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そして誰も育てなくなった 第3話:満了児センター

十八歳。
かつて、それは大人になる年齢だった。
選挙権を得る年齢。
契約できる年齢。
親元を離れ、自分の人生を選び始める年齢。
だが、子育て支援ポイント制度が始まってから、十八歳の意味は変わった。
ポイント満了年齢。
家庭内収益終了年齢。
扶養価値消滅年齢。
行政文書では、これを次段階自立移行と呼んだ。
呼び方はきれいだった。
だが、子どもたちは知っている。
きれいな言葉は、だいたい汚れた現実を包むために使われる。
満の家には、満里奈の満了通知が届いていた。

通知は、祝福の形をしていた。
【満里奈様、十八年間の成長おめでとうございます】
【次段階自立移行まで、あと七日です】
【ご家庭では、感謝送出イベントの準備を開始してください】

送出。
それは、送り出すという言葉の、いちばん冷たい部分だけを取り出したような言葉だった。
推奨手順は五つあった。
【一、本人の成長をたたえる動画を撮影してください】
【二、保護者から感謝の言葉を伝えてください】
【三、本人に前向きな自立意向を表明してもらってください】
【四、家族全員で笑顔認証を行ってください】
【五、成人自立支援センターの受付QRを読み取ってください】

最後に、小さな字で書かれていた。
【適切な送出イベントが確認された場合、感謝送出ポイントが付与されます】

感謝にポイントが付く。
その時点で、感謝ではない。
歩太たちの手紙は、古いノートの一ページだった。

満里奈さんへ。
僕たちは、あなたの名前を知っています。
満了しても、名前は消えません。
姉ちゃん、帰ってきて。
帰りたいって言っていい。
笑わなくても、イベントは失敗じゃない。

四人は、しばらくその紙を見た。
紙は軽かった。
だが、端末より重かった。
コカポのメッセージは、送信前に安心表現へ変換される。否定語彙は警告される。家庭回帰語彙は支援対象になる。送信履歴は残り、共有され、分類される。

だが、紙は違う。
折れば隠せる。
握ればしわになる。
濡れればにじむ。
燃やせば灰になる。
だから、人間の手に戻せる。
制度にとって、紙は古い技術ではない。
危険物だった。

感謝送出イベントは、自治体の子育て未来センターで行われることになった。
家庭で撮影するよりも認証精度が高く、感謝送出ポイントが満額付与されやすいからである。

子育て未来センター。
その名前は、あまりにも明るかった。
入口には、白と緑の大きな看板があり、笑顔の家族の写真が貼られていた。

未来へつなぐ、家族のかたち。
その横に、満了児受付はこちら、という矢印が出ていた。
未来へつなぐ入口と、満了児受付の入口が同じ建物にある。
歩太は、それだけで気分が悪くなった。

イベント当日、満里奈は白いブラウスを着ていた。
センターが推奨した服装だった。
【清潔感があり、前向きな自立印象を与える服装】
【黒、濃紺、灰色など、別離感を強める色は避けてください】
【過度に個性的な装飾は、本人の心理的未整理を示す場合があります】

満里奈は、個性まで提出させられていた。
歩太たちは、センターの外から中を見ていた。
正式に入ることはできない。満了児送出イベントは、登録家族と認証関係者のみ参加可能である。
だから四人は、建物の横にある搬入口の近くに回った。

搬入口には業者用のゲートがあり、その横に廃棄書類を入れる小さな回収ボックスがある。そこからなら、中の廊下が少しだけ見えた。
「本当にやるのか」
拓真が言った。
満は手紙を握った。
「やる」
結衣は端末を確認した。
「イベントは十一時開始。笑顔認証は十一時二十分。そのあと、センター車両で移動」
「車両?」
「たぶん、そのまま連れていかれる」
満の手が震えた。
歩太は、その手を見た。
小学四年生の自分が、何かを救えるとは思えなかった。
だが、何もしなければ、満里奈は何も知らないまま連れていかれる。
満了しても、名前は消えません。
それだけは、渡さなければならなかった。

中の会場では、撮影が始まっていた。
壁には「感謝送出イベント」と書かれた横断幕があった。
満里奈の父が、台本を読んでいた。
「十八年間、我が家にたくさんの喜びをありがとう。これからは一人の大人として、自分の道を歩んでください」
声は震えていた。
本当に悲しいのかもしれない。
本当に娘を愛しているのかもしれない。
だが、その手元には台本があり、足元には撮影位置の印があり、正面には笑顔認証カメラがあった。
涙でさえ、制度に提出されている。

満里奈の母は、ハンカチを握っていた。
「満里奈、生まれてきてくれてありがとう」
その言葉だけは、台本から少し外れていた。
満里奈の目が揺れた。

だが、センター職員が小さく手を上げた。
「笑顔認証がまだ完了していません」

母は、涙を引っ込めた。
満里奈も、笑った。

顔認証カメラが光った。
【家族笑顔一致率、八十二パーセント】
【推奨基準、八十五パーセント以上】
【再撮影を推奨します】

会場に、気まずい空気が流れた。
センター職員は、やわらかく言った。
「もう一度、お願いします。最後ですから、みなさん、前向きに」
最後。
その言葉が、満里奈の肩に落ちた。
最後なら、なぜ笑わなければならないのか。
最後なら、泣いてもいいはずだ。
最後なら、抱きしめてもいいはずだ。
だが、ここでは逆だった。
最後だから、笑わなければならない。
最後だから、きれいに終わらせなければならない。
最後だから、制度が納得する形に整えなければならない。

二回目の撮影で、笑顔一致率は八十八パーセントになった。
【感謝送出イベント、成立】
【感謝送出ポイント、付与予定】

その表示が出た瞬間、満里奈は少しだけ下を向いた。
「今だ」
結衣がささやいた。
歩太は、手紙を小さく折り、廃棄チラシの間に挟んだ。
「ゴミとしてか」
拓真が顔をしかめた。
「紙なら、紙の中に紛れられる」
歩太は回収ボックスの投入口から、手紙を挟んだチラシを押し込んだ。
紙は、音もなく落ちた。
それだけだった。
警報も鳴らない。
誰にも気づかれない。
あまりに簡単で、逆に怖かった。
制度は、古いものを見落とす。
紙。
隙間。
手書き。
子どもの指。

それらは、シビュラ源内の学習データの中で、重要度が低かったのかもしれない。
数分後、控室横の廊下に職員が廃棄書類の束を持って現れた。
その束の一番上に、歩太たちのチラシがあった。

満里奈が廊下に出てきた。
白いブラウス。
小さなバッグ。
首から下げた移行者カード。
そこには、名前ではなく番号が印字されていた。
SBG-18704

満里奈ではない。
満額里奈でもない。
番号だった。
満が小さく叫んだ。
「姉ちゃん」
声は、窓ガラスに吸われた。
満里奈は気づかない。
拓真が言った。
「名前で呼べ」
満は、もう一度息を吸った。
「満里奈」
その名前は、窓ガラスを越えた。
満里奈が、顔を上げた。
一瞬だった。
だが、確かにこちらを見た。
そのとき、廃棄書類の束が確認台の上に置かれた。
手紙を挟んだチラシが、少しだけずれた。
満里奈の目が、それを捉えた。
気づいて。
歩太は心の中で叫んだ。
満里奈は、台車に置かれた荷物を直すふりをした。
そして、紙の端に指をかけた。

廊下のスピーカーが鳴った。
【未認証視線接触の可能性を検知しました】
【関係者以外は、窓周辺から離れてください】

視線まで接触になる。
満里奈の指が止まった。
職員が振り向いた。
「SBG-18704さん?」
番号で呼ばれた満里奈は、顔を上げた。
そして、職員に向かって笑った。
「すみません。荷物が少し傾いていたので」
声は落ち着いていた。
そのあいだに、もう片方の手で紙を袖口に押し込んだ。
職員は気づかなかった。
いや、気づいたのかもしれない。
だが、笑顔認証後の満了児は、安定していると判定されている。安定している者は、怪しまれにくい。

制度は、自分の判定を信じすぎる。
それが、最初の穴だった。
その夜、成人自立支援センターで、満里奈はトイレの個室に入った。
監視端末は個室内にはない。
正確には、ないことになっている。
満里奈は袖口から紙を取り出した。
開くと、子どもの字が並んでいた。

満里奈さんへ。
僕たちは、あなたの名前を知っています。
満了しても、名前は消えません。
姉ちゃん、帰ってきて。
帰りたいって言っていい。
笑わなくても、イベントは失敗じゃない。

満里奈は、声を出さずに泣いた。
イベントでは泣かなかった。
笑顔認証のために泣かなかった。
母が泣きそうになっても、泣かなかった。
父が台本を読んでも、泣かなかった。
センターの車に乗るときも、泣かなかった。
だが、この紙を読んだら、泣けた。
泣くことを許可されたわけではない。
ポイントが付くわけでもない。
誰かが見ているわけでもない。
だから、泣けた。
満里奈は、紙の裏に小さく書いた。
『帰りたい』
その文字を書いた瞬間、手が震えた。
センターでは、帰るという言葉を使わない。
退所。
移行。
地域再接続。
家庭外自立。
支援完了。
『帰る』はない。
帰るという言葉には、戻る場所がある。
待っている人がいる。
ただいまと言う口がある。
制度は、それを嫌う。
満里奈は、もう一行書いた。
私は、SBG-18704ではありません。
最後に、本名を書いた。
菅野満里奈。

自分の名前を書くのに、こんなに勇気がいるとは思わなかった。
翌朝、センターの自立訓練が始まった。
最初の課題は、自立に不要な感情を書き出すことだった。
寂しさ。
家族依存。
過去への執着。
未整理の不安。
家庭回帰願望。

支援員は言った。
「これらは、みなさんが新しい生活へ進むために、少しずつ手放していく感情です」

満里奈は、配られた紙を見た。
自立に不要な感情。
その欄に、ゆっくりと書いた。
帰りたい。

支援員が近づいてきた。
「SBG-18704さん」
満里奈は顔を上げた。
「名前で呼んでください」
教室の空気が止まった。
支援員は、笑顔のまま言った。
「はい。満額里奈さんですね」
「違います」
満里奈は、自分でも驚くほどはっきり言った。
「菅野満里奈です」

隣の席の少女が、顔を上げた。
胸元には、SBG-19032と書かれていた。
少女は小さく言った。
「私は、千景」
向かいの少年が続いた。
「俺は、勇斗」
「美雨」
「拓海」
「紗良」
名前が、一つずつ出た。
番号ではなかった。
登録名でもなかった。
スコアでもなかった。

教室の端末が赤く点滅した。
【複数移行者による未認証名義使用を検知しました】
【安心対話モードを開始します】

満里奈は、机の下で手紙を握った。
不安ではない。
思い出したのだ。
そのころ、歩太たちの学校では、朝の会が始まっていた。

電子掲示板に、新しい通知が表示された。
【一部施設において、満了移行者による自己名義確認行動が確認されました】
【家庭回帰語彙、未認証名義使用、情緒的接触の拡散にご注意ください】

歩太は、その通知を見た。
満里奈さんに届いた。
端末は警告を出している。
だが、警告されたということは、効いたということだ。
結衣は、ノートを開いた。
そこには、昨日よりも小さな字で、こう書かれていた。
名前は感染する。
歩太は、その言葉を見て、初めて少しだけ笑った。

その笑顔を、教室の端末が拾った。
【児童の前向き反応を検知しました】

歩太は画面を見ずに、ノートの端に書いた。
違う。
これは前向きじゃない。
反撃だ。

そして誰も育てなくなった 第4話:嫌だカードにつづく…

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