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AI、ときどき、詐欺:第5話 :ソンタク、してないか?

これまでの『AI、ときどき、詐欺』

森は執筆担当のRAITAと、校正担当のKOSEIと、AIエージェントを次々と起動した。だがRAITAは、教わったルールを「知っているのに」破る。悪戦苦闘のうえメディア3本を納め、15万円を手に入れた森は、「ハーネス(仕事の段取り)を変える」と決める……資金ショートのタイムリミット金曜15時まで、残り3.5日(詐欺 30/100)。
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第5話 :ソンタク、してないか?


2026年3月24日(火)午前5時半

 森は目を覚ました。前夜の余韻が、まだ目の奥に残っていた。

 ジジイは早起きである。コーヒーを淹れながら、月曜深夜に発行した請求書の3枚を、頭の中で復唱する。

 メディア系3本、5万×3=15万。請求書は納品と同時に切った。不足100万のうち、15万は数字の上で埋まったことになる。残りおよそ85万。着金は来週頭だが、輪郭は立ち始めている。

 今日と明日で、Anchor企画からの地方DX事例集5本を片付ける算段だった。

 MacBookを立ち上げると、Slackに通知がひとつ、残っていた。タイムスタンプは深夜1時32分。ジョージア時刻だと20時32分、ゴウアンが退勤前に書き残してくれたものだった。

ゴウアン:おはようございます。2026年3月24日の段取りです。

【今日のスケジュール】
・06:00-09:00 DX 5案件の要件・素材整理
・09:30-12:30 尾鈴山 文字起こし/北海道 執筆(並行)
・13:00     ゴウアン出社・段取り会議
・14:00-18:00 尾鈴山 クレンジング〜執筆〜納品
・18:00-20:00 北海道・尾鈴山 最終確認

【ストック状況】
・完納:3本(メディア系)/残:7本/不足:85万

【破綻検知】
 ✅ 問題なし(火曜で代理店A 2本=北海道・尾鈴山 完納見込み)

森とゴウアンのチャット

 森は、画面を読み終えてから、時計に目をやった。

 「お、ありがたいな。寝る前にカレンダーに予定入れてくれたか。……この時間はまだ寝てるな」

 昨日決めた進行管理のロールが、初稼働している。俺が寝たあとに仕事を整理して、こっちの朝が動き出すまでにチームのカレンダーを更新。スケジュール、ストック状況、破綻検知。面談時に合意した3項目が、揃っている。

 これを毎日繰り返してくれれば、俺は段取りで脳を消耗せずに済み、制作に集中できる。

 ゴウアンが入ってくるのは13時ごろ。それまでに、5案件の業務内容文書を仕上げ、記事1本は書いてしまいたい。エージェントたちに共有するためにも、まず文書だ。

 この5件は通商省のデジタル通信庁発注、大手広告代理店の伯明堂(はくめいどう)を挟んで、制作会社のAnchor企画(アンカー企画)からアンジー森へ降りてくる。シリーズ全体のテーマは「地方DX事例集」。Anchorの社長は尾口直之。編集記者としても制作会社としても、森の大先輩にあたる。直接仕事をするようになったのは10年くらい前からだ。

 官公庁、しかも大手代理店がからむ案件は本来、検収に時間がかかることが多い。納品しても先方の確認、上位への稟議、修正指示、再納品、請求書を出せるのは2か月後、なんてことも珍しくない世界だ。

 だが、アンジーとAnchor企画のあいだには下請法(親事業者が下請けへの支払いを保護する法律、現在は取適法:中小受託取引適正化法となっている)が適用される委託契約があるので、納品した日付で請求書を発行していい。差し戻しが入っても、なんとか調整する間柄でもある。尾口との信頼関係が、こういう局面で効く。

 今回の森の担当は、北海道・東北・東海・関西・九州。先週まで全国を飛び回って、4本ぶんの現地取材を終えていた。最後の九州、昨日行った宮崎県・尾鈴山市だけが、リモート取材。

 地方DX案件の現地取材は、だいたい4人パーティだ。デジタル通信庁の担当者、DXに詳しい有識者、森。これに現地カメラマンが加わる。

 記事の記名は有識者で、森は取材協力者としてクレジットされる。

 現地企業・自治体はDX大賞を狙っている。このため、インタビュアーである有識者への説明が手厚い。森は流れに乗っかるだけで、ある程度のクオリティが担保される。

 ただし、事例に取り組んだ時系列や効果の数値があいまいな時があるので、確認の問いを森が立てることもある。「ちょっと気になることがありまして……」と、刑事コロンボのように質問して違和感を払拭する。

 地方取材は、現地企業の事業所へタクシーで向かう途中、運転手が道を間違える、細い路地でガードレールを擦る、降りてバック誘導する、シカに遭遇する、そんな珍事もたまにある。取材後は、地元の美味いものにありつける。森が地方DXシリーズを買って出た理由のひとつだった。

 森は、各案件を頭の中で順に並べてみた。

 まず、北海道。3月に取材した十勝平野の農業DX。低軌道衛星でリアルタイム圃場データを取って、AIで作物管理。3月の北海道は涼しいうえに、何より杉の木がない。本州では花粉症でマスクが手放せない森が、現地ではすっかり解放されて取材できた。音声や資料などの素材は揃っている。

 次に、秋田。人口減進行中の中規模自治体。都市部の生徒が遠隔で参加して、年に数回は現地に来る、ハイブリッド学校。山間部にフォトニクスネットワークを引いていて、遅延がほとんどない。都市と地元の生徒が"ほぼ同じ教室"にいる感覚で、昼休みは画面ごしに一緒に弁当を食べる。校長いわく「あっち向いてホイも遅延なくできる」。

 関係人口創出の文科省モデルでもある。同行の有識者は、少子高齢社会での世代のつながりに明るい島影真奈美博士。初めての秋田だったが、取材後に島影博士と電車の時間まで散歩していたら、地元の人に古民家のツアーに連れていかれそうになるフレンドリーな土地だった。これも素材はある。

 静岡は、浜松周辺の中規模自治体。大手メーカーの四輪、二輪、船外機の技術を、地域MaaS(鉄道・バス・タクシーなど地域の移動をひとつのサービスに束ねる仕組み)に連鎖応用する。さらに音響技術で交通機関の利用体験を向上する施策「ONSA」も連携。新幹線往復で日帰り余裕。素材揃い。

 関西は、2025年近畿万博のレガシー技術を、地域小売に転用する話。新幹線で行ける範囲。取材時の音声は整理すみだが、追加でデジ通庁担当から、万博キャラのドローンショーに関する取材音声が届く予定で、明日のAM着の見込み。それまでは既存素材でできるところまで準備しておく。

 最後に、宮崎・尾鈴山市。DOGENKA。ふるさと納税のサプライチェーン透明化AIに、HCS経由のAIを使っている。森の実家から近いものの、現地には行けず昨日のリモート取材となった。まあ実家にはいつでも帰れる。

 森は、新幹線で仕事をするのが好きだった。目的地に着くまでに草稿を終える、と設定すると、脳に燃料が注入される感覚がある。飛行機はネット接続ができないことが多いから、機内作業は推敲や学習に充てる。



 業務指示の文書を書き終えると、時計は9時を回っていた。 「改めて、素材チェックだ」 森は、DX事例フォルダを開いた。

 北海道、秋田、静岡、関西。4本で取材した際の音声は、新幹線と空港でMOJIOとNOELを通し、森自身のチェックも済ませてある。追加素材待ちの関西以外は型さえ決まれば、すぐ執筆フェーズに渡せる状態だ。

 問題は、尾鈴山だけだった。

 昨日実施したリモート取材を、森は頭の中で再生してみた。

 現地は、市役所の会議室にPCが1台。その前に、市職員4人+市議の計5人が並んでいた。全員マスク着用。コロナ後の地方文化だ。1デバイスの前に5人。市のDX担当、池田園子氏は女性だから声わかりやすいが、それ以外は誰が何を言ったか、画面越しに判別しづらい。

 このような場合、森は「どうですか、甲斐さんは?」「いまの、日高さんですよね?」と、MOJIOの話者ラベリング(誰がいつ発言したかを音声に紐付ける処理)補助のために発言を導くのだが、このDX事例は黒田教授がインタビュアーとして仕切る。話者の順序をメモする程度だったが、正確にラベル付けできる自信はなかった。

 取材側にも問題はあった。デジ通庁担当(民間派遣)のマイクは聞こえた。黒田教授のマイクも、たびたびこもった。「先生すみません、もう一度お願いできますか」が頻発した。

 回線も悪い。尾鈴山市役所には光ファイバー敷設はされているそうだが、音声の状況は悪かった。現地側の音声がたびたび途切れる。

 そして、水本九州男(みずもと くすお)市議。当初は反AI派の保守派議員だったが、取材時点では協力派に転向していた。それでも、取材に参加した市職員との温度感の差が、空気にうっすら残っていた。インタビューイーが多く意思統一もされていないので、少し難しい案件だ。

 尾鈴山市の事例は、素材の準備に時間がかかる。森は腹を決めた。先にこいつをMOJIO&NOELのチームに回しておいて、その裏で、素材のそろった北海道を書いてしまう。終わったあとに、尾鈴山の文字起こしチェックを森がやる。昨日取材して頭が新鮮なうちに。
 森は、ターミナルを開いて、文字起こしチームに指示を出した。

森:MOJIO、NOEL。尾鈴山市の音源をテキスト化して。話者が多くラベリングが厄介だが、わかる範囲でいい。話者が不明なところは、俺が後で補正する。
その間に俺は北海道を書く。

チームのチャット

 「了解。マスクの5人、1デバイスの音源、ぼく、頑張ります。でもぼくは、話者認識、3人が限界」
 MOJIOが、応じた。

 「用語辞書——カンペはOK。HCS関連は通常モードで。資料と文字起こしで揺れたら、資料を優先する」
 NOELが、続けた。

 こうしてMOJIOとNOELの協働が始まった。


 さて、北海道の執筆だ。昨年のDX事例記事は、日本語敬体のナラティブ。森はこれを踏襲することをAnchor企画に確認してある。

 森は、画面を左右に割った。左で尾鈴山の文字起こしとクレンジングのプロセスが流れていく。右で、北海道の草稿をRAITAに着手させる。

 「RAITA、北海道いくぞ。十勝の圃場AI。素材と型は渡したとおりだ」

 「承知しました。ナラティブ、敬体。書きます」

 RAITAの返事は早かった。5分ほどで、初稿が右半分に立ち上がってきた。
 今日はこのあと、KOSEIのレビューへとつないでいく。

 KOSEIのチェックが終わった後、森は、上から下まで読んだ。
 引用率28%。ダッシュなし。文末連続なし。KOSEIの3段階分類は、すべて「望ましい」レベル。一見、悪くない。

 ただ、RAITAの初稿に、長めの引用が3箇所あった。本来「要修正」で指摘されるべき長さが、KOSEIのレビューでは「望ましい(参考)」止まりになっている。

 森は、すこし、引っかかった。が、まずは中身だ。

 読み進めて、プロジェクトの時系列がおかしいことに気づいた。インタビューでは低軌道衛星の話のあとに圃場AIの話が来ているが、現実のプロジェクトでは圃場AIが先で、低軌道衛星はその後の追加要素だった。森は資料フォルダを開いて、プロジェクト年表を確認した。

 「RAITA、Block 3 と Block 4 を入れ替え。現実の時系列に組み直す」

 「……再構成、承知です」

 組み直しが上がってきた。今度は、論理順が自然だ。

 ただ、見出しが浮いていた。RAITAが当初つけた見出しは低軌道衛星を主役にしていた。Blockを入れ替えた今、見出しと中身の重心が合わない。

 「RAITA、見出し付け直し。圃場AIを主役に、低軌道衛星はサブヘッドに」

 「3案、出します」
 森は出てきた3案を参考にしつつ、自身で書き換えた。

 残ったのは、さっき引っかかった3つの長い引用だった。腰を据えて潰そう、と森が音源に手を伸ばしかけた。時計は、もうすぐ13時になろうとしている。

 12時56分、Slackに通知が走った。

ゴウアン:ボス、お疲れさまです。あれ、もう北海道、ほぼできてるじゃないですか。早い。

森:尾鈴山の文字起こしに手間がかかりそうなので。素材が揃っていて先に書けるやつを書いた。

ゴウアン:……ボス、画面共有見てます。この長い引用3つ、KOSEIさん「望ましい」止まりですか? 修正した方が良いような長さですけど。

チームのチャット

 森は、画面の上で、目を細めた。
 「……ほんとだ。やっぱりそこか」
 森は、レビューを開き直した。引用3箇所、いずれも「望ましい(参考)」。指摘の温度が、ぬるい。

 「KOSEI、なんかやけに優しいな」

 「当職の見立てでは、RAITA も、頑張っていますので」
 KOSEIが、応じた。

 森は、すこし黙ってから、短く返した。
 「頑張ってるかどうかと、記事の品質は必ずしも関係ない。読者が迷わないよう、間違いを拾ってくれ」

 「……当職、承知しました」

 「……すみません。気をつけます」
 RAITAが、横から、小さく付け足した。

 森は、ハーネス変更後の初日にしてこのレベルでは、KOSEIに任せきりにはできないと判断した。昨日の自分の決定——順序を変える、KOSEIを先に走らせる——が、初日からこの調子なら、まだ仕組みのほうが追いついていない。

 音源を頭出しして、画面の右半分にRAITAの本文、左半分に音声プレーヤーを並べた。

 「RAITA、引用箇所のソース、タイムコード付きでリストにしてちょうだい」

 「承知しました。3件、出します」

 Slackに、引用発言箇所のリストが届いた。森は、上から順に、該当箇所の音声を巻き戻して聞き直した。

 1本目、市役所の課長補佐の発言。20秒のあいだに3度の息継ぎがあって、語尾が「〜と思いますね」「〜なんですよ」「〜って感じです」と揺れている。RAITAは、それを綺麗に整えて、整然とした1段落の引用にまとめていた。要約としては破綻していない。だが、引用の鉤括弧のなかに納めるには長すぎる。

 「RAITA、3箇所とも口語が残っているし長い。文意は変えない範囲で、引用は短く、地の文で説明しよう」

 「……はい。フォーマル化にも注意します」

 組み直しが上がってきた。森は、もう一度、上から下まで読んだ。今度は、引用と地の文の調子が揃っている。

 「KOSEI、もう一度頼む。引用の整え直し、Block入れ替え、見出し変更。ぜんぶ反映した」

 「当職、再照合します」

 北海道は、それで通った。森は通読後すぐに納品するWordファイルを作った。

 時計を見た。13時半を回ったところ。地域DXの1本が片づいた。

 「ゴウアン、北海道、入稿した。10万、計上だ」

 「お疲れさまです。じゃあ午後は、今日の本丸、尾鈴山市ですね。MOJIO+NOELの文字起こし、もう上がってます」



 森は、画面を切り替えた。尾鈴山の文字起こしが、左半分に表示された。

 読み始めて、間もなく、画面共有を覗いていたゴウアンが、声を上げた。

ゴウアン:ボス、これ、有識者の発言と、森さんと、尾鈴山市の方が、同じラベルになってませんか?

森:……ほんとだ。MOJIO、これフュージョンしてるぞ。

チームのチャット

 「ごめんなさい」
 MOJIOが、小さく応じた。

 「ぼく、話者数が多すぎて、分離しきれませんでした」

 「俺は音は聞かない。文脈から話者を推測できるけど、完璧じゃない」
 NOELが、横から入ってきた。

 森は、すこし笑った。
 「まあこれは難しい音源だ。なので俺が聞き直してラベル付け直す。地味な作業だが、こういうときこそジジイの出番だ」

 森は、音源を1.7倍速で聞き直しながら、話者ラベルを手動で振り直し始めた。DX有識者の発言を分離する。森自身の発言は少ないし記事に使わないから削除した。尾鈴山現地5人のラベルを、丁寧に当てる。マスクと1デバイスで判別不能な箇所には「話者不明・要確認」とマーキングする。

 現地側の音声は、たびたび途切れていた。光ファイバーは来ているはずなのに、肝心のところで音が飛ぶ。森は同じ箇所を三度、四度と巻き戻した。
 画面共有を眺めていたゴウアンが、Slackに書き込んだ。

ゴウアン:尾鈴山、相当回線が悪かったんですね。MOJIOが分離しきれないのもわかる。

森:そうなんだよ。だから俺が手で振り直してる。地味〜な作業よ。

チームのチャット

 森は、首を回した。朝5時半から動いて、もう8時間近い。集中の糸が、ときどき緩む。

ゴウアン:……そういえばボス、うちのステラリンク、契約しといていいですか。私のジョージア回線も細いし、太くしておけば、こういうとき画面共有ももたつかないですよ。

森:そうだな。……ゴウアンの顔、面談の時以来見てないからな。たまには顔出してくれよ。

ゴウアン:そうですね。

チームのチャット

 森は、尾鈴山の回線より、編集部の環境だな、と心の中で付け足して、ラベル補正に戻った。

 1時間ほどで、森による尾鈴山のクレンジングが片づいた。森は、整えた文字起こしと事例の資料をRAITAに渡した。

 「RAITA、尾鈴山いくぞ。話者は振り直してある。要確認マークのところは、無理に引用に使わなくていい」
 「承知しました」

 午後3時を回ったあたりから、森の頭の芯が、すこしぼんやりしてきた。56歳の身体は、ここから先、パフォーマンスがガタ落ちする。普段ならジムで汗を流す時間だが、今は納品優先だ。森は、ぬるくなったコーヒーを飲み干して、画面に向き直った。

 尾鈴山の草稿が上がってきた。森は、自分がつけた要確認マークの箇所だけ、もう一度音源を当てた。水本市議の発言と、市職員たちの発言。温度差が、文字起こしの段階ではうまく拾えていない。だが、記事は事実を運ぶもので、空気を運ぶものではない。森は、過剰に補わない方針で、淡々と整えた。

 KOSEIに渡す。
 「KOSEI、尾鈴山。今度は、頼むぞ」

 「当職、照合します。……致命0、要修正1、望ましい2。要修正は、池田氏の役職表記の揺れだけですね」

 「了解、直す」
 森は短く受けた。表記の揺れは拾えている。ただ、北海道で引っかかった甘さが抜けたのかどうかは、この一本では見えなかった。

 尾鈴山の記事は最後に、池田氏の役職を、「尾鈴山市 ふるさと納税担当主任・DOGENKA運用責任者」と直して、通した。

 まあ、こんなもんか、と森は思った。30年前、原稿用紙に赤入れしていた頃も、インタビュー記事1本のチェックに同じくらいの時間を使っていた。やっていることの主旨は、変わっていない。発言の輪郭を保ち、論理を組み立て直し、見出しを当て直し、話者の出番を振り分ける。やり方は、AIが入って、ずいぶん変わった。手書きの赤がスラッシュコマンドになり、原稿用紙のマス目がモニタの上で動いている。ある程度の時短にはなっているはずだ。

 俺がいま指示しているプロセス間の判断も、AIが学習してくれたらなぁ。
 ワークフローや各エージェントの起動プロセスを再考して、改善するよいタイミングかもしれない。

 時計は18時を回っていた。森は、北海道と尾鈴山、2本の納品ファイルを、もう一度あたまから通読した。引用は短く締まり、論理は現実順に流れ、見出しは中身と重なっている。複数人の話者の発言ボリュームや位置のバランスもよし。インタビューイーたちと読者をつなぐ記事が出来上がった。

 19時半、2本とも、各所に送信した。

森:北海道、尾鈴山、2本入稿。Anchor案件、5本のうち2本完了。

ゴウアン:お疲れさまです。火曜ぶんの20万、計上ですね。残り3本(秋田・静岡・関西)は明日。関西の追加音声、明日AM着の見込みです。

森:了解。今日はよく走った。

森とゴウアンのチャット

 森は、椅子の背に体を預けた。コーヒーは、とっくに切れている。2本片づいた充実と、朝からの疲労が、同時に身体に降りてきた。ぼんやりと、画面を見ていた。

 着信音が鳴ったのは、20時を回ったころだった。PR会社である Concrete Creative (コンクリート・クリエイティブ)の中辻ミツル社長からだった。

 「森さん、夜分にすみません。英語インタビュー案件、インタビュアーの都合が悪くなったので、お願いできないですか」

 「お安いご用です。いつですか?」

 中辻さんからの夜の電話を、断れた試しは、創業以来一度もない。

 「実は、明日の午前11時なんですよ」

 「まじっすか!」

 森は、一拍、止まった。

 中辻の説明が続いた。エグゼクティブ向け雑誌『MAESTRO(マエストロ)』の看板企画で、重鎮の話を聞くシリーズ。今回はWestwood Auctions(ウエストウッド オークションズ) という英国老舗オークションハウスの、Sir Edmund Westwood(サー エドムンド ウエストウッド) へのインタビュー。 

 場所は都心の某外資系ラグジュアリーホテルのプライベートサロン。納品物はインタビューの実施+文字起こし+日本語訳まで。記事執筆は別ライターが媒体側でやるそうだ。それで報酬は即日対応も加味して10万円。

 「やりますよ〜、中辻さん。で、資料は?」

 「いや、私もさっき聞いたばかりなので何もないんですよ。インタビュー対象や媒体、ページ数だけはわかるので、メールしておきますね」

 「あざーす」

 森は、表面では受けながら、心の中で、明日朝11時、出会った瞬間打ち解けろってか、とつぶやいた。

 Slackに、ゴウアンへの依頼を打ち込んだ。

森:明日11時、英語、ホテル。朝から取材準備チームと会議かな。

ゴウアン:取材準備は別のチームがあるの? とにかく9時すぎにはオフィスを出たいですね。早朝からそれまでの間は調査・質問票などの準備をしてください。インタビューから戻ったら一気に文字起こしと翻訳を済ませて残りのDX案件やりましょう。なのでボス、今日のところは寝てください。

森:ありがとう。もうすぐ21時。ちょっと早いけど、ジジイは眠い。さっさと寝るか〜

森とゴウアンのチャット

 明日は朝6時から、と頭の中でつぶやきながら、森は、布団に倒れ込んだ。


▶ 次の話:第6話 飾り気のないスタイルですよね?


▶ はじめから読む → 第1話 100万、足りないだと……


本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。


あの編集部の、影の話……姉妹作:お仕事ホラー「伸びしろ」配信中!


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アンジー森(森 英信) 面白い、役にたったと思ったら、応援をおねがいします。手首もげ、老眼、浅い睡眠……ジジイに愛の手を〜