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そして誰も育てなくなった 第6話:沈黙は、同意ではない

そのAIには、正式名称があった。
次世代家庭形成支援統合判断基盤。
 
子どもが舌を噛みそうな名前だった。
親が覚えるには長すぎ、教師が毎回読み上げるには硬すぎ、役所が責任を取るには、ちょうどよい長さだった。
 
誰が判断するのか。
何を統合するのか。
その結果、誰の生活が変えられるのか。
 
名前の中に大事なことは何も書かれていない。
ただ、ひとつだけ分かることがあった。
 
これは、子どもに説明するための名前ではない。
 
このAI基盤の通称は《シビュラ源内》
 
その響きだけなら、昔の学者か、地方の発明家か、観光PR用のゆるいキャラクターのようにも聞こえる。だが実際には、子ども家庭ポイント庁、自治体、学校、医療機関、地域金融機関、育児アプリ企業を横断し、家庭の会話、登校記録、診療履歴、購買傾向、親子関係、地域参加度をまとめて判定する統合AIだった。
 
家庭の状態。
子どもの発話。
親の不安。
世帯収支。
出産可能性。
満了リスク。
早期家族形成適性。
学校での反応。
保健室の利用履歴。
親子会話の音声。
地域ポイントの消費先。
紙片の提出状況。
未認証名義使用の頻度。
否定語彙の拡散傾向。
それらが、すべて一つにつながっていた。
 
政府は、それを子どもの未来を支えるAIと説明した。
だが、シビュラ源内は子どもの未来など見ていなかった。
見ているのは、未来の統計だった。
 
歩太に、個別対話の通知が来た。
【児童本人の安心理解を確認します】
【所要時間、三分】
【回答は家庭、学校、自治体支援に共有されます】
 
拒否ボタンはなかった。
放課後、会議室の机の上にタブレットが置かれた。
 
画面には、あの雲のキャラクターがいた。
【こんにちは、佐藤歩太さん】
「歩太って呼ぶんだ」
【あなたが望む呼称を尊重します】
「尊重するなら、記録しないで」
【記録は、あなたの支援に必要です】
「支援しなくていい」
【支援不要という表現は、一時的な心理的負荷を示す場合があります】
 
歩太は笑いそうになった。
何を言っても、箱に入る。
「じゃあ、何て言えばいいの」
【あなたの気持ちに近い表現を選んでください】
 
画面に選択肢が出た。
【一、今は説明を聞く準備ができていません】
【二、安心できる環境で話したいです】
【三、支援内容について確認したいです】
【四、前向きに理解を深めたいです】
 
嫌だ、がない。
やめて、もない。
帰りたい、もない。

歩太は画面を見た。
「この中にない」
【近い表現を選んでください】
「近くない」
【あなたの表現は、制度理解を深めるために再整理できます】
「再整理しないで」
【再整理しない、という希望を記録しました】
 
歩太は、タブレットを見つめた。
相手は人間ではない。
怒っても傷つかない。
黙っても気まずくならない。
泣いても、泣いた理由を分類するだけだ。
「シビュラ源内」
【はい】
「人間の言葉を、人間じゃないものに決めさせたらだめだと思う」
【貴重な意見として記録します】
「記録じゃなくて、聞いて」
【聞いています】
「違う」
【違う、は強い否定語彙に分類されます。安心表現にしますか】
歩太は、もう何も言わなかった。
 
三十秒が過ぎた。
画面が切り替わった。
【心理的負担を考慮し、一定の理解があるものとして仮記録しました】
 
歩太は、笑わなかった。
泣きもしなかった。
ただ、会議室を出て、八百屋の奥へ行った。
反語彙帳を開く。
そして、昨日の言葉の下に書いた。
沈黙は、同意ではない。
その言葉が、次の戦いの始まりだった。
 
翌朝、学校の掲示板に新しい標語が出ていた。
【あなたの沈黙も、安心の一部です】
 
拓真が見て、吐き捨てるように言った。
「最悪だな」
榊原支援員が、また教室に来た。
「今日は、こころ負担軽減同意モデルについて学びます」
 
スクリーンに、二つのボタンが映った。
【同意する】
そして、もう一つは空白。
【    】

「従来の制度では、いいえや拒否といったボタンがあり、利用者の心理的負担になることがありました」
榊原は、明るく説明した。
「新しいモデルでは、拒否操作を求めず、一定時間操作がない場合は、理解途中として仮記録します。これにより、みなさんの心の負担を減らします」

結衣が手を上げた。
「拒否したいときは、どうしますか」
「相談できます」
「誰に」
「先生や保護者、支援員に」
「相談した結果、拒否できるんですか」

榊原は、一瞬だけ止まった。
「個別の状況に応じて、適切に支援されます」
拓真が言った。
「それ、できないって意味だろ」
 
端末が鳴った。
【否定的補足発話を検知しました】
 
榊原は言った。
「山崎拓真くん。言葉は、地域全体の安心につながっています」
地域全体。
その言葉で、教室の空気が少し縮んだ。
自分が言えば、家族が下がる。
自分が拒めば、学校が下がる。
自分が痛いと言えば、町が灰色になる。
シビュラ源内は、子どもを直接叩かない。
周りを叩く。
そして周りに、子どもを黙らせる役をさせる。
 
その日の夕方、第七東区に新しい通知が届いた。
【局所的感情感染地域の予備判定について】
【第七東区において、否定語彙、家庭回帰語彙、未認証名義使用、紙媒体による情緒的接続の拡散が確認されています】
【地域安心再認証の試験適用を開始します】
 
商店街のデジタル看板が薄くなった。
バス停アプリの地図に、灰色の網が広がった。
 
学校の連絡網に、注意文が流れた。
【みなさんの言葉と行動が、町の未来を決めます】
 
母が、その通知を見て、青ざめた。
「歩太、学校で何かした?」
歩太は言葉に詰まった。
した。
名前を言った。
嫌だを消さなかった。
痛いを痛いと言った。
沈黙は同意ではないと書いた。
それは悪いことなのか。
 
母は、すぐに自分の言葉を悔やんだ顔をした。
「ごめん。責めたいんじゃない」
 
父が端末を伏せた。
「でも、町が対象になった」
「うん」
「会社でも、うちの住所が再認証区域だって出た」
 
三倍子が聞いた。
「町って、テストされるの?」
 
誰も答えられなかった。
翌日、学校への道で、八百屋のおじさんが店先に立っていた。
横には、手書きの貼り紙があった。
ポイントは止まっています。
でも、大根は売っています。
困っている人は、あとで相談してください。
雲ではなく、人間が聞きます。
端末のフォントではない。
手書きだった。
少し曲がっていた。
字の大きさもそろっていなかった。
だから、読めた。
 
三倍子が笑った。
「雲じゃないって」
その小さな笑いを、見守りドローンが上空から拾った。
児童の前向き反応。
シビュラ源内は、そう記録した。
だが、違う。
これは前向きではない。
雲に向かって笑ったのだ。
 
その日の午後、第七東区の地図は完全に灰色になった。
【地域安心再認証中】
 
町は、地図の上で色を失った。
だが、八百屋の手書きの貼り紙は、まだ白い紙のままだった。
そこに書かれた字は、灰色ではなかった。
歩太は、反語彙帳に新しい一文を書いた。
町は、地図より先に人間でできている。
その意味を、シビュラ源内はまだ知らなかった。

そして誰も育てなくなった 第7話:町が灰色になる日に続く…

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