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そして誰も育てなくなった 第7話:町が灰色になる日

地図から色が消えると、町はまず静かになった。
第七東区は、地域安心再認証中と表示された。
地図アプリでは、道路も、公園も、学校も、商店街も、すべて灰色の網で覆われている。
ただの表示ではなかった。
コカポ決済が一時停止した。
商店街還元が止まった。
学校の給食補助ポイントが保留になった。
地域バスの混雑緩和加算が無効になった。
薬局の乳幼児優先予約が手動確認に変わった。

町は消えていない。
だが、制度の画面では、町は一度なかったことにされていた。

朝、登校路の空気はいつもより重かった。
大人たちが、子どもを見る目を変えていた。
「昨日、学校で何かあったらしいわよ」
「否定語が広がってるんだって」
「うち、ポイント止まったら困るんだけど」
声は小さい。
でも、子どもには聞こえる。

拓真が小声で言った。
「来たな。町に嫌われるやつ」
結衣は、表情を変えずに歩いた。
「嫌われてるのは、私たちじゃない。止めたシステム」
「でも、困るのは町の人だ」
満が、拳を握った。
「姉ちゃんはもっと困ってる」
誰も言い返せなかった。
学校では、臨時集会が開かれた。
体育館のスクリーンに、榊原支援員が映った。
「第七東区は現在、地域安心再認証中です。みなさん一人ひとりの前向きな言葉が、町の回復につながります」
前向きな言葉。
歩太は、その言葉がもう嫌いになっていた。

スクリーンに、変換例が出た。
【ポイントが止まって困ります】⇒【安心表現。再認証後の安定運用に期待しています】
【私たちのせいにしないでください】⇒【安心表現。地域全体で前向きに取り組みたいです】
【帰りたいです】⇒【安心表現。安心できる場所について相談したいです】

拓真が言った。
「最後のやつ、原文と意味が逆だろ」
端末が鳴った。
榊原は微笑んだ。
「言葉は、相手に届く形に整えることが大切です」
拓真は答えた。
「届かない形にしてるんだろ」
体育館の空気が縮んだ。
榊原は続けた。
「反発の言葉は、地域全体の不安を高めます」
拓真は、少し笑った。
「じゃあ、不安になればいい」
その言葉に、何人かの子どもが顔を上げた。
帰りたいと言われて不安にならない場所の方が怖い。
痛いと言われて驚かない人の方が怖い。
嫌だと言われて止まれない制度の方が怖い。
子どもたちは、別々の場面で同じ方向を見ていた。
放課後、歩太たちは商店街へ向かった。
地図が灰色になった町で、いちばん困っていたのは商店街だった。
コカポ決済が止まると、買い物客は大型店へ流れる。大型店は独自決済を持っている。小さな店だけが、地域ポイントに依存していた。
八百屋の前には、数人の大人が集まっていた。
「子どものせいで止まったんじゃないのか」
誰かが言った。
八百屋のおじさんは、大根を箱に並べながら答えた。
「子どもが痛いと言ったくらいで止まる決済なら、止まる方が悪い」
「でも、売上が落ちる」
「だから、売る」
「ポイント使えないだろ」
「現金がある」
「現金なんて、最近持ってないよ」
「あとでいい」
大人たちが黙った。
あとでいい。
その言葉は、今の町ではほとんど使われなくなっていた。
支払いは即時。
認証は即時。
評価は即時。
不足も、遅延も、未払いも、すぐに記録される。
あとでいい、には信用がいる。
信用は、ポイントより古い技術だった。

八百屋のおじさんは、古い帳簿を開いた。
「名前を書いとく。払えるときでいい。払えないなら、手伝えるときでいい」
「それ、違反じゃないの?」
「知らん。大根が腐る方が違反だ」
三倍子が笑った。
「大根違反」
歩太も笑いそうになった。

その笑いを、見守りドローンが拾った。
【地域再認証中の未申請相互扶助及び児童笑い反応を検知】

八百屋のおじさんは空を見上げた。
「笑うなってか。雲は忙しいな」
その日、商店街のあちこちで、同じようなことが起きた。
パン屋が、昨日の残りを袋に入れて配った。
「廃棄予定だから、もらってくれ」と言った。
クリーニング店が、制服のほつれを無料で直した。
「針仕事はポイントじゃなくてもできる」と言った。
薬局の人が、端末予約なしの高齢者に紙の番号札を渡した。
「昔はこれでやってた」と言った。
最初は、みんな恐る恐るだった。
完全に切る勇気はない。
捨てる勇気もない。
壊す勇気もない。
だが、画面を下に向ける家が増えた。
通知をすぐに読まない数分間が増えた。
記録されない会話が増えた。
それらは制度にとってノイズだった。
人間にとっては生活だった。

夜、八百屋の奥で、反語彙帳に新しいページが増えた。
題名は、灰色の町。
結衣が書いた。
地図が灰色でも、学校はある。
拓真が書いた。
ポイントが止まっても、大根はある。
満が書いた。
センターが白くても、姉ちゃんはいる。
三倍子が書いた。
膝が痛いとき、痛いって言う。
八百屋のおじさんが、古い帳簿の字で書いた。
現金がなくても、あとでいい。
歩太は、最後に書いた。
灰色にされた町で、最初に残ったのは言葉だった。
少し考えて、もう一行足した。
次に残るのは、たぶん手だ。
その意味は、まだ分からなかった。
だが、翌日、分かることになる。
ポイントが止まった町で、最初に戻ってきたのは現金ではなかった。
誰かが、誰かに手を貸すことだった。

そして誰も育てなくなった 第8話:非認証経済圏につづく…

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