雑記|極私的なんの話ですかヒストリー
いつだったか、どこかで誰かの記事に付けられたハッシュタグ #なんのはなしですか を見て、へーこんなのあるんだと思って自分でも(ほんの軽い気持ちで)使ってみたところ、これが実は由緒あるフェスの一環であることを知った。
以来、ジョインすること自体が楽しくて、あまり「なんの話ですか感」のないままに、ただの野次馬として参加してきたのだけれど、それが気づけば10作品を数えるまでに。と言う訳で、過去作を一覧にしてみました。
◼️第一作(2025.11.30)
自分でも何を書いたか分かりません。
固有名詞と既存作品の断片的コラージュを駄洒落、連想、音韻的横滑りで接続していくゲーム的な規則から導かれる、ガラスの仮面→劇団月影→マヤ→砕け散ったガラス、たそがれ→ダレノガレ→たそがれ、旅→太川陽介、月→プリンセス・セレニティ、ガラス→ひび割れる→舟が沈む、刑事→鑑識→恋愛、舞台→劇中劇→本人が自分を見る、夢→胡蝶の夢という謎展開。
最初はマヤが「ダレノガレ刑事」を演じる話だったはずなのに、いつの間にかダレノガレ刑事本人が『ダレノガレ刑事』を観ていて、最後には太川陽介が夢を見ていたことになり、さらにプリンセス・セレニティから「あなたは太川陽介になる夢を見た」と言われる。
という感じなんですけど、分かりますかね?笑
◼️第二作(2026.1.20)
これもまたよく分からない話ですが、ドラマティックなシーンは全部嘘で、真実はドラマにもならないし意味も回収されない。古いPCすら回収されずに置きっぱなし。そんな話になりました。
「帰郷」というテーマで何かしらそれっぽい感動、感傷とかノスタルジーを得たいなら、エド・シーランでも聴いとけ、というのが最大の教訓かなと思います。勝てないでしょ。あの普遍性には。
◼️第三作(2026.2.4)
早口が聞き取れないという実際の話をエッセイ風に書いているけれど、エッセイかな。フィクションの部分を比喩だと思って読んでいただけたらエッセイだし、エッセイにしては脚色が目に余る、と思われたなら小説として読んでいただいても結構。
ただ、個人的には、主張したいことをただ主張するだけの小説というのは気持ち悪いというか、あまり価値を感じないので、是非とも、脚色過多の暴走気味のエッセイということにさせてください。一応ね、公式見解としてはそう。
あとはどう読んでいただいても大丈夫です。はい。
◼️第四作(2026.3.31)
入学式を養殖しない話、あるいは養殖計画が頓挫してひとつも出荷されない話。
私の好きな「音韻的な横滑り」を駆動力にした物語の(蛇行的)前進運動。読んだあとには何も残らない正真正銘「なんの話ですか」というやつ。
◼️第五作(2026.4.1)
この小説には幻の「最終章」があります。
↓
新緑が芽吹く頃には、ぼくもわたしも、つまり君も、既に何かが狂い始めている。
幻想は幻想に過ぎない。
だが現実を現実と言えるだろうか?
過ぎ去ってみれば決して長くはない三年間を、忘れることのできない学園生活を、好むと好まざるとに関わらず、君たちはもう始めてしまったのだ。
公開版ではこれが付いていません。
今から何かが始まるという「予感」を、物語の強制的な中断によって表現するか、あるいは宣言するか。迷って公開版では前者を選びました。
構造的には、存在しない長編を丸ごと含んだような物語なので、上と下をフレームで挟み込みたい欲望はあるのです。なので、公開版には付けなかった下側のフレームを新たに書き下ろしたのでした(それが引用部分です)。
そして、いずれ公開されるであろうディレクターズカット版(完全版)では、最終章がしっかり付いていると思います。
◼️第六作(2026.4.22)
ひたすら鞭について語る。真顔で語る。突き詰めすぎて突き抜けちゃうパターンの人。この手の人たちを私はそこそこ書いてきました。
いずれそんな人ばかりを集めたアンソロジーを作るかもしれません。
トップバッターはこの人ですね。狂言回しをやってもらおう。次々登場するおかしな人たちをシバキまくるという(笑)
でもスタンガンはやめてあげて!
◼️第七作(2026.5.11)
一体全体なんだってこんなものを書こうと思ったのか。そして書いてしまったのか。たぶん二度と書けないだろうし、書こうとも思わない(笑)
どうやって説明すれば良いかも分からないというか、自分自身でこの作品を正しく要約できるとも思えません。何なんだこれは!
掌編小説にしては仕掛けがデカすぎるんよ。
そもそも、この二冊(イリヤと、マーロウ)を選んだのも意図なんてない。たまたま本棚で目に付いただけ。それを即興的に繋いで、つまり、作中のふたりと同じことをしながら、これをどうやって畳もうかと、考えながらどんどんズレていく。
完成したのは奇跡です。
◼️第八作(2026.5.13)
この作品には明確な主題がありまして、それは「セックスを禁じることで完成する友愛的なカップル」を描くということでした。
それを描くために私が取ったアプローチには、いくつか忌避すべき事項というものがありました。というか、私にはそれが常にあるのです。
私は、主題を登場人物に語らせない。登場人物に主張させない。主題の責任を登場人物に負わさない。どうするかというと、世界を作ります。
今回で言えば、人生二周目学園を創設→生徒会制度として性的接触と恋愛を禁止→十六周目の女を配置→違反者は次の人生へ強制送還→性的欲望を処理するため前世から追ってきた別の女を投入→絶対にセックスしない男女の磁場が完成。
大体においてこんなふうに作ります。
いろんな書き手の人が、いろんな書き方をすると思いますけれど、私はそんな感じです。
◼️第九作(2626.5.14)
シリーズ作品なのにメチャメチャ異質なことをやってます。物語は1ミリも進まない。
「ぼくは店番のときに、蜜柑さんの座布団には座りませんでした」というだけの話。
それを言うためだけに九人の文豪を召喚する。
九人の文豪でもって散々妄想を膨らませておいて、最終的に何もしないのは、何なんだろう、意気地なしですか?(笑)
書いててやっぱ文豪はすげーなと思ったのは、人が行かない地点にまで行っちゃうよなーというところ。超えちゃうよね。やっぱ嗅いじゃうよね。ふつー嗅げないから!
◼️第十作(2026.7.1)
今までの話に比べたら全然「なんの話ですか」じゃない。ちゃんと成立してるし、誰も迷子にならない(たぶん)。
私はこれを書き上げたとき、「へー、意外、おれにもこういうの書けるんだ!」と思いました。書いたことなかったので。驚きました(笑)
こういうのとは、つまり、起承転結があって、謎が提示されたら解消され、事件は解決し、伏線というわけではないけれどフリオチが利いている。
え。普通?
ですね(笑)
こうして挙げてみたらぜんぶ普通。
普通のこと、やって来なかったみたいです。
あー、やれば出来るんだ。でも、これを機に何かが変わったとかはない。だからこの作品以前も以後も、常に誰かが迷子です。それがデフォルトみたい。
だからこの作品は、私にとって、そういう意味でちょっと特別なのです。
