【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #08│ザ・クラウン
家に帰ると、レオンが出かける準備をしていた。
「どっか行くの?」
「クラウン。おまえもどうだ?」
「水曜日なのに?」
レオンは知らないのかという呆れた顔をして、
「あそこは水曜日が熱いんだ。とにかく一緒にこい。だいたいおまえは家にいすぎる」
レオンの調子につられて、クラウンに一緒に行くことになってしまった。
『ザ・クラウン』は家の近くにあるパブで、パブなんだけどクラブみたいになっているところ。
ジャンキーの巣窟として知られており、二階建てのバスが前を通るとき、良識ある人はため息をついてあきれていた。
人通りも少ない暗いバス通りを、足早に歩くレオンに、置いてきぼりにされないよう必死でついていく。
ほとんどの店のシャッターが降りている中、チャイニーズのテイクアウェイ、ケバブ屋、オフライセンス(コンビニみたいな商店)は煌々と明るく輝いていた。
突然、何かが猛スピードで目の前を横切った。思わず悲鳴を上げると、さすがのレオンも振り向いた。ずいぶん先の方で。
「なんだ!?」
「何か、走ったの。動物みたいなのが」
レオンは、ばかばかしそうに「はっ」と笑った。
「キツネだろ」
そう言い放ってまた前を向いて歩き出した。
私は慌てて走って、レオンに追いついた。
「キツネ? キツネがいるの? こんな街中に?」
レオンはめんどくさそうに私を見た。
「キツネでもリスでも、なんでもいるだろ。」
肩をすくめて答える。
「ここはロンドンだ。」
そうこう言っているうちに、おなかの底からわきあがるような、地響きみたいな、心地よい重低音が聴こえてきた。いろんな色の照明が、ぐるぐる楽しげに回っているのも見える。
私たちは、クラウンに着いた。
入り口で入場料の3ポンドを払った。
中に入ると、重低音がどんどん強く、深く、内臓にまで浸透しはじめた。
バーカウンターでは、スキンヘッドのお兄さんがビールを注いでいる。
その奥に、レーザー光線が激しく交差する、狭いダンスフロアが見えた。
ダンスフロアを覗き込もうとした、そのとき。
視界の端に、異様な光景を捉えた。目を向けると、そこにはあるはずのない存在があった。杖をついたおじいさんが、椅子に深く腰かけたまま、じっとフロアを見つめている。
上品なカーディガンにズボン、帽子をかぶった、きちんとした英国紳士だった。おじいさんはただ静かにそこに座っていた。シュールな絵画のように。
爆音のダンスミュージックが鳴り響いているのに、おじいさんは身じろぎひとつしない。
目が離せなくなり、後ろ髪を引かれたけれど、あっちでレオンが呼んでいる。
入り口付近にある薄暗いボックス席には、ドラッグでキマって、つぶれた人たちが転がっていた。レオンはそこに私を呼び、素早く私の手に何か握らせた。
「やるよ」
手を開くと、ショッキングピンクの錠剤がひとつ。ハートのマークが押してある。
慌てて顔をあげ、レオンを見る。
「私、ピルはとったことないの」
「正気か? おまえロンドンに何しにきたんだ?」
レオンは信じられないといったように首を振った。
水の入ったプラスチック製のコップを押し付けられて、飲むよう促される。
観念して口に放り込むと、強烈な苦みが口の中に広がった。
「にがっ」
「だから早く飲み込め」
私が飲み込むのを確認すると、レオンは満足そうにうなずき、「楽しめよ」と言ってどこかに消えた。
Music
The Chemical Brothers - Hey Boy Hey Girl
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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。
【MAGAZINE】
【もくじ】
#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫
