「時間の止まった街」トレドのグレコがえぐすぎる!
【スペイン旅行記】⑶「時間の止まった街」トレドを散策!マドリードからおすすめ日帰り観光地トレドと知の再発見
マドリードでプラド美術館を堪能後、私は現地のオプショナルツアーに参加しトレドへと向かうことにした。
マドリードからはツアーバスでおよそ1時間ほどで着くことができる。
トレドは「時間の止まった街」と称賛され、「もしスペインでたった1日しか時間がなかったら、ためらわずにトレドを見よ」と言われるほどの美しい街だ。

こちらが展望台から眺めたトレドの景色。
目の前のタホ川の流れの向こう側にトレドの街が広がっている。
タイムスリップしてしまったかのような光景。
中世の街並みがそっくりそのまま現在にも残されている。

視線を左へ移していくと、トレドの街が川の上の崖の上に作られていることがよくわかる。
トレドは街の東、南、西の三方を川と崖に囲まれていたことでこれが天然の要塞の役目を果たすことになった。そしてこうした地形も相まってトレドはスペインにおける重要な都市として繁栄していたのであった。

トレド市内は建物に囲まれた狭い道が迷路のように張り巡らされている。
そして私はこのトレドで楽しみにしていたものがあった。
それがエル・グレコの傑作『オルガス伯の埋葬』である。
エル・グレコについては前回の記事「プラド美術館の見どころをご紹介!念願のボス作『快楽の園』とご対面!」でも紹介した。

彼のドラマチックでダイナミックな画風はまさに唯一無二。私も彼の絵には度肝を抜かれた。プラド美術館でそのオリジナルを見た衝撃は今も忘れられない。
そしてそのエル・グレコが生涯の大半を過ごしたのがここトレドなのである。

建物全体の写真がなくて申し訳ないが、ここは彼の傑作『オルガス伯の埋葬』が展示されているサント・トメ教会。
私もここで念願の作品と対面したのである。

「エル・グレコ、えっっっぐいなぁァァ・・・」
言葉がおかしくなっているがこれが当時のリアルな感想なのである。私の旅ノートにたしかにそう書かれている。よっぽど度肝を抜かれていたのだろう。
この独特な色彩、そしてすらっと伸びた身体、光、迫力!どのように表現したらいいのかまったくわからないのだがこれは衝撃であった。さすがエル・グレコの最高傑作との誉れ高い作品である。
こうしたグレコの作風については『もっと知りたいエル・グレコ 生涯と作品』でギリシャ正教のイコン画の影響を受けていることが指摘されていた。
西欧美術の本場イタリアの伝統とは異なる土壌で修行をしたエル・グレコだからこそこうした独特な絵を生み出すことができたというのは非常に興味深いものがある。ここでは詳しくはお話しできないが、興味のある方はぜひ『もっと知りたいエル・グレコ 生涯と作品』をおすすめしたい。

さて、ここからはトレドの中心、カテドラルについても見ていこう。
1226年に建設がスタートし完成したのはなんと250年以上後の1493年。
その後も増改築が何度も繰り返された堂々たる大聖堂だ。

この大聖堂はスペインカトリックの大本山であり、内部の構造も圧倒的な迫力だ。


スペインは伝統的にカトリックが盛んな国。
ローマのバチカンとも非常に結びつきが強く、スペインの歴史を語るにはカトリックの歴史は避けては通れない。

さて、ここで話は変わるが、みなさんはヨーロッパの暗黒時代ということを聞いたことがあるだろうか。
「ヨーロッパは進んでいる」というイメージを私たちは持ってしまいがちだが、実はヨーロッパが世界の覇権を握るようになったのは歴史の上では最近の話なのだ。
それまで世界最高水準の文化を誇っていたのが何を隠そう、イスラム世界なのである。
ざっくりと歴史を眺めてみると、ヨーロッパ世界の最初のピークは古代ローマ帝国にまで遡る。
古代ローマではアリストテレスやプラトンなどのギリシア哲学の伝統や建築技術、優れた政治組織など高度な文明が花開いていた。
しかし5世紀に蛮族(ヨーロッパ北部の人々)の侵入によってローマ帝国が崩壊してしまうと、その高度な文明がほとんど消え去ってしまったのである。
蛮族はローマの優れた文明を継承するだけの力もなく、ヨーロッパはまたローマ以前の文化水準へと逆戻りしてしまったのだ。
信じられないことにこの後のヨーロッパ世界では、アリストテレスの著作やローマの優れた文明もすっかり忘れ去られてしまうことになってしまったのである。
なぜそんなことになってしまったのだろうか。
それを説明しようとするとものすごく長くなってしまうので今回はお話しできないが、とにかく、ヨーロッパはローマ帝国崩壊後文明を失い、素朴な農村社会と細々とした村社会へと逆戻りしてしまったのだった。
さて、その暗黒時代のヨーロッパが息を吹き返すきっかけとなった出来事こそ、1096年から始まった十字軍ともうひとつ、ここ1085年のトレドの再征服だったのだ。
1096年から始まった十字軍は戦争という血生臭い出来事ではあったが、同時にヨーロッパ世界とイスラム世界の交流という側面もたしかに存在した。
それまで断絶していたイスラム世界の優れた文化をヨーロッパ人は目の当たりにし、それをヨーロッパに持ち帰った。
そして極めつけはここトレドの再征服だ。
当時イスラム教徒の支配下にあったトレドは学問の中心地として非常に繁栄していた。
イスラム教の優れた学者やユダヤ人の学者が日々高度な研究をする学問都市であったため膨大な書物がトレドには保管されていた。
トレドを征服したキリスト教徒は驚愕する。
見たこともないような書物の山。それらはアラビア語で書かれていたが、キリスト教徒たちはその本の山に興味深々だ。
翻訳のできるユダヤ人にそれらは何の本か尋ねてみると、なんと失われたはずのアリストテレスの著作だと言うのだ。
これには彼らも度肝を抜かれた。
実はイスラム世界が生まれたアラブ地域ではローマ帝国が滅びた後もしっかりとギリシア哲学の伝統が継承され研究が進められていたのだ。
そのため7世紀に誕生したイスラム教内部でもギリシア哲学は重要視されていたという歴史があった。
何はともあれ、ヨーロッパ世界が失われた文明とトレドの地で再会を果たした。
これがヨーロッパの暗黒時代からの目覚めと言われた出来事なのだ。
ローマ帝国の崩壊と共に失われたギリシア哲学の再発見。
それがここトレドから始まり、ヨーロッパでは新たな知性に目覚めた人間が爆発的に増えていく。
それがトマス・アクイナスをはじめとしたスコラ哲学と呼ばれるキリスト教神学の発展につながり、はてにはルネッサンス運動の萌芽となっていく。
私たちが想像するヨーロッパらしい文化のスタートはここトレドでの知の再発見からスタートを切ったのだ。
次の記事ではスペインのキリスト教とイスラム教文化を理解する上で欠かせないスペインのレコンキスタ(国土再征服運動)についてお話ししていきたい。
※この記事は2019年にメインブログで投稿した記事を再投稿したものになります。なので今回お話ししたことは2019年段階で私が学んでいたことがベースになっています。
そこから私はドストエフスキー研究の一環で中世ヨーロッパの歴史をさらに学ぶことになったのですが、その複雑さについて改めて考えさせられることになりました。この記事ではかなり簡略化して歴史をお話ししていますが、今思えば少し単純化しすぎてしまった気もしています。正直この記事をnoteで投稿しようか迷ったのですが、当時の私の学びの記録ということでご容赦頂けましたらと思います。
ちなみに、私が中世ヨーロッパや古代ローマについて参考にした図書を以下の記事でまとめていますので興味のある方はぜひご参照ください。
続く
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『世界一周記』記事一覧はこちらのまとめ記事にて
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