【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #04│カイ
今日はカイの銀行口座を閉じるのに付き合い、チャイナタウンのワンケイで夕食をとり、フラットに帰った。
家には誰もいない。
アキはいつものように不在で、ミキヤは昨日から留守にしている。
カイがお酒を作ってくれて、私たちはソファに座った。
キャンドルに火をつけ、音楽をかけた。
ジャズが部屋中を満たしていく。
低い音が、燃える炎の中で揺れている。
アドリブの旋律が、まるで誰かの溜息のように、あるいは遠くから聞こえる嗚咽のように、湿った音色で空気を震わせている。
「いつ帰ってくるのかな」
カイはウォッカをコーラで割ったものを飲みながら、ぽつりとこぼした。
ろうそくの炎に照らされた横顔が、ゆらめいた。
「俺、もうふたりには会えないかもね」
流れる音のひとつひとつが心臓の鼓動と共鳴し、部屋の灯りをさらに切なく歪ませる。
テーブルの上にはテスコバリューのジンとウォッカ、それからコーラにレモネード。
私はレモネードにウォッカを足して、ゆっくり飲んでいた。
部屋の中はあたたかな橙色の灯りに包まれ、夜はやさしく灯っている。
カイは、あと一週間でいなくなってしまう。
「私らも、もうすぐ会えなくなるね」
私は笑おうと努力したけれど、うまく笑えなかった。
悲しい音色が、今の私にはあまりにも切なすぎる。
トランペットが、低音で悲鳴を上げたその瞬間、カイが私を引き寄せた。
抱きしめられた首筋から、甘くスパイシーな香りが立ち上った。
清潔さと官能が混ざり合った、香り。
カイは耳元で、「そんな顔、しないでよ」と囁いた。
灯りも音楽もカイの笑顔もぬくもりも、なにもかもやさしすぎて泣きそうになる。
もうすぐいなくなってしまう私のナイト。
この部屋のすべてのものが、私に恋するように仕向けてくる。
どうしたらカイを好きにならずにいられるのだろう。
どうして、出会ってしまったのだろう。
カイに抱きしめられながら、涙がこぼれる。
上を向いた瞬間、カイと私の唇が軽くふれてしまった。
私は自分を止めることができず、唇を強く彼の唇に押し付けた。
カイは驚いたように唇を離し、かすれた声でささやく。
「……だめだよ」
私はそれを消すように、またカイの唇に自分の唇を重ねる。
カイも、最後には抗うことを諦めて私に応えた。
トランペットが、まるで誰かの嗚咽のように悲しく鳴り響く。
誰もとめられない。
誰かとめてほしい。
誰かとめてください。
私たちはむさぼるようにお互いの身体に唇を這わせた。
快感と悲しみと絶望に、私は泣く。
「忘れないよ、マリちゃんのこと」
忘れない。忘れられるわけがない。
もう、二度と、ジャズなんて聴かない。
Music
Miles Davis - Blue In Green
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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。
【MAGAZINE】
【もくじ】
#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫
