84.王子たちの十字軍③
画像は以下のサイトから転載。
白鳥の騎士
今回も十字軍です。
前回、前々回と、日本語では読めない十字軍をお伝えしてきましたが、合戦の経過などは一切書いていませんので、そのへんを求めているのであれば読んでもおもしろくないと思います。
ゴドフロワ・ド・ブイヨン(一〇六〇年~)は、兄弟のブローニュ伯ウスタシュ三世(一〇五〇年ごろ~)とボードゥアンとともに第一回十字軍に参加しました。

ゴドフロワは十字軍遠征とエルサレム奪還の功績によって、中世に確立された騎士道の理想を体現する九人の偉人、ナイン・ワースの一人となりました。
ほかの八人は、時代順にトロイの英雄ヘクトール、アレクサンドロス大王、ユリウス・カエサル、ユダヤ人指導者でモーセの後継者ヨシュア、ダビデ王、マカバイ戦争の指導者ユダ・マカバイ、アーサー王、カール大帝です。
どの英雄もユダヤがらみです。トロイとユダヤの関係は以前お伝えしました。
アレクサンドロス大王は「ユダヤ人」に好意的でした。アレクサンダー、略してセンダーという名前は、いまでも一般的なユダヤ人の名前です。
そしてカール大帝のカロリング朝は、ダビデ家の男系直系子孫、ユダヤ系カトリック教徒の家系でした。
十字軍の残虐エピソードはほかのブログやユーチューブチャンネルに譲りますが、遠征に参加した諸侯(王子)たちはキリスト教徒ではありませんでした。
某ブログによると、パレスチナのイスラム教徒はキリスト教徒を迫害していなかった、だから十字軍遠征は単なる侵略行動だった、とのことです。
キリスト教徒は善、イスラム教徒は悪、という教育(洗脳)を受けてきたからこそ、このギャップが「キリスト教徒はじつは残虐!」「ひどい!」という一つのネタになるわけです。
イスラム教徒が残虐行為を行ったという記事を読んだとしても、わたしたちは「ふうん」くらいにしか思いません。
ゴドフロワについては、一一〇〇年から一一〇一年に書かれた『ゲスタ・フランコルム(フランク人の業績)』や、バラズンのポンスとアギレールのレイモンの共著『エルサレムを征服したフランク人の歴史』に記述されています。
死後ゴドフロワは伝説化され、さまざまに尾ひれをつけた物語がいくつも書かれ、それによってゴドフロワの血統自体も伝説になっていきました。
そうした物語の中でとくに有名なのが「白鳥の騎士」です。


「白鳥の騎士」は、十二世紀ヨーロッパの宮廷物語の伝統から生まれ、人気がありながらも謎に包まれた物語です。
物語では、子供たちが白鳥に変身し、そのうちの一人が「白鳥の騎士」として成長します。そして謎の白鳥に引かれた船であちこちを巡り、探求の旅をします。
この騎士と白鳥たちの最も古いものは、十二世紀後半の『ドロパトスあるいは王と七賢人の物語』で、修道士ヨハンネス・デ・アルタ・シルウァジャン・ド・オテセイユによって執筆されました。
これの元ネタが『七賢人』で、サンスクリット語、ヘブライ語、ペルシャ語を起源とする物語シリーズです。神秘的といえばこの言語たちの物語群です。
その後白鳥の物語は、ゴドフロワに関する武勲詩(シャンソン・ド・ジェスト)と融合し、神秘的な「白鳥の騎士」はゴドフロワの祖父、ということになりました。
そこではゴドフロワは、白鳥の騎士エリアスの祖先として描かれています。

エリアスは、白鳥に引かれたボートに乗って島からやってきて、苦境に陥ったブイヨン公爵夫人を保護したあと、公爵夫人から結婚を申し込まれたことでブイヨン公国を手に入れた、とされています。
けっこうシュールな絵面なのですが、なぜあえて白鳥なのかという不気味さも感じられます。
以下は「白鳥の子供たちの物語」の要約です。
騎士は白い鹿を狩るために森に入り、泉のそばで女と出会います。二人は惹かれ合い、愛を交わし、騎士は女を城に連れて帰ります。
女は七人の子供を産みました。子供たちにはなぜか金の鎖が巻かれていました。
騎士の母親は嫉妬し、産室で子供たちを子犬にすり替え、子供たちを森で殺せと使用人に命じました。
使用人はなぜか子供たちを殺さず、森に置き去りにしました。騎士のほうは、子犬を産んだ妻に怒り、七年間首まで土に埋めるよう命じます。
その後子供たちが生きていることを知り、騎士は使用人に連れてくるように命じました。
子供たちは金の鎖を外し、白鳥の姿で湖を泳いでいました。ただし一人の女の子だけは、鎖をつけたまま、人間の姿でほかの子の鎖を守っていました。
使用人は金細工師に溶かしてもらうよう、鎖を盗みました。女の子は白鳥たちにパンなどを与えるために城に戻り、父と再会し、出来事を語りました。
騎士は鎖を取り戻し、子供たちは人間の姿になったのですが、一人だけは例外でした。金細工師が溶かしたからです。
そしてこの白鳥は、のちに「白鳥の騎士」に仕えることになります。
「白鳥の騎士」は、ワーグナーのオペラ『ローエングリン』が最も有名です。これはヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの聖杯物語『パルシヴァル』に基づいています。
血の記憶
よくわからない物語なのですが、アイルランドの異教の物語『リルの子供たち』も「白鳥の騎士」に似た内容です。

『リルの子供たち』には白鳥、鎖、森、殺すよう命じる女、などのモチーフが登場します。
ゴドフロワの子孫とされたエリアスは、ギリシャ神話の太陽神ヘリオスに語感が似ています。
オペラ『ローエングリン』はLohengrinで、アイルランド語の「an grian」は太陽という意味です。
太陽崇拝といえばローマのソル・インウィクトス、ミトラ教です。
ミトラ教は当時キリスト教のライバルだったのですが、廃れたあとも貴族たちのあいだで信仰されていました。
ミトラ教の信仰はべつにこっそり隠れて行われていたわけなく、代々つづいてきた伝統なので守らなければならない、という当然の行為でした。国教としてのキリスト教も大事ですが、家の伝統も大事です。
そして受け継がれる伝統には、オカルトの要素も含まれます。ミトラ教は完全なオカルトだったからです。
一一〇〇年、ゴドフロワの弟ボードゥアン一世があとを継ぎ、初の「国王」になりました。
前回も書きましたが、十字軍は遠征中、キリキアのアルメニア人のあいだで勢力を拡大しました。
キリキアのアルメニア人はセルジューク朝をはじめ諸勢力の侵略を受けていたので、選挙のように支持を取りつけたわけです。そしてキリキアのアルメニア人はゴドフロワを救世主とみなしました。
このキリキアは、ミトラ教を生み出した陰謀のまさに中心地でした。
金細工師は、古エッダの『ヴォルンダルの歌』にも登場します。

エルフの王子ヴォルンダルと兄弟が白鳥の乙女たちと出会い、恋人どうしになるのですが、白鳥は渡り鳥なので去っていきます。兄弟たちは白鳥たちと一緒に去り、ヴォルンダルは一人取り残されました。
その後ヴォルンダルは金細工師として生きていきます。その技術を王に狙われ、誘拐されたりなどしたあと、ヴォルンダルは残酷に復讐します。王の娘を強姦し、飛んで逃げます。
一連の「金細工」は錬金術を想起させますし、残酷な復讐は知識を得ようとする者に対する警告とも受け取れます。
ヨハネの黙示録も意味不明ですが、わかる人にはわかります。現在のフリーメーソンは、秘密のサインで仲間たちとやり取りしています。
白い鳥というのは白人、広く捉えると血統、という意味があるのかもしれません。遡ればヨーロッパ白人は、イングランドも含めてスキタイ人にルーツを持っています。
スキタイは「ケルト」で、もっと正確にいうとゲールであった。このゲールと言う言葉は「純粋」や「白さ」を暗示した。ゴートと言う言葉にはよく似た意味がある。ゴートの一集団はヴィシゴートとして知られ、その意味は「白い」或いは「賢い」ゴートである。
白は黒との混血によって失われます。古代アッシリア人は、侵略した他民族を無理やり混血させてアイデンティティーを失わせるという政策を採っていました。
白い母親から浅黒い子が産まれてくるので、もろに「失われた」とわかります。非常に残酷で効果的な政策です。
白さを保つ、血を保つ、ということは、とてつもなく大事です。貴族連中にとってはとくにです。
オカルト的な理由もあります。血は記憶を引き継ぎます。
説明しづらいところなのですが、「おまえはダビデの血を引いているのだ」と教育(洗脳)されたとしたら、その子はその気になります。
そしてそのように振る舞います。自分の嫁も、同じように教育(洗脳)を受けた姫君です。
二人は結婚し、「純粋な」子供を授かります。「自分はダビデの血を引いている」という記憶を持った子供です。両親の願うとおりにすくすくと育つでしょう。
そこに浅黒い異国の姫があらわれたら、大変です。肌の黒さはともかく、その女の血がわからないので、どんな子供ができるかも想像できないのです。
もちろんビジュアル的にも浅黒い子が産まれます。もう悲劇です。
血は、ネットワークを大事にしよう、などという記憶も持っています。人殺しとしての記憶も持っています。なのでいざというときには親族だろうが殺します。
貴族にはそういう「血」が流れているので、人殺し、兄弟殺しなどはその人の人格のせいではなく、血のせいです。
現代風に言い直すと、プログラミングです。スイッチが入ったとたん人を殺していた、というプログラムによるトラウマは、戦士の家系にはむしろ必要です。
いずれにせよ、騎士道物語や聖杯、白鳥の騎士などの「よくわからない」伝説には、必ず意味があります。
二つの勢力
有名なフランス語の『ペルスヴァル(パルシヴァル)または聖杯の物語』を書いたのは、クレティアン・ド・トロワです。
トロワといえばシャンパーニュ伯ユーグ、ラシ・ド・トロワ、そして大市の特権を手にしたテンプル騎士団です。
クレティアン・ド・トロワは、アリエノール・ダキテーヌの娘、マリー・ド・シャンパーニュの保護を受けて宮廷に仕えていました。
アリエノール・ダキテーヌは、吟遊詩人を庇護して多くの文芸作品を誕生させ、「洗練された宮廷文化」をフランス、イングランドに広めた存在として知られています。

またアリエノールは、フランス王ルイ七世とイングランド王ヘンリー二世の妻、つまりフランス王妃&イングランド王妃のダブル王妃でもありました。
ダキテーヌは「アキテーヌの」という意味です。クリュニー修道院をこしらえたのは祖先のアキテーヌ公ギヨーム一世でした。ダビデの血統です。
ユダヤの血が騒いだのか、アリエノールは宮廷などでなにかとトラブルを起こす人でした。飛躍しすぎかもしれませんが、エステル記のエステルを思い起こさせます。
アリエノールは一一四七年の第二回十字軍において、アキテーヌの諸侯を説得して参加者を増やし、援助と引き換えにフォントヴロー修道院などへの寄進を行っていました。そして自分も十字軍に参加しました。
アリエノールの父親、アキテーヌ公ギヨーム十世(一〇九九年~)の弟レーモンは、十字軍国家の一つであるアンティオキア公国の君主でした。
「新たな財団」としての修道院とそちら側にいる人たち(ダビデの血側)、そしてそちら側にいない貴族たち、という構図がなんとなく把握できたのではないでしょうか。
このころの貴族連中は(アリエノール含め)やたらと対立しています。同じ白人貴族でもユダヤ(ダビデ)ではない人たちがいたからです。
むしろそちらが本流で、ダビデの連中は陰謀的です。
教科書的な第一回十字軍
いちおう教科書的な第一回十字軍も記しておきます。
一〇九六年を通じてウルバヌス二世がスカウトした指導者には、ターラントのボエモン(一〇五四年ごろ~)、ボエモンの甥タンクレード(一〇七五年~)、ゴドフロワ・ド・ブイヨン、ゴドフロワの兄弟のボードゥアン(一〇六〇年代~)、フランス王フィリップ一世の弟ヴェルマンドワ伯ユーグ(一〇五七年~)、イングランド王ウイリアム二世の兄弟ノルマンディー伯ロベール二世(一〇五一年~)、フランドル伯ロベール二世(一〇六五年~)がいました。
十字軍は、北フランス、南フランス、フランドル、ドイツ、南イタリアをそれぞれ代表していたので、四つの別々の軍に分かれていました。
必ずしも協力的ではありませんでしたが、この人たちはお伝えしたとおり、ネットワークを通じ、共通の目的によって結束していました。
王子たちの十字軍は、アナトリア(トルコ)の奪還に成功しただけでなく、聖地も征服し、一〇九九年七月にエルサレムの再征服、およびエルサレム王国を樹立したことで成功は頂点に達しました。
エルサレム王国は、一二九一年のアッコの陥落まで二百年近くつづきました。
キリキアのアルメニア人は、十字軍の援助によって軍事行動を起こし、またアンティオキア、エデッサ、トリポリに十字軍国家を立ち上げることで、キリキアを確保することができました。
なのでゴドフロワ・ド・ブイヨンは、繰り返しになりますが、アルメニア人の救世主とみなされました。
ゴドフロワの兄弟ボードゥアンは、一〇九八年、十字軍の主力部隊から離れ、キリキアを南に向かい、次にエデッサに向かいました。

ボードゥアンはエデッサでソロスという領主を説得し、自分を後継者として養子に迎えさせました。
そしてソロスの娘、アルメニアのアルダと結婚しました。この政略結婚によって、ボードゥアンはエデッサで地位を固め、アルメニアのキリスト教徒の支持を得ることができました。
一一〇〇年、ゴドフロワが死去し、ボードゥアンが次代エルサレム王になると、アルダは初代エルサレム王妃となりました。
ボードゥアンがエデッサ、東に向かった一方、第一回十字軍の主力部隊は南下をつづけ、一〇九七年、ブロワ伯エティエンヌ二世(スティーブン)率いる部隊がアンティオキアを包囲しました。上の地図のAntiochです。
ル・ピュイのアデマールは、一〇九八年六月に十字軍がアンティオキアで絶体絶命のピンチを迎えた際に、ホーリー・ランス、イエスの脇腹を刺したロンギヌスの槍を携えたといわれています。
シリアのアンティオキア公国の最初の統治者は、ロベルト・イル・グイスカルドの息子、ターラント公ボエモン一世です。
一一〇四年には、ボードゥアンとボエモン一世はアレッポを経由して東方に進軍し、ハッラーンを攻撃しました。上の地図のHarranです。
ですがユーフラテス川付近の都市ラッカ近郊のバラクで、大セルジューク朝の軍勢に大敗を喫してしまいました。
この敗戦を受け、ボエモン一世はさらなる兵力をかき集めるべく、ヨーロッパに戻りました。聖地から持ち寄った聖遺物やボエモン自身の武勇伝などもあり、フランスでは多くの者が魅了され、結果多くの軍勢を集めることになりました。
そんなわけでボエモン一世は、結果的にフランス王フィリップ一世の娘コンスタンス・ド・フランスと結婚しました。
このコンスタンスの前の夫は、さんざん出てきたシャンパーニュ伯ユーグです。
ちなみにイングランド王ヘンリー一世は、ボエモンがイングランドの貴族の関心を呼んでしまうことを危惧し、ボエモンをイングランドに上陸させなかったといわれています。
トリポリ伯国は、十字軍国家のうち、最後に建国された国家です。

一一〇九年、トリポリは陥落し、トゥールーズのレイモン四世の息子ベルトランがトリポリ初の伯爵になりました。立ち位置としてはエルサレムのボードゥアン一世の臣下としてです。
エデッサ伯国は、ボードゥアン一世の従兄弟、ボードゥアン二世に引き継がれました。ボードゥアン二世はのちにエルサレム王となります。
次回以降もダビデの血統を追いかけていきます。
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