【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #09│ピル
店内はさほど広くないのに、暗いせいかすぐにレオンを見失ってしまう。
体には、まだなんの変化も見られなかった。自分がどうなってしまうのか、怖いような、楽しみなような、複雑な気持ちでいっぱいだった。
おそるおそるダンスフロアに向かい、足を止めた。
フロアは一段低く設計されていて、まるで舞台から見下ろしているみたいだった。赤や青のレーザー光線が揺れる底で、音と光に包まれながら、みんなだらしないくらい幸せそうな顔をしている。
ひとりの女の人と目が合った。
彼女が「カモーン!」と両手で招いた。
ここはこんなにも楽しいのに、あなたはどうしてそんなところにいるの?とでも言うふうに。
私は思い切って、飛び込んだ。
一歩踏み込んだだけで、そこはもう異空間だった。
熱気が立ち上がり、サウナみたいに暑い。
クラブというにはさすがに安っぽく、例えるなら文化祭の出し物みたいな雰囲気だった。
私を誘った彼女は、大喜びで両手を広げ、私にハグとキスをした。
ブロンドのドレッドヘアにピンクやグリーンのエクステをつけていた。
「アンディよ。あなたは?」
耳元で大きな声でたずねられたが、それでも爆音に負けて聞き取りにくい。
「マリ」
私も大声で叫びかえした。
アンディは私の手を取り、こんなふうに踊るのよと言わんばかりに体をゆすって見せた。
私はドギマギするばかりだったけれど、音楽に体を預けることにした。
突然それはやってきた。
体が震え、口がわなないている。
体の奥底から、脳から、快感があふれだす。
五感が狂う。音が、光が、快感の爆弾となって降りそそぐ。
アドレナリンが沸点を越える、信じられないくらいの多幸感が襲ってきた。
チープな音が精彩をおび、照明がオーロラみたいにきらめきながら落ちてくる。
体は重力から解放され、音と光に溶けこむ。
音楽が最高潮を迎え、フロアの熱気がマックスになる。みんな歓声をあげている。
ダンスはいっそう激しくなる。無我夢中でめちゃくちゃに体をふりまわしていると、となりで踊っていた男が親指を立てて、ウィンクしてきた。最高だね、と。声を発してはいないのに、そう言ってるのがわかった。もうその人とは大親友な気がして、抱き合って踊った。踊ることが楽しくてしかたがない。私の踊りにみんな歓声をあげる。フロアじゅうが仲間になる。
信じられないくらい幸せな気持ちがあふれた。
そのとき、激しいリズムがピタリとやみ、幻想的な音が伸びやかにひびいた。みんな動きを止め、体をのばしてその音楽に意識を飛ばす。エキゾチックな音が鳴りひびく。音に体が、心が、溶けていく。どこかへ行ってしまいそうになる――
ああ神様。
この世に生を受けたことを感謝します。
誰かが吠えた。
そしてまた激しいビートがやってくる。時間の経過がわからない。ひたすら音楽に身をまかせていた。
やがて多幸感は落ち着きを見せはじめた。
「水を飲むのを忘れるな」
突然レオンがあらわれて、私に水のはいったコップをつきだした。
ぶんどるように奪って、一気に飲みほした。
「レオン! どこにいたの?」
生き別れの兄に再開したような気分だった。親愛の情でいっぱいになり、レオンに抱きついた。
レオンは私の頭をぽんぽんと叩き、「楽しんでるか?」と聞いた。
「すっごくたのしい! レオン、ありがとう」
レオンは満足そうにうなずいた。
「レオンはなにもとってないの?」
私にはレオンがいつもとまるで変わらないように見えた。むしろ普段より落ち着いているというか。
「もちろんとってる。ばっちり、キマってる」
ふーん、ま、いいか。
レオンが床に座り込み、私にも座るよう指示する。リズラを取り出し、ジョイントを巻き始めた。火をつけてひと吸いし、私に回す。受け取って、深く吸い込み、肺にためた。
一度座ってしまうと、もう立ち上がれなかった。音はまだとても気持ちいいのに、体がふにゃふにゃだった。
ひどく歯を噛み締めていることに気づく。やめようとするのに、気づくと噛んでしまう。舌もかんでしまって傷になっているようだ。ちっとも痛く感じないけれど。
レオンに言うと、ガムをくれた。それでみんなガムを噛んでいたのか。
「あー気持ちいい。楽しいねえ」
疲れた体に、マリファナが染み渡る。
レオンは踊る人たちを、じっと眺めていた。
「レオンは、いつからドラッグディーラーになったの?」
「忘れた」
そっけなく答えたレオンだったが、ふいに遠くを見ながら、言葉をこぼした。
「最初は、10錠のピルだった」
レオンは昔を思い出すみたいに、少しだけ目を細めて笑った。
「そう、10錠。おぼえてるよ」
そう話すレオンは、ここではないどこかへ行ってしまっているようだった。
私はレオンのことを、まだ何も知らない。
レオンは突然立ち上がり、吸っていたジョイントを私に渡した。
「俺はもう帰る。楽しんでこい」
レオンは帰ってしまった。
マリファナを吸ったらまた元気になり、私はひたすらに踊った。
ダンスフロアにいる人は、もうみんな友だちだった。ブロンドのドレッドヘアのアンディと、そのボーイフレンドのジェイクが、ずっとそばで踊っていた。
やがて音楽がやみ、照明が消えた。
ブーイングがおきる。
パーティーはお開きだった。
外に出ると、「待って!」と例のカップルが追ってきた。
「アンディが、君のことをすごく気に入ったんだ。よかったら、ぼくらのイリーパーティーにきてくれないか?」
ジェイクが、私にそう言った。
「イリーパーティーって?」
説明してくれるが、わからない。彼は紙切れをだし、名前と電話番号を書いた。
「もし来てくれるなら、電話して。待ってるよ」
かわいいアンディは私にキスとハグをして、ふたりは去っていった。
紙切れをジーンズのポケットにしまい、家に向かって歩き始める。
あたりはうっすらと明るみだし、小鳥の鳴き声がかすかに響いている。霞がかった道の中を、キマったまま歩き、道を横断しようと飛びだした、そのとき。
大音量のクラクションがなり、ヘッドライトが視界をさえぎった。
運転手の怒鳴り声がする。
踊るように道を渡りきり、通り過ぎる車を見送った。運転手は私に向かって中指を立てている。
車が行ってしまうと、また静寂がもどった。
私は走って家に帰った。
Music
Signum feat. Scott Mac - Coming on Strong
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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。
【MAGAZINE】
【もくじ】
#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫
