【完結】AI、ときどき、詐欺:第1話 :100万、足りないだと……【創作大賞2026│お仕事小説部門】
小説「AI、ときどき、詐欺」(作:アンジー森 )
創作大賞2026 お仕事小説部門 エントリー作品
あらすじ
東京・神田で零細編集プロダクションを営む森、56歳。2026年3月23日、月曜の朝。郵便の山から消費税の中間納付通知が出てきて、血の気が引いた。金額は100万円。だが、払うお金が足りない。月末までに現金を集めなければ、会社の資金繰りは詰む。
森は、ジョージア在住の元バイト・合田アンをリモートの相棒に迎え、自社で動かしているAIエージェントたちを束ねて、受注済みの10本の記事・制作案件を一気に駆け抜けようとする。英語インタビュー、地方取材、深夜の入稿、突発の差し戻し……そしてAIは、仕事を助け、ときどき、嘘をつく。
これは、AIと人が共に走り抜ける、5日間のお仕事サスペンス。さて、そのなかに詐欺はいくつ、ある?
第1話 100万、足りないだと……
2026年3月23日(月)午前5時
目が覚めて最初に手が動いたのは、MacBookのキーボードだった。
6時半から、カナダ・バンクーバーのスタートアップ創業者とのビデオ取材が入っている。ターミナルを開き、一行だけ打つ。
/prep timborg
Enterを押す。あとは動いてくれる。まだコーヒーも淹れていない。
次に手が向いたのは、ベッド脇の床に積みっぱなしの郵便の山だった。整理しよう整理しよう、と何週間も思って、整理しなかった。月曜が来てしまっただけのことだ。せめて今日は、と山のてっぺんから一枚ずつめくっていった。
数枚めくったところで、それは出てきた。
角の折れた、茶色の封筒。差出人は神田税務署。
消費税の中間納付。
あ、と声が出そうになった。3月だった。
毎年やっていることなのに、今年は、頭から抜けていた。月初に預かっていた印税をまとめて漫画家に払い終えたばかりで、口座の残りを見て「ぎりぎりだけど、ありがたいわ」と息をついていた、その「ぎりぎり」のところに、消費税がもう一枚乗ってくる、という話だった。
頭が動き出した。
……100万円、足りないぞ。
手が震え、心臓が走り出した。脈が速い。息も荒い。寝起きの動悸じゃないことは、自分でわかった。独立して21年、嫌でも覚える感覚だ。月末に資金ショートしそうなとき、身体がいつもこう反応する。ここ10年は来ていなかった反応が、ひさびさに戻ってきていた。
森が経営するアンジーは、テック・ビジネス系のWebメディアや広告代理店、PR会社などに記事を納める零細の編集プロダクション。21期目だ。森自身も記者・編集者として現役で取材し、書く。テクノロジーが好きで新しいツールが出れば、すぐに手を出す。AIエージェントにハマってる。
さて、消費税だ……。
今月末に入金される売上がおよそ100万円。出ていくのが、外注費50万円とカード支払い50万円、合計100万円。差し引きゼロ。来月の運転資金として、口座に100万円のキャッシュが残るはずだった。
はずだった、というのは、その100万円から、もう50万円が抜けていたからだ。先週の月曜のこと、預かっていた漫画家さんの印税を払い終え、手元にぽっかり100万円があるのを見て、ずっと先延ばしにしていたMacBook Proをキャッシュで新調した。M5 Pro、50万円スペック。AIをちゃんと動かすなら、このくらいは必要かな、と思った。1週間前の話だ。
残高50万円。月末入金100万円。月末出金100万円。来月運転資金が、本来100万円のところ、50万円。
そこに、忘れていた消費税100万円が乗ってくる。
ざっと足し引きしても、結論は変わらない。
4月の運転資金50万を残そうと思ったら、要するに、消費税ぶんの100万円が、足りない。
森は天井を見上げた。
テック系といいながら、計算ができんのか。
時計は5時55分。
顔を洗い、シャツを着替え、デスクに着く。取材以外のことは、いったん隅へ押しのける。30年以上、それでやってきた。
Zoomを開く前に、AIに頼んで前夜に作った質問票を呼び出した。Timborg(ティンボーグ)の沿革、ふたつの特許出願、過去の取材記事5本のサマリー、創業者本人のSNS発言の抜粋。AIに相談すると、収集・整理してくれている。眠りざめの頭でも、画面を流し読むだけで、取材の地形図がうっすら立ち上がってきた。
Zoomを起動する。カナダはまだ前日の午後2時半。明るい執務室から、Mason Whittaker(メイソン・ウィテカー)がにこやかに手を挙げた。Timborgの創業者、40代、林業出身ながら、コンピューターサイエンス専攻。
「Hi, Mori-san. Thanks for making time so early.」
(やあ、森さん。こんなに早い時間にありがとうございます)
「Thank you for joining. Let's start.」
(ご参加ありがとうございます。始めましょう)
Masonの話の骨格は、こういうことだった。林業は重労働、若手は減るいっぽう。だから外骨格スーツで身体の負担を抑え、AI連動のチェーンソーで切る角度や動力を制御する。電波の届かない山中は低軌道衛星で補い、熟練の達人が遠隔から若手の安全を見守る。Masonは自分の体に装着しつつ、昨日を説明していった。
ひとつのキーワードが、森の頭の片隅で点滅して離れなくなった。
Timborg。Timber(ティンバー:材木) と Cyborg(サイボーグ) を掛け合わせた社名だ。
森は普段から、「サイボーグジジイになりたい」と言っている。仕事するときの脳の半分以上は、もうMacBookとクラウドの中にある。56歳がまだ現役で走れているのは、その仕組みのおかげだ。経験は化石燃料、AIは過給機。身体は錆びていくが、エンジンは年々パワフルになる。
Masonは、その思想を、北米の森のなかで、外骨格とチェーンソーというハードウェアで、すでにフィジカル世界に実装していた。
俺もいざとなったら、木を切り倒して稼げるのだろうか。チェーンソーとMacBookを両手に抱えて……
くだらないことを考えつつ、不明点を質問していたら、30分はあっという間だった。
音源を保存し、Zoomを閉じる。
100万円足りない朝に、こういう取材で世界が広がるのは、救いだな、と森は思った。
7時半。
次の予定は、11時からのオンライン取材。それまでに、現在の受注案件を一度、棚卸ししておきたかった。
森は物理のノートをひらいた。スクリーンより、紙のほうが頭が整理できる、と昔から信じている。
今日が3月23日、月曜。週末をはさんで31日、火曜が、月末。消費税の納付、外注費の支払い、売掛100万円の入金、メインのクレカの50万の支払い全部がそこに重なる。
あと1週間あまり。100万円ぶんの現金を、その日までに手元に集めなければならない。
「集めなければならない」と、頭のなかで言ってみる。集まる気配は、まったくしない。
じゃあ、いま受注は手元にいくらあるのか。
メディア向けの記事が3本、5万円×3で15万円。媒体はそれぞれ違っていて、2本は先週までに取材済みで素材も揃っている。さっきのTimborgが3本目だ。
次に、代理店のAnchor企画(アンカーきかく)からの地方DX事例集。デジタル通信庁の案件で、10万円×5本=50万円。先週までに4本ぶんは現地取材を済ませた。残り1本が、このあと11時のオンライン取材だ。
さらにPR会社のBridge Communications(ブリッジ・コミュニケーションズ)からの仕事が2つ。企業インタビュー16万円と、企業の新プロダクトWebサイトのワイヤー16万円、合計32万円。これは水曜以降の取材到着待ち。
合計、10本、97万円。
不足が100万円、受注が97万円。数字だけ見れば、だいたい追いつく。問題は、納期と入金のタイミングだった。通常、1つの案件の納期が1〜2週間。納品して請求書を切って、入金は翌月末、悪くすると翌々月。それを、4.5日で全部回して、月末までに現金まで持ってこれればいい。
森は手を止めて、窓の外を見た。
請求書を、現金にしてくれるサービスがあった気がする。いつも仕事を依頼するフリーランスの加藤くんが、いつかそんな話をしていた。サービス名は思い出せない。手数料がどうとか、銀行が連動するとか、ぼんやりした記憶だけが、頭の隅にあった。
あとで調べておくか、と森は思った。
頭のなかでパターンを組もうとしたが、糸はぐにゃぐにゃと絡まったままだった。
とりあえず、さっきのTimborgの音源だけは、AI使って文字に変えておくか。森はいつものスラッシュコマンドを、一行だけ叩いた。次に画面に戻ってきたときには、きれいに整理されたテキストになっているはずだ。自分で打ち込むより、任せたほうが早いものは増えてきた。
そろそろ、地域DXの取材時間が迫っていた。取材先は、森の地元、宮崎県の自治体だった。地元なのに、現地取材がない。帰って地鶏の炭火焼きやレタス巻でも食いたかったのだが、残念だ。
10時55分。Teamsの招待リンクを開く。バーチャル背景を設定し、髪型を整えて、ぎこちなく口角をあげて参加承認を待つ。
ウィンドウに、3つのタイルが並んだ。正面のタイルは、会議室の様子だった。1台のノートPCを、5人で覗き込んでいる、取材を受ける側だ。全員、マスクをしている。残りの2タイルは、こちら側のメンバー、有識者の黒田正志教授と、デジタル通信庁の担当者だった。
宮崎県・尾鈴山市の地方DX事例。アンジーへの直接の発注元は、長年の付き合いがある制作会社、Anchor企画だ。さらにその先には、大手広告代理店の伯明堂(はくめいどう)をはさんで、通商省のデジタル通信庁の担当者がいる。
尾鈴山市の事例は、ふるさと納税のサプライチェーンにAIを入れて透明化する、というやつだった。プロジェクト名は「DOGENKA(どげんか)」。
尾鈴山市の5人は、それぞれ役職が違った。市役所、市議会、民間アドバイザーから、ひとつのカメラ映像におさまっている。
このシリーズで、森はインタビュアーとして矢面に立たない。記録係として同席し、質問は黒田教授が回す。原稿は最終的に、先生の記名で出る。先生のゴーストライターってわけだ、脳も半分、体も半透明みたいなもんかな……と森は心の中でつぶやいた。
顔合わせの挨拶の途中、回線が一度、途切れた。
「このへんは、回線が遅いっちゃが」
誰かが言って、笑いが起きた。誰の声か、まだ森には聞き分けがつかなかった。森は心の中でつぶやいた。
これ、文字起こしも俺がやるんだぞ。どんげかせんと……って、ちがうか。
1時間の取材を、森は前のめりで聞いた。マスク、PC1台、不安定な回線、その三重苦のなかで、誰が何を言ったかを、耳だけで拾い続けた。幸い、宮崎弁はネイティブだ。
印象に残ったのは、AIの運用基盤だった。HCS AI Bed(エイチシーエス・エーアイ・ベッド)。HCSは、Helix Cloud Services(ヘリックス・クラウド・サービス)の略称。世界屈指クラウド事業者で、アンジーは、HCSが日本に上陸する前の2008年から使っている。
12時、取材終了。森は音源を保存し、「ありがとうございました、失礼します」とTeamsを閉じた。
森は立ち上がってコーヒーを淹れた。マグカップを手にデスクへ戻りながら、忘れかけていたもうひとつのことを思い出した。
ゴウアン。
15年前、アンジーでバイトをしていた、合田アンだ。いまはジョージアで暮らしている、らしい。昔はグルジアと呼ばれていた国だ。先週面談して、リモートで進行管理を頼むことにした。時差は5時間、俺が寝てる間に案件の整理をお願いできる。
昔話のあと、森は、最近のAI活用について、自慢げに語ってしまった。
「こないださ、新しいMacBook Pro買ったんだよ。M5 Proの50万円スペック。AIやるなら、これだよ」
ゴウアンが「ジョージアの回線だと、東京とのビデオ会議、もたつくんですよね」と言えば、すかさず、
「ステラリンク契約しちゃえばいいじゃん。低軌道衛星の通信サービスのさ。なんなら通信代、こっちで出しちゃろかい」
先週の森は、口座にめずらしくまとまった現金があり、消費税の通知書はまだ郵便の山の下で眠っていた。100万円足りないと気づくのは、今日の朝のことだ。
あのときの自分を、いまの自分が、頭のなかで軽く小突きたくなった。
ジョージアの時計は、いま朝の7時。あと30分ほどで、ゴウアンが合流する。
マグカップをデスクに置き、森は椅子に座り直した。
ノートに、これから動かすタスクをリストアップしてみた。
・メディア系3本 文字起こし → 執筆 → 納品(Timborg含む)
・代理店A 5本 文字起こし → 執筆 → 納品(尾鈴山含む)
・代理店B 2本 水曜以降の取材 → 執筆/ワイヤー → 納品
・「請求書を現金にしてくれる会社」、調査と申込
・月末払いの段取り(消費税・外注費・カード)
あと1週間、月末までになんとかしたい。
森は、ノートの余白に、黒のサインペンで、その数字「100万円」を大書きした。
書いた瞬間、現実感が、もう一段、深く沈んだ。
モニタの隅、ターミナル画面の窓が、次のコマンドを待っていた。
Slackの通知は、まだ来ない。
森は、コマンドラインに、指を置いた。
Enterキーを、叩いた。
▶ NEXT:第2話 我が社は下請法を遵守します
『AI、ときどき、詐欺』 もくじ
第1話 100万、足りないだと……
第2話 我が社は下請法を遵守します
第3話 ハロー Molly-san.
第4話 知ってるのに、やる
第5話 ソンタク、してないか?
第6話 飾り気のないスタイルですよね?
第7話 お前は俺か?
第8話 ハーネスは、傷跡から生まれる
第9話 いちじゅうひゃくせん
第10話 日出ずる国……でよかった
第11話 お前、ほんと俺だな
エピローグ AIのせい? 自業自得ですよ
本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。
あの編集部の、影の話……姉妹作:お仕事ホラー「伸びしろ」配信中!
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