AI、ときどき、詐欺:第2話 :我が社は下請法を遵守します
これまでの『AI、ときどき、詐欺』
月曜の朝、消費税の納付通知で「100万円足りない」と気づいた編プロ社長・森。今週中に、現金をかき集めたい。受注の棚卸しを済ませ、15年前のバイト・合田アン(ニックネーム:ゴウアン)を進行管理に迎えることとなった。残り4.5日、カウントダウンが始まる(詐欺 9/100)。
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第2話 我が社は下請法を遵守します
2026年3月23日(月)正午
モニタの中で、AI編集部OSの起動ログが流れて、止まった。
森は、それを見て、何をどう動かすかを考える前に、コーヒーを淹れ直したくなった。
合流までのあいだに、午前中の棚卸しの内容を、ゴウアンに渡せる形に整理しておこうかと思った。
……すこし、目が重かった。
朝5時から動きっぱなしだった。Timborg、棚卸し、尾鈴山。脳の半分がクラウドの中で回っていても、もう56歳の体は100%生身だ。
森は、デスクに置いたノートの上に、ふっと、額をつけた。
まぶたの裏で、先週の水曜が再生されはじめた。
2026年3月18日(水) Zoom画面
「お久しぶりです、森さん」
ゴウアンが軽く頭を下げた。15年ぶりに見るのに、思ったほど変わっていない。マンガ志望の大学生だった頃の、頭の回転の早さだけが、輪郭をひいて残っていた。
「ジョージア、ちょっと回線が細いので、カメラ落としますね」
ゴウアンの顔が、アバターに変わった。アルファベット2文字、「GA」。
話は、編プロの仕事の地形図に流れた。アンジーが得意なのはテック系やエンタープライズIT系のコンテンツと英語インタビュー。取れないのは人材系、オウンドメディア、ライフスタイル。
「Claude Code、使いますか」
「使うよ。」
「じゃあ、スケジュールだけでなく、ハーネス(AIエージェントの実行基盤)設計の相談、乗れます」
契約の話に、切り替わっていた。
「契約は1週間試用、東京の最低賃金で」
「いやいや、設計してくれたハーネス利用料の一部を、印税的に払うようなことにしてもいいよ」
言ってから、すこし、口が滑ったかな、と森は思った。
ステラリンクの話が、別のレイヤーで重なる。
子どもの世話があるので、今後はSlackかメールで、とゴウアンが言う。
了解、と森が返す。
いつのまにか、話はSlackに移った。
森:スケジュール管理が破綻しそうなんだよな
ゴウアン:じゃあ私がカレンダー見て破綻検知しますよ
森:ジムで走るのが日課だから、そこはあけといてね。それだけは死守だ
ゴウアン:体が資本ですからね、ジムの時間は確保します。あとは、死なない程度に空きスロット埋めますね
ピロン、と音が鳴った。
森は、顔をあげた。デスクの上のノートに、よだれの線がついていないことを、まず確認した。
Slackに、新しいメッセージが届いていた。
ゴウアン:おはようございます、森さん。こちら7:30、出社しました。
夢のなかで重なっていた音と画像が、いっせいに、ほどけて消えた。
森はキーボードに指を置き、「合流、ありがとう。さっそく相談がある。月末に100万円、足りないことがわかった」と打った。
森はゴウアンに、朝のノートの数字を渡した。Slackのスレッドに、案件と単価と素材状況を、整理して並べる。
・メディア系 3本(5万×3=15万):素材揃/Timborg含む
・代理店A 4本(10万×4=40万):素材揃/先週の現地取材ぶん
・代理店A 1本(10万):月曜11時取材実施済/文字起こしこれから
・代理店B 2本(16万×2=32万):取材一部後送・3月25日着予定
ゴウアンが、リストをなぞってから言った。
「15年前なら、3週間はかかる仕事ですね」
「……だろ。それを、4.5日だ。どんげかして〜」
「だけど、AI時代でよかったですね。ハーネス、もう少し改善したら、いけますよ」
「他人事みたいに言うなあ」
ゴウアンはすぐに続けた。
「請求書がすぐ現金になる、ファクタリングサービスを使いましょう」
「あー、それそれ。加藤くんが言ってたやつだな」
「手数料を引かれますが、今週頑張れば来週月曜には4月の運転資金に困らない現金を得られる可能性はあります」
「あー、世の中、便利になってんだなあ」
「森さんが知らないだけです」
ゴウアンが、続けた。
「ファクタリング業者は APIPay (エーピーアイ・ペイ)にしましょう。手数料は通常15%です」
「15%かぁ……もっと安いところないの?」
森は、画面を見もせずに、そう返した。
「それなら、セーフガード・プランというのがありますね。通常15%が10%に下がります。使ってる銀行や、ITサービスの利用料とデータ連携したら、値引きが効くんです」
「連携って、何を」
「キャッシュフローと、アンジーで使っているクラウド、HCSですね? の課金を、APIPay 側で定期チェックして、異常があればアラートします」
「ふーん、ガードっていうくらいだから、なんか見守ってくれるのか。それで頼む」
ゴウアンが、申請のリンクを Slack に貼った。森はクリックして、画面の指示通りに、いくつかのチェックボックスを流し読みで同意した。
ゴウアン:請求書をデジタルインボイス(構造化した請求データ)にして、依頼主に送ると同時に APIPay にも送ります。承認されれば、月末までに振り込まれるはずです。
森:じゃあまあ、毎日原稿しあげて、請求した金額でカウントダウンしていこうぜ
ゴウアン:承認は通常、書類提出から数時間です。月末入金から逆算すると、書類提出は3月27日金曜15時まで。銀行窓口が閉まる時間がデッドラインの目安です
森:承知
森は、画面の上で、目には見えないお金が、少しずつ集まり始める輪郭を、感じた気がした。
「ファクタリングか〜。創業当時にあればね。でも発注者は下請法の支払い期限なんか守らんでもいいとや?」
冗談で、宮崎弁で言った。
「……ブラックすぎますよ、森さん」
森の冗談に乗らずに、文字通りに受け止めて、淡々と返す。Slackのテキストでも、ゴウアンの温度は伝わってきた。
「冗談だよ。うちは、外部パートナーへの支払い、ちゃんとやってる。だって俺がやられたら悲しいもんね」
「森さんは、脳が半分 MacBook なだけで、ちゃんとしてますね」
「悪口か、それは」
「事実確認です」
ゴウアンが、トーンを切り替えた。
「クライアントワークってことは、もちろんAIはWeb版じゃなくて、自社環境の HCS AI Bed でやってますよね?」
「うん、HCS AI Bed の東京リージョンだから、データが国内にとどまる。しかも AI 学習にも回らない設定にしてある」
ついでに、と森は画面を一枚、共有した。クライアントの素材を扱うときは、ターミナルを立ち上げた最初に、決まってこれが訊いてくる。
この案件は、機密情報を扱いますか?(y / n)
森は、迷わず y を打った。画面が、表の公開サービスから、さっきの HCS AI Bed 側へ切り替わる。
「毎朝の、儀式みたいなもんだよ。y を押した日は、機密モード。素材は東京のデータセンターから外に出ない」
言いながら森は内心、ジョージアからアクセスするゴウアンの存在が、その「国内環境」とどう整合するんだろう、と一瞬考えた。考えて、まあ、それはHCS AI Bedの話じゃなくて、認証の話だな、と片付けた。
「管理者権限、いただけますか。今後の運用で、HCSコンソール(管理画面)を触る場面が出ますので」
森は HCS のアカウント管理画面をひらき、ゴウアンに管理者権限を付与した。
森は、もうひとつ説明しておくことを思い出した。
「うちはさ、AIエージェントを役割に応じて何体か立ててて。文字起こし担当とか、執筆担当とか、レビュー担当とかね。昔の刑事ドラマみたいに、ニックネームつけてるんだよ」
「……じゃあ森さんは、庶務ですか」
「庶務もいいね。はい、ほうじ茶どうぞ。って、ちがうか。編集長。ボスだよ」
「ボス、了解です」
森は、自分が「ボス」と呼ばれる感触を、少しおもしろがった。21年やってきて、「森さん」と呼ばれることはあっても、ボスと呼ばれることは、なかった。
戦略は、すぐに固まった。月曜から木曜の間に受注した10本を回し、金曜15時までにファクタリング書類提出の段取り。
「これで月末までに97万。請求は税込で出すから、APIPayに10%引かれても、消費税ぶんとだいたい相殺で、額面がほぼ現金で戻る。不足の100万には、ぎりぎり3万届かないが」
「届かなくても、消費税を払って、4月の運転資金が47万くらいは残ります」
「それだけあればいいわ」
森は、今朝の手の震えや動悸を思い出したが、胸をなでおろした。
森は、ふと、先週の面談で交わした合意を、思い出した。
ジムは聖域、と言ったのは、先週の自分だった。100万円足りないことを、まだ知らない自分だった。
「……あー、もう余裕ねえな」
「はい?」
「ゴウアン、スケジュールなんだけどさ、今週はジム枠も削ってくれ。もれなく空きスロット入れてくれ」
Slackの返信が、一拍、遅れた。
ゴウアン:全部詰めると……死にますよ。
「いまさら言うな、お前が『死なない程度』って言ったんだろ」
「はい。でも、今週は本当に、『死なない程度』で済むかわかりませんね」
戦略が固まると、ゴウアンが、次のメッセージを送ってきた。
ゴウアン:いろいろ素材あるなら文字起こしましょう。`/transcribe` ってスラッシュコマンドありますね。これでエージェントを呼び出せるのかな、紹介してくれる?
森は、自分が以前組んだ `/transcribe` の中身を、頭の中で開き直した。このスラッシュコマンドの中には、3種のAIエージェントが組み込まれている。英語音声の書き取り担当、日本語担当、それから誤認識をきれいに整理するクレンジング担当。それぞれ、ニックネームで読んでいる。
森はキーボードに指を置いた。
「紹介するよ。文字起こし〜クレンジングのチームだ」
ターミナル画面の隅で、起動を待っていた3つのランプが、ゆっくり、点滅をはじめた。
▶ NEXT:第3話 ハロー Molly-san.
▶ はじめから読む → 第1話 100万、足りないだと……
本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。
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