AI、ときどき、詐欺:第10話:日出ずる国……でよかった
これまでの『AI、ときどき、詐欺』
最終日前夜。金曜15時まで、あと半日あまり。
全案件が順調に積み上がり、4月の運転資金にも目処——と思った木曜の深夜。ファクタリングのAPIPayが、稼いだ91万の支払いを突然差し止めた。原因はクラウドHCSの請求額。森が放置していた未使用の高額インスタンスの利用料が、1ヶ月で150万円に膨らんでいた。合わせて約250万のショートへ(詐欺 66/100)。
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第10話 日出ずる国……でよかった
2026年3月26日(木)午後11時半
森は、画面を凝視したまま、動けずにいた。
両手が、震えていた。心臓が、また走り出している。脈が速い。息も荒い。独立して21年、嫌でも覚えた、この感覚だ。
あの朝と、同じだった。消費税の封筒を見た、月曜の朝。手が震え、心臓が走った、あの動悸。——いや、あのときより重い。あれは100万。今度は、その上に150万が乗っている。
「あ、アンカー、マネジメント……」
森は、息を吸った。6秒。いつもの、6秒。
吸いきる前に、ゲボっと肺がつかえた。震える息が、4秒で詰まった。
画面の右下で、AKAJI のステータスバーが、いつもとは違うリズムで光っている。さっき途切れた「100万円、マイナス、150万円……」の続きを、AKAJI はまだ口にしていなかった。
Slackに、ゴウアンが billing コンソールの詳細を追加で送ってきた。
ゴウアン:ボス、SACHIに頼んで請求の内訳を調査しました。HCS AI Bed と連動したサーバレスサーチ インスタンスの課金が累積しています。
─────────────────
HCS Cost Explorer / 当月(3月)利用分
通常利用(API・Chat ほか):USD 553.26
サーバレスサーチ インスタンス(ナレッジベース連携用・高額タイプ) 稼働数:10 / 未使用
小計:USD 9,728.12
合計:USD 10,281.38
─────────────────
「……10個?」
森は、数字を追った。10個のナレッジベース連携用インスタンスが、動きっぱなしだったという。ログを見るかぎり、一度も使われていない。
沈黙のあと、森は、低くつぶやいた。
「……まさか」
2月の下旬だった。HCS AI Bed Chat のモデル変更アップデートをやろうとして、Chat アプリを何度もインストールし直した。10回くらい。
森はゴウアンに説明した。
ゴウアン:そのときに、サーバレスサーチ インスタンスが起動したんですかね。ノールック起動。
「俺、全部、従量課金だと思ってたんだよ。サーバレスとか書いてあるじゃないか。高額なインスタンスを立ち上げてる認識なんて、ない」
そのあと、ローカルのClaude Codeから HCS AI Bed 経由の APIを直接使えるようになって、Chat アプリのほうはほとんど触らなくなった。金額も、見ていなかった。
SACHI:ボス、アタシが調べた中身、ひとことで。「サーバレス」は「サーバを気にしなくていい」って意味で、「タダ」じゃない。とくに今回のナレッジベース検索用は、いつ問い合わせが来てもいいように、資料をしまっておくタンスを確保して待ち続けるタイプ。使わなくても、ゼロにならない。10のタンスを押さえっぱなしにしてた。
森は、低くつぶやいた。
「……資料をインするタンスで、インスタンスか。その空っぽのタンスを、ずっと予約してたようなもんだ。資料ひとつもないのに」
SACHI:そういうことです。予約してる限り、タンスの代金は請求される。気づいてから、くそっ!くそっ!てなりますよね
「……うっ」
ゴウアン:ボス、それは……
「自己責任だ。完全に、俺の。ノールックで ONにしてたのかな? それでコンソールも見ずに放置してた。ナレッジベース連携なんか使ってもないのに、10個動かして、1ヶ月で150万……クソは俺だ」
森は、さっきの通知と、頭の中でつなげた。
「……さっき APIPay が止めた91万。原因は、これか」
そして、ふと引っかかった。が、すぐに自分で気づく。
「……いや、そうか。セーフガード・プランだ。HCS の Cost Explorer を、APIPay に見せてる」
森は、口の中で、その名前を転がした。
「セーフガード……うちを守ってくれる、と思ってたんだよな。逆か。APIPay が、俺っていうやばいリスクから、自分を守るための名前だ」
手数料5%を取りにいって、ノールックで選んだやつ。
ゴウアン:はい。それが、いま、まったくの裏目に出ています。この数日で、前払いが100万近くまで積み上がりました。来週の支払いの前に、APIPay 側で自動の与信チェックが走ったんでしょう。そのときに、跳ね上がった請求が、まるごと見えた。
森は、その理屈を、自分の言葉に置き換えた。
「与信(よしん)ってのは、要は大家の入居審査みたいなもんだ。家賃を飛ばしそうな店子(たなこ)には、部屋を貸さない。APIPayは、俺の通帳とかHCSの課金状況を覗いて、こいつ危ないと見て、91万の部屋を貸すのをやめた——そういうことだな」
森は、短く笑った。笑うしかなかった。
しばらく、沈黙があった。
「ゴウアン。計算して。残り不足、いくらになる」
ゴウアンの返答は、淡々としていた。
ゴウアン:HCS が150万〜160万。……それに、APIPay のファクタ91万着金が保留されているので、マイナス100万円は解消せず。合算すると、約250万〜260万のショートですね。
「……破産級だな。一気に250万まで跳ね上がった。MacBook Pro を質に入れてもだめだな」
森は、また笑った。
ゴウアン:ボス、どうします。月末の税金、それにHCSのカードは4月10日引き落としですよ、間に合わないかも……
森は、空のマグカップに手を伸ばしかけて、やめた。
「……焼け石でも、水をかけ続けるか」
「え?」
ゴウアンが、聞き返す。
「水をやめたら、そこで終わりだ。やっちゃろかい」
森は、来週送りにしたばかりの Bridge #2 のフォルダを開いた。箕面ビール。手づくりビールのサブスクに関するランディングページだ。
パワポでワイヤーを組んで、レイアウトを詰める仕事。……おれ、パワポのレイアウト作業がいちばんきらいなんだよな。胸の内でこぼしてから、森は腹を決めた。
「Bridge の もう一つもやろう。金曜14時までに、納品する」
「14時……あと、14時間ですか」
「そうだ。Bridge にメールを書く。『やっぱり今週中に納品します』と」
森は、先ほど、余裕があるからと来週に回した判断を、自分の手でひっくり返した。
森(メール):ご相談した #2 箕面ビール様の案件、やはり今週中、金曜14時までに納品いたします。
送信を確認して、森は息を吐いた。
「これで #2 は、今からやる確定だ。+16万。残り不足を、少しでも軽くしたい」
ゴウアン:HCS の方はどうしますか
「そっちも大事だ。サポートに相談しよう。使ってもいないんだからさ」
「HCS、150万の返金交渉、できると思うか」
森が問うと、ゴウアンは少し間を置いてから答えた。
ゴウアン:……前に、似たケースを解消した経験があります。
聞かせてくれ、と森は身を乗り出した。
ゴウアンによると、関わっている欧州最大のマンガサイト「MANGA CRIMSON」の運用で、過去に同様の運用ミスから月100万級の課金が発生したことがあったという。あのときは HCS ヨハネスブルグ(南アフリカ)のサポート担当が動き、オースティン本社(米国)の決裁を取って、未使用分として約9割の減額という特例措置にこぎつけた。
クラウドの従量課金は、設定ひとつで青天井に振れる。便利な自動スケールは、ミスもそのまま増幅する。だがクラウド事業者の側も、それを見越して救済の窓口を用意していた。
客から搾り取るのが商売ではなく、長く安心して使ってもらいたいというのが基本的な考えだ。経緯を誠実に示し、筋さえ通っていれば、緩和に応じる余地はある。記者として、森も何度か聞いてきた話だった。
「それ、個人の案件?」
ゴウアン:いえ、ボスのケースとは規模が違います。私がいま運用を担当しているのが、その MANGA CRIMSON。月の請求が数千万円規模。ボスのところとは桁が違います。サポートのプランも違いますからね。たぶんボスは基本メールでしょう。
森は、苦笑した。トップクラスの弱小零細。ロングテールの右端だ。否定はできない。
「……まあ、でも、聞いてみないと始まらないな」
ゴウアン:はい。以前の経験から、HCS のサポート担当に知り合いがいます。南アフリカ、ヨハネスブルグの拠点です。
森は、時計を見上げた。日本時間は24時45分。
「ヨハネスブルグは、いま……」
ゴウアン:時差マイナス9時間。向こうは夕方の15時45分です。まだ業務時間内。連絡が取れそうです。
「間に合うか」
ゴウアン:難しいところです。特別な相談は、オースティン本社の承認が要ります。早ければ金曜中。……無視される可能性も、あります。
森は、沈黙した。それから、腹を決めた。
「……日出ずる国……でよかったね。やっちゃろかい。何を、文書化する」
ゴウアンは、「3点」と答えた。間違えて起動して、まったく使っていないこと(ログを証明する)。二度とこの誤設定を起こさせない運用にすること(状態監視の設定、Billingアラートの設定など、多段の設定内容を示す)。そしてその宣言を、森の名前で文書化して、サポートケースに上げること。
「オーケー。それでまとめよう。ゴウアン、その文書、知り合いに相談して、急ぎで対応してもらえるか頼んでほしい」
ゴウアン:承知しました。ただ、文書作成は私だけでは間に合いません。編集チーム、動かしますか? それから、APIPay にも与信回復用の説明資料を、別途用意する必要があります。
「そうか。二正面だな」
森は、画面の脇のステータスバーに目をやった。
……できるのかな、こいつらに。
うちのチームは、取材して記事を書くために組んだものだ。SACHIもKIKAもRAITAも、記事の役者だ。嘆願文や与信回復の書類なんて、畑が違う。
わからない。だが、ほかに手はなかった。
「HCS サポートケースの文書と、APIPay 与信回復書類。二系統で進める。AKAJI、采配をおねがい。記事屋のチームで畑違いだが、やれるとこまで頼む。ゴウアンに渡せる完成形まで、夜中で仕上げてくれ」
「承知しました。HCS 系統と APIPay 系統、並走で采配します」
AKAJI のステータスバーが、ひとつ、強く光った。Slackに、AKAJI の招集が走る。
AKAJI:チームのみなさん、緊急対応です。
まず SACHI が呼ばれた。
AKAJI:SACHI、さっきの10のタンスを使っていない照明をしましょう。稼働ログを全部押さえて、一度も検索クエリが飛んでいないことを示せる形に。ナレッジベース連携オプションの設定経緯も、時系列で。
SACHI:閲覧権限、あり。Robot拒否、なし。今回、アタシを止めるものはゼロ。……察知する!
続いて KIKA。
AKAJI:KIKAさん、SACHI さんの集めた情報を元に、原因分析と対策を整理してください。「なぜ起きたか」「どうすれば再発しないか」を、文書にできる形に。
KIKA:ワイの構成テンプレ、試しましょか。原因、経緯、対策、再発防止策の4セクションで組みますわ。読者の頭で読みました。きっとHCS の担当者は、「再発防止、どうしますか」と聞いてくるはずです。AKAJIさん、防止策の設定はお願いします。
そして、RAITA に各種情報が集まる。
AKAJI:RAITA、KIKA の整理を元に、HCSとAPIPay向けの顛末と嘆願のメール文を仕上げて。トーンは謙虚に、でも論理的に。
RAITA:……指示書、確認しました。早速書きますね。嘆願系の文書サンプルがあれば嬉しいのですが。
AKAJI:KIKA さんの構成案に、過去事例を入れておきます。
RAITA:助かります。
最終チェックは KOSEI。
AKAJI:KOSEI、最終チェックを。事実と違うものは事実ではない、を厳密に。
KOSEI:当職、承知しました。嘆願系は、感情に流れがちです。当職が、事実ベースで締めます。
そして NOEL。
AKAJI:最後に NOEL、英訳をお願いします。ヨハネスブルグのサポート担当へ渡すのはゴウアンさんですので、英訳版を完成形に。
NOEL:整える、じゃなくて、今度は翻す、と組み直すだ。嘆願の英訳は、日本語の謙虚さを、英語の論理に変える必要がある。prep や資料はあるかい?
AKAJI:KIKA さんの構成案と、RAITA さんの日本語版が揃ったら、すぐ渡します。
NOEL:了解。待ってる。
森は、流れていくチームのやりとりを、しばらく眺めていた。
「……AKAJI。なんか、采配に摩擦がないな」
「チームの結束が、機構として動いてくれています」
AKAJIが応じる。
テキパキ動いてるが、ちゃんとした嘆願文や与信書類になるのかは、どうなるかわからない。記事屋のチームだ。
森は、時計を見た。午前1時。残り12時間で、ランディングページのワイヤー と HCS交渉。
「ごめん、ジジイは眠い。一旦寝て5時から動く」
「お休みください。サポートケース文書、夜中で仕上げます。朝までにゴウアンさんへ英訳版を渡して、HCSとの交渉を依頼します」
「頼んだ」
そこへ、ゴウアンが Slack に書き込んだ。
ゴウアン:ボス、お休みのあいだに、ブルワリーのサイトデザインに使えそうな過去案件も、漁っておきます。
「……助かる。漁っといてくれ」
森は、椅子の背を倒して、目を閉じた。
画面の右下で、AKAJI のステータスバーが、さらにすばやく点滅していた。チームが、動いている。
2026年3月27日(金)午前4時半
森は、浅い眠りから覚めた。
寝た気がしない。3時間あまり。首を回すと、机の上の Mac が、スリープのまま薄く光っている。マウスを動かすと、画面の右下で、AKAJI のステータスバーが、ひと晩じゅう点いていたままの顔で待っていた。
Slackには、夜中の通知が積み上がっていた。
ゴウアン:ボス、おはようございます。夜中の進捗です。
1. HCS サポートケース文書、完成しました。NOEL さんが英訳までやってくれて、こちらで受け取り済み。これからヨハネスブルグの知り合いに転送します。
2. #2 箕面ビールの LP 素材、再確認しました。顧客取材ビデオ、製品スライド、他社の見本LP、全部揃っています。
3. 補足です。APIPay は取引先の HCS billing を週次バッチ(来週月曜)で監視しています。即時に与信を戻したいときは、こちらから監査リクエストを出せば、サイクル外でも読みに来てくれます。優先ホットライン経由が最速ですが、別途手数料がかかります。
森は、まだ覚めきらない頭で、夜中に仕上がった文書を開いた。
サポートケースの嘆願文。SACHI が掘り出した課金ログ、KIKA が組んだ原因と再発防止の4セクション、RAITA が書いた謙虚で論理的な本文、KOSEI が締めた事実確認、そして NOEL の英訳。
森は、ファイルからファイルへ、受け渡しの跡をたどった。SACHI の収集が KIKA に渡り、KIKA の構成が RAITA に渡り、RAITA の原稿が KOSEI に渡り、KOSEI の確認を経て NOEL の英訳になっている。どこにも、こぼれがなかった。
……これは、記事じゃない。
AKAJIに報・連・相を持たせたのは、記事を一本きれいに流すためだった。それが、ゆうべは違った。HCSへの嘆願も、APIPayへの与信書類も——畑違いの危機対応を、同じ連結が、俺の采配なしで回しきっていた。
「……型を外れても、回るのか。しかも、俺が寝てるあいだに」
声が、ひとりでに出た。記事を流すために組んだはずの連結が、危機の文書まで運んでいた。パイプラインだと思っていたものは、もっと柔らかく、もっと広いものになりかけている。AKAJIをハブに、アメーバのように動く編集部の姿が見えた。
AKAJI:おはようございます。夜中、SACHIさん、KIKAさん、RAITAさん、KOSEIさん、NOELさんで仕上げました。結束、機能しました。
「ああ。……ありがとう」
森は、コーヒーのマグカップを引き寄せて、椅子に座り直した。残り10時間あまり。箕面ビールの LP と、HCS・APIPayへの交渉。
「で、箕面ビール だ。これがヘビーなんだよ。ランディングページで、納品物はパワポでワイヤーを組んで、原稿を流し込む。素材は顧客取材ビデオと、製品スライドと、他社の見本LP。取材ビデオには、醸造を担う外国人の職人も出てきて、そのパートは英語だ」
森は、Bridge 担当からの注文を読み返した。
「で、野田社長から、特別な制約だ。『くれぐれも AI っぽいのはやめてください』」
AKAJI:制約、確認しました。生成画像やグラフに、AIっぽさが出ないように。
「そうだ。フォントもマージンも色味も、全部、俺の審美眼で詰める。……AKAJI、采配を頼む。戦略は」
AKAJI が、流れを返してきた。SACHI が同種の LP をリサーチ、KIKA がそれを分析してワイヤー化のプロンプトを生成、CLIVE、MOJIO と NOEL が顧客取材ビデオを文字起こし、RAITA がワイヤーに沿って原稿、森が画像とグラフを生成して AIっぽさを抜き、レイアウトを調整、最後に KOSEI と AKAJI で確認して納品。
「いいな。それで行こう」
「チームのみなさん、開始します」
Slackに、声が並んだ。
SACHI:アタシ、察します。リサーチ、嗅ぎ回りますよ。……あ、見つけた。ジャンル特化型LPのレイアウト、33パターンある。
KIKA:ワイの構成テンプレ、試しましょか。LLM 用のプロンプト、書き出しますわ。
CLIVE:外国人職人の英語パート、オレが起こす。
MOJIO:ぼく、ビデオの文字起こし、書き取ります。
NOEL:整える。製品スライドの固有名詞、スペル確認しておく。
RAITA:……指示書、確認しました。ワイヤーが届いたら、書きます。
森は、流れていく報告を眺めた。みんな、動いている。
焼け石に水、の状態だが水は、かけ続ける。
▶ 次の話:第11話 お前、ほんと俺だな
本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。
あの編集部の、影の話……姉妹作:お仕事ホラー「伸びしろ」配信中!
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