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【お仕事小説部門】『すくい』序章 終点の街



『 すくい 』:あらすじ


”リラ”というペンネームで生活実用書いわゆる”暮らし系”の本を書いている工藤莉羅くどうりら

大学卒業を機に少し年上の幼なじみと結婚した莉羅は、家事が大好き。料理もハンドメイドも片づけも掃除も。好きなことを楽しみながらブログに載せていたら、書籍化が決まった。
執筆に撮影、テレビ取材やサイン会と、リラの日々は目まぐるしく過ぎていく。ところが6冊目の本を出したとき、ある転機が訪れる。

これまでとまったく違う状況に置かれる中で、リラはもがいていた──。そうして選んだことは。

▼経歴はこちら。



序章 終点の街


終点の街を走っていた。

スニーカーの底が、まだ冷たいアスファルトをとん、とんと蹴る。

通り沿いの街路樹はまだ裸のまま。
でも枝先にぷっくりと春を孕んでいた。


通勤ラッシュが落ち着いた時間帯だった。
街を行くのはベビーカーを押したお母さんや、ゆっくりと歩き進めるおばあさんばかりで、スーツ姿の男性はさっぱり見かけない。

わたしは、時おり周りに気を取られながらも、足早に進んでいった。

はじめは速歩きだった。23区のスモーキーな青空を眺めながら、気づくと小走りになっていた。胸がつかえるように苦しくなり、慌ててスピードを落とす。呼吸が粗い。肩の上下が止まらない。


ふわりと鼻をくすぐる香りに顔をあげる。焼き立てのパンだ。昭和からずっとあるという雰囲気の店からただよってきたにおいに、お腹がぐうと悲鳴をあげた。朝ごはんを食べていなかった。

家を早く出たのは、本当は駅前でなにか食べながら開店を待とうと思ったから。でもむりだった

身体は飢えている。それなのに、食欲が湧かない。


気づくと書店の前に立っていた。

駅の高架下に挟まるようにして建っているその店は、半地下になっており、中に入るには少し階段を降りなければいけなかった。


向かい側に駅の改札が見える。
通勤ラッシュの時間帯はとっくに過ぎており、ぽつぽつと人が降りてくるだけ。

まだシャッターの閉まっている書店の前に立つ。
開店まであと20分もあるというのに。むりだった。待ちきれなかった。もう準備は始まっているのだろう。そのすき間からわずかに光が漏れていた。


がらがらと小気味いい音が響いて、シャッターが開いた。
開店前から立っているわたしを見て、めがねをかけた女性店員は怪訝な顔をした。

完全に開ききらない、あと少しだけ残された状態が、開店はまだなのだと告げている。手持ちぶさたになってスマホを開く。

SNS、ブログ、メール、SNS、ブログ、メール。開いて閉じて、開いて閉じて。文字がすべる。なにも読めない。確かに目は文字を認識しているのに、その内容がまったく頭に入ってこないのだ。

こんなことは生まれてはじめてで、驚いた。

いま、夢見ていた瞬間を迎えようとしていた。

書店も図書館もない街で生まれ育ったわたしだが、子どものころから本が好きだった。移動図書館が来るたびに自転車を走らせ、夢中で読んだ。

自分でも物語を書こう。そう思ったけどできなかった。
自分に書けるものはないと思っていたからこそ、こうして掬い上げてもらったことがうれしい。



現実感がない。ふわふわする胸をそっと押さえる。



どれくらい時間が経ったのだろう。

「もう入られてもだいじょうぶですよ」

後ろから声をかけられた。

「あ、すみません……」

まだシャッターが残っている店の中へそっと足を踏み入れた。午前10時よりも早く。開店時間のほんの少し前だった。



煌々と白い光に満たされた書店の中に、わたし以外の客はだれもいない。

世界の輪郭がくっきりと見えた。ふいに、足元がたしかになる。目的の場所へ急ぐ。これまで何冊もこのジャンルの本を買ったから、知っている。生活実用書。暮らしの本。家事の本。きっとここだ。



──あれ、ない?
 

棚に差し込まれた本の背表紙を、触れずにするするとなぞる。左から右へ。右から左へ。愕然とする。長い夢を見ていたのだろうか。それともここの書店にない、だけ?

視線をそっと下に落とす。次の瞬間、目に飛び込んできたのは。平積みされた書籍だった。

『こころがほどける小さな家事時間』というタイトル。ほかの書籍に調和するような、白い表紙。
そこに映っているのは、──たしかにわたしの後ろ姿だ。

「……リ、ラ」

そっと著者名をなぞる。


自分の名前が書かれた本を、自分の写真が載った本を、緊張しながらレジに運ぶ。どきどきしていたけれど、自分が“リラ”であることを、目の前の書店員さんは気がつかなかった。それはそうだ。顔がわからないように撮ったのだから。

書店を出ると眩しい光が目を刺した。
 


がたん、がたん。電車が空を走っていく。
始発駅だからつり革につかまる人はいない。皆ゆったりと座って都心へ向かっていく。

書店に走った朝、わたしはここが終点だと思っていた。
その先のことなんてなにも、考えていなかった。この日はゴールじゃない。はじまりに過ぎなかったのだ。





目次


※リンクは各話公開後につけたします。

序章 終点の街 │著者・リラ(24)…※この記事

1章 煙る雨 │ 著者・リラ(25)

2章 最適化生活 │ 著者・リラ(26)

3章 はつ恋 │ 少女・莉羅(8~18)

4章 掬い │ 名もなき莉羅(22)

5章 巣食い │ 莉羅(27)

6章 救い │ 莉羅(28)

終章 中継点の街 │ 著者・リラ(36)


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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡