【闇シリーズ⑥】23~27(裏ビデオとゲーム屋)
2026/03/14 sta
※闇23~27を一気にまとめました
闇 23(ワールドワン&新天地編)
闇 23(ワールドワン&新天地編)
2024/08/26 mon
2025/08/28 thu
前回の章
いくら遊んでも無くならない金。
毎日十万も二十万も、給料以外別途に金が入ってくるのだ。
まるで有限の打ち出の小づちを手に入れたような感覚。
だが、こんな狂喜乱舞な日々もあと数日で終わる。
「この店が、歌舞伎町で一番忙しいゲーム屋なんじゃないの」
一時は客からそんな風に言われた一番街通りのワールドワン。
あれだけ順調だったワールドワンも、中川の側近を気取る顔も名前も知らないにわかの出現で、一気に閑古鳥が鳴いた。
これまでのシステムをすべて排除し、OUT率のいい設定にすれば、店はより盛り上がる。
自信満々にそう言い切ったその男のアイデア。
ゲーム屋の現場も知らないくせに理想だけを押し付けるなんて、机上の空論に過ぎない。
愚策中の愚策を強引に発動された店は、これまで長年の信用など一気に崩壊し、呆れられてしまう。
俺の好きにしていいから、もう一度店を流行らせてほしい。
一時は二万円あった日払いも半分にさせられたが、佐々木さんに頼まれ俺は必死に店をまた復活させた。
だがその裏側にあったものは、この店もあと三ヶ月で閉まってしまうという現実。
オーナーである中川が上手く利用され騙され、気付けば多額の十数億の借金を作っていた裏側を聞き、佐々木さんとの抜きが始まる。
こうなるまでには上層部での不穏なやり取りがあったらしい。
焼け石に水なのに、目先の金欲しさで佐々木さんら番頭たちから五百万ずつの徴収命令。
それを断った湯沢はクビになったと言う。
でもそれは、彼が自分で辞めただけなのだろうと感じる。
五百万円。
俺ら従業員が一年間真面目に働いても届かない金額。
同じ額を以前俺に言ってきたチャンプの久保田。
シャブに手を出しトザンの銭に手を出してチャンプをクビになった久保田から突然連絡が入る。
聞いただけの話だが、林と同じ〇〇連合のヤクザへ入ったものの、現在組の金を持って逃走しているはずだ。
「久保田さん! 今どうしているんですか?」
「た、助けて……」
彼の言う助けるとは何か?
碌でもない事に引きずり込まれるのは明白だった。
「何でシャブなんかやったんですか……」
「だって…、しょうがないじゃん……」
「いくら必要なんです?」
「五百……」
さすがに無理だ。
今の俺の持金の額じゃ足りない。
一万、二万なら気楽にあげられた。
いや、昔からの付き合いだ。
十万くらいならあげても良かった。
しかし絶対に返ってこない金五百万なんて無理だった。
それにそこまでの金は持っていない。
俺は丁重に断る。
「ごめんね、岩上君……」
それだけ言って久保田は電話を切った。
通話を終えてから、何とも言えない虚無感に包まれる。
だって無理だろ、どう足掻いたってさ。
自分で勝手にシャブに手を出して、金持ってとんずらしたのだ。
自業自得だろう?
あれから久保田はヤクザに捕まり、警官へ向かって拳銃をぶっ放した。
チャンプの有路や腹から聞いた情報。
ニュースで取り上げられたと聞いた。
これまで自身の人生の中で極度なシャブ中が、何をしたか思い出してみろ。
身近なところではゲーム屋チャンプの久保田。
ニュースにもなったあの事件。
首都高でわざと事故を起こした久保田は、駆け付けた警官の拳銃を奪い発砲した。
一発目が空砲だったから殺人にはならなかったものの、警察官への殺人未遂。
俺はあの時が久保田とは最後の電話だったので、特別な関わりはない。
彼が言った五百万円という金が本当に必要かどうかは分からないが、一人の人間の人生を狂わせるには充分過ぎる金額なのだろう。
湯沢は金を出さずに去った。
人のいい佐々木さんは、その金額を差し出してしまった。
たったそれだけの違い。
その後、もう金が返ってこないと自覚したからこそ、ワールドワンで俺と組み、売上を誤魔化して抜き、少しでも金を取り戻そうとしたのだ。
当然抜きに対する抵抗感はあった。
だが佐々木さんの背景を聞いた俺は、天秤に掛け協力を選ぶ。
これまで色々とお世話になってきた。
俺は抜いた金、すべて佐々木さんが取るべきだと伝える。
しかし佐々木さんは意地でも折半でないと納得しない。
抜いた分の半額が、俺に入ってくる現実。
最初の頃こそ罪悪感を覚えたものの、気付けば俺も金という魔力に犯されつつあった。
単なる棚から牡丹餅な状況。
しかし金は人を簡単に狂わせる。
地元川越から新宿まで電車で約一時間。
一日の半分は仕事で費やす日々。
しかし一日十万も二十万も入ってくれば、あっという間に一週間で百万円近い金額を手にする事となる。
土日になれば競馬で五十万使おうが、ミサキのキャバクラでオーブンからラストまで飲んでいようが、それでも金は無くならなかった。
今までこんな金額をもらった事がない男が、手にして完全に狂う。
馬鹿に権力を与えては取り返しがつかないのと同じだ。
碌な金の使い方しかできない俺。
罪悪感から従業員たちには、食事やら酒やら仕事明けに何度もご馳走した。
唯一身のある使い方ができたとしたら、『くっきぃず』でピアノを習った事ぐらいだろう。
それでもプロを目指すとかでなく、元々は春美へ捧げるというものから始まっただけの趣味の領域に過ぎない。
まともな社会人生活を送れず、仕事を転々とした。
プロレスでも結果を出せず中途半端。
ホテルでは俺の居場所など無かった。
総合格闘技でも不完全燃焼で今じゃリタイアしている。
絵も気に入った女へプレゼントする為だけに描いたもの。
唯一新宿歌舞伎町だけなのだ。
何年もこうして居続けられた場所は……。
しかしそれさえも、もう少しで終わる。
歯痒いのが、客や共に働く従業員たちへワールドワンが閉まるのを言えない事。
佐々木さんとの抜きをやる前の約束で、閉店する事実だけは黙っているよう約束した。
何をやっているんだろうな、俺は……。
全日本プロレスの…、ジャンボ鶴田師匠の名前を汚さないよう生きてきたつもりが、何だこの現状は?
三沢光晴さんたちは大人数を連れてプロレスリング・ノアを立ち上げ、多くのファンたちから支持されている。
何故あの時総合格闘技でなく、ノアへ行こうと思わなかったのだろう?

いや…、こんな中途半端な男があそこへ行ったとして、何の役に立つ?
残された少ない日々を仕事して、帰ったらピアノを弾く事で、現実逃避するしかなかった。
歌舞伎町で初めて一緒に働いた元ベガの高橋ひろしは、相棒の中口と共に毎日ワールドワンへ来ては多額の金を落としていく。
オーブン当初からの常連客である大倉さんも同様だ。
箝口令が引かれたのも、前もって伝えたせいで、客が来なくなったり、従業員が辞めるのを防止したりする為だった。
初戦俺が抱いた罪悪感など、青臭い正義感を気取っただけのまるで意味の無いものだ。
意味がまったく成さない事を知りつつ、金だけは受け取っている。
いつからこんな卑劣になったのだろう。
魂というものがあるなら、どんどん薄汚れている。
様々な葛藤を抱えつつも俺の日常はまったく変わらない。
ラスト三日になって、佐々木さんから客や従業員たちへ伝えて構わないと言われる。
「えー、こんな面白い台が無くなっちゃうんですか!」
高橋や中口はとても残念そうだった。
初期の頃から来ていた常連の村上は「俺の連れで谷口っていたでしょ? 彼が初めてこの店来た時、店長の事見て俺にいい店があるって言ってきたんだよ。それもあって今日までここ贔屓に来てたんだ」と言ってくれる。
何気ないところで、少しは何かしらの役に立てていたのかと、救われた気持ちになれた。
最大で十一店舗まで拡張した我がワンオン系列。
残りの店は西武新宿駅近くのチャンプのみとなった。
歌舞伎町内で百店舗以上はあったゲーム屋も、もう数える程度。
オーナーの失敗もあったが、どちらにせよ時代の流れで自然淘汰されていく。
一円、十円と表記してある看板は、次々と裏ビデオ屋に変わる。
これも時代の移り変わりなのか。
どちらにせよ、いよいよ明日でワールドワンも最後の営業だ。
時間は誰にでも平等であり、無情に流れていく。
ワールドワンの最終日がとうとう訪れる。
三日前に告知したので、客数もまばら。
しかしおじいちゃんの大倉さんだけは、いつもと変わらぬマイペースな感じでゲームを黙々と打っている。
俺は席まで行き、片膝を付きながら深々と頭を下げた。
「プレイ中失礼致します。大倉さん…、長い期間当店へご遊戯へ来て下さり色々とありがとうございました……」
「フォフォフォ…、こちらこそ長い間楽しませてもらったよ」
いつも忙しかったので、ここまでゆっくり大倉さんと話した事はなかった。
競馬では一千万以上の配当がついた馬券を見せてくれ、本当に驚いた事もある。
一ヶ月ほど見えない時期があったので、具合でも悪くしたのか聞くとラスベガスへ行っていたと笑顔で話すハッスルおじいちゃん。
毎年一月二日の朝になると、帯付き百万の束を五つポケットに入れ「勝負らー」と張り切って競輪場へ向かう。
走馬灯のように色々な思い出が、鮮明に蘇ってくる。
「店長…、君はこれからどうするつもりだね?」
俺の目を見ながら真剣な眼差しで話す大倉さん。
「え…、次の仕事って事ですか?」
「うん、もし決まってないようなら……」
こんな俺を何かしらの形で拾い上げてくれるのだろうか?
常に温和でいくら負けようがまったく変わらない。
どれだけこの人の存在で、店は救われてきただろう。
それなのにまだ俺に対し何か面倒を見ようと言うのか……。
正直大倉さんに甘えたかった。
俺はこの先何一つ考えていないのだ。
ただのプー太郎になるか、大倉さんの下につくか……。
どちらがいいかなんて明白である。
「……」
散々世話になりながら、俺はまだ何かを欲しがるのか?
男として違うだろ?
これ以上甘えちゃ駄目だろ!
一瞬目を閉じて考えた。
「仕事仕事で来たので、しばらくゆっくりしようと思っています」
「……」
大倉さんは黙ったまま俺の目を見ていた。
「そうか…、じゃあまたいつか競馬場で会おう!」
これが事実上、大倉さんとの別れになる。
二十数年経った今でも、大倉さんとは一度も会えていない。
せめてあの時、連絡先くらい交換しておけば……。
何故あの時、変に格好をつけた?
今でもタラレバを考える。
俺はこの大倉さんという人柄が大好きだったのだろう。
最後の営業では二十万の金を抜いた。
番頭の佐々木さんは「岩上君今までありがとう」と、すべてを俺に渡してくる。
オーナーの中川に貸した五百万だって、全部回収した訳ではない。
俺はこの三ヶ月間でいくら金をもらった?
平均月で百五十万?
いや、日で平均約十万だと計算すると、月で三百…、でも俺は結構休んで遊んだから二十日前後の出勤で二百だとして、約六百万?
佐々木さんも充分元は取り戻せたのか。
「最後なんで佐々木さん、全部取って下さいよ」
「いいや、そういう訳にはいかへん。キッチリ最後も折半や」
相変わらず頑として受け取らない。
日当を出すから店の掃除をあと一日、二日手伝ってくれと言われたが、従業員たちでやりたい者が多数いたので、俺はこれでお役御免になる。
中途半端に金だけはあった。
しかし今後の身の振り方など何一つビジョンが無い。
しばらくゆっくり過ごそう。
それからまた考えればいい。
三十二歳無職。
今の俺の肩書き。
月に何百万以上もらっていた環境が、自分を狂わせていた。
働く気力はまるで湧かない。
部屋でパソコンを使って昔のゲームをやり、飽きると寝た。
夜になればスイートキャデラックで酒を飲み、たまにミサキを連れて色々な店へ行く。
最終的に家の隣にあるトンカツひろむで飲んで帰る。
自衛隊時代の同期の富田から連絡があった。
十数年ぶりに再会したものの、あまりのだらしなさ…、いや、当たり前のように金をタカる神経に反吐が出て付き合いを辞めていた男。
「最近連絡まったく無くて、冷てえじゃねえかよ」
コイツ、キャバクラであんな派手な遊び方して俺に金を出させようとしといて、まだ懲りていないのか?
「何で冷たくなったのか考えた事あるのか?」
「俺よー、女房と離婚してさー」
「はあ? 離婚?」
確かにあんな夫婦状態じゃ、いつ別れてもおかしくなかった。
初対面の客である俺の前で、旦那の頭を何度も枕で叩く女房なんて、碌なものじゃない。
「それでよー、今所沢に住んでてさ、新しい女と」
「新しい女?」
富田なんぞ体型は太っているし、だらしない顔つきだ。
何故こんな男に女ができて、俺はいつまで経っても一人なんだ?
「ああ、まあ不細工だけどな。それで岩上に一度紹介しとこうと思って
さ。明日の夕方くらい所沢まで来ない?」
「いや、遠慮しとく」
「何だよ、冷てえじゃん。せっかく女を紹介しとこうと思ったんだよ」
確かにどんな女とくっついたのか興味はあった。
仕事も辞め、時間だけはあるので会う約束をする。
昼間に起きて川越の街をブラブラした。
パソコンショップに入り、パソコン関連の雑誌を買うと、オマケにCDがついている。
中を見てみるとインストール型のパソコンゲームだった。
何だ、こりゃ…、すげぇ面白い!
タイトルはエイジオブミソロジー。
ジャンルはリアルタイムストラテジーと謳っているが、マウスで操作する新感覚なゲームだった。
ギリシャ、エジプト、北欧神話の神を選択し、町の人を操作して文明を進化させていく。
豚を刈って食料に。
木を切って資源へ。
金鉱を掘って金を集め。
兵隊や神話ユニットを作り出し、相手方へ侵略を行う。
ヤバいくらい面白い。
夕方、富田との約束なんて知るかと感じ、中止にしようと思ったくらいだ。
しかしあくまでも体験版なので途中までしかプレイできない。
俺は仕方なくこのゲームを探しに行った。
川越のパソコンショップを数軒回るも見つかない。
時間も夕方になったので、ゲームを探しに行きがてら、富田のいる所沢へ向かった。
駅に着き、プロペ通りを歩く。
「おーい、岩上ー」
中間地点くらいの位置で、富田が女と立っている。
不細工と言っていたが、お世辞抜きで本当に酷い。
例えるとエリンギに細い目がついているような顔立ち。
「とりあえず腹減ってるから飯行こうぜ」
この男が金をそう持っている事などあり得ない。
変に高そうな店や、酒を出す店すらやめておいたほうが賢明だろう。
通りを見回し、地味な定食屋へ入る。
彼女との馴れ初めを詳しく富田は熱弁していたが、俺にはどうでも良かった。
苦楽を共にした自衛隊の同期でも、たった一度の事ですべてを失う事もあるのだ。
正直、今の富田の生活など、俺にはどうでもよかった。
早くご飯食べて、ミソロジーを探しに行かないと……。
「富田、悪いんだけどさ。俺は所沢に欲しいものがあって来たんだよ。そろそろ出ないか?」
結構前になるが、富田にはキャバクラで一度豪遊させ奢った事がある。
今回も誘ってきたのは向こうだし、ここの飯代くらいはご馳走してくれるのだろう。
そう思っていたが、会計時いつまで経っても財布すら出そうとしない。
「岩上、悪いんだけどよー。うちら金持ってないんだわー」
「……」
エリンギに似た不細工な彼女も、彼の横で黙って俺の顔をジッとみたまま。
こんな女が一万人いても、ミサキの爪の垢の価値もないぞ?
一体このカップルは何なんだ?
無職になった今の俺に、まだ金を払わせるつもりだったのか?
セブンスターに火をつけて、黙ってタバコを吸う。
それでもただ横で突っ立って俺を見ているだけ。
「……」
最初から俺の金目当てで飯を食いたかった訳ね……。
無言のまま三千円をレジに置き、店を出ようとした。
「おい、どこ行くんだよ?」
「もう富田! オマエは二度と俺に関わるな!」
それだけ言うと、スタスタ勝手に歩き出す。
ここまで乞食になり、俺にわざわざ所沢まで来させ彼女の分まで飯代をタカろうとした富田。
呆れ過ぎて話をする気すら起きなかった。
唯一の救いは所沢で、エイジオブミソロジーのソフトを購入する事ができたくらいだろう。
数ヶ月毎日のようにエイジオブミソロジーへのめり込む俺。
あまりにも外へ出ないので、ミサキからしつこく誘いがあって、強引に連れ出されるような生活。
「ねえ、これから私のマンション寄ってく?」
「もういいよ。帰ってゲームをやりたい」
「もー! まだ三十代なのに、そんな事ばかりじゃ駄目でしょ!」
ワールドワンの崩壊は、自身の心の中の欠落と直結していた。
何の気力も湧かない。
このままミサキの部屋へ行けば、俺は間違いなく彼女を押し倒して抱いてしまうだろう。
妹代わりに可愛がり、面倒を見てきた俺。
それがこんな形で関係を壊していいのか?
「……」
無職という目に見えないプレッシャーが邪魔してか、ミサキとは常にプラトニックなままだった。
夜になると、毎日のように家の隣りにあるトンカツひろむで、管を撒きながら先輩の岡部さんと時間を共有する。
「智一郎、おまえ毎日プラプラしているけど、仕事どうすんだ?」
「うーん…、もうちょっとゆっくりしますよ。まだ金はあるんで」
「まあ店が閉店したんじゃしょうがないけど、何かしら働いといたほうがいいぞ」
「分かってはいるんですけどね……」
酷く堕落したものだ。
それでも中途半端に金だけはあったので、生活に困っていない点が余計に自身の駄目さ加減に拍車を掛ける。
一時はマッサージチェアーを買って、モニターを天井につけ、寝たままミソロジーをやれたら最高だと考えていたほどだ。
廃人真っしぐら。
持っていた貯蓄も、気付けば百万を切る始末。
さすがにこのままではいけないと感じた。
俺が泳ぎやすい水は新宿歌舞伎町。
とりあえずまた行ってみるか、あの街へ……。
ワールドワンの系列店のチャンプ。
ここも責任者の有路の話だと数ヶ月で閉まるらしい。
ゲーム屋でなく、他のものを欲する時代になったのだろう。
今の俺に何の仕事ができる?
何の宛ても無い。
まだ生き残っているゲーム屋の面接でも行ってみようか……。
歌舞伎町内の一番街通り、セントラル通り、さくら通り、東通りとボーっとしながら歩く。
腹が減ったのでコマ劇場内にあるフライキッチン峰へ寄る。
揚げ物系の多い洋食屋である峰は、ご飯と味噌汁はお代わり自由で、よく従業員を連れてきた店だ。
「お、お久しぶりです。いらっしゃいー」
メンチカツとハンバーグの混合定食を注文。
それに上お新香を追加。
これで値段は千円以下。
非常にリーズナブルな店である。
昔はいつも気難しい顔をしながら、両手を腰に当ててデーンと立っているおばあちゃん店員がいた。
「歌舞伎町で私の顔を知らない人はいないよ!」が口癖で、常に客がご飯のお椀が空になるのをジッと見つめている。
ワールドワンの元従業員だった小山が入りたての頃、彼は金が無かったのでよく峰へ連れて行った。
小山のご飯が無くなった瞬間、「お代わりだね」と手を伸ばすおばあちゃん。
眺めていると、まるで漫画に出てくるのような盛り方をしている。
慌てて小山が「お、おばあさんその辺で……」と制止しようとすると「若いんだからもっと食べなさい!」と十五センチくらい盛ったご飯を渡してきた。
「せっかく盛ってくれたんだから残しちゃ駄目だぞ」
苦しそうに腹を押さえながらヨタヨタ歩く小山。
数年前の出来事が、まだ昨日のように感じる。
そういえば彼と付き合っていた11チャンネルの風俗嬢だった緑ちゃん、元気でやっているのかな?
フライキッチン峰で会計を済ませ、コマ劇場を出ると、セントラル通りからすぐ左へ曲がる。
宛もなくさくら通りの方向へ進む。
「岩上さん!」
背後から声を掛けられ、振り向く。
「あれ…、中口さんじゃないですか!」
俺が歌舞伎町で初めて働いた店ベガ。
当時そこの店長だった高橋ひろしがワールドワンへ一緒に連れてきた相棒の中口だった。
「ワールドワン閉まっちゃって残念ですよ。あんな過激な台、どこも無いですからね」
「オーナーがポシャってしまい、本当にすみませんでした」
「いえいえ、上が潰れたんじゃ、しょうがないですよ」
「中口さんて、そういえばお仕事何をやってるんですか?」
「自分ここすよ」
中口は風俗の11チャンネル向かいにある地下へ降りる入口を指さした。
「ビデオ屋ですか?」
「ええ、ただ自分の場合、新作入ってくるの早いので、同業にそれを撒いてって感じで、客に売っている訳じゃないんですけどね」
裏ビデオ屋。
客で入った事ないので詳しくはないが、裏ビデオテープ何本で一万円とかそういう商売だったよな?
「ところで岩上さん、今何をやってるんです?」
中口なら顔も広そうだし、人柄もいい。
「実はあれからまだ何もやっていないんですよ。中口さん、何か仕事を紹介できたりとかできますか?」
正直に言ってみた。
「え、それならちょうど人欲しがってるところあるんで紹介しますよ」
「是非よろしくお願いします」
俺は中口のあとをついていった。
数ヶ月ブラブラして過ごし、そろそろ働こうかと歌舞伎町へ宛てもなく来た。
系列最後に残った店チャンプで世間話をし、よく通った飯屋へ行った帰りに偶然会った中口。
このような何でもない一連の流れに沿って行けば、何かしらまた生まれるかもしれない。
これまでを振り返ると、お袋と親父を離婚させたいが為に一番早く就職を決めたかっただけで自衛隊を選び、辞めて探偵をしたり、変な広告代理店で働いたりと無駄な時間を使ってきた。
全日本プロレスへ行くと決めてからだな、本気で頑張りだしたのは……。
そこすらもモノにならず、ホテル業界へ。
新潟、浅草と来て歌舞伎町。
七、八年はこの街で生きてきた。
せっかく金を貯められたチャンスを俺は何も考えず、競馬や酒でほとんど無くす。
自分の馬鹿さ加減が嫌になる。
「岩上さん、着きましたよ。このビルの地下なんですよ」
第二平沢ビルと書かれた古い雑居ビルの前で、中口が声を掛けてきた。

真ん中に階段があり、その両脇に店舗が二つ。
看板も無いし外からは何も見えないので、何の商売か分からない。
ただ一階の階段降りる前に『ビデオ メロン』と書かれた看板が置いてある。
ひょっとして裏ビデオ屋で俺は働く事になるのか?
紹介してくれと頼んだのは自分なので、黙って中口のあとをついて階段を降りた。

降りて右手の店舗。
入口は開きっ放しで、店内にはビデオから撮ったのかあちこちにエロ写真が貼ってある。
「どうも、北中さん」
中口が挨拶をすると、テーブルの奥でふんぞり返っていた五十代くらいのメガネを掛けた男がこちらを見た。
ん? どこかで会った事あるような……。
思い出した。
ワールドワンへ行く前のゲーム屋『プロ』の時、客でよく来ていた人だ。
「ん? オマエ、確か西武新宿のところのゲーム屋にいたよな?」
北中も俺の顔を見て、思い出したようだ。
中口は知り合い同士なら話は早いと、自分の店へ戻る。
「北中さん、自分、裏ビデオはまったくやった事が無いんですが……」
「ああ、こっちはおいおいでいいだよ。この上のゲーム屋で一人欠員が出たから、そっち入ってほしいだよ」
語尾に、だよを付ける不思議な口癖。
少し気になったが、どこかの方言か何かなのだろう。
「上にゲーム屋なんてありましたっけ?」
「一階は二つともゲーム屋だよ」
ゲーム屋なら俺も経験が活かせ、すぐ役に立てられる。
裏ビデオ屋は、生理的に受けつけないものがあった。
それにしても汚い店だ。
掃除などまったくした事がないんじゃないのかと思うほど。
「ここ来るまで何をしてたんだよ?」
「一番街通りにあるワールドワンというゲーム屋で、店長をしていました」
「ああ、あそこは赤ポーカー置いてないから、行かなかっただよ」
「あ、だから北中さんって、プロへよく来ていたんですね」
「あの店も潰れてしまったから、歌舞伎町もいいゲーム屋が無くなっただよ」
俺があの店を抜けてワールドワンへ行ってからたった数ヶ月で、プロは潰れた。
暴君状態だった店長の横道。
あまりの傍若無人さが当時の俺と衝突。
プロを去る際、俺は佐々木さんへ何度も伝えた。
「このままじゃ、あの店誰も続かなくなりますよ」
それでも佐々木さんの答えは、俺はワールドワンを流行らせる事を考えればいいからだった。
結果、あの緩い警察の時代にも拘らず、プロは一週間で横道のいる遅番の時間帯に四回も刑事の警告が来たほど。
「この店が歌舞伎町で、一番百十番通報多いんだよ、この野郎! 次来たら、おまえら全員パクるからな!」
そう怒鳴りながら来たと聞く。
そしてプロは潰れてしまったのだ。
あの揉める性格だった横道は、プロを失ってから何軒のゲーム屋で一から働いたのだろう。
しかしどこも勤まらず、ワールドワン後期に佐々木さんを頼り使ってくれないか聞いてきた。
「……」
一度プロの時に、叙々苑でご馳走してくれた事もあったのにな。
俺も結局自分の事しか考えていない。
過去揉めた横道を俺は結果的に見捨てた。
あのワンオン系列では長年働いた分、様々な因果が生まれている。
そんな俺も今、また一からこうして新たな店で働こうとしているのだ。
天に唾するというが、因果応報で結局自分のした行いは、いずれ自身へ降り注ぐ。
もう店長でも何でもない俺は、現時点でただの無職の男に過ぎない。
「そういえば上のゲーム屋って、何の機種が置いてあるんですか?」
「まあいい。今から上に一緒に行くだよ」
北中は腰が悪いのか、椅子から立つ際溜めが必要なようで、左足を少し引き摺りながら歩いている。
一階右側の店舗のインターホンを押すと、しばらくしてからドアがゆっくり開いた。
闇 24(フィールド&裏ビデオ屋編)
闇 24(フィールド&裏ビデオ屋編)
2024/09/25 wed
2025/08/28 thu
前回の章
一円レートのゲーム屋『フィールド』。
北中のあとをついて店内へ入る。
中は両サイドにゲーム台が置かれ、一番奥にカウンターがあった。
左側の壁に四台、右に五台の全部で九台しか置いてない。
客は誰もいないようだ。
広さは十畳程度。
「お疲れ様です、北中さん」
出迎える二人の従業員。
一人は三十代前後の茶髪の細タレ目の線の細い男。
もう一人は東南アジア系?
外国人の従業員をここは雇っているのか?
ワールドワンの系列では日本人のみだった。
他の店へ遊びに行った時も、すべて日本人の従業員のみなので、ちょっとしたカルチャーショックを受ける。
「明日から早番で入る岩上さんね」
北中が二人に俺を紹介した。
「あ、はじめまして、岩上です。よろしくお願いします」
履歴書も何も出してないのに、いきなり明日から仕事……。
まあすぐに給料が入るのは嬉しい。
「大阪です。よろしくお願いします」
「レクです、よろしく」
東南アジア系の男は、外国人独特のイントネーションで話してくる。
「早番て、何時頃来ればいいでしょうか?」
「七時だよ」
「え! 朝七時からですか?」
基本ゲーム屋は十二時間交代の二十四時間営業なので驚いた。
「七時から昼の三時までだよ」
「八時間なんですか?」
「そうだよ。ここが終わったら下降りてきて、ビデオを二時間手伝ってもらうだよ」
「分かりました……」
早番が七時から三時。
中番が十五時から二十三時。
遅番が二十三時から七時。
この三交代制のシフト。
今まで二交代制の店でしか働いた事がなかったので、不思議な気分だった。
でも、十二時間拘束で考えたら、三交代八時間制のほうが理想ではある。
「まあ今日は帰って、明日七時から頼むだよ」
「了解しました。あの…、服装はワイシャツにネクタイで?」
「いや、私服でいいだよ」
確かに中番の従業員である大阪、レクはTシャツにジーパンと非常にラフな格好をしている。
弛んでいるというか、自由度が高いと表現したらいいのか……。
「分かりました。それでは明日七時前には伺います」
俺はドアを閉めて、西武新宿駅へ向かった。
歌舞伎町に朝七時……。
本川越駅から電車で一時間は掛かるとして、朝五時台の電車に乗るようだ。
こりゃ大変だな。
家に戻り、今後の展開を考える。
八時間ゲーム屋で働くのはいい。
確か機種は『プロ』の時と同じ赤ポーカーだった。
レートは同じく一円。
過去働いた店とそう大差ないだろう。
残り二時間をメロンとかいう裏ビデオ屋で働く……。
たかだか二時間であるが、妙に気が重い。
ゲーム屋は賭博。
裏ビデオはエッチなビデオを売る仕事。
いくら裏稼業とはいえ、ギャンブルとエロでは格好悪さが違ってくる。
いやいや、今の俺にそんな贅沢いえる権利などない。
雇ってもらえるだけマシ。
まあ時間帯はサラリーマンと似たようなものだ。
もう決まったんだから、やるしかないよな。
いい加減腹を決めろ。
あとになって履歴書とか言われても面倒だから、とりあえず用意しておこう。
どちらにせよ明日から、俺は新しい生活が始まるのだ。
家に帰るとパソコンに一通のメールが届いていた。
知らない女性から。
名は清藤祐希。
自分の名前と簡単なプロフィール、そして写真が添付してある。
『はじめまして。インターネットで岩上さんのピアノを弾く動画を見てファンになりました。私は青森に住んでいて、よかったら連絡したいなと思い、このメールを書いています。写真も同封しておきますので、よろしくお願い致します。 清藤祐希』
随分積極的な女だな……。
写真を見る限り、そこそこ美人であるがいまいち俺のタイプではない。
俺のピアノの映像…、確かくっきぃずやスイートキャデラックで演奏した時の動画をどこかで適当にアップした覚えがあるけど、もうどのサイトだか忘れてしまった。
品川春美とはすっかり疎遠になってしまった今、異性関係はミサキ程度しかない俺。
ミサキはもちろん妹枠なので、異性関係とは言えない。
俺はこの清藤祐希という女性に、メールの返信をしてみる。
動画を見てくれてありがとうと、簡単な文面だけにしておいた。
さて、明日も早いしそろそろ寝るとするか……。
起床朝五時。
シャワーを浴びて支度を済ます。
電車が遅延する可能性も考え、五時半の電車には乗るようにした。
二十分から三十分前には、余裕を持って職場へ到着していたい。
出勤時間よりは早め早めの行動。
これは、歌舞伎町で働くようになってから自然と身についた習慣だった。
西武新宿駅へ着くと、一番街通り、セントラル通り、さくら通りを横切り、東通りの一本手前の細い道を左に曲がる。
狭い歌舞伎町の中でも過疎化したエリア。
何だか都落ちした気分になってくる。
入ってすぐ右手には、プチドールという箱型ファッションヘルスが見えた。
まあ風俗店で働くよりは全然マシだよな……。
こういった店は、金を払って遊びに行くところだから。
この通りの真ん中くらいに位置する第二平沢ビル。
『フィールド』のインターホンを押す。
少ししてドアがゆっくり開く。
店内はそこそこ盛況で、五卓ほど席が埋まっている。
席数の約半分。
「あ、新人だ」
「新しい人だ」
ゲームを打つ客たちが、俺の顔を見ながら声を掛けてくる。
パンチパーマや角刈りの客ばかり。
簡単な挨拶を済ませながら奥のカウンターへ向かう。
この店、ヤクザ者OKにしているのか?
どう見てもヤクザにしか見えない客たち。
暴力団厳禁だったワールドワン時代では考えられない。
「はじめまして、店長の小泉です」
「秋葉です」
黒髪キノコカットの細めの男が小泉。
俺より五歳は年上だろうと思う秋葉。
「岩上です、今日からよろしくお願いします」
少ししてもう一人の早番、山本が入ってくる。
俺はホールで客のINとOUTをひたすら繰り返す。
出勤して二時間もしない内に客は次々と帰り、あっという間にノーゲストになる。
台の清掃を始め、終わると掃除機で店内の床を転がす。
「岩上さんお疲れ様です。うちの店、いつもこんなもんなんですよ。もうほとんどこの時間帯になると、客何て来ないんでゆっくりしましょうよ」
事務処理を終えた山本が声を掛けてきた。
「さっきいた客…、あれって組関係なんですか?」
ここへ来た時抱いた素朴な疑問を聞いてみる。
「ええ、バリバリの現役ヤクザですよ。このビルの二階と三階にそれぞれ違う組事務所があるんですよ」
「……」
ヤクザの事務所が二つもこのビル内にあるのかよ……。
暇ではあるが、何だか面倒臭そうな店だな。
今まで培ったワールドワンでの常識が通用しない空間。
それが始めに抱いた感想だった。
結局彼の予測した通り、昼の三時まで客が来ない状態が続き、山本とダラダラ無駄話をして時間を過ごす。
「岩上さん、今日の日払いです」
山本から一万円札を受け取る。
ここが終わったら、地下へ行って裏ビデオの仕事か……。
「では山本さん、お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします」
「岩上さんはこのあと地下で二時間仕事ですか…。大変すね……」
「いえいえ、たかだか二時間だけですし。それでは明日」
俺はフィールドをあとにして、階段を降りた。

裏ビデオ屋『メロン』。
十畳ほどの広さ。
右手に従業員が座るテーブルに椅子。
残り三分の二は客のスペース。
壁ぴったりに長机が設置され、色々なビデオを紹介するファイルが置かれ、筆記用具にメモ用紙。
左手奥にはソファー、そしてガラス張りの冷蔵庫があり、中には缶コーヒーや缶のお茶が冷やされている。
「上のフィールドの仕事が終わりました。自分はとりあえずどうしたらいいでしょうか?」
「おー、とりあえずここへ座るだよ。俺は上行ってくる」
北中は俺が来るなり立ち上がり、外へ出てこうとした。
「ちょっと待って下さいよ、北中さん。俺、ビデオの仕事、何も分からないですよ」
「簡単だよ。客が来たらそこのメモ用紙に欲しいもの書くから、ビデオなのか、DVDなのかを見て、そのキャッチホンのメニュー押すと倉庫ってあるだろ? そこへ電話して持ってきてもらうだけだよ」
それだけ言うと、北中は出ていこうとする。
「待って下さい! 値段とかそういうのは……」
「ビデオは一本なら二千円、三本五千円、八本で一万円だよ」
確かに壁には値段表が貼ってあった
DVDだと一枚三千円、二枚七千円、四枚で一万円。
要は無言で一万円は使えという料金体系なのだろう。
「あとここで何時までやればいいんですか?」
「五時までの二時間だよ。ここの分の給料は、月末まとめて払うだよ」
それだけ言うと、北中はとっとと店を出ていく。
かなりいい加減な人だな……。
ポツンと一人裏ビデオ屋店内へ残され、途方に暮れる。
こんな状態でいきなり客来たらどうするんだよ?
椅子へ座り辺りを見渡す。
みすぼらしい店内。
ビデオを売る仕事とはいえ一応接客業なんだから、少しは綺麗にすればいいものを。
客も来ないので俺は掃除をする事にした。
トイレは特に酷い。
まったく掃除していない感じだ。
ちゃんとした掃除用具も無いので、トイレットペーパーを丸め、床の隅々まで水で濡らし丁寧に拭く。
少し吹いただけで真っ黒になる紙。
陰毛だと思うが、大量に付着する。
身震いしながら便器へ捨て、水を流す。
明日来る時は、上のフィールドからおしぼり数本持ってこよう。
トイレットペーパーじゃ、埒が明かない。
結局この二時間客はまったく来なく、掃除をしただけで一日が終わる。
それにしても本当に汚い店だ。
夕方五時になり、北中が上から降りてくる。
「おう、お疲れ。今日はもういいぞ、また明日な」
店内をかなり綺麗にしたつもりだが、北中は何も気付かない様子。
本当に分かっていないのか?
これだけ掃除したのに?
無頓着もいいところだ。
初日はこれで終わるが、ずっとこんな感じなのか……。
帰りの電車に揺られながら、先々不安を覚える。
何で俺は、あれだけ金があったのを湯水のように使ってしまったのだろう。
まあ無くなってしまったものは仕方ない。
今はあの不潔な場所で、働くしか道はないのだから。
こんな事になるのなら、せめてミサキを抱いておけば…、いやいや、あいつは妹代わりに可愛がるんだろ?
自分の立ち位置が落ちたからといって、魂まで汚すなよ。
このまま指を咥えて過ごすだけではいけない。
本当に何かしら考えねば。
初日が終わりパソコンを見ると、昨日の清藤祐希からメールが来ていた。
電話番号まで書いてあったので、とりあえず控えておく。
彼女の文面からは、俺が理想のタイプで距離は離れているがいつかこちらへ上京したら会ってみたいというものだった。
褒められて悪い気はしない。
だがあれだけ一心不乱に弾いたピアノが春美には何も届かなかった現実。
インターネットへ気休めでちょこっと載せた動画で、知らない女が連れる構図は、皮肉なものだ。
それでも男の悲しい性。
彼女がいない俺は、誰もいないよりはマシと返事をしてしまう。
別にキャバクラみたいに金が掛かっている訳ではない。
暇潰し程度にはなるだろう。
時代が進み、こんな男女の出会い方もあるのだなと不思議な気分になる。
さて、そろそろ眠るとするか。
俺は布団へ寝転がり睡眠を取った。
朝五時起き。
熱いシャワーを浴びて、タバコをゆっくり吸った。
少ししたら俺は新宿歌舞伎町へ向かう。
仕事が終わるのは夕方五時。
普通のサラリーマンのような時間帯。
ずっと遅番で仕事が当たり前の俺は、このルーティンに違和感を覚える。
ワールドワンの時のような無限に金が入ってくる訳では無い。
毎日行って俺は、一万ちょっとの小銭を稼ぎ、日々の暮らしを消化していくだけ。
何故金が無限にあった頃、何も考えず適当に遊んでいたのだろう。
競馬に、ミサキのいるキャバクラで豪遊。
遊び尽くした俺の手元に残ったのは一台のノートパソコン。
何度同じ事を考えるんだって。
もう過ぎてしまった事を今さら後悔したところで、取り返しなど利かない。
元々俺は何一つ何も無かった人間である。
強くなる事だけに取り憑かれた二十代。
確かに強靭な肉体だけは手に入れた。
しかし俺も三十代。
ここから先は衰えていくばかり。
今できる事は、用意された職場で日々紳士的に取り組む。
それが基本ラインである。
先輩の坊主さんから教えてもらったパソコンの知識。
俺より達者にできる者など無数にいよう。
しかしそれでもパソコンというものに、少しでも食い込んでいきたい。
戦いの世界において背中を見たジャンボ鶴田師匠、そして三沢光晴さん。
どれだけ途方もない背中なのだろう。
俺には遠過ぎた。
パソコンにおいては、坊主さんの背中がその感覚と近いものを実感している。
幸い今のゲーム屋フィールドにしても、ビデオ屋メロンにしても暇な店だ。
いくらでもパソコンをいじる時間はある。
新しい環境へ身をおいて二日目。
俺はノートパソコンも常に持ち歩く事にした。
フィールドに到着するも、店内はノーゲスト。
本来ゲーム屋は、客がやればやるほど負けて儲かる商売。
還元するOUT率。
たくさんの客が入っていれば、無理にキツい設定にする必要性はない。
多くの客から少しずつ金を取ればいいのだ。
暇な店はどうか?
基本渋い設定にせざるえないので、客は来ても勝てる確率がどんどん減る。
それでもフィールドは、他の普通のゲーム屋では入れないヤクザ系の客が多い。
遊べる場所が一般人とは違って少ないヤクザ者たちは、こういった店で金を落としながら時間を潰すしかないのである。
俺はパソコンをいじりつつ、山本と他愛ない世間話をして時間を過ごす。
何かやるにしても、ゲームぐらいしか俺はできないからなあ……。
「岩上さんがやっているのって、ゲームなんですか?」
「あ、これはゲームですよ」
「凄いリアルじゃないですか。どんなジャンルなんです?」
「エイジオブミソロジーといって、ギリシャ神話やエジプト神話の神を選び、それぞれ崇拝する神によって文明も違ってくるんです。ジャンルはリアルタイムストラテジーって感じですね」
「面白そうですね! 自分もノートパソコン持ってんですけど、そのゲームできますかね?」
「これはミソロジーのソフトを買わないとできないんですが、体験版でよければ無料でできますよ」
「え、どうやって?」
「山本さん、明日良かったらパソコン店に持ってきて下さいよ。俺がゲームできるようにインストールしますから」
「本当にいいんですか!」
「大袈裟ですね。全然問題ないですよ」
「いやー…、岩上さんがフィールドへ入ってきて本当に良かった。前まで諏訪さんって人が早番だったんですけど、本当に屑な人なんですよね」
「どんな人なんです?」
「フィリピン人の嫁に、この間子供できたとかで今は静岡に帰っているんですよ。一ヶ月ぐらいだと思いますが」
「まあでも子供できたんじゃ、会いに行きたいですよね」
「諏訪さん、こっちにいる時なんて住むところないんですよ」
「え? じゃあどうやって暮らししているんです?」
「知り合いのところ泊まり歩き、それも全部駄目になってから月二万円の畳一畳みたいな部屋で寝泊まりしながら、ここで働いているんですよ」
「……」
山本の言うように何だか滅茶苦茶な人みたいだな。
インターホンが鳴る。
モニターには北中の顔が写っていた。
鍵を開けて中へ入れる。
「おう、山本。いつもの」
山本はコーヒーカップにインスタントコーヒー、そして砂糖を十杯入れてからお湯を入れた。
明らかに砂糖の分量がおかしくないか?
思わず声に出す。
「え、山本さん。それ甘過ぎじゃないですか?」
「北中さんはいつもこうなんですよ」
何事もないように甘過ぎるコーヒーを出す山本。
美味そうにコーヒーを飲みながらゲームをする北中を見て、いつ糖尿病になってもおかしくないないと思う。
一万円も使わない内に北中は席を立つ。
「山本、〆が終わったら下に持ってくるだよ」とだけ言って、メロンへ降りていく。
北中が出ていくと、山本は大きな溜め息をつく。
「どうしたんですか?」
「え、いや…、毎日の事ながら北中さんは本当にセコいなあって……」
本来オーナーなんて身勝手なもの。
多少の無理難題は仕方ないものである。
「まあまあ…、北中さんがこの店のオーナーだからある程度の事はしょうがないじゃないですか」
「え? 岩上さん、北中さんはオーナーなんかじゃないですよ?」
キョトンとした表情の山本。
「別にオーナーがいるって事ですか?」
てっきり北中の店だと思っていた分、衝撃は凄かった
「この店のオーナーは金子さんです。北中さんは…、なんて言ったらいいんですかね……」
「番頭みたいなもんですか?」
「いえ、そもそも北中さんはまったくウチと関係無いんですよ」
「……」
フィールドと北中は関係無い?
さすがにそれはないだろ?
そもそもここで働くように持ち掛けたのは北中である。
山本の話す意味合いがよく分からなかった。
「岩上さんはまだ二日目だから分からないでしょうけど、この店ってヤクザ者の客多いんですよ。それで金子さんに北中さんが多少は顔利くからとしゃしゃり出てきて……」
「北中さん、面倒見良さそうですからね」
俺の台詞に驚く山本。
「岩上さん…、おいおい分かると思うんですけど、北中さん…、あの人、金に関しては悪魔ですから」
「悪魔?」
「はい、本当に金に関しては酷いですよ。岩上さんも北中さんからいくら借りたのか分かりませんが、気を付けて下さい」
何故彼は、俺が北中から金を借りたなんて思うのだろうか?
真意は分からないが、変に誤解されたくもないので正直に答える。
「え? 俺は金なんて借りてないですよ!」
「本当ですか? それは失礼しました。突然北中さん紹介で岩上さんが来たので、てっきり金でも借りているのかなと思いまして」
ゲーム屋の一従業員からここまで酷い言われようの北中。
分からない事だらけだが、気を付けたほうが良さそうだ。
ひょっとしたら山本は、オーナーが金子で名義社長が北中と言いたかったのではないだろうか?
「山本さん、北中さんがこの店の名義なんですか?」
「いえ、違いますって! あの人は全然無関係なんですよ。名義は遅番にいる小泉さんが名義です。その前は秋葉さんでしたけど」
山本の話によると、〆用紙を持って来いと言うのは北中がフィールドの各台のINとOUTの比率を見てどの台が出易いかチェックする為。
そしてゲーム数を見て、どの台がロイヤル出易いかを調べる為だけだと言う。
確かに台の設定を知っていれば、INとOUTの差でどの台が出易いかは分かる。
ロイヤルにしてもゲームの回転数で決まるから、メーター画面さえ見れればイージーだ。
「これ見て下さいよ」
山本は店内の壁に貼ってあるロイヤルの様々なプリンター用紙を指す。
白黒画面の余白にはロイヤルが出た日付け、そして出した客名が書いてある。
「これ…、北中さん以外に清水とか迫田とか名前あるじゃないですか」
「はい」
「名前違うの書いているだけで、全部北中さんなんですよ、ロイヤル出してるの」
「これ全部がですか?」
「稀に他の人もありますよ。ほら、ここに山崎さんとか宮部さんとかあるじゃないですか。そういうの除けばほとんど北中さんが出したやつばかりです」
それが事実なら、九割は北中がロイヤルを出している事になる。
「オーナーの金子さんは、うまい具合に利用されちゃっているだけなんですよ」
何だか面倒臭そうなところへ放り込まれた。
二日目のゲーム屋はそんな印象だった。
ここのオーナーは金子……。
「あ、ここの岩上さんのデズラは店からでなく、北中さんが渡すそうですよ」
「分かりました」
十五時になり、下のメロンへ降りる前にも「岩上さん、北中さん、金に関しては悪魔ですから」とまた言う。
何だか嫌な話を聞いたものだ。
これから二時間、その金に関して悪魔な北中の元で働くのだから。
俺はノートパソコンを鞄に仕舞い、重い足取りのまま階段を降りた。
昨日と同じく俺がメロンへ到着すると、北中はすぐ上へ向かう。
山本が〆をした店のデータが気になって仕方がないのだろう。
テーブルの上に置いてある吸い殻が山のように積もった大きな灰皿。
こんなになる前に捨てればいいのに。
吸殻をゴミ袋へ捨てると、埃臭い店内の掃除を始めた。
背後に人の気配を感じ振り返ると、冴えない小太りの中年サラリーマンが入口にいる。
「い、いらっしゃいませ」
客は俺の事などまったく気にせず、椅子へ腰掛けビデオのファイルをパラパラとめくっている。
裏ビデオ屋では初めての客。
特にする事もないので、ノートパソコンを開いて起動させた。
ボリュームを小さくしてパソコンゲームのエイジオブミソロジーを始める。
少しして客は立ち上がり、俺の目の前に手書きのメモ用紙を置く。
確か受話器の履歴に倉庫があるから、そこへ連絡してビデオを持ってきてもらうんだよな?
倉庫へ電話を掛けた。
三コールも鳴り終わらない内に「はい」とぶっきらぼうな感じで電話に出る相手。
「え…、えーと……」
「早く! ビデオ? DVD?」
確かビデオならタイトル名、DVDなら番号だから、ビデオだよな?
「ビ、ビデオです」
「早くタイトル言って!」
妙にせっかちだな、コイツ……。
「も、漏らしちゃイヤン……」
「はい、あとは?」
「と…、時々でいいの、隣の団地妻3」
卑猥なビデオのタイトルを口に出して話すのが、こんなに恥ずかしいものだとは思いもしなかった。
「あとは?」
「せ…、洗濯屋ケンちゃん」
「あとは?」
「以上三本です」
電話はすぐに切れる。
俺は値段表を見て客に「五千円になります」と言う。
小太りサラリーマンはしわくちゃの一万円札を黙ってテーブルへ置く。
引き出しにある財布から、五千円札を取り出し渡す。
客は金を受け取ると、奥のソファへ腰掛け冷蔵庫にある缶コーヒーを勝手に取って飲んでいる。
十分もせず、倉庫の人間らしき牛乳瓶メガネの太った男が店に来て、テーブルの上に三本のビデオテープを置く。
急いで来たのか汗を掻き、ブヒブヒと荒く息をしている。
牛乳瓶メガネは帰り際、冷蔵庫から缶コーヒーや烏龍茶の缶を数本バックに放り込み黙ったままメロンをあとにした。
何ていうかまるで豚のような人だ。
人間として最低限の礼節もないのか?
俺は紙袋に三本のテープを入れて客へ渡す。
「ありがとうございました」
小太りサラリーマンは黙ったまま店を出た。
これがビデオ屋の一連の流れなのか。
何かぬめっとした苦手なタイプの客だったな。
苦手だが、このメロンに置いてある商品ぐらい少しは把握しておくか。
普通エロビデオといえば男は誰でも興奮するが、何十種類も目の前にすると却ってうんざりしてくるから不思議だ。
ずっと上のフィールドだけで働きたいなあ。
その後客は誰一人も来ないまま二時間が経つ。
五時を少し過ぎて北中が降りてきた。
北中は数十万の札をテーブルの上に置き、丹念に綺麗な札と汚い札を分けている。
「おう、お疲れ。明日も頼むだよ」
そう言って北中は、一番汚い一万円札を俺に手渡してきた。
「あー、明日からここに前からいる従業員いるから」
こんな狭く暇な店で二人も従業員が必要なのか?
「分かりました、ではまた明日」
とりあえず返事だけはしておく。
これで二日目が終了。
何とも言えない不安だけが残る。
川越へ帰ってからパソコンのメールを開く。
また清藤祐希からのメールが届いていた。
現状の遣る瀬無さを誤魔化すように、俺は彼女へ返事をする。
すると突然携帯電話が鳴った。
妙に積極的な祐希は、番号を教えるとすぐ連絡をしてきたのだ。
「はじめまして、清藤祐希です」
「岩上智一郎だ」
「うわー…、智って凄いいい声しているね」
「おまえは何歳なんだ?」
「昭和四十六年だから、智と同じ年だよ」
「俺のあんな素人演奏の何がいいの? ピアノなんて俺は拙く下手糞だろ」
「だって格好いいもん……」
この時以前自分の品川春美へしていた行動が、少しだけ理解できたような気がした。
自分の気持ちを全面的に出したところで、相手側が受け取る気がなければテンションの違いから重いプレシャーを感じるだけだと……。
俺がこれまで春美へした事。
ひたすら彼女の気持ちをイエスかノーの二択で迫り、考える余地させ与えなかった。
最初は向こうも少しは俺に対し気持ちはあったはず。
だからこそ誕生日という節目を俺と一緒にいたのだ。
だが暴走した俺は、心の準備のできてもいない彼女へ酔った勢いで身体の関係を迫り、口を開けば俺の女になれと豪語した。
それ以外はピアノを捧げると一人で勝手に盛り上がり、春美の気持ちなどこれっぽっちも考えていなかったのである。
要は自分のした行為は、ただの身勝手な押し付けに過ぎない。
清藤祐希の妙な積極性が自分に来た事で、初めて反面教師となって自覚した感覚だった。
「ねえ、智。ちゃんと話を聞いているの?」
「ああ、聞いているよ」
初めて話すのに、智智と気安い女だな……。
この女を俺が気に入る事はないんだろうなと、早い内で何となく分かる。
だが美人な事は美人なので、一度ぐらいは抱いておきたい。
もちろんこんな本音を言う訳ないが、盛り上がる祐希に対し、心の中で永遠のピンチヒッターでしかないからなと呟く。
「智は格好いいからモテるでしょ? 私はそっち行くまで女作っちゃ駄目だからね!」
早くも彼女気取りをしているが、適当に話を合わせつつ馬鹿な女だと思いながら相槌を打つ。
ただ一度やりたいだけだと言ったら、どんな顔をするのだろう。
祐希とのやり取りで分かったのが、俺は女に追い駆けられるよりも、自分で追い駆けたいタイプだという事。
それを自覚するほど、彼女との会話の内容はつまらなく思えた。
一度会って抱くまでというだけの場繋ぎ。
男って本当に悲しい生き物だな……。
電話を切ると、明日に備え布団へ横になった。
闇 25(裏ビデオ屋メロン編)
闇 25(裏ビデオ屋メロン編)

2024/09/27 fry
2025/08/28 thu
前回の章
ゲーム屋フィールドに到着すると、昨日とは打って変わってか客が六人ほどいた。
大方の客が夜からハマり、熱くなってそのまま朝までゲームをやめられないパターンだろう。
「お、新顔だ」
「何だか真面目そうだぞ」
客は俺を見て好き勝手な事を言っている。
一応頭を下げながらカウンターの方へ行き、従業員に挨拶を済ませる。
早番の山本と目が合ったので話し掛けた。
「朝なのに結構お客さん残ってますね」
「ええ、そうですね。岩上さん、少しは慣れましたか?」
「うーん、今日で三日目だし、まだまだですね」
「頑張って下さい」
「はい、よろしくお願いします」
よほど夜の時間帯が忙しかったのか、遅番の秋葉と小泉もやっと帰れるといった感じの安堵の表情を浮かべている。
「入れてー」
客がINを要求しているので、俺は素早くホール内を駆け回る。
やがて遅番の人間も帰り、俺と山本の二人になる。
客はまだ四人ほど残ってゲームをしていた。
「お、新しい人は中々動きがいいね」
「気が利くなー」
客が俺の事を褒めてくれる。
人に褒められて嫌な奴はいない。
俺は新しい職場というのもあって張り切っていた。
忙しい時、時間の進みは早い。
チラッと時計を見ると、昼の十二時を過ぎていた。
「岩上さん、そろそろ腹減ってないですか? 自分がやるから飯喰って下さいよ」
「すいませんね」
出前で『かど平』というそば屋のカツ丼と天婦羅うどんを頼む。
朝起きてから食べてないので、腹が減っていた。
「岩上さん、かど平で頼んだんですか?」
「ええ」
「あそこのカレーがうまいんですよ。シンプルな昔ながらな素朴な感じが」
「へー、そうなんですか」
山本は突然吹き出すように笑い出した。
今の会話で一体何がおかしかったのだろうか。
「どうかしたんですか?」
「かど平で出前とったんですよね? これから面白いもの見られますよ」
「……?」
彼の言う面白いものというのが妙に気になる。
その時、チャイムが鳴った。
モニターを見ると出前持ちが立っていた。
山本が鍵を開けると出前持ちの小柄なおじさんは「毎度」と言いながら店内に入ってくる。
カウンターの上に注文したカツ丼と天婦羅うどんを置き終わるのと、缶ジュースの入ったガラス張りの冷蔵庫を見ていた。
「あの、どうかしましたか?」
あまりにも冷蔵庫をジッと無言で見ているので、俺はおじさんに声を掛けた。
「ここのお茶、おいしいんだよね~」
「え……?」
「ここのお茶、特別うまいんだ……」
冷蔵庫に入っているのは、ただの烏龍茶の缶だが……。
「おじさん、喉乾いてんでしょ? お茶、持ってけば」
山本がおじさんに笑顔で言った。
「おう、悪いねぇ…。お、俺、ここのお茶好きなんだよなー……」
おじさんはそう言いながら、右手に烏龍茶、そして左手にもう一本持っていた。
随分ちゃっかりしたものだ。
それにしても缶の烏龍茶なのに、ここのお茶も何もないと思うが……。
「ね、岩上さん。あのオヤジ、受けるでしょ」
「随分と調子いいオヤジですね」
「毎回そうなんですよ。物欲しそうに缶ジュースを見て、こっちが声を掛けるまでずっと待ってんですよ。あげると、ちゃっかりもう一本持ってくんですよね」
山本の言う面白いって事が何となく分かった。
鉄柵を開け、地下へ行く階段を降りると、右手にビデオ屋があり左手に北中の事務所がある。

昨日もう一人いるという従業員の姿が見えた。
ビデオ屋の従業員はテレビをボーっと眺めているだけで、俺の方を向こうともしない。
パッと見でいい加減な奴だなと感じる。
まあ、どっちにしても俺には関係ない事だ。
反対側にある事務所のドアをノックする。
「すみません、岩上です」
「おう、入れ」
「失礼します」
北中は脚を組んで椅子に座ってはいたが、妙にデカく感じる。
北中は元々身長が高い。
見た感じ百八十五センチぐらいはあるだろう。
しかしその身長を考えても、椅子に座っている姿は高い。
特に上半身部分が異様に長いのであろう。
このような体型を一般的に胴長短足とも呼ぶ。

髪型はちゃんと整えてないのか、パーマを掛けてそのまま放置している感じで、だらしない感じが分かる。
あのメロン店内の汚さから見ても、掃除などまるでしないので本当に面倒臭がり屋なのだろう。
四角い黒ぶちのメガネを掛け、醜く弛んだ二重あご。
「とりあえず自分はどうしたらいいですか?」
「今日で三日目だよな。横のビデオに従業員いただろう?」
「ええ」
「まずビデオ屋の仕事を覚えてもらうだよ」
ビデオの仕事…、客が来て売る以外に何かあるのか?
俺も新宿にしばらくいたからビデオ屋の存在自体は知っている。
無修正の裏ビデオを売っている店という認識程度。
「分かりました。でも、全然仕事内容は分からないですよ。この二日間で客も一人しか来てないですし」
「なあに、簡単だよ。誰でもできる仕事だ」
「はあ……」
「横で浦安って従業員がいるから、そこで五時まで二時間仕事教わってくれ」
「はい」
一礼して事務所を後にする。隣のビデオ屋は入り口のドアが開きっ放しなので声を掛けて中に入るが、そこで働く従業員浦安からの反応は何もなかった。
「すみません、あのー……」
さらに声を掛けても、まったく反応がない。
心配になり様子を伺うと、浦安は仕事中なのも構わず熟睡していた。
「あのー…、浦安さん。すみませーん…。起きて下さいよー」
それでも微動だにしない浦安は、ある意味大物に感じた。
背後に人の気配を感じる。
「おい、おまえは……」
北中が部屋に入ってくる。
構わずツカツカと浦安に近付き、いきなり頭を引っ叩きだした。
「おまえは仕事中、何をしてるだよ」
「イテテテ…、お、お疲れさまです」
「お疲れさまじゃないだよ。おまえは仕事中、何度寝るなって注意すれば分かるだよ」
「すいません、すいません……」
「すいませんは一度でいいだよ」
「痛っ、痛いですよ。勘弁して下さいよー……」
「うるさいだよ。口答えすんな。この馬鹿が…。売り上げはどのぐらい言ってんだ」
「え、えーとですね…。二万円です」
「この馬鹿が…。いつも居眠りばっかりしてるからだ」
再度頭を叩かれる浦安を見て少し可哀想に思う。
照れ隠しなのかそれでも卑猥な笑みを浮かべる浦安。
見た感じ年齢は四十代半ばだろうか。
俺も十年数年経てば、浦安ぐらいの年齢になる。
その時が来たとしても絶対にこうはなりたくない。
浦安が怒られている間、俺は店の中をグルリと見渡した。
壁の至る所に写真やエロ雑誌の切り抜きなどが貼られている。
「おい、岩上」
「はい。何でしょうか?」
「コイツが浦安だ。こいつに仕事を色々教えてもらうだよ」
「はい。あっ、はじめまして、岩上といいます。よろしくお願いします」
「じゃあ、俺は戻るからな。五時になったら一度顔を出せよ」
「はい、分かりました」
北中がこの場を去り、俺と浦安の二人になった。
浦安はまだ眠そうに目をトローンとさせた。
仕事に対する意欲というものが、この男には欠けている。
この歌舞伎町でも負け組と呼ばれる人種に入る人間だ。
「あのー、だいたい仕事内容ってどのような事をやるんですか?」
「ここに座ってて、来た客に売るだけだよ」
「いや、それは分かりますけど、自分は初心者なんです。まずどうすればいいのかぐらい教えて下さい」
またうるさいのが来たなという感じで浦安は煙たそうに俺を見ていた。
初対面で判断するのは間違っているかもしれないが、それでもこいつはクズだと言いたい。
「その辺、適当にどっか掃除でもしててよ」
「本当にそれでいいんですね? お言葉ですが、あとで北中さんに仕事の事でどうだと聞かれたら、俺は正直に何も教えてもらえませんでしたと伝えますよ。困るのは浦安さんだと思いますけど……」
「え…、あ…、そ、それはちょっと困るなー」
北中の名前を出したのが効いたのか、浦安の表情が切り替わる。
その程度で自分の意思が変わるなら、最初からちゃんとやればいいのに……。
このクズめと、心の中で呟いてみた。
「うちはね、ビデオが八本で一万。DVDが四枚で一万」
「それはそこの壁に書いてあるから見れば分かりますよ。一つ聞いていいですか?」
「ん……?」
「ここにあるビデオやDVDって、全部モザイク掛かってないやつですか?」
「そんなの当たり前でしょ」
「自分、全然こういうの見ないからよく分からないんです」
「だからー、あとは来た客にそれを売るだけだって」
「そうですか。了解です」
これ以上、話しても無駄だという事に気付いた。
教える気がないなら無理に聞く事もないだろう。
どうせあとで北中にガミガミ言われるのは、浦安本人なのだから……。
掃除をしていると、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
入り口を見ていると、現れたのは中年の冴えないサラリーマン。
ヨレヨレのスーツを着て、くたびれた顔をしている。
「いらっしゃいませー」
俺が挨拶しても、中年サラリーマンは無視して店内に貼ってある写真をジッと眺めている。
横目で浦安を見ると、鼻クソをほじっていた。
やがて次第に目がトローンとしだし、また眠り出す。
こんな場所で俺は約二時間も過ごさなきゃいけないのか……。
まるで人生の掃き溜め場だ。
ワールドワンの頃が懐かしく感じた。
写真を食い入るように見ている中年サラリーマンは、壁に顔をくっつけそうな勢いだ。
よく若い女が「キモい」という言葉を使っているのを聞いて酷いと思うが、確かにこのオヤジはその言葉が本当によく当てはまる。
あちこち色々写真を見ていたが、やがて俺たちのいるカウンターに近寄ってきた。
表情を見て感じたのは、明らかに普通のサラリーマンと違う目つきをしている点である。
「ねぇ、ちょっと……」
「は、はい。何でしょうか?」
「あれ、ないの?」
ボソッと小声で聞くデブサラリーマン。
「え、あの…。あれって言われましても……」
「ロリータだよ。ロリータ」
いきなりコイツは何を言っているのだろうか……。
漫画やドラマの世界でしか見た事のない人種を初めて目の辺りにした。
全身に鳥肌が立つ。
「浦安さん。浦安さん…、ちょっとっ!」
うたた寝している浦安を強引に叩き起こす。
「うーん…、何だよー」
「お客さんですよ。お客さん」
「あー、いらっしゃい。何か?」
「ロリータは……?」
「はいはい、ちょっと待ってて下さいねー」
浦安は店の奥にある棚に行き、青いファイルを手に持ってきた。
中年オヤジの生唾を飲む音が聞こえる。
「どうぞ。ただし、こちらの作品は少し高いですよ、お客さん」
そう言ってニヤける浦安の顔を見て、再び俺は鳥肌が立ってしまった。
信じられない光景だった。
いい年こいた中年のサラリーマンが右手に紙袋を持って鼻息を荒くしながら店を出て行く。
あの紙袋にはさっきのロリータビデオが二十本。
あんな物に六万円も払うだなんて……。
「どうだ。まとめて買ってくれたとはいえ、一気に六万だぜ、六万!」
「浦安さんて、凄いっすね」
とりあえず心にもない事を言ってみた。
「いやー…、そうでもないけど、まあこれで北中のオヤジにも文句は言わせねえよ」
浦安は得意気な顔で語っている。
ロリータのビデオを変態相手に沢山売ったからって、何を自慢してやがんだ、このうじ虫野郎が……。
表面上は仕方なく合わせて笑っていたが、苛立っていた。
内心、コイツをぶん殴りたくてウズウズしている。
「まず売り方のコツだけどな……」
仕事する場所を少し軽はずみに決め過ぎてしまったか。
そんな考えが頭の中を行き来する。
「おい、俺の話、ちゃんと聞いてるのかよ?」
ボーっとしている俺に浦安が怒鳴りつけてくる。
別にもう北中の所は辞めてもいいか……。
そんな投げやりな気持ちになっていたので、俺は浦安を睨みつけた。
「な、何だよ…、怒ったのか? 別に俺、そんな強い言い方してないだろ?」
情けない典型的な小判鮫野郎。
外見を見ただけで小心者だと感じたが、ちょこっと睨みつけただけでここまでビビるとは……。
「別に俺は怒ってないですって。たまたま上目遣いにしたのがそう見えたんじゃないですか?」
「なーんだ、あんまり驚かせんなよ。せっかく同じ職場で働くんだし、もっとフレンドリーにいこうよ。分からない事あったら何でも聞いてくれればいいよ」
調子のいい奴だ。
しかし向こうが仲良くしようと言っているのをわざわざ突っぱねてもしょうがない。
ここは話題を変える為にも、仕事の件で素朴に感じた事を聞いてみるか。
「ええ、よろしくお願いします。壁とかに色々と写真貼ってありますけど、これって全部裏なんですか? モザイクの入っていない…、たまに薄消しとか書いてあるものもありますけど」
「ほとんどが裏だけど、薄消しもあるよ」
「裏とか薄消しとかって、初めてなんでよく分からないんですよ。客としても、こういうビデオ屋って一度も来た事がないので」
「簡単に言うと裏はモザイク無しで、薄消しは少しモザイクが残ってるって感じだね。ハッキリとは見えるけど」
「それだとみんな裏のやつしか買わないですよね?」
「みんなそれぞれ好きなAV女優っているだろ? その女優が出ているDVDを探して、もし見つかったとしても、薄消しの作品はあるけど裏はないって言ったら、やっぱ客はそれを求めるし買うだろ?」
「うーん、そうですね」
「だから品揃えを出来る限り多くして、あとは客が来るのを待つだけの商売なんだよ」
「そういうもんなんですか」
「そういうもんだ」
俺も男だから、エロビデオに興味がまったくないという訳ではない。
やっぱり自分好みの女優が出ている物があったら見てみたいというのが男の性だ。
レンタルビデオに行けば沢山あるし借りられるけど、いちいち返すのが面倒臭い。
それにモザイクなんて、ないほうがいいというのが人間の心理だと思う。
人間の欲望が見える商売。
そう考えるとゲーム屋より、面白い商売かもしれない。
「例えばさー、表のAVで有名な及川奈央の裏があるなんて言ったら、みんな男だったら絶対見てみたいだろ?」
「うーん…、その名前を聞いた事ぐらいはありますけど、自分ほんとに見ないんで…。そういうのよく知らないんですよね」
「えっ、及川奈央を知らないの?」
「そんな俺が悪者みたいな言い方をしなくても……」
「だって去年の人気AV女優ナンバーワンだよ。知らないってほうがおかしいじゃん」
何故、彼がこんなに熱く語るのか俺には分からないが、余程のお気に入りのAV女優なのだろう。
地下一階の裏ビデオ屋。
当初思ったより暇な店だった。
もう五時になろうとしているのに、あれから客が二人しか降りてこない。
「そろそろ時間でしょ? 明日もメロンに来るの?」
「メロンって何ですか?」
「何って、ここの店の名前だよ」
ヘンテコな名前だ。
もし俺がここで電話をとったら「お電話ありがとうございます。メロンです」とか言わなければいけないのだろうか……。
「何だか面白い名前ですね」
「もう今年でこれでも十年目を迎えるんだよ。俺はまだここ十ヶ月ぐらいしか働いてないけどね」
メロンは歌舞伎町でも辺ぴな場所にあるのに十年もやっているのか。
少し驚きだった。
浦安は時間潰しの話し相手ぐらいになりそうだ。
時計の針が五時を過ぎると、北中がメロンに入ってきた。
「おう、岩上。今日はもう上がっていいだよ」
「あ、お疲れさまです」
「北中さん、俺、さっき一人の客にロリータ六万円分売りましたよ」
両手を擦り合わせて媚びる浦安。
傍から見ていてまるで犬が飼い主の機嫌をとるように見えた。
俺が年をとったとしても、こうはなりたくないもんだ。
「何、六万? 俺ならもっと売っただよ」
厳しい北中の発言に浦安はしょんぼりとなっている。
「それより財布よこせ」
浦安はテーブルの一番上の棚を引き出し、売り上げが入っている財布を手に取った。
毟り取るように財布を奪うと、北中は中の金を念入りに数え、一万円札を一枚一枚これでもかというぐらいチェックしている。
「岩上」
「はい?」
「おらっ」
何故金を渡すのに、こんな威張っているのだろうか?
北中は一万円札を一枚、突き出してきた。
今日の日払いの金だろうか。
そういえば俺は、まだ給料をいくらもらえるのかすら何も聞いていない。
財布に金をしまう時に、浦安がジッと見ているのが妙に気になった。
まあこんなクズの視線をいちいち気にしてもしょうがない。
北中へ疑問に思った事を聞いてみる事にした。
「えーと、すみません。このお金は何のお金ですか?」
「何って今日の給料だよ。ゲーム屋風に言えば『デズラ』だ。残りの端数は月末な」
「あのー…、自分の給料って、日払いだといくらになるんですか?」
「日払いじゃないだよ。時間給で千二百円だ。朝七時から働いてるんだろ? だから通常十時間働くから一日一万二千円。今、一万は渡したから残りの二千は月末にまとめてって事だ。何も問題ないだろ?」
上のフィールドで八時間一万円。
つまりメロンだと時給千円しか出ないという事になる。
二日目から山本が今日から俺の給料は下で北中が渡すと言っていたが、あれはこういう事だったのか……。
金に関して悪魔だと再三言っていた山本の意味合いが、少しだけ理解できたような気がした。
「……。ええ、分かりました」
内心、結構ショックを受けている。
時間給千二百円って、歌舞伎町にある牛丼屋の深夜アルバイトの時給よりも低いからだ。
俺はゲーム屋や、今いるビデオ屋もすべて裏稼業だと思っている。
何故なら警察に捕まる可能性があるからだ。
その裏稼業が表のファーストフードみたいな所より時給が安いのはおかしいような気がした。
「じゃあ、今日はもう帰っていいぞ」
「はい、お疲れさまです。それでは失礼いたします」
「あのー、北中さん……」
「何だ?」
「自分もできたら、あとちょっと…、少しでもお金を回してもらえたら……」
「バカヤロー! おまえは俺に、まだ借金が残ってるだろが? そんなの我慢しなきゃあしょうがないだよ」
「は、はい…、すいません……」
今のちょっとした会話で、浦安は北中に借金があるのが分かった。
山本が俺に北中からてっきり金を借りているものだとばかり思ったと誤解したのは、こういった人種しか周りにいないからだ。
惨めに媚びへつらう浦安。
金も渡さないくせに王様気取りの北中。
聞いていて非常に嫌な会話である。
俺は暗い気分のまま、メロンをあとにした。
地下の階段から表に出て一階フィールドの入り口を見る。
看板も何もないので、誰もそこにゲーム屋があるとは思わないだろう。
早番の責任者の山本の台詞が浮かび上がってくる。
「北中さん、金に関しては悪魔ですから気を付けて下さい」
この台詞といい、ビデオ屋メロンの浦安の借金といい、仕事三日目なのに何だか少し不安になってきた。
いやいや、嫌な方向へ考えるなよ。
ここを失って他にどこへ行く?
あれだけあった金を使ってしまい、働かなきゃ生活できないんだ。
俺は雇われの立場なのだから……。
明日もまた早い時間から仕事だ。
家に帰ると清藤祐希から山のようにメールが届いていた。
面倒なので見ずにそのまま睡眠を取る。
こんな朝五時半起きの生活がいつまで続くのだろうか。
一日の内、ゲーム屋で働き、ビデオ屋の仕事もこなす。
どっちつかずの状況で一体、俺はどうなっていくのだろう。
先のことを想像すると精神的に暗くなってしまう。
ノートパソコンをバックへしまい、身支度を整えて家を出た。
揺れる電車の窓に写っている自分の顔をボーっと眺める。
非常にシケた面をしていた。
普通のサラリーマンみたいに真っ当な職でも探すとするか……。
いや、それでは何の為に歌舞伎町へやってきたのか、まるで意味がなくなってしまう。
それにこの街が、一番俺には合っているような気がした。
川越の水も浅草の水も合わず、新宿の水が泳ぎやすいからこそ、俺は歌舞伎町を選んだのだろ?
ここへ来た時の初心を忘れるな。
再び窓に写る自分を見ると、さっきより幾分かは表情が締まって見えた。
まだ今の仕事は始まったばかり……。
働きやすくなるもならないも、すべて自分次第なのだ。
どんな形であれ俺はあの街で成り上がり、金を稼げるようになってやる。
新天地四日目が始まる。
相変わらずフィールドは客がいない。
そういえば俺がここの仕事に入る前に、一ヶ月ぐらい休みとっているという従業員がいるって言っていたな。
その彼がここへ戻ってきたら、俺はどうなるんだ?
まさかメロン専属……。
山本に聞いてみるか。
「山本さん。自分が最初に来た時、早番で誰か長い休みをとっていると言ってましたけど、その人が戻ってきた場合、俺はどうなるんです?」
「ああ、諏訪さんの事ですか。うーん、自分としては岩上さんにこのまま居てほしいんですけどね。さすがにそれじゃ諏訪さんもアレだろうから、岩上さんはメロンが主戦場になるんじゃないんですかね」
「……」
嫌な予感だけは的中する。
子供が生まれ静岡に帰っているという諏訪。
もし俺が結婚して子供がいたら、こんな世界で仕事をしているだろうか。
つい自分の事に置き換えて考えてしまう。
誰も客がいないので、椅子に座ってタバコを吸っていると、山本が話し掛けてきた。
「昨日、北中さん、金に関して悪魔ですって言ったじゃないですか?」
「ええ」
ちょっとした昨日の日払いのやり取りでも、セコいという事だけは分かっていた。
「今、休みとっている諏訪さんの件なんですけど、帰る時に北中さんから金を借りたんですよ。二十万円。そしたらずっと自分に、愚痴を言ってくるんですよね」
「金を借りといて愚痴? それって諏訪さんがおかしくないですか?」
「最初に二十貸してくれって言ったら、北中さんが次の日に用意するって言われて、次の日、下の事務所に行ったらしいんですよ。それで渡された金を数えたら、十八万しかなかったんです」
「え、変じゃないですか? それとも数え間違いとか……」
「違うんですよ。諏訪さんが言われたのは、月一の利息だからって最初に利子分の二万を引いて渡したらしいんです」
「月一って何の事ですか?」
「月に一割利子がつくって意味です。諏訪さんは二十万を借りたから、その一割の二万を利子として引かれた訳です。従業員から利子をとるなんて酷いと思いませんか? 自分で面倒を見ている従業員にですよ。そのあと何て言ったか知ってます?」
「いえ……」
「『いいか、諏訪。今月の終わりには四万持って来いよ。そしたら利子が二万の、元金が二万減るだよ。その次は三万八千で済むだよ。そうすれば、元金が減っているから毎月二千円ずつ減っていくんだぞ』って言ったんですよ。他人ならともかく、よくテレビでCMやっている金融屋よりも利子が高いんですよ。鬼ですよね」
北中の物真似はあまり似ていないが、山本の言う台詞はもっともだと思う。
仮に利子をとるとしても、もうちょっとやり方ってもんがあるはずだ。
「昨日、下で働いていた浦安さんっているじゃないですか?」
「はい」
「浦安さんも北中さんに借金があって、働いた金のほとんどを回収にされているみたいですよ。いつも金がないってボヤいていますよ」
浦安に借金があるのは、昨日北中とのやり取りで知っている。
しかし、あえて黙っておく事にした。
「給料からどのくらい、借金返済に当てているんですか?」
「どのくらいもらっているか分からないですけど、いつも天引きされて五万しか残らないって、泣きそうな顔して愚痴っていますよ」
少しだけ北中ワールドの片鱗が見えたような気がした。とても嫌な気分だ。できれば聞きたくない内容だった……。
ただ、北中だけが一方的に悪い訳ではない。
ちゃんと働いているのに、金を借りる方もだらしない。
現に俺はキチンとこれまで金をもらえている。
そう思うと、北中もあえて心を鬼にして利子をとっているのかもしれないと感じる。
それは俺の思い過しだろうか……。
「そういえばフィールドって、看板とか一切出していないようですけど、それで営業大丈夫なんですか?」
「ああ、前はこれでもちゃんと看板出して営業していたんですけどね。一度警察が警告に来ちゃったんですよ」
「警告だけで済んだのですか?」
「ええ、そうなんですが、その時も北中さん、酷かったんです」
「酷かったって?」
「うちも警察を警戒して看板をしまって今のように営業していたんです。とある客二人が地下のメロンへ行き、北中さんに聞いたらしいんですよ。『ゲーム屋はどこ?』って。すると北中さんは『案内するだよ』って、うちに来てインターホンを鳴らしたんです。こっちは北中さんの顔しか見えない訳ですからね。普通にドアを開けると見た事のない客がいる。そしたらいきなり客二人は警察手帳を出して『警察だ』って」
「でも警察も客のふりしていたんだから、分からないケースだってあるじゃないですか」
「それがですね、北中さんに警察が聞いてきたんです。『おまえがここのオーナーか?』って。すると『俺は関係ないだよ』ってメロンへ逃げてしまったんですよ。自分で警察を連れてきといて……」
「あらら」
人には偉そうにこの店は俺が面倒を見ていると言っておきながら、実は何の実権も関係性もない。
しかも裏稼業の店へ警察を連れて来るといった最悪の事をしておきながら、責任逃れ……。
「まあ、その時うちも客が誰もいなかったので警告で済んだ訳なんですけどね」
「それ以来、看板は出さないような方針に?」
「ええ、そうです。俺、あれで思いましたよ。あの男は信用ならないなって」
山本は当時の様子を思い出したのか、カリカリしていた。
セコい。
金に汚い。
誇張して威張る。
責任は取らない。
「……」
一体どこに北中のいいところがあるのだ?
まあ人の好さそうに見える部分はあるな。
それと俺を即決で採用するような決断力も。
本来面倒見はいいのかもしれない。
「あ、昨日岩上さんがノート持ってくればと言うので、今日持ってきたんですよ。昨日のゲームできるようにできますか?」
「ああ、お安い御用ですよ」
俺は山本のパソコンに『エイジオブミソロジー』の体験版をインストールして、操作の説明をする。
「凄いっすよ、岩上さん!」
「いやいや…、ただソフトをインストールしただけですから」
「お礼に飯奢ります。どこの出前取りますか?」
「山本さん、大袈裟ですって」
「それじゃ自分の気が済まないので。本当に何か食べて下さい」
掃き溜めに鶴じゃないが、彼と一緒の番で働いた事が、ここで仕事の中で一服の清涼剤なのかもしれないな。
気がつけばもう三時五分前。
フィールドでの仕事が終わり、下に降りてビデオ屋の仕事の時間がやってくる。
今日で仕事四日目だったが、早くも少しうんざりしていた。
北中の人柄といい、借金まみれの浦安。
碌な人間がいないのだ。
そしてビデオ屋の仕事内容が、自分にとって恥ずかしい業種だという意識があるからだろう。
「岩上さん、もうそろそろ下に行く時間じゃないですか?」
「ええ、そうですね」
「もう行ってもこっちは大丈夫ですよ、客もいないですしね」
「山本さん、ギリギリまでここにいちゃ、駄目ですか?」
「え、べ、別に構わないですけど…。どうかしたんですか?」
「さっき北中さんのあんな話聞いたじゃないですか。従業員に金貸して利子とったとか、金に関して悪魔だとか…。さすがに下に行くの、ちょっと気が重いですよ」
「でも北中さん、岩上さんの事を凄い期待していましたよ。いつも夜になるとフィールドに寄ってゲームするんですけど、その時に『今度入った岩上はいいだろう」って言っていましたし。あいつは俺が入れたんだって、自慢げにしていました。ちょっと何かあるとすぐに自分の手柄というか自分のお陰だって、威張るのが好きなんですよね。実際ここの客にもかなり嫌われてますし」
何て答えたらいいのか返答に困る。
山本自体は、北中からそこまで迫害を受けていないはず。
それを何故こうまで悪く言うか、理由が分からなかった。
相当ストレスが溜まっているようにも見える。
まあ確かに自分の働く店で、無関係の人間がいいように好き勝手していたら、嫌いになるのは当然だよな。
オーナーは別で、金子という人だと言っていたけど、その人は北中に何も注意しないのだろうか?
「ここのオーナーは、北中さんに対して何も注意しないんですか?」
「ああ、金子さんですか? あの人も駄目っすよ。いいように利用されているの気付かず、北中さんに好き勝手させてんですから」
一介の従業員がそこまで言うのは、ちょっと筋違いのような気がした。
どんなにオーナーだとしても、自分たちはそこで給料をもらい稼がせてもらっているのだから……。
上の人間が多少の無茶言うのは、当たり前の話である。
「でも北中さん、面倒見は良さそうじゃないですか?」
まだ山本は何か言いたそうだったが、俺の台詞に一瞬呆れた表情を見せた。
「まあ、その内、岩上さんも分かりますよ」
気分が悪くなるような言い方。
北中の話題になると、山本は妙に感情的になってしまう。
感情に身を任せても、いい事は何もないのになあ。
俺はまだここで働いて四日目の新人。
必要以上に口を挟んでもしょうがないか。
心の中で冷静にいるように、自分に言い聞かせる。
ちょうどその時インターホンが鳴った。モニタには女性の顔が映っている。
「あ、シンシンだ。岩上さん、開けてもらえますか」
「はい、誰なんです?」
「北中さんの女ですよ」
俺はドアを開け、シンシンを中へ招き入れる。
彼女は俺の顔をジロジロ見ていた。
顔立ちからして中国の女性のようだ。
綺麗な顔をしているが、年齢は俺より十歳ぐらい上に見える。
四十歳ぐらいだろうか?
「あなた、知らない顔ね」
「あ、はじめまして。岩上と言います。まだ入ったばかりですので、これからもよろしくお願いします」
「ああ、あなたが岩上さんね。うちのパパ、いい人が入ったって言ってたよ」
パパ?
山本は北中の女と言っていたが……。
「山本。どこ、いい台ね?」
「ちょっと待って下さい。え~と……」
山本がシンシンの相手をしていたので、俺は「そろそろ時間だし、下に降りますね」と声を掛けた。
「あ、もうそんな時間か…。お疲れさまです」
「明日もよろしくお願いします。それでは失礼します」
店を出てからゆっくり深呼吸する。
さて、これから裏ビデオかよ……。
沈んだ状態で仕事するのは何にもプラスにならない。
時計を見ると三時を回っていた。
早いとこ下に行かないと。
俺は急いで階段を駆け下りた。
闇 26(ゲーム屋フィールド編)
闇 26(ゲーム屋フィールド編)

2024/09/26 fry
2025/08/28 thu
前回の章
地下に降りると、事務所のドアは変わらず開きっ放しになっている。
覗くと北中は椅子に座りながら居眠りをしていた。
「お疲れさまです、岩上です。上の仕事終わりましたけど……」
俺が声を掛けると北中は目を開いてこっちを見る。
寝ぼけているのか、焦点が定まっていない。
「お、おう。フィールド行って五時までやってくれ」
「はい」
それだけ言うと、北中は再びそのままの体勢で眠りに落ちた。
この状態で誰か入ってきたらどうするのだろうか?
歌舞伎町のこんな場所で無用心過ぎる。
フィールドで五時までと言っていたが、寝ぼけて間違えたのだろう。
まあ俺がとやかくいう事でもないので、隣の裏ビデオ屋メロンに向かう事にした。
中に入ると、従業員の浦安もよだれを垂らしながら眠っている。
一体コイツら何なんだ?
夏のこの時期でだらけるのも分からないでもないが、少し緊張感がなさ過ぎる。
この状態でいても仕方ないので声を掛ける事にした。
「お疲れさまです」
「ん、うぁ……?」
「岩上です。おはようございます」
「はい…、ご注文の品はDVDですか? ビデオですか?」
「……」
どうしようもない奴だ。
まだ寝惚けている。
北中がここに来たら、また頭を引っ叩かれるだろうに。
いくら叩かれたところで懲りないような気もするが……。
正にクズ野郎とはこの事だ。
「俺ですよ、岩上です。ちゃんと起きていますか? もうすぐ北中さんが来ますよ」
浦安は北中という言葉に反応したのか、バネ仕掛けのように飛び起きた。
こんなクズでも叩かれるのは嫌みたいである。
しきりにキョロキョロして辺りを見回し、北中がいないのを確認すると俺を睨んできた。
「何だよ、いねえじゃねえか。ビックリさせんなよなー」
人がせっかく起こしてやったのに何て言い草だろうか。
「だって横に北中さんいるんですよ。いつ来てもおかしくないのに寝ていたら、ヤバいじゃないですか? また怒られますよ」
「う、うう……」
俺が正論を言うと、浦安は途端に口籠もってしまう。
この負け犬が……。
「何も反論できねえならハナッから黙ってろよ、ボケッ」と、ハッキリ口に出して面と向かって言えたらどんなに気持ちいい事だろう。
「浦安さん、それよりもビデオ屋の仕事内容を早く教えて下さいよ。俺、まだ分からない事だらけなんですから」
「ああ、分かったよ。一体、何が分からないんだい?」
「この仕事は自分、初めてなので何も分かりません。まず、DVDやビデオの細かい値段設定さえ分からないです。あと種類というか、ジャンルって言うんですか?そういうのも全然分かりません」
「壁とかに書いてあるでしょ。DVDは四枚で一万円。一枚だと四千、二枚で六千だよ。ビデオは八本で一万円。あと細かいのは書いてあるでしょ」
言われた通り見てみると、壁に紙切れが貼ってあり、手書きで値段表示がしてあった。
浦安がこれを書いたのだろうか。
酷く汚い字で書いてあり、非常に読み辛い。
「これは初日から見ているから分かりますって。そういう事じゃなく、DVDが一枚で四千円に対し、四枚で一万なんて、少しどんぶり勘定過ぎませんか?」
「ん? どういう事?」
「例えば一万で四枚買うのと、一枚ずつ四回に分けて買うのじゃ、六千円も誤差がありますよね?」
「……」
きょとんとする浦安。
コイツの頭は脳みそが無いのか?
「お客さんからクレーム来たりしませんか? こんな杜撰な値段設定で」
「何を言ってんの?」
「え?」
「どこのビデオ屋だって全部一緒だよ、値段は」
「どういう事です?」
「つまり一本二本とかチマチマ買うんじゃなく、一万円まとめて買えって事」
「あ、それでもDVD一枚だけ欲しいって客は、四千円だよって事ですか?」
「そういう事。君もこの業界分かってないなあ、まったく……」
「……」
妙に上から目線の浦安を見ていると、次第にイライラしてきた。
この業界も何も、まだ入って数日しか経っていないんだからしょうがないだろうが……。
それにしても、何て殿様商売的な考えなんだろうか。
売上は数千円単位はいらず、一万円だけ欲しいなんて愚直の極みだ。
もっと客に寄り添った仕方をすれば、いくらだって売れるのだろうに。
「あ、あとね。昨日ロリータを買っていった客いたでしょ? あれは普通のと違って高いからね」
「……」
まだ普通の裏ビデオなら我慢できる。
しかしいくら仕事とはいえ、ロリータまで売るというのはどうにかならないだろうか。
「あれ、聞いてる?」
「あ、はい…。聞いてますよ……」
「ロリータは一本だと五千円。二本でも一万円」
「昨日、確か二十本で六万じゃなかったでしたっけ?」
「ああ、あれはたくさん買ってくれたから二本おまけしてあげたってだけ」
「……」
この仕事、俺に勤まるだろうか。
不安になってきた。
自身の根っこにある何かが、そんな非道徳的なものを売るのを拒否している。
まだ成人した女性の裏ビデオなら分かるのだ。
しかし幼女を扱ったものは、まったく違う。
多くの出演女優は、金目当てで出たもの。
でもロリータは、明らかに本人が意図していない大人の都合のみで製作されたものだからだ。
「簡単な仕事だよ。上のゲーム屋とは違って、客に負けただ何だって言われる事もないしね。ゲーム屋って客ウザいし、ストレス溜まるでしょ?」
初めてゲーム屋で働いた時、負けて帰る客に「ありがとうございました」と言って、睨まれた事を思い出す。
確かに客はみんなエロビデオを望んで買いにくるのだから、ポーカーゲームのような賭博場よりは働きやすい環境なのかもしれない。
ロリータだけは勘弁してもらいたいが……。
「まあ、気分的にはこっちの方が確かにいいですよね」
とりあえず俺はどんな仕事内容であれ、頑張ってやるだけだ。
それが自分の評価へと繋がるのだから……。
それにしても本当に客の来ない店だ。
北中の経営するグループに入って、一週間が過ぎた。
いや、正式には金子のグループといったほうが正しいのか?
山本の話だと名義社長は遅番の小泉。
だが北中はメロンとフィールドの社長みたいなものだと豪語する。
まあ誰がどうであれ、俺がこのグループで雇われている事だけは変わらなかった。
唯一のプライベートは青森に住む清藤祐希からとのやり取りぐらい。
自身の望まぬ環境で働くストレスから、俺はよく彼女へ八つ当たりをするようになった。
惚れた弱みなのか、基本的に受け身な祐希。
根本に眠っていたサディスティックな部分が出てくる。
それでこの女が俺に飽きれて離れていくなら、それでも構わなかった。
それぐらい好きだと追われる関係は、面白みを感じない。
「おまえとは合わないから、やっぱこっちで女を探す事にするよ」
「絶対にそんなの駄目!」
「そうは言っても、そんなの俺の意思や行動一つだろ?」
「私が嫌だもん!」
「だってすぐ傍にいる訳じゃないし、抱きたい時に抱ける訳じゃない」
「その内時間作ってそっちへ行くから我慢してよ!」
「おまえさ…、三十前半の男に向かって性欲を我慢しろって、少し酷だぞ? 風俗でも帰りに行ってくるかな……」
「駄目っ! 絶対に駄目!」
明らかに相手が拒絶する事を言い、反応を楽しむ俺。
しかし本当に女を抱かなくなってしばらく経つ。
「じゃあ今度私の裸の写真送るから! とりえあえずそれで我慢してよ!」
「え、本当か?」
「嘘つかないもん!」
「いつ送るんだ?」
「ち…、近い内に……」
「嘘だったら手っ取り早くその辺の女捕まえて、彼女にするから」
「絶対に駄目! ちゃんと送るから、ね?」
女の裸など、職場のメロンへ行けば溢れかえるほど裏ビデオがある。
だが、こうして生身の女の裸を見るというのでは、興奮度も雲泥の差があった。
ひょんなやり取りから面白い展開になったものだ。
清藤祐希の裸を想像してマスターベーションをする。
ミサキの身体を想像した。
品川春美の顔を思い浮かべた。
俺はティッシュへそのまま射精してから眠る。
いつもなら朝七時から昼の三時までだが、今日は中番の大阪が休みをとるので、夕方の七時までぶっ通し働くシフト。
従って、いつも二時間だけ働く地下一階の裏ビデオ屋メロンには行かなくて済んだ。
ハレンチなものを売る商売に恥を感じていた俺は、気が楽になった。
ゲーム屋でホール内を駆けずり回るのも好きではないが、裏ビデオを売るほうが苦痛なのだ。
それにしても現在の仕事は、自分のプライドがどんどん削られていくような気がする。
こんな事になるなら、ワールドワンの時の金をもう少しちゃんと貯めておけば良かったという後悔が大きくなってきた。
今さら遅いんだって……。
金を受け取って、INを入れるだけの簡易的な仕事。
客のドリンクを聞き、灰皿を交換して、あとは掃除ぐらいしかする事がない。
ストレスが徐々に溜まっていくような感じがした。
「岩上さんにとって、今日は初めての十二時間ですか?」
早番の責任者、山本が聞いてくる。
「そうですね。中番の人が休む時は、毎回十二時間働けばいいんですよね?」
「ええ、そうしてもらえると助かります。あ、三時頃になると、北中さんが店に来ますよ。あの人がゲームやりだすと、かなり不快に感じるでしょうけど、あまり気にしないで下さいね」
「不快感?」
「いつも各番の時間が来ると、ゲーム台のメーターをとって計算するじゃないですか?」
「ええ、〆の事ですよね?」
「はい、その時の数字を見てINとOUT差のある台を探したり、ロイヤルが近い台がないかと回転数をチェックしたり、かなり卑劣なんですよ」
あくまでもポーカーゲームはOUT率という確立の問題だ。
OUT率八十パーセントの台に百万入れたらからといって、必ず八十万出るとは限らない。
百万INを回して五十万しか出ない時もあれば、百二十万出る事だってあった。
つまりINOUT差をチェックして、OUTが極端に低い台。
それはこれから帳尻合わせで一気に吹く可能性が高いともいえた。
俺のいたワールドワンでは、最低でもそのパーセンテージが安定するのは一千万ぐらいINが回ってからである。
「確かに台の設定を知っていて、INOUT差が分かれば、勝てる台が分かるますからね」
「北中さんは一人の客が帰る度、INOUT差を教えろって言うんです。それが分かっていれば、勝つの一目瞭然じゃないですか」
「なるほど、そうですね。でも、北中さんがここの社長なんだから台の数字を見て、何がいけないんです?」
俺の言葉に、山本は面食らった表情になった。
「え、北中さんがこの店の社長? 誰から聞いたんです、そんな事?」
何を山本は言いたいのか、よく分からない。
「誰って、北中さん本人ですよ」
「はぁ~…、ほんとあの人は……」
ドッと疲れたように山本は言った。
「あの…、どういう事なんですか?」
「ここのオーナーは、前にも話しましたけど金子さんって人ですよ。北中さんはこの下でビデオやっているし、店の監視役や台の設定をいじるって名目で、売上の十パーセントを月々もらってるだけですよ」
金子……。
以前山本からはそう聞いた。
だがそんな名前、全然北中の口からは出てきてない。
この店の社長みたいなものだと言う北中。
そうではなく監視役や設定をいじるというだけ?
「そ、そうなんですか?」
「ええ、この店のオーナーは金子さんです。滅多に来ないですけどね。まだ岩上さんは一度も会った事ないですよね?」
「ええ……」
このグループの情報が人によってまちまちなので、何が本当の事なのかいまいちつかめなかった。
だが山本が嘘をついているようには思えない。
第一そんな事をしたとして、何のメリットがあるのだろうか。
一方的に北中の話を鵜呑みにすると、とんでもない目に遭うような気がした。
「それでこの店の管理をしている北中さんがですよ? その人が、うちでINOUT差を見ながら、客がいるのも構わず普通にゲームしちゃうんですから」
「そうなんですか?」
「はい。うちの客は北中さんがここのオーナーだって思ってますよ。そんなニュアンスでいつも常連客と話をしてますからね。岩上さんだって誤解したように…。金子さんにとっても自分がオーナーだっていうのは、あまりバレないほうがいいですからね」
「何でです?」
「だって裏の仕事じゃないですか。いくら慎重にやっていたとしても、警察に捕まるケースだってあります。だから金子さん自身は、出来る限り表舞台には立ちたくないんですよ」
オーナーが慎重になるのは当たり前だ。
ここへ来る前長年働いたワンオン系列のトップだった中川も、あれだけいて二回ぐらいしか俺は顔を見た事がなかった。
その為名義人というパクられ要員だって確保している。
実際に摘発される恐れのある現場にわざわざ来るという行為。
金を持っているオーナーなら、通常避けるのも当たり前。
「それはそうですね。でも北中さんがゲームをやっていて、客は誰も文句を言わないんですか?」
「あの人、至るところに色々な変なコネあるじゃないですか。だからみんな、内心煙たがっていますけど、誰も目の前では文句を言わないんですよ」
山本は、ロイヤルストレートフラッシュの画面がプリントされたものが貼ってある壁を指した。
「うちの店、ロイヤルが出ると、何日の何卓で誰が出したかを書いてあるじゃないですか。北中さんの名前が書いてあるのはもちろんそうですけど、この『仲村』とか『杉浦』、それと『橋本』って書いてあるロイヤル、これも本当は北中さんが出したやつなんですよ」
「前にもこのロイヤルはほとんどそうだって言っていましたよね」
パッと見、貼ってあるロイヤルのプリントの三分の二は、北中が出したという事になる。
「あの人は面倒見てやるだよって言いながら、金子さんが店に来ないのをいい事に、好き放題しているだけなんですよ。本当ならビデオ屋の経費なのに、うちに領収書を持ってきて、この金額を出せってよく金を取っていくんですよ」
表面上は穏やかそうに見えたこの職場。
しかしそれは見せ掛けのものに過ぎない。
想像以上にドロドロしていた北中とフィールドの関係性。
変な状況に巻き込まれないよう、俺も慎重に物事を把握しておかないといけない。
時計を見ると昼の二時。
いつもならあと一時間でゲームの仕事は終わる。
今日はあと五時間も働くようだ。
早番の時間帯は、ほとんど暇である。
客が一人もいないので、山本と話をして時間を潰すしかない。
そういえば祐希の奴、裸の写真を送ると言っていたのに、まだ送ってこないな。
こっちから急かすのも変だし、待つしかないが……。
これだけ暇ならノートパソコンを持ってくれば、いい暇つぶしができるのになと思う。
今日だけはゲーム屋のみの勤務なので、持って来なかったのを後悔した。
ゲーム屋にしてもビデオ屋にしても、とにかく暇な時間はある。
インターネットを繋がない状況で、パソコンの何ができるのか?
独学になってしまうが、色々弄って勉強する時間だけはあるんだよな。
この辺が、裏稼業独特のいい部分なのかもしれない。
ピンポーン……。
入口のインターホンが鳴る。
リストの近くにモニターがあるので、誰が外にいるのか一目瞭然だ。
来たのは客ではなく北中だった。
「何だ、客はいねえのか」
入ってくるなり、ホールを見渡す北中。
先ほど山本から聞いた話が影響しているのか、顔を見ているだけで何ともいえない気分になってくる。
山本が「十時ぐらいで客は全員帰りました」と答えると「誰がいたんだ。〆用紙は?」と北中は偉そうに口を開く。
「いたのは吉岡さん、飯野さん、山崎さん、鹿倉さん、それとシンシンですね」
「ほら、さっさと締め用紙を寄越せ」
北中はひったくるように用紙を奪い、丹念に各台のINOUT差をチェックすると「四卓と十卓、それと十二卓をキープしとけ」と命令する。
キープとは、客が入ってきても、その台をやらせないよう遮光板を縦に置く事。
その内の四卓に座ると、北中は財布を取り出し二千円を出した。
「おい、岩上。早く伝票よこせ」
「え、伝票って?」
「新規だよ、新規」
「あ、はい……」
まさか自分でキープさせた台をやるのだろうか?
新規伝票を置くと、北中は『橋本』と偽名を使い「早くINしろ」と命令してくる。
この店の新規サービスは二千ポイント。
二千円分と合わせてクレジットを四千入れた。
「山本、いつものな」
「はい」と言いながら、山本はすでに砂糖とクリームをたっぷり入れたコーヒーを作っていた。
コーヒーを台の上に置くと、山本は俺の背中を軽く叩き、リストのほうへ歩いていく。
俺もあとをついていくと、山本は小声で「多分あの台、もうちょいでロイヤルが出ますよ」と言った。
北中がゲームをしている姿を見ていると、最初のINのクレジットをだらだらとテイクしながら遊んでいる。
役が揃ってもまったくダブルアップをしないので、しばらくINに行かなくてもよさそうだ。
「お、ロイヤル!」
北中が一人ではしゃぎだしたので、画面を見るとロイヤルストレートフラッシュが揃っていた。
これで五万円の金が確定である。
「山本、オリなし先付け」
普通、初回サービスのオリなしは禁止じゃなかったかな……。
山本は不服そうな表情で財布から五万三千円を取り出すと、北中へ手渡した。
「じゃあ、俺は下にいるけど、何かあったら言ってこいよ」
「はい」
「岩上はそろそろ下に来る時間だろう?」
「いえ、今日は大阪さんが休みなので、夜の七時までこっちですが」
「分かった」
それだけ言うと、北中はとっとと店から出て行ってしまった。
「あの山本さん…。北中さん、何をしに来たんですか?」
「金を毟り取りに来ただけですよ。だから言ったじゃないですか。あの人は金に関して本当に悪魔ですよって」
「でも、いきなりロイヤル出してオリなし、しかも先付けでって酷くないですか?」
「普通なら出禁ですよ。北中さんにはオーナーの金子さんも、何故かあまり強い事を言えないみたいなんですよ。日頃、店の面倒を見てもらってるとか恩着せがましく言ってんでしょうね。まあ、ここまでエグい事をしてるなんて、本人は知らないんでしょうけど」
北中の人間性を少し垣間見たような気がした。
三時になって中番の従業員であるタイ人のレクが出勤。
同じ歌舞伎町でも俺がいた一番街通りと違い、この辺の店は普通に外国人が一緒に働いている。
レクは片言の日本語を話せるし、普通に理解もできた。
各台のメーターをとり早番の〆を終わらせると、山本は「お疲れさまでした」と帰っていく。
タイ人のレクとはあまり話をする機会がない。
客もいないので、何かしら話し掛けようと思うが共通の話題が分からないので困っていた。
レクはブツブツと独り言を言いながら、パチンコ雑誌を熱心に読んでいる。
「レクさん。レクさんって日本に来てどのくらいになるんですか?」
「んー、二年。私、タイならとても優秀。いっぱい勉強してきた。でも日本、仕事ない」
「そうなんですか。凄いですね」
何でそこまで優秀な人間が、こんな場所で裏稼業をしているんだと突っ込みたかったが、やめておく。
レクはロイヤルの貼ってある壁を見ながら「また北中さん、ロイヤル出したか?」と聞いてきた。
「ええ、四卓で」
「あの人、いつもいつもだよ」
レクは不満そうな顔で吐き捨てるように言った。
北中がいつもどのように酷い事をやってきたかという愚痴を延々と話していたが、片言なので半分ぐらいしか意味が分からない。
何となく理解できた北中の所業。
客がたくさんいるのにも構わず、負けが込むと平気で台に蹴りを入れたり、テーブルの上を叩いたりする事。
一日で一回しか入らない新規サービス。
北中は名前を変えて偽名を使い、その度何度も新規サービスを強引にさせている事。
あとは山本が言っていたような類の事だった。
何となく分かった事実。
北中は、この店の従業員から煙たがられている。
ひと通り話し終わると、レクは「ちょっと、外出てくる」と言い、店を出て行ってしまう。
誰もいないからいいが、客が来たらどうするんだ?
かなりいい加減な人間なのかもしれない。
インターホンが鳴り、見た事のない顔がモニタに映る。
この店は常連客以外入れない営業スタイルをとっているので、迂闊に入れて警察だったなんて事だとマズい。
しばらくモニタを見ていると、知らない男はカメラに目を近づけてその場から動こうとしなかった。
ひょっとして常連客だろうか?
いつも自分がいない時間帯なので、何ともいえない。
五分ほどして諦めたのか、男は去っていった。
二時間が経過し、ようやくレクが帰ってくる。
「客、来たか」と聞いてきたので「一人知らない人が来たから入れなかった」と答えた。
「何故、電話しない」と怒ってきたので「レクさんの携帯番号を知らないから」とだけ伝える。
まだ何か言いたそうな表情をしていたが、レクはそっぽを向いて雑誌を読み出す。
自分が勝手に仕事中、外へ外出していたのがいけないのだろうが……。
このタイ人と、あまり相性がよくないなと感じる。
暇な時間を何もせず、過ごすのはかなり苦痛だった。
誰でもいい。
客来ないかなと思っていると、飯野という常連客が来た。
「お、見た事ない顔だね。新人さん?」
五十代前半の割腹のいいオヤジといったイメージの飯野は、気さくに話し掛けてくる。
「岩上と言います。まだ入って一週間なので、よろしくお願いします」
「真面目でいいね~。あれ、十卓と十二卓は誰かやってんの?」
「え、ええ…。お客さんが今、外に出掛けていまして……」
北中の為に、苦しい言い訳をしなければならない。
「四卓もロイヤル出たばっかか……」
ロイヤルプリントが貼ってある逆側の壁には、昨日今日のボードが掛かっている。
このボードは、台ごとに、一気やフォーカード、ストレートフラッシュなどが出たのを色違いのマグネットで表示している。
しかし常に暇なこの店では、客のいない時適当にマグネットをつけているのでいい加減なものだった。
簡単にいえばインチキ。
こういった不正をするような暇な店で働ない事のない俺。
前の店ワールドワンでは考えられないカルチャーショックな事が多い。
熱心にボードを眺めながら飯野は「おっし、今日は五卓で勝負だな」と腰掛ける。
「ドリンクは何にしますか?」
「う~とね~…。コーラちょうだい」
「かしこまりました」
リスト奥に座っていたレクに「コーラお願いします」と頼む。
レクは「あの客、ケンチャンだから、サービスよくするな」と言ってきた。
ただでさえ客のいない状況なんだから、多少の事は目を瞑るしかない。
それに基本的なサービスはしないとおかしい話だ。
まずゲーム屋の基本は客を入れる事。
店が流行ってから、ケンチャンだ何だ考えればいいのだから。
俺は返事もせず、コーラを飯野の座る五卓まで運ぶ。
客にドリンクを出すのは当たり前の行為だろうがと、昔ならレクの頭を叩いていただろう。
日本に来て真面目に働かず、偉そうに指示だけするタイ人。
俺はこんな奴よりもあとから入った下っ端。
この現状を振り返ると、やるせない気持ちになってくる。
ついこの間まで月に百万以上稼いでいた俺が、今ではたった一万の金の為に我慢して働いているのだ。
また、俺が金をつかむ日は来るのだろうか?
その時が来るなら、今度は自重しながらちゃんと金を貯めなきゃいけないと感じた。
この現状は、いわば自分自身が招いた結果に過ぎないのだから。
裏ビデオ屋『メロン』とゲーム屋『フィールド』。
新たな職場での環境の変化の違い。
ワールドワン時代店長だった立ち位置から見れば、かなりの集落ぶりである。
しかし思い出せ。
何にも無かったあの頃を……。
お袋と親父を離婚させたいが為だけに、一番早く就職が決まる自衛隊へ行き、途中で辞めた。
無茶苦茶なシフトの原一探偵事務所。
胡散臭い平子のスリーエスカンパニー。
あそで大いに俺は利用されたのだ。
家の所有する車をガソリン代を出すからという名目で仕事に利用され、まだ十九歳だった俺の給料日に平子はタカった。
そのあとのインチキ教材売りの仕事では、同じ課の一回り以上年上の上司大和から毎日酒をタカられたっけ。
給料日になったら返すと口ばかりで、あれで俺はくだらない借金を背負ったのだ。
横浜のシーパラダイスへ働きに行き、突如全日本プロレスへ行きたいという想い一つで、俺は身体を一心不乱に鍛えだした。
思えばあの頃から本気で努力して生きる選択をした気がする。
「いいじゃない。せっかく来たんだからとりあえず入れてあげようよ」
そしてジャンボ鶴田師匠に出会い、人間としての偉大さを知った。
「まだ若いんだから、おいおい教えていけばいいじゃない」
三沢光晴さんからは人としての優しさ。
今から十年以上前に、俺は掛け替えのない経験と出会いをしたのだ。
随分と落ちぶれた俺。
そうじゃない。
俺は元々落ちぶれていたんだ。
せめて俺の行動一つで、全日本プロレスが…、鶴田師匠が…、三沢光晴さんが軽く見られる事がないように生きないといけない。
最低限の生活をし、地べたを這いつくばってもいいのだ。
但し誇りを忘れるな。
未だに忘れられない二千年五月十三日。
鶴田師匠の命日。
いくら恩義を感じたところで、返しようが無いのだ。
ならばせめて、生き様だけでも頑張ろう。
俺の存在意義はそこしかない。
かつて追い駆けた背中は遠いけど、俺はまだこうして地べたを這いつくばりながらも生きているのだ。
現状に落ち込み、腐るのは誰でもできる。
だが俺があの人に教わったのはそうじゃないだろ?
「レスラーは攻撃を避けちゃいけない。壊れちゃいけない……」
部屋に帰ると、一人で声に出してみた。
デビューできずに左肘を故障して終わったけど、俺はまだ五体満足で元気でいる。
ワールドワンの最後に不必要な金をもらい過ぎて、どこか勘違いしていたようだ。
俺は偉くも何ともない。
あの時はたまたま棚から牡丹餅で金が降ってきただけ。
その金も無くした今、もう図に乗るなよ。
底辺かもしれないが、俺はいつまで経っても俺でしかないのだから……。
闇 27(歌舞伎町の底辺編)
闇 27(歌舞伎町の底辺編)
2

2025年10月2日 15:32
闇 27(歌舞伎町の底辺編)

2024/09/28 sta
前回の章
北中の系列グループで働くようになり、一ヶ月が過ぎた。
こんな俺をすぐ雇ってくれ、初めはいい人だと思っていた北中。
だが、山本の証言や実際に接してみて、実は酷い人間だと思うようになっている。
まず裏ビデオ屋メロン勢は、金に汚い北中を筆頭に、借金まみれの浦安。
あとビデオを店へ運んでくる牛乳瓶メガネを掛けた豚みたいな人。
その上にあるゲーム屋フィールドは俺を入れた六人体制の店。
山本はまともであるが、タイ人のレクは一癖も二癖もある駄目外国人。
小泉、秋葉、大阪の三人はまだ一緒に働いた事がないので何とも言えない。
総合格闘技では、意味不明な主催者側の魂胆により思った以上の力が出せないまま終わった。
何故あの時最高潮のコンディションを維持しながら、俺は戦う世界から身を引いてしまったのだろう?
「……」
結局のところ、俺には不穏に満ちたあの世界を変えるだけの力が無かったのだ。
だからこそワールドワンで働く事を選び、結果分相応な金が突如舞い降りた。
しかしそれは番頭の佐々木さんの状況が、たまたま味方しただけに過ぎない。
勘違いした俺は、無尽蔵ではなく三ヶ月という有限期間を知りながら、金の魔力に狂い、今後の人生など何も考えなかった。
手元に残ったものはノートパソコン一台だけ。
でもすべて失った訳ではない。
落ち込んでいても光明は何も見えないのだ。
裏稼業である二つの異なる業種。
ゲーム屋と裏ビデオ屋を兼業しながら、何とかして俺はもっと上に這い上がらなきゃいけない。
そして、全日本プロレス時代のあの頃の僅かな期間を誇りに思え。
すべて踏まえた上で、自分らしくいよう。
それだけはいつも胸に秘めながら、毎日の生活を過ごしていった。
慣れていなかった職場も、今では普通に接する事ができるようになり、少しは働きやすくなっている。
ゲーム屋にしても、そのあと二時間だけの裏ビデオ屋にしても、とにかく暇だ。
俺は肌身離さずノートパソコンを持ち歩く。
インターネットの無い環境で、俺に何ができるのか?
今のところ、昔のゲームをやる程度のスキルしかない。
こんなもの、スキルでも何でもないか……。
お袋が家を出て行ってから夢中だったアーケードゲーム。
お陰でこの年代にしては、異常なほどゲームにだけは詳しい。
パソコンに入っている昔懐かしのアーケードゲームを見て、山本は興味を示したようだ。
「このパソコン凄いっすね、岩上さん。このゲーム、どうしたんですか?」
「自分の先輩でパソコンのスペシャリストがいるんですよ。最初に色々教えてもらいましてね」
「今度、俺のノートも持ってくるので、自分のもゲームできるようにしてもらえませんか?」
「別に構いませんよ」
「本当ですか! じゃあ、明日持ってきますので」
山本は今年二十八歳なので、俺の三つ年下になる。
ゲームを彼のパソコンに入れ、設定してあげると飛び跳ねて喜んだ。
珍しく北中が、早い時間にフィールドへ来た。
あと二日後に、本来の早番である諏訪が帰ってくるらしい。
例の子供が生まれ、北中から二十万の借金をした男。
「そしたら岩上は、メロン専属になるだよ」
フィールドの仕事はあと二日で終了となった。
これからはあのエロにまみれた陰気な店の中だけかよ……。
「分かりました……」
「何を暗い顔してんだ? 出勤時間はかなり楽になるだよ。昼の十一時から店を開けるからな」
毎朝五時半に起きの生活。
これは俺にとって辛かったので、その部分に関しては確かにいい。
「あと岩上は、フィールドの従業員が休む時だけ、ヘルプで出てやれ」
「あ、分かりました」
「北中さん…、それだと例えば遅番が休み出て早番もとなると、十六時間ぶっ通しになりますよ? その翌日は地下のメロンで岩上さんは働くんですよね? ちょっと無理がありませんか?」
早速北中案の矛盾点に気付いた山本が、助け船のような形で口を挟む。
「なあに、若いんだから何とかなるだよ」
そう言って北中は、長くなったタバコの灰を床へ落としながら笑う。
「……」
人の身体を何だと思っているんだ?
床だってまたこれで掃除し直さないと……。
「ちょっと俺は用事で歌舞伎町にいないから、時間になったらメロンを頼むぞ」
俺の内面などまるで考えない北中は、店を出て行く。
雑巾で床を拭きながら、惨めなものだなと手を動かす。
「まあ小泉さんたちと相談して、岩上さんにヘルプで入ってもらう時は翌日のビデオに支障ない形を取りますよ」
「お気遣いありがとうございます」
「あ、そうか! 遅番以外でヘルプなら、翌日に負担ないですよね?」
「確かに…。遅番へ出た場合、朝七時に仕事を終えて、四時間待ってからビデオの仕事なんて、さすがに無理がありますね」
「北中さんは、自分の事以外どうでもいい人ですからね」
彼の気遣いに温かみを感じつつ、ほぼ今後はあの地下の部屋専用になる事実。
「……!」
待てよ?
考えようによっては俺があの暇な店で、パソコンのスキルを伸ばすには最適かもしれない。
物事をマイナスでなく、プラス方向へ考える。
どうせ一人の時間が多いのだ。
自分次第でいくらでも勉強はできよう。
あ、浦安の存在をすっかり忘れていた……。
邪魔だな、あの借金大王。
でも、いつも寝ているぐらいだから客席のソファーへ行かせ、俺があのテーブルでパソコンを広げられるようにすればいいか。
「あー、諏訪さん戻ってくるより、岩上さんに居て欲しかったですよー」
山本が悲鳴に近い声をあげる。
「今生の別れじゃあるまいし、大袈裟ですって。同じビルの地下と一階だけの違いで、会おうと思えばいつでも会えるんですし」
「諏訪さんとまたかー……」
俺は笑いながらセブンスターに火をつけた。
三時になり、地下のメロンへ向かう。
浦安の姿は見えなかった。
代わりに見た事のない人が座っている。
客という雰囲気ではなさそうだが……。
何故か俺の顔を見ると、笑顔で話し掛けてきた。
「顔を合わせるのは初めてですね。はじめまして、上のフィールドのオーナーの金子と言います。いつもうちの店を手伝って頂き、ありがとうございます」
「あ、話には聞いていました。金子さんですね、はじめまして。岩上と申します。こちらこそ働かせて頂き、ありがとうございます」
口調も柔らかで感じのいい人だなという印象を受けた。
オーナーという立ち位置なのに、言葉遣いも丁寧だ。
見た感じ金子の年齢は、四十代後半。
小太りの穏やかな性格に見える。
「ちょうど北中さんに、ちょっと留守を頼まれましてね。一度は岩上さんのところに、顔を出さなきゃと思いましてね。お会いできて良かったですよ」
「いえいえ、こちらこそです。早番の山本さんからお話しは聞いていましたので」
「岩上さんって、一番街のワールドワンの店長をやっていたそうですね。行った事はありませんが、名前を聞いた事ありまして」
「私の力不足で、駄目になってしまいましたけどね」
「とんでもない。あれだけ人気のある店の店長なんて普通できませんよ。そんな人とお知り合いになれて良かったです」
随分と人を持ち上げる性格だなと思ったが、悪い気はしない。
「そういえば、いつもここにいる浦安さんはどこか行ったんですか?」
「先ほど北中さんから聞いた話なんですが、浦安さん、飛んだらしいんですよ」
「飛んだ? …って事は、逃げたって事ですよね?」
浦安は北中に借金があったはず。
いくらかまでは知らないが……。
毎日キツい思いをしながらやっていたが、嫌気が差したのだろう。
北中に年中頭を叩かれていた印象しかない。
「何だか、連絡つかないって言っていましたよ」
どっちにしても何故、北中は俺に報告をしないのだろう。
先ほどフィールドへ来た時にいくらでも話す機会はあったはずだ。
「じゃあ、今日は私一人でビデオ屋をやれって事ですかね?」
「多分、そうじゃないかと…。北中さん、岩上さんに言ってなかったんですか。あの人も、相変わらずいい加減だな~……」
「そうですよね……」
「でも、浦安さん。あの人も可哀相な人でしたからね。北中さんに金を借りたばっかりに…。失礼ですけど、岩上さんも北中さんから借金をしているのですか?」
「はあ? 借金? 何ですか、それは?」
この人も山本と同じ事を……。
「あ、これは失礼しました。北中さんのところで働く従業員って、ほとんどが金を借りて返せなくなり、それで二束三文で働かされるんですよ……」
「え、そうなんですか」
「ええ、多分初めてじゃないですか、岩上さんが…。借金もしないでまともに働いている人って」
「……」
思わず言葉を失う。
驚愕の事実を聞いた俺は、今後の身の振り方を考えなければいけないと感じた。
「そういえば山本の奴が言ってましたよ。岩上さんはパソコンが凄いと」
「いえいえ、自分なんてゲームぐらいしかできませんよ」
「今度時間ある時教えて下さいよ。では、そろそろ私も用事があるので行きますね」
「ええ、上のフィールドには休みの時ヘルプでまだ入るようなんで、その時はよろしくお願いします」
彼の後ろ姿を眺めながら、人の良さそうな部分を北中に上手く入り込まれたのかなと感じた。
金子がメロンから帰ると、テーブルの上にノートパソコンを開く。
さて…、ここからどうしたものかね……。
ゲームしか取り柄がない俺。
「……」
いやいや、ただゲームをしていたって、何もこれまでと変わらないぞ。
とりあえずここが俺の主戦場になるんだから。
ビデオの仕事は今までほとんど浦安に任せっきりだったので、この状況を悔やむ。
簡単な仕事ではあるが、ビデオに関して俺はほぼ素人同然なのだ。
まずはできる事からやってみるか。
幸い客もいないので、店に置いてあるたくさんのファイルの中から一つを見てみる。
そのファイルは『熟女』と書かれ、ハガキサイズで四分割された写真が載っていた。
一ページで二作品ずつあり、ぎっしり写真は詰まっている。
最初のタイトルは『ゴージャス・マダムリン」という四十代ぐらいの女たちが、破廉恥な行為をしていくという作品だった。
次は『人妻の匂い・その二」。
何故、『その一』がないのかと疑問に感じたが、そんな事よりも俺はある程度の作品を把握しなければなるまい。
店内に置いてあるファイルの数は、全部で七冊。
一冊で七十二作品分あった。
しかもこのファイルはあくまでもビデオ用のみ。
約五百種類もの裏ビデオを抱えているメロン。
DVDはタイトルジャケットをコピー機でそのままコピーした状態の紙が壁に、五十種類ぐらい貼ってあった。
だいたいこの店の総作品数は、五百五十ぐらい。
いや、例のロリータものまで入れれば六百作品ぐらいある。
ジャンルや女優別になっている訳でもなく、無造作に貼られているだけのDVD用の紙切れは、後回しにしておく。
まず、ビデオから把握しておこう。
今まで興味があまりなかったので、ここまでじっくり見るのは初めてだ。
ビデオ用のファイルは『熟女』『洋物』『和物1』『和物2』『和物3』『SM・スカトロ』『レイプ・盗撮』と表記してある。
ひと口に裏ビデオといっても、様々なジャンルがあるものだと感心する。
足音が聞こえ、客が階段を降りてきた。
「いらっしゃいませ」
愛想良く挨拶したにもかかわらず、天然パーマで髪の毛の薄い男は、視線も合わさず黙々とファイルを見だす。
ビデオを買いに来る客のほとんどはこのように愛想がない。
おそらく羞恥心を誤魔化す為にそのような態度をとっているのだろう。
男の手に取ったファイルは『和物3』だった。
いきなり『和物1、2』を通り越しているから、何度か来ている常連客なのかもしれない。
いや、考え過ぎかな……。
今まで二時間しかビデオでは働いていないから、客が来ない事のほうが多い。
確か、客が勝手にタイトルを紙に書いて渡してくるんだったよな?
俺が接するのはまだこれで、通算二人目の客。
浦安と一緒の時に、もうちょっと真面目に仕事内容を覚えておくんだった。
彼が客にしていた対応を思い出しながら、頭の中を整理した。
まずビデオ一本なら二千円。
三本で五千円。
八本で一万円。
確か浦安は客の書いたメモ用紙を見ながら、電話で配達人に頼んでいたよな……。
他のビデオ屋は知らないが、ここメロンでは、店内にビデオやDVDの現物を一切置いていない。
従って客の注文したものを倉庫と呼ばれる場所へ電話をして、店まで持ってきてもらう。
まだ数回しか会った事がないが、愛想のない太ったメガネを掛けた人がいつも持ってきていた。
客に挨拶する訳でもなく黙って品物を置き、そのまま行ってしまうイメージしかない。
鼻が悪いのか、いつも「ブフブフ」と豚のように鼻を鳴らしていた。
先ほど入ってきた客はタイトル写真へ顔を近づけ、ジッと凝視している。
俺の事など、まるで視界に入っていないような熱心さ。
メモ用紙に何かの作品名を書いてはまた写真を見直し、すでに一時間以上経過していた。
まあ下手にマニアックな質問をされるよりはいいだろう。
店に来てから一時間半。
ようやく男は買いたい物が決まったようでメモを一枚破り、黙ったままテーブルの上に置く。
「作品は三本でいいですね?」
声に出さず、少しだけ頷く男。
一見、サラリーマンらしい服装をしている。
何をしているか分からないが、よくこれで仕事が成り立っているものだ。
「では、三本で五千円になります」
男は無言で財布を出し、五千円札を一枚手渡してきた。
「では商品が届くまで、あちらの椅子に座ってお待ち下さい」
俺は受話器を持ち、倉庫とだけ書かれたボタンを押す。
二回コールが鳴り、すぐに配達人は出た。
「はい」
名前も何も名乗らず、感情のない無機質な声。
「あ、あの注文いいでしょうか?」
「何?」
「『パラダイス・モンブラン』と、『今すぐプリーズ』…。それと『もう我慢できないよ、奥さん』の三本です……」
自分で言っていて非常に恥ずかしくなってきた。
配達人は何も答えず電話を切る。
礼儀のない奴だなと改めて思う。
二日後には、このメロンの専属になるのだ。
こんな仕事を俺は続けられるのだろうか……。
自分の居場所をと思い、頑張っていたホテルバーテンダー時代が懐かしく思えた。
いかに自分は恵まれた職場にいたのか。
人間失ってからその価値に気付く。
タイムマシーンがあったら、一体俺はどの時代からやり直しをすればいいのだろう。
この日は地元のスナックに行き、酒を飲む。
妹代わりに可愛がっているミサキの店でも良かったが、キャバクラは今の俺の給料事情では高過ぎる。
裏ビデオ屋メロンでの仕事。
そして暇なゲーム屋フィールド。
少し頭を整理しないと、あの場所の空気に染まり飲み込まれてしまう。
「久しぶりだね、岩上さん」
「色々忙しかったからな」
金のあった頃はよく飲みに来た。
あの当時はここだけでなく、キャバクラなども合わせると十軒ぐらいをハシゴしていた。
「グレンリベットでいいんでしょ?」
「ああ、ストレートでな」
店はあまり忙しくなく三人の女がカウンターへ入り、俺の相手をしている。
「私、岩上さんのお店、一度行ってみたいな~」
「もう辞めちまったよ、とっくに……」
現状を思うと、酒が不味くなる。
もう金を稼いでいたあの頃とは違うのだ。
俺は酒を一気に飲み干す。
「岩上さんって、ほんとお酒強いですよね」
「酔っ払って記憶がなくなるっていうのが嫌だから鍛えたんだ」
「どんな風に?」
「自衛隊の頃、まだ俺が十八の時だけどさ…。飯ごうってあるだろ? キャンプファイヤーとかになると、ご飯を炊く」
「うんうん」
「それにビールを飲んで一気飲みしたり、同期が五十人ぐらいいたから、飲み会の時、みんなから注いでもらったビールを連続で一気飲みしてみたりとかかな」
「よく身体、壊さなかったねえ……」
「運が良かったんだろうな。プロレスに行く時だって、体重六十五キロしかなかったのを二年間で三十キロぐらい上げたけど、何ともなかったしね」
飲み屋の女たちは、興味津々に俺の会話に耳を傾けている。
「ねえ、お兄さん何かやってたの?」
カウンター席に座る隣の男が声を掛けてきた。
見た目は俺と年もそう変わらない。
「いや前の話ですよ」
「俺は何をしてたんだって聞いてんだよ」
初対面でお互い客同士。
この男の威張り口調の自信は、一体どこから来ているのか?
「昔がプロレスで、一年ぐらい前に総合格闘技ですね」
妙に刺のある言い方が気に障ったが、笑顔を絶やさず返す。
「は~ん、そうなんだ」
明らかに小馬鹿にしたような対応。
こっちが初対面で敬語を使っているのに、この男の態度は何なのだろう?
俺が下手に出ていると、こうやってつけ上がる人間も多い。
隣の男を放っておき、女と話が盛り上がっていると「どのぐらい強いの、あんた?」と聞いてくる。
「最近は試合してないから、何とも言えないですね」
「じゃあ、過去の栄光に縋っているだけか」
大人しくしていたが、男の態度にカチンときた。
俺のこれまで歩んできた軌跡など、大した事はない。
それでも命を懸けて、自分なりに生きてきたのだ。
命が無くなっても、主催者側に責任を追及しません。
そんな内容の誓約書へサインして試合に出た事が、笑われる事なのか?
この肉体は、今は亡きジャンボ鶴田師匠が手塩に掛けて鍛えてくれたからこそ今も健在なのだ。
「おい、兄ちゃんさ。こっちが話し掛けてんだから、無視すんなよ。口利けねえのかよ?」
「……。汚すな……」
ふと言葉に出た一言。
そう…、自身の神聖なる場所へ、覚悟のない者が気安く踏み込んでくるな。
「何あんた? 怒ってんの?」
できれば落ち着いて飲んでいたかったが、このままだと邪魔だ。
目を見開いて男の髪の毛を鷲掴みにする。
「おい、兄ちゃん…。何を余裕こいて抜かしてるのかしらねえけどよ。こっちが敬語使っているのに、何でおまえはそんな偉そうな口を利いてんだ? 舐めてっと髪の毛、頭から毟っちまうぞ、おい」
「す、すみません……」
シーンとなる店内。
男は逃げるようにチェックをして店を出て行く。
一線を退いたとはいえ、素人相手に少し言い過ぎだったかなと反省する。
「あー、スッとした。岩上さん、偉い!」
店の女の一人が笑顔で言った。
「はあ?」
「あの客さ、いつも他のお客さんに絡んじゃってウザかったの。誰かガツンってやってくれないかなって思ってたんだ」
「いや、店に迷惑を掛けて悪かったよ」
「いいのいいの、あんなの来ないほうがいいしね」
「そうそう、岩上ちゃんが言ってくれたから、みんなすっきりしてるわ」
ムカついたから怒っただけなのに、そう言われると照れてしまう。
「ほら、岩上さん。飲もう飲もう」
この日の酒は久しぶりに美味く感じた。
そういえば祐希の奴、一向に裸の写真送ってこないな……。
今まで休みをとっていた諏訪が、一日早くフィールドに戻った。
本人の希望で働くのは二日後がいいというので、当初の予定と変わりはない。
どっちにしても二日後、俺はメロンのみで働く事になる。
出勤時間は十一時になるので楽になるが、気が重い。
裏ビデオを売って給料をもらうという行為が、どうしても格好悪く感じた。
まだプライドを捨てきれていないのだろう。
あれだけ稼いでいたのをほとんど競馬や遊びで使い切ってしまった俺は、また一から出直さなければと思い、北中の元で働く事にした。
INを入れ、客の機嫌をとるゲームの仕事も本来好きではない。
しかし今の仕事はさらに嫌悪感がある。
ここで嫌だからと辞めるのは簡単だ。
だけど、そのあと俺に何ができるのだろうか?
何も無いから現状に甘んじている。
テーブルに置いてあるノートパソコンが視界に映った。
新しく何かをつかまないと、俺は駄目になってしまうんじゃないか……。
せっかく先輩の坊主さんから教えてもらったパソコン。
このままただゲームしかしないというのは勿体ないような気がした。
でも、今の俺に何ができる?
何でもパソコンはできると言われているが、俺にはゲームぐらいしかできない。
「パソコンは頭のいい赤ん坊と同じだから、これをこうしなさいって教えてあげれば完璧にこなすんだよ」
坊主さんが以前、こんな台詞を言っていた。
頭のいい赤ん坊……。
一人では何もできないけどこっちが補助さえしてやれば、パソコンはどんどん吸収していくもの。
また、頭を下げて坊主さんにパソコンを教わろう。
ゲーム屋の仕事を三時までして、ビデオを五時まで。
このパターンもあと二日で終わる。
一日一万の日当をもらい、不足分の数千円はまとめて月末にもらう生活。
これを続けるかどうか悩むよりも、今はパソコンのスキルを伸ばす事を考えよう。
裏ビデオの仕事はテーブルに座って来た客の相手をする以外、ほとんど暇でする事がない。
ならこれをチャンスと考え、自分のスキルを延ばす場所と思えばいいんじゃないか。
人間、思い方一つでまったく変わるものだ。
嫌々仕事をするよりも、発想の転換一つでいくらだって変われる。
「岩上、一日早いけど、明日からはメロンだけになるぞ」
オーナーである北中が、帰り際になって言ってきた。
「…って事は、明日の出勤、十一時でいいって事ですか?」
「そうだ。今後はメロンがメインで、フィールドは従業員が休む時だけ出ればいいだよ」
あれ…、山本が提案した遅番は出るの無理だという話はどうなったのか?
冷静に考えてみると、フィールドは二十四時間営業のゲーム屋。
シフトも三交代制である。
従業員が休みの日と簡単に言うが、あの店の人数は全部で六人。
六人が月に何日休むと思っているんだ……。
「それじゃ、ほとんど出るようじゃないですか?」
「いや、山本とか大阪、それと店長の小泉が休みの時は、それぞれがカバーしあうから、月にあってもせいぜい十回ぐらいだよ」
「でも、その十回ってそれぞれ出勤時間が違いますよね?」
早番なら朝の七時出勤。
中番なら昼の三時。
遅番なら夜の十一時……。
「おまえなら、若いからまだまだ大丈夫だよ」
そりゃ北中から比べればまだ三十代だから若いけど、そういう問題じゃない。
「そういう問題じゃないですよ。通常十一時にここなのに、この日は朝、何日は夜の十一時に出勤なんて無理です」
「わがままな奴だな」
吐き捨てるように言う北中であるが、自分じゃ絶対にそんな事をしないだろう。
そう言ってやりたかったが我慢しておく。
所詮、他人事だから簡単にそう言えるのだ。
そんなバラバラなシフトを計画性もなく組まれたら、俺の身体がおかしくなってしまう。
高額の給料をもらえるならまだしも、一日一万程度の金でそこまではできない。
「せめて中番ぐらいにして下さい。それならいいです」
「しょうがない奴だな。じゃあ、今、上に行って、それを従業員に伝えてくるだよ」
「分かりました。でも、もうじき五時だから、仕事上がってから行きますよ」
「じゃあ、もういいぞ。上がっても」
北中は売上の入った財布から財布をテーブルの上に並べ、一番汚い一万円札を渡しながら「ほれ、今日の『デズラ』だ」と渡してきた。
「ありがとうございます」
俺はパソコンの電源を切り、カバンにしまうとメロンをあとにした。
階段を上がり、一階のフィールドのインターホンを押す。
しばらくして鍵の開く音が聞こえ、ドアが開く。
タイ人のレクが面倒臭そうな顔をしていた。
関係者の出入りでドアの開け閉めが面倒に思うなら、とっとと日本にいないでタイへ帰れ。
中は六名の客がゲームをしている。
見覚えのある飯野が「お、岩上ちゃん」と声を掛けてきた。
北中の女であるシンシンは、気難しい顔をしながらゲームに熱中している。
俺が「こんばんは」と声を掛けると、シンシンは不機嫌そうに「この台、食いしん坊ね。パクパクお金食べてばかり」とブツブツ言っていた。
本来の中番は大阪とレクだったが、店内には早番の山本がいる。
状況を聞くと、大阪がまた遅刻をして居残りらしい。
レクがホールでINをしているので、邪魔にならないようにリストの奥へ向かう。
「もう下は終わったんですか?」
「ええ、それで北中さんに言われたんですけど……」
「シフトの件ですよね?」
「ええ……」
「あの人、うちに来て、『これからは休みの日、岩上が入るから大丈夫だぞ』っていきなり言い出したから、さすがにそれは無理ですよって言ったんです」
「ええ」
「そしたら『若いから問題ないだよ。俺が言っとくから大丈夫だ』って…。相変わらず酷いなあと思いました……」
あのクソ野郎……。
段々北中が嫌いになってきた。
「ええ、その件で言ったんですよ、北中さんに。昼以外はできませんって」
「ちゃんと言ったほうがいいですよ。自分も岩上さん大変だなって思ってましたので」
一体、人を何だと思っているのだろう。
「そうですね。黙っていると、いくらでも要求してくる人なんだなって感じましたよ。ところで戻ってきた諏訪さんはどうです?」
「ああ、あの人ですか…。どうしょうもないぐらいのグズなんですよ」
「グズ?」
「店が暇だとすぐにどこか遊びに行ってしまうし、監視していないと店の金も抜こうとしますからね。自分の住むアパートもないぐらいですから」
「じゃ、どうやって生活をしているんですか?」
「仲のいい友達のところを泊まり歩きしながら、どこも泊まる場所がないとサウナですね」
「……」
思わず言葉を失ってしまう。
結婚していて子供が生まれたばかりだというのに何を考えているのだろうか。
一体、どんな人なんだ?
想像もつかない。
「そんな諏訪さんから利子をとる北中さんって、悪魔だと思いません?」
「確かに……」
あまりこの系列グループの人間とは、関わり合いにならないほうが賢明だなと思った。
今日から昼の十一時出勤。
ゆっくり寝ていられるし、電車も混んでいない。
元々朝起きるのは得意なほうじゃないので、理想的な出勤時間である。
仕事内容が裏ビデオじゃなければ……。
毎日のようにしつこく連絡をしてくる清藤祐希。
裸の写真を送ると言いながら結構経つので、俺は嫌味っぽく伝えた。
「明日、別の女を口説きに行くから」
「え、待って! 絶対駄目!」
「だっておまえは嘘ついたろ?」
「何を?」
「ほら、自分で言い出した事すら忘れているんだ。俺もそんなおまえに義理立てする必要性ないからな」
「裸でしょ? すぐ送る! すぐ送るから待ってよ!」
こうして俺は祐希のおっぱいの写真をゲットした。
こんなものがいつまでおかずになるか分からないが、一般人の女を脱がせた羞恥に歪む表情を見ながらの裸は妙に興奮する。
「絶対に他の人に見せちゃ駄目だからね」
「分かってるよ」
ミサキに頼んだら見せてくれるのかな?
いやいや、馬鹿な真似はやめろって。
これまで築き上げた信用を失い、最低男の烙印を押されて終わるだけ。
歌舞伎町に着くと、裏ビデオ屋のメロンの入口の鍵を開け、看板を外に出す。
当然の事ながら、北中はこの時間にはまず来ない。
店内の掃除を済ませると、ビデオ用のファイルを見た。
ある程度、置いてある作品ぐらいは頭に入れておかないと話にならない。
ビデオの種類だけで五百はあるのだから。
客の要望を聞いたら、すぐに「これはどうです?」ぐらい言えないと駄目だ。
しばらくはこの作業だけに没頭した。
客が買いに来ると、作品名が書いてあるメモを見て、倉庫の人間に電話をする。
来る前に代金だけ受け取っておき、配達人が来れば品物を渡す。
非常に単純な商売である。
北中が店に来るのは、いつも夕方の四時頃。
「おい、岩上。今、売上はどのくらいだ?」
「まだ四万ですね」
それだけ確認すると北中は上のフィールドへ行き、ゲームをしに行く。
この時間帯だと、客もほとんどいないだろう。
毎度INOUT差を見て有利な台に座りゲームをする北中の愚痴を言いに、中番の大阪が玉にメロンまで降りてきた。
「まったく北中さんには参りますよ」
「またロイヤルでも出したんですか?」
「それぐらいならいいんですけど、他の客がいるのに構わず、他の台のキープまでしますからね。おかげでこっちに客がいつも文句を言ってきます」
元々ポーカーゲームは負けるのが当たり前。
しかし自分たちが金を突っ込んだ台をキープされて、北中だけがその分を毟り取る。
まさに極悪非道だ。
「オーナーの金子さんに言ってみたらどうです? 北中さんの件を」
「そうすると、誰が言ったんだってなるじゃないですか? みんな、自分が悪者になりたくないんですよ。まあ、自分もですが……」
これではただの悪循環だ。
みんな思っている事は同じなのに、誰も行動に移さない。
北中の傍若無人ぶりをやめさせない限り、この悪循環は続く。
ひっそりと営業しているフィールドは常連客しかいないが、あまり流行っているゲーム屋とはいえない。
そこへ北中が輪を掛けてそんな事をしたら、余計に客は減るだろう。
大阪が愚痴を言ってフィールドへ戻ると、客がパラパラと入ってきた。
みんな熱心にビデオのファイルを眺めている。
一人の客が壁に貼ってあるDVDのジャケットを見つめ、メモをとっていた。
「では、八本で一万円ちょうどになります」
ビデオを八本買う客の会計を済ませ、続いてDVDを買う客が書いたメモを出す。
「ちょっと待って下さいね」
俺は慌てて倉庫に電話をした。
品物を運ぶなら、一度に持って来させたほうがいいだろう。
「はい」と機嫌悪そうな声がして、倉庫の人間が電話に出る。
「え~とですね。『女子高白書』と……」
「どっち?」
「え?」
「だから、DVD? ビデオ? どっちだよ?」
何だこの言い方は……。
「DVDですよ」
「あとは?」
「全部DVDで、『乙女座の憂鬱』、『いちごの気持ち』。それと『外人娘と大和撫子』です」
ガチャン……。
何も言わずに切る配達人。
毎回このような対応だと、こっちも気分が悪くなってくる。
一度、暇を見て話し合ったほうがいいかもしれない。
五分ぐらいして配達人がDVDやビデオを持ってくると、袋に入れ客に渡す。
配達人は客に挨拶もなく、店の冷蔵庫に置いてあるコーヒーをバックの中に四、五本入れると黙ったままメロンをあとにした。
