クエンカの宙づりの家と水曜どうでしょうの聖地としての糸ようじ
【スペイン旅行記】⑸宙づりの家で有名なクエンカと水曜どうでしょうの聖地としての糸ようじ
マドリードでの滞在を終え、次に向かうはクエンカという街。
クエンカはマドリードの東、ドン・キホーテで有名なラ・マンチャ地方に位置し、「宙吊りの家」という断崖絶壁にせり出した家で有名な街だ。
そしてその独特な景観は世界遺産にも登録され、「魔法にかけられた街」と呼ばれている。

マドリードの中央駅、アトーチャ駅から出発。
駅構内はまるで植物園のような雰囲気。

中には遊歩道もあり、ここまで来てしまえば「まるで植物園」と言うより、「植物園そのもの」だ。
感じられる匂いや空気の質感が違う。
日本にもこういう思い切った工夫をした駅があったらなと思ってしまう。(自分が知らないだけで日本にも存在しているのかもしれないが)
たしかに日本の駅は便利で清潔で効率的であるのかもしれないけれども、やっぱり駅そのものが目玉になるような、そんな工夫があっても面白いのではないだろうか。
まあ何はともあれ、そんなことを考えながら出発までの時間をここでゆっくり過ごすことができた。

クエンカへは高速鉄道renfeを利用する。
乗る直前にならないと駅のホームに入ることができないのが日本の鉄道駅と違うところだ。
飛行機と同じように手荷物検査をして、時間になるとホーム前のゲートでチェックインしてからホームへと入場する。

クエンカへはおよそ1時間ほど。
スペインらしい乾いた大地を眺めながらのあっという間の電車旅だ。

クエンカの駅は街の中心部から離れた場所にある。

建物は綺麗だが周りには何もない寂しい雰囲気。
バスに乗車しクエンカの中心部へと向かう。

バスには観光客というよりも地元の人のほうが多く乗っていたように思えた。
私の目的地は旧市街中心のマヨール広場。

バスは急な坂道をぐんぐん上っていく。

旧市街の中心、マヨール広場の入り口に到着。
広場に入ったところがバス停になっており、そこで下車。

広場にはレストランやバルがたくさんあり、賑やかな雰囲気だ。

そこから少し歩くと本日宿泊するパラドールが見えてくる。
パラドールとはかつて修道院だった建物をホテルとして改装したもの。
パラドールについてはこの記事の後半でまた改めて紹介したいと思う。

上の写真で見えていた赤い橋から撮った写真。
これが有名な宙吊りの家だ。

たしかにバルコニー部分が断崖絶壁からせり出ているのがわかる。
ポッキリ折れて落っこちてしまうのではないかと不安になる。

真横から見るとさらに一目瞭然だ。
この家は14世紀に建てられたもので、現在はレストランと抽象美術館として利用されている。(※2019年当時)
それにしてもこの家を作った人はずいぶん頑固な人だったのではないかと私は想像してしまう。
家を建てるのならばどうしてもベランダを付けなければ気が済まなかった人に違いない。
そうじゃなかったらなぜこんなリスキーなベランダなど作ろうと思うだろうか。
きっとそこには彼らなりのロマンがあったのだろう。
高所恐怖症の人間にはさっぱりわからない感覚である。見ていて実に不思議な気持ちになった。

そして先程のマヨール広場に戻り、クエンカの街を一望できる展望台へと向かう。

なかなかの急坂。
石造りの家々を眺めながらゆっくりと歩いて行く。実に風情がある散歩道だ。

15分ほど歩くと開けた場所に出る。
そしてそこからさらに先へ進むと、そこには驚きの光景が広がっていた。

目の前には筒状の奇岩の断崖絶壁。そしてその隙間から這い出てくるかのような豊かな緑。
想像していたクエンカよりもはるかにスケールの大きな景色がそこにはあった。

左手前がパラドール。そして右奥側が宙吊りの家がある崖だ。

ものすごい絶景だ。ここも海外では当たり前なのか柵などはもちろんない。
というより、途中からは道ですらない。
それぞれが思い思いに奇岩山の崖をトレッキングのように進んで行く。
写真好きの方にはそれもたまらないポイントなのかもしれないが、私には彼らのいるところまではとてもじゃないが行けるようなものではなかった。

絶景をゆっくりと楽しんだ後は再びパラドールへと向かう。

先程も出てきたこの赤い橋だが、柵の高さがあまり高くないので渡るのもなかなかスリリングだ。
吹きっさらしなので風も強い。
突風が吹くとふらっとするほどだ。その瞬間は心臓が縮んでしまうかのような恐怖を感じる。

橋を渡り切って左に曲がればすぐにパラドールに到着。
宙吊りの家を眺めることができる抜群の立地。

クエンカの絶景を目の前に楽しむことができる。

そしてこちらが本日のお宿のパラドール。
このクエンカのパラドールというのは水曜どうでしょうファンにとっては聖地中の聖地。
私たちファンにとってはクエンカという言葉を聞くだけで頬が緩むという、まるでパブロフの犬かと言わんばかりにここに対しては特別な感情を抱いているのである。
さて、とりあえずその理由はさておき、まずはパラドールの方から見ていこう。
上でもお話ししたが、そもそもパラドールとは古城や貴族の邸宅、修道院などの歴史的建造物を改装した国営ホテルを指す。
スペイン全土に40以上もあるパラドール。
絶好のロケーションと歴史を感じさせるたたずまい、改装して便利で清潔な設備、割安な宿泊費と観光客にはいいことづくめ。
特に人気なのはトレドやグラナダのパラドールだ。
トレドは絶景を見下ろす絶好のロケーション、そしてグラナダはなんとアルハンブラ宮殿内部にあるという最高の立地と豪華な内装が魅力である。
お値段も割安な価格のパラドールとはいえなかなかのもの。しかしそれだけの価値がある宿泊になることは間違いないだろうと思う。
今回私が宿泊したクエンカのパラドールも修道院を改築したものだ。そしてお部屋によっては、部屋の窓からもクエンカの絶景を楽しむことができるのだそう。
水曜どうでしょうの面々もこのホテルに宿泊した。

フロントを抜けると中庭に面した廊下がある。
現代的な絵画が飾られたこの廊下では軽食やコーヒーを頂くことができる。

ところどころにキリスト教の絵が見られ、ここが修道院であったことが伺える。

なぜかお手洗いのところに日本語で表記がなされていた。
もしかしてここは日本人観光客が多いということなのだろうか。
日本語だけこうして書かれているというのは海外ではほとんど見たことがない。
あったとしてもたいてい他の言語もいくつか並んでいる。その中の一つとしての日本語。
そのためこの日本語表記がとても不思議に思えた。もしかして、どうでしょうファンが大挙してここに押し寄せているのだろうか。

さらに奥へと進んで行くとホテルのカフェテリアがある。
かつてはどんな用途で使われていたのであろうか、広々とした空間。
白い壁と天井の装飾が落ち着いた雰囲気を醸し出す。

私のお気に入りの席は部屋の隅の窓際の席。

窓からはクエンカの断崖絶壁を眺めることができる。
上で紹介したこの写真はちょうどこの窓から見えた辺りになる。
パラドールから見てみると先程上った崖がどれほど高い場所にあったかがよくわかる。
窓からの素晴らしい景色を楽しみながらゆっくりとコーヒーを頂き、そして本を読むという素晴らしい時間を過ごすことができた。

さて、お部屋へと向かっていこう。エレベーターで客室フロアへと上っていく。
建物自体は時代を感じさせるものの、内装はとてもきれい。

部屋も広く、とてもきれいだったので大満足だった。
パラドールの良いところは歴史を感じながら快適な滞在が出来るところ。
せっかく古き良き伝統や文化を感じることができても、宿泊そのものが不快なものであったら旅の雰囲気は台無しだ。
そこのバランスが絶妙なのがパラドールの素晴らしいところだ。
現代的な快適さと歴史と伝統を感じられるパラドール。
スペイン旅行の際はぜひパラドールに泊まってみてはいかがだろうか。

さて、夜も更け辺りが暗くなる22時頃。
スペインはとにかく日が長い。
5月中旬ならば完全に暗くなるのは22時ころ。
夕暮れや夜景を見ようと思うと、日本の感覚からすると信じられないくらい待たなければならない。
だが、じっくり待っていざパラドールを出ると、ちゃんとご褒美はある。すぐ目の前にはライトアップされたクエンカの断崖絶壁が広がっているのだ。
なんとも幻想的な光景である。

どこからが岩で、どこからが家なのか境目がわからない。
ずっと眺めていると、まるで家が岩に変えられてしまったかのように見えてくる。
いや、岩が下からぐにゅっと伸びてきて家を形作ったのではないかとも思えてきた。
なるほど、「魔法にかけられた街」というのも頷けるような気もする。

ライトアップされた橋を渡ってみる。
暗闇の中ぼうっと浮かび上がる橋。不思議と昼間の時より恐怖感は少なかった。
きっと下が見えないからだろう。

橋から来た方向へ振り返ると、山の上に光り輝くマリア像が見えた。
このマリア像もどうでしょうファンにはたまらない光景だ。

この美しいクエンカの夜景を背景に、大泉さんは「糸ようじ」「糸ようじ」と連呼したのである。
こうして言葉にしてみると何が面白いのかと皆さんはいぶかしく思うかもしれないが、我々ファンからすると涙が出るほど笑ったシーンなのである。

水曜どうでしょうを見ていない人にとっては全く意味不明なこの「糸ようじ」のやりとり。
しかしその意味を理解する人間にとっては「糸ようじ」という言葉は単なる糸ようじという言葉を超えた意味を持っている。
そしてこのクエンカという地も。
他人からすれば全く意味が見いだせない言葉や場所も、ある人からすれば聖なる言葉や聖地になりうるのだ。
いや、むしろ他人にはまったく意味がわからないからこそ、その言葉や土地は他とは区別された特別な意味を持つのかもしれない。
「自分達だけが知っている特別な言葉、特別な土地、特別なもの」
宗教を考えていく上でこれは非常に重要な要素だ。
自分とは異なる宗教を信じている人々が大切にしていることを、私たちはなかなか理解できない。
彼らがそれを大切にしていること自体は理解できても、それを心の底から同じように大切にすることはできないのだ。
自分達にしかわからない大切なもの、重要なもの、聖なるもの。
これが宗教の持つ特徴のひとつなのではないかと私は思う。
みなさんも一度は仏様や神様に手を合わせたことがあることと思う。
私たちは当たり前のようにそれを行い、そしてそれが大切なことであることもわかっている。
しかし、他の国や全く違った文化に生きる人からすれば、それは全く理解のできないことなのかもしれないのだ。
もしかしたら彼らの文化からすると不作法にあたってしまうことですらあるかもしれない。
私たちは知らず知らずの内に私達しか知らない特別なことに囲まれて生きているのだ。
・・・・そうは言っても、「水曜どうでしょう」は宗教でもあるまいし、大げさなのでは?
たしかにそうかもしれない。
でもこれは一つの興味深い事例として私は考えている。
どうでしょうファンしか知らない聖なる言葉と聖地。
宗教は他とは違った特別な何かであるかもしれないけれども、特別だからといって日常と切り離されたものではない。
クエンカで糸ようじの世界に浸りながら、ふとそんなことを思ったのであった。
続く
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