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【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #05│語学学校

「ちょっとー。マリちゃーん、ぜんぜん学校こないし、どうしてたのよー」

 無駄な肉のまったくない長身に、今日も個性的としか言いようのない服をまとった女が教室に入ってきた。

 ヘビ柄のベルボトムに派手なパッチワーク風のタンクトップ。ふちにピンクのレースがついている。
 髪は黒髪のスレートボブで、毛先から五センチくらいは赤く染めてある。  
 クラスメイトの日本人、ナギサ。

「ちゃんと学校こないとだめじゃん」
 ごめんと素直にあやまった。

「で、彼は行っちゃったの?」
「うん。これからはちゃんと学校くる」
 ほんとうは学校どころじゃないくらい、悲しみにくれているのだけど。この町のあちらこちらに、カイの面影がついてまわる。

 私がうなだれていると、ナギサは目をうるませた。
「マリ、つらいね、かわいそうに」
 ナギサは気が強いのに情に脆く、思いやりのある、おおらかな人。よく怒り、よく笑い、よく泣く。背が高く173センチもある。
 ナギサと話すときはいつも、目線を上げなければいけなかった。

「ねえ、今日金曜日でしょ? クラブいかない?」
 鼻をすすりながらナギサが笑った。
 ナギサは日本にいるときからの筋金入りのクラバーで、ロンドンにもクラブ仲間がたくさんいた。
「なんか、そういう気分じゃない」
 私はロンドンにきてから、まだクラブに行ったことがない。
 カイはクラブに興味がなかったから。
「もー。誘ってもぜんぜんこないんだからー」

「ナギサ、マリコ、おはよう」
 韓国人のエイミーが教室に入ってきた。
「マリコ、おめでとう! ボーイフレンドができて学校こなかったんでしょ」
 私はナギサを睨んだ。
 ナギサはわざとらしくテキストを読むふりをしていた。
「おはよう、エイミー。ボーイフレンドじゃないよ。それに、彼はもう行ってしまったの」
 エイミーはおおげさに眉尻をさげ、私をぎゅっと抱きしめた。私はエイミーの肩をたたいた。彼女のきれいな黒髪が、さらさらとこぼれ落ちた。
 「モーニン」と教室にダニエルが入ってきた。
 退屈な授業が始まる。

 学校が終わると、ナギサとブリティッシュ・ミュージアムに行った。
 学校から歩いて十分のところに、こんなにも有名な博物館があることがまだ不思議だった。
 ナギサはエジプトに興味があるらしく、何度もここに足を運んでいた。

 ミュージアムショップで、猫のワンポイントが入ったB5サイズの手帳をみつけて、2人でお揃いで買うことにした。
 明日も学校へ行くと約束させられ、家路についた。

         
         *


 家に帰ると、誰もいなかった。
 私は自分の部屋に直行し、ベッドに腰掛けた。
 部屋にはカイの痕跡が色濃く染み付いていて、私はやりきれない気持ちになる。
 カイの匂いすらまだ残っている。
 甘くて、セクシーな、カイのつけていた香水の香り。
 私はこれからもずっと、この匂いを嗅ぐたびに、カイを思い出すにちがいない。

 カイは、実家の連絡先を書いたメモをくれていた。
 そのメモを、さっき買った手帳に挟んだ。
 何度も眺めたカイの文字、それすら愛おしくて涙を誘う。

         *


 ドアの開く音で目を覚ました。

 外はまだ昼間みたいに明るいけれど、時計を見ると夜の八時だった。
 大きな音を立てているから、アキが帰ってきたのだろう。

 私はぼうっとする頭を覚ますため、お茶を飲もうとキッチンに行った。
 お湯を沸かしていると、アキがキッチンにやってきた。

 アキの吸うマリファナの、鼻をつく独特の甘ったるい匂いが漂ってきた。
 それが、記憶の中にあるカイの香水の香りを、少しずつ塗りつぶしていくようで、私は息を止めた。

 カイがいなくなってから、家族みたいに食事を一緒にとったりはしなくなった。
 それぞれが好きなときに好きなことをする。
 冷蔵庫のスペースも、きっちり分けた。
 それでも誰かがいれば、こうしてキッチンやリビングで話したり、お茶やお酒をのんだりした。

「おかえり。お湯湧いてるから、よかったら使って」
「ありがとー。あー疲れた。やっと週末だね」
 アキの学校はかなりハードそうだ。
 ボーイフレンドとも別れたらしく、最近は家にいることが多い。

「アキは週末なにするの?」
 マグカップにティーバッグをいれ、お湯をそそいだ。スプーンでおしつぶして、できるだけ濃いお茶にする。
「マイクロでも行こうかなー。マリちゃんは?」
 住みはじめてから知ったけれど、この街にはクラブがとてもたくさんある。 
 マイクロ、ロンドンアカデミー、ザ・クラウン、ワールド。
 どこから行こうか楽しみにしていたのに、今は喪失感が強くて、ちっとも興味がわかない。 

「気晴らしに、一緒にどう?」
 お茶に牛乳をいれる。ローファットミルクは薄くてしゃばしゃばして紅茶に合わなかった。今度からはフルファットにしよう。
「うーん、やめとくわ。楽しんできて」

 アキはヒラヒラと手を振りながら、体力温存のために寝ておくと部屋にもどった。

 お茶を飲みながらビスケットをつまんだ。
 カイの教えてくれたビスケット。
 甘ったるいクリームが、むなしく口のなかに広がった。
 歩くと、スリッパがくすんだオレンジ色のクッションフロアにはりつく音がした。誰かがこぼしたビールの跡だろうか。

 カップを洗いながら、今日と明日はリビングをひとりじめできることに気づく。

 誰も週末に家になんかいやしない。

         *


 ミキヤが帰ってきて、珍しくリビングに全員がそろった。
 私はお茶を飲みながら、ソファでテレビをながめていた。
 テレビでは、『フレンズ』というドラマがかかっていた。

 ふたりは週末の準備に忙しそうだ。
 ミキヤはアキからピル(エクスタシー)をわけてもらっていた。
 テーブルの上に、黄色いスマイルマークの錠剤が転がっている。

 カイが嫌っていたドラッグも、いつの間にか解禁されていた。みんなカイに気を使っていたようだった。

「ありがとう。助かるよ」
 ミキヤはアキに、ポケットから取り出したくちゃくちゃの十ポンド札を渡した。

「マリちゃんもくればいいのに。これ最高だよ」
 アキが親指と人差し指で黄色い錠剤をつまんで、私に見せる。
「んー。今はぼーっとしてたいから。また誘って」
 カイの嫌っていたクラブカルチャー。
 それに染まると、カイがますます遠くなる気がして。

 ミキヤが吸っていたクサを、私の口にねじ込むようにくわえさせた。
「早く元気だしなよ。楽しまないとね」



  

Music
Lisa Loeb - "Stay (I Missed You)"

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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。


【MAGAZINE】

【もくじ】

#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫

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