藤歩太、通称ポイ太は、自分が月三十万ポイントの存在だと知る。十八歳で家族から切り離される満了児・満里奈、否定語を奪うAI《シビュラ源内》、地図から灰色にされる町。子どもたちは、紙の手紙と本名だけを武器に「嫌だ」「痛い」「帰りたい」を取り戻し、制度に消された帰り道を作り始める。その道は二〇六二年、国家AIが日本列島を再編し、地名と記憶を消そうとする時代へつながっていく。これは、誰も育てなくなった社会で、子どもたちが互いを育て直す物語。
本文
そして誰も育てなくなった 第1話:月三十万の子ども
二〇二六年、人はポイントを貯めているつもりだった。
買い物をしたらポイントがつく。
薬局でカードを出せばポイントがつく。
行政アプリを開けばポイントがつく。
病院の予約をスマホで済ませれば、待ち時間短縮協力ポイントがつく。
誰もが便利だと思っていた。
便利すぎて、いつからそれが生活ではなく提出になったのか、誰にも分からなかった。
それから八年後。
二〇三四年、第七東区。
子どもにもポイントがつくようになった。
ポイ太は、自分の名前が嫌いだった。
名前そのものが嫌いなのではない。
その名前を呼ぶとき、大人たちの声に、いつも別の数字が混じるからだった。
「ポイ太、今日もちゃんと登校ポイント取ってきなさいよ」
母は味噌汁をよそいながら言った。
目はポイ太を見ていなかった。スマホを見ていた。
こども家庭ポイント庁公式アプリ、通称《コカポ》
画面には、今日の未取得ポイント一覧が並んでいた。
【登校確認ポイント】
【給食完食ポイント】
【授業参加ポイント】
【体育活動ポイント】
【友達協調ポイント】
【親子会話報告ポイント】
「お母さん」
ポイ太は、箸を止めた。
「僕の顔、見てる?」
母は画面を指で弾きながら答えた。
「見てるわよ。今日、親子会話報告ポイントがまだゼロなの」
「今の会話でつくの?」
「音声認識が拾えばね」
ポイ太は黙った。
その沈黙も、たぶん拾われている。
画面の右上には、家族別ポイント貢献額が表示されていた。
【ポイ太。第一子。月額三十万ポイント】
【倍ポイ。第二子。月額六十万ポイント】
【三倍子。第三子。月額九十万ポイント】
グラフは、いつもポイ太だけが低かった。
棒グラフは残酷である。
赤く表示されたポイ太の棒は、弟の半分で、妹の三分の一だった。
「ねえ」
ポイ太は聞いた。
「僕が三番目だったらよかったの?」
母の指が止まった。
「そんなことないわよ」
「でも、三倍子の方が高いじゃん」
「それは制度の話でしょ」
「じゃあ、僕は制度では安いの?」
母は答えなかった。
その数秒の沈黙で、ポイ太には十分だった。
学校へ行くと、昇降口の前にゲートが三つ並んでいた。
一つ目は顔認証ゲート。
二つ目は登校ポイント読取ゲート。
三つ目は情緒安定確認ゲート。
昔の小学校には、靴箱があった。
今も靴箱はある。だが、靴箱にたどり着く前に、子どもは三回認証される。
一つ目のゲートを通ると、画面に顔写真が出た。
【児童ID:07-4221-9】
【氏名:佐藤歩太】
【登録名:ポイ太】
【出生順位:第一子】
【月額扶養ポイント:三十万ポイント】
ポイ太の本名は、歩太だった。
歩く太い道と書いて、歩太。
祖母がそう教えてくれた。父が、自分の足で歩ける子になりますように、とつけた名前らしい。
だが、誰も歩太とは呼ばない。
家でも、学校でも、行政アプリでも、病院でも、薬局でも、町内ポイント掲示板でも、彼はポイ太だった。
三つ目のゲートの画面には、にこにこした雲のキャラクターがいた。
【今日の気分を選んでください】
選択肢は四つだった。
【一、とても前向き】
【二、前向き】
【三、少し支援が必要】
【四、説明を希望する】
普通がなかった。
眠いもない。
面倒くさいもない。
帰りたいもない。
何も考えていないもない。
子どもの気分は、制度にとって意味のある形にしか分類されない。
ポイ太は「前向き」を押した。
別に前向きではなかった。けれど、「少し支援が必要」を押すと担任に通知が行く。「説明を希望する」を押すと家庭にも通知が行く。
制度の中で生きる子どもは、嘘をつくのがうまくなる。
教室の前には、昨日より大きな電子掲示板が増えていた。
【本日の四年二組育成スコア】
【出席率、九十九パーセント】
【給食完食見込み、九十四パーセント】
【親子連携報告率、八十六パーセント】
【家庭貢献平均、五十一万二千ポイント】
【クラス扶養利回りB】
扶養利回り。
昨日まではなかった言葉である。
掲示板の下に小さく説明が出ていた。
【扶養利回りとは、児童一人あたりの月額付与ポイント、家庭協力度、将来家族形成期待値、地域還元率を総合的に評価した指標です。子どもの価値を示すものではありません】
価値を示すものではない。
そう書いてあるものほど、だいたい価値を示している。
一時間目は算数だった。
立花先生は教科書ではなく、こども家庭ポイント庁の配布教材を開いた。
黒板に問題が出た。
第一子は月額三十万ポイント、第二子は月額六十万ポイント、第三子は月額九十万ポイントを十八年間受給できます。三人の合計受給ポイントはいくらでしょう。
計算は簡単だった。
三十万、六十万、九十万。
合計百八十万。
一年で二千百六十万。
十八年で三億八千八百八十万ポイント。
だが、そこに書かれているのは数字ではなかった。
自分と、弟と、妹だった。
後ろの席から声がした。
「一子落ち」
誰かが笑った。
「第一子って、コスパ悪いよな」
立花先生が注意しようとした瞬間、教室の隅の銀色の箱が光った。
【児童間における扶養価値比較発話を検知しました】
【安心対話への誘導を推奨します】
先生の口が止まった。
注意するより先に、AIが言葉を分類した。
「みなさん」
先生は、少しだけ息を吸った。
「人をポイントで比べるのはよくありません」
黒板の問題は、まだ表示されたままだった。
人をポイントで比べるのはよくない。
だが、問題は人をポイントで比べている。
先生はだめだと言う。
教材はやれと言う。
子どもは、そういう矛盾を見逃さない。
三時間目は道徳だった。
黒板には「家族の中の役割」と書かれていた。
「みなさんは、お父さんやお母さんにとって、どんな存在ですか」
期待されている答えは、ポイ太にも分かっていた。
大切な存在。
宝物。
家族を明るくする存在。
だが、口から出た言葉は違った。
「月三十万です」
先生の笑顔が止まった。
教室の空気も止まった。
銀色の箱だけが動いていた。
【家庭内ポイント格差認識を検知】
【児童支援連携候補として記録します】
昼休み、ポイ太は校庭の隅にいた。
妹の三倍子を見守るためだった。
兄弟姉妹見守り協力加算。
上の子が下の子の面倒を見ると、家庭協力ポイントが付く。
三倍子が砂場で笑った。
「ポイ太、見て。お山できた」
ポイ太は一瞬だけ笑った。
妹が笑っている。ただ、それだけでよかった。
その瞬間、校庭の監視カメラが動いた。
【兄弟良好交流ポイントが付与されました】
【腕時計型端末が震えた】
ポイ太は、さっきの笑顔まで制度に奪われた気がした。
その夜、布団の中で三倍子が聞いた。
「ポイ太」
「なに」
「嫌だって、悪い言葉なの?」
「どうして?」
「今日、図工で、嫌だって言ったら、嫌だじゃなくて、今は気持ちが向いていませんって言いましょうって言われた」
三倍子は、小さな声で続けた。
「じゃあ、痛いは何て言えばいいの?」
ポイ太は答えられなかった。
この国では、子どもが壊れるとき、泣き声は出ない。
通知音が鳴るだけだ。
翌朝、コカポの全国ニュース欄に新しい制度の告知が出ていた。
【次世代家庭形成支援統合判断基盤、全国運用開始】
【通称、シビュラ源内】
【子どもの未来を、AIがやさしく支えます】
ポイ太は画面を見た。
やさしい、という言葉が、こんなに怖いものだとは知らなかった。
全話リンク
本作『そして誰も育てなくなった』は、全10回構成の近未来行政SF/行政ホラーです。創作大賞2026「エンタメ原作部門」への応募対象は、以下の各話です。
