マルポテ・バース――今、ここにある「無限の可能性の宇宙」【創作大賞】
「もし、あのとき別の道を選んでいたら……」
そんな風に考えてしまうこと、ありますよね。
あのとき、何かを極めていたら。
あのとき、やめずに続けていたら。
――別の人生が、どこかにあったかもしれない。
そんな「もしも」の世界を、物理学やSFの世界では
「マルチバース(多元宇宙)」と呼んでいます。
この宇宙とは別に、無数の分岐した世界が存在し、
別の自分が、別の選択をして、別の人生を歩んでいる――
という考え方です。
小説や映画、アニメの世界では、よく見かける設定ですよね。
現実の私ではない「もうひとりの自分」が、
別の場所で別の未来を生きている。
――なるほど、それはそれで、ロマンがあります。
でも、私は思うのです。
「もしも」を追いかけすぎると、
「今、ここ」にいるこの自分が、
どこか仮の存在のように思えてしまわないか、と。
別の宇宙にいる自分は、もっとすごいかもしれない。
もっと早く何かを見つけて、もっと深く何かを極めて、
もっとはっきりした肩書きを持っていたかもしれない。
でも、今ここにいる自分は、
本当に「じゃない方の自分」――
「選ばれなかった方の自分」なのでしょうか。
私自身、今まで、いろいろなことに興味を持ってきました。
本を読むこと。
文章を書くこと。
生き物を育てること。
音楽を聴いたり、楽器を演奏すること。
絵画や映画、アートの世界に触れること。
けれど、そのどれかを「極めた」と言えるかというと、
正直、そんなことはありません。
読書が好きだからといって、学者になったわけではない。
文章を書きたいからといって、作家になったわけではない。
音楽が好きだからといって、音楽家になったわけではない。
身につけたことが、わかりやすい肩書きになったわけでも、
自分の人生を一本の太い線で説明できるわけでもありません。
そんな私ですが、今はライターとして、
日々さまざまな文章を書いています。
扱うテーマは、その時々でまったく異なります。
ある日は、硬派な文章を綴り、
また、ある日は、面白おかしい言葉を書き連ねる。
そんなとき、バラバラだった「かつての点」たちが、
私の書く言葉の端々に溶け込んでいるのを感じます。
だからこそ、それらが無駄だったとは思えないのです。
途中で止まったこと。
今はもう続けていないこと。
誰かに評価されたわけではないこと。
それらは、どこかへ消えてしまったわけではありません。
全部、自分の中にある。
形を変えて、温度を変えて、今も私の中に残っている。
それらは「成果」ではなかったのかもしれません。
「実績」でも、「専門性」でも、「職業」でもなかったのかもしれません。
でも、それらは私の中で、小さな星のように光っている。
だったら、私には――
私たちには、もうひとつの選択肢があるんじゃないか。
別の宇宙にいる、もっと立派な自分を探すのではなく、
今ここにいる自分の中に残っているものを見つめ直すこと。
それが、「マルチ・ポテンシャル・バース」――
私が勝手に「マルポテ・バース」と呼んでいる、
現実の中に広がる、もうひとつの宇宙です。

「マルチ・ポテンシャライト」という言葉
「マルポテ・バース」とは、私が勝手に名づけた造語です。
言葉のもとになったのは、
「マルチ・ポテンシャライト」(multi-potentialite)
という概念です。
マルチ・ポテンシャライトとは、
ひとつの分野や肩書きだけに収まらず、
いくつもの興味や才能、関心や可能性を持つ人のこと。
趣味が多い。
やりたいことが次々に出てくる。
ひとつの肩書きだけでは、自分を説明しきれない。
こうした特徴を持つ人は、時に「中途半端」に見えることがあります。
でも、私はこの言葉を知ったとき、少し違う景色が見えました。
これは、単に「いろいろなことに興味がある人」という
「資質」の名前ではなく、
いくつもの可能性を、ひとつの人生の中でどう育て、
どう重ね、どう結び直していくか――
そういう「生き方」の名前なのではないか。
私はそう思ったのです。
だから、必要なのは、
「どれかひとつだけを選ぶこと」ではありません。
バラバラに見える興味や経験を、
同じ人生の中で共存させ、
自分をフル活用するための場。
私はその場を、「マルポテ・バース」と呼びたいのです。
マルチ・ポテンシャライトが「いくつもの可能性を持つ人」なら、
マルポテ・バースは、その可能性たちが、
「同じ人生の中で、光り、重なり、つながっていく宇宙」です。
それは、何かを極めた人だけの宇宙ではありません。
好きだったけれど途中で止まったこと。
特に役立たなかった小さなチャレンジ。
うまくできなかったけれど、なぜか忘れられないこと。
そういう小さな可能性まで含めて、
自分の中で光り続ける星たちの宇宙。
それが、私にとってのマルポテ・バースです。
どれか一つを極めるには、時間が足りない。
どれか一つにしぼると、なにかを失った気がしてしまう……。
でも、それぞれの「やりたいこと」を、
バラバラの宇宙に分けて生きるんじゃなくて、
全部を同時に、今の自分の中で育てていく。
――自分は、何者にでもなれる!
それって、なんだか、
すごく「現実的なファンタジー」だと思いませんか?

自分の中に宇宙がある
マルチバースでは、
作家の自分は作家として、
科学者の自分は科学者として、
音楽家の自分は音楽家として、
それぞれ別の宇宙で生きているのかもしれません。
それも悪くありません。
でも、私は「現実的に可能な宇宙」、
「自分の中にある宇宙」を想像します。
マルチバースは、
「別の自分がどこかにいる」世界。
マルポテ・バースは、
「今の自分の中に、すでに全部ある」世界。
「どれかを捨てる」のではなく、
「どれも、持ち続ける」。
それは、少し苦しいことでもあります。
時間が足りない。
思うように進まない。
自分だけが立ち止まっているように感じる。
頑張りたいのに、どうしても動けない日もある。
周りの人が、自分よりずっと先に行っているように見える。
それでも。
好きなことが、すぐに得意にならなくてもいい。
得意なことが、すぐに仕事にならなくてもいい。
仕事にならなかったものが、人生に残らないわけでもない。
「やりたいことが多すぎる」?
それは、悪いことではないと思うのです。
それだけ、生きることに貪欲になれて、
好奇心を持ち続けることができるって最高じゃないですか。
「宇宙」と聞くと、あまりに広くて、遠くて、
自分とは関係のないもののように感じるかもしれません。
でも、マルポテ・バースは、私たちの内側にあります。
外のどこかに広がる星空ではなく、
自分の中に生まれた好奇心、衝動、憧れが、
バラバラのまま、星のように光っている世界です。
そして、それぞれが違う軌道で回りながら、
ときに交差し、ぶつかり、重なって、
あなただけの銀河を形づくっている。
この内的宇宙は、整っていないかもしれない。
秩序も、美しさも、最初からあるわけではない。
でも、たしかにここにある。
誰にも真似できない、あなただけの星図が。
それを自覚すること。
それを育てていくこと。
それが「マルポテ・バースを生きる」ということなのです。
重ね合わせて生きている
私たちは、スイッチのオン・オフを切り替えるように、
「役割を変えて生きている」のではありません。
表と裏。
仕事と趣味。
勉強と遊び。
そんなふうに分ける生き方は、どこかで無理が出てきます。
むしろ、私たちマルポテ民は、
いくつもの興味や役割を「重ね合わせたまま」生きているのです。
たとえば、私は「司書」であり、「FP」であり、
「家庭菜園の人」であり、「文章を書く人」であり、
ときには「楽器を演奏する人」でもあります。
それぞれの自分が、同時にここにいて、
どれもが「本物の私」なのです。
この状態を、私は「重ね合わせて生きている」と感じています。
これは、量子力学の「重ね合わせ状態」という言葉から、
私が勝手に連想したものです。
もちろん、人間の人生を物理学で説明できるわけではありません。
それでも、「Aでもあり、Bでもある」という感覚には、
どこか、マルポテ的な生き方に近いものがあるように思うのです。
その日その日で人格や役割を切り替えているのではなく、
全部が混ざり合いながら、重なり合って生きているという状態。
勉強する自分。
本を読む自分。
音楽が好きな自分。
何かを作りたい自分。
何もできずに立ち止まる自分。
そのどれかひとつだけが、本当の自分なのではありません。
全部が私。
全部が、今この瞬間の私をつくっている。
そして、それらの間に生じる「にじみ」や「ゆらぎ」も、
すべて引っくるめて、私のマルポテ・バースなのです。
だから私は、「本当の自分はどれなのか?」と悩むことを、
もうやめました。
本当の自分は、ひとつに決めなくてもいい。
たくさんの自分が、重なり合ったまま存在している。
その重なりそのものが、自分なのだと思うのです。

星座を描いて生きていく
「重ね合わせて生きる」とは言っても、
すべてがただ混ざり合っているだけでは、
宇宙はただのカオスになってしまいます。
だから、私たちは、内なる宇宙の中に散らばった星々――
すなわち、関心や経験、技術や記憶たちに、
自分だけの線を引いていくのです。
それはまるで、夜空の星に意味を見出して星座を描くような行為です。
星は、ただ夜空に散らばっているだけなら、バラバラの点です。
でも、そこに人が線を引き、物語を見出したとき、星座になります。
同じ空を見ていても、描かれる星座は人それぞれです。
線の引き方、結び方、どの星に注目するかによって、
宇宙はまったく違ったかたちを見せてくれる。
マルポテ・バースも、同じです。
たとえば、司書としての知識が、文章を書くときの土台になる。
FPとして学んだことが、人生の選択肢を考える視点になる。
家庭菜園の体験が、季節とともに生きる感覚を教えてくれる。
一見無関係に見える点と点を、意味という線で結び、
ひとつの星座をつくっていく。
それこそが、マルポテ・バースに秩序を与える行為です。
そして、その星座は一度きりでは終わりません。
新しい興味が生まれるたびに、星の数が増え、
そのたびに、星座の形は少しずつ変わっていく。
けれど、それでいい。
それこそが、私たちの宇宙の自然な進化なのだから。
今でも、やりたいことはたくさんあります。
けれど、そのすべてを形にできるわけではありません。
むしろ、できないことの方が多いです。
それでも、かつての私がそうだったように、
その時できなかったことが
そのまま消えてしまうわけではないと、今は知っています。
読みかけの本も、あきらめた勉強も、
すべては私の中に何かを残してくれています。
それはまだ、星座になる前の星なのかもしれません。
今はただ、バラバラに光っているだけ。
意味が見えないからといって、無意味だと決めなくていい。
結果にならないからといって、なかったことにしなくていい。
続かなかったからといって、好きだった気持ちまで否定しなくていい。
いつか、その星と星のあいだに、
ふと線が引かれる日が来るかもしれません。
マルポテ・バースとは、「今・ここ」の話だけではありません。
それは、時間の広がりをもった宇宙でもあります。
子どもの頃に夢中になった図鑑。
学生時代に憧れた世界。
うまくいかなかった挑戦。
途中で止まった夢。
挫折した日に励まされた言葉。
それらは、ただの思い出ではなく、
私という宇宙の、かけがえのない星のひとつなのです。
大人になってから得た知識や技術、
日々更新されていくスキルや関心、
すべては、かつての自分とつながっている。
歩いてきた時間は直線ではありません。
星々をつなぐ軌跡のように、
ときに戻り、ときに交差し、
ときに隠れて見えなくなったりしながらも、
確かに、私の中で光っているのです。
つまり、マルポテ・バースとは、
「たくさんの今」だけでなく、
「たくさんのかつて」と、
「いくつものこれから」が、
ひとつの宇宙に共存している世界観です。
今日の私は、かつての私の積み重ね。
未来の私は、今日の私の延長線上にいる。
どこか遠い星でひとり瞬いているのではなく、
私の時間軸に沿って、ずっとここにいるのです。

宇宙を未来に手渡す
このマルポテ・バースは、
自分ひとりで完結するものではないのかもしれません。
自分の中にある星は、
完全に自分だけのものではない。
誰かが書いた本。
誰かが教えてくれた知識。
誰かが何気なく言ったひと言。
そういうものが、
いつの間にか自分の中に残っていることがあります。
私の中にある星は、
私だけで生み出したものではありません。
誰かの言葉が、何年も経ってから、
私の文章の中で息を吹き返すことがある。
誰かに読んでもらった本の記憶が、
別の誰かに本を手渡すときの道しるべになることがある。
マルチバースが「分岐の宇宙」だとすれば、
マルポテ・バースは、誰かから受け取った光を、
また別の誰かへ手渡していく「継承の宇宙」なのだと思います。
私の中にある星は、
かつて誰かの宇宙で光っていたものかもしれない。
そして、私が今ここで灯している小さな光も、
いつか誰かに手渡される小さな星になるかもしれません。

今、何かを好きでいるのに、
それを何ものにもできていないと感じている人がいるなら、
私はこう思います。
まだ、名前がついていないだけかもしれません。
まだ、星座になる前の星なのかもしれません。
マルポテ・バースは、どこか遠くの銀河ではなく、
私たちの中に、すでに広がっている宇宙なのです。
……と、力強く言い切れたら格好いいのですが、
正直なところ、私の宇宙も、そんなにきれいには整っていません。
迷う日もあります。
比べる日もあります。
何も進んでいないように感じる日もあります。
それでも、星は消えません。
見えない日があるだけです。
だから、別の宇宙にいる誰かの自分を探しすぎなくてもいい。
今ここにいる自分の中に、
まだ見つけていない星があるのではないか。
その星をひとつずつ見つけ、線で結び、
いつか誰かに手渡せる星座にしていく。
きっと、それが私にとっての、
マルポテ・バースを生きるということなのです。
<了>

本日は以上です。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
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たくさんのnoteの中から、私の記事を見つけて読んでいただき、
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