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82.王子たちの十字軍①

画像は以下のサイトから転載。


封建制

これまで何度も怪しげにほのめかしてきましたが、ついに十字軍です。

有名な歴史家、アンリ・ピレンヌは、著書『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニユ』で、ヨーロッパがいわゆる「暗黒時代」に陥った原因を記しています。

ヨーロッパが「暗黒時代」に陥った主な原因として、イスラム教徒が地中海を征服してしまったため国際市場にアクセスできなくなったことが挙げられます。

アッバース朝の最大版図(七五一年)

カール大帝(七四二年ごろ~)の死後、帝国は不安定だったこともあり、ヴァイキングとマジャール人の攻撃を受けて分裂しました。

その結果、とくにフランスと低地地方において、農民は封建制の支配下に置かれました。

https://portalacademico.cch.unam.mx/historiauniversal1/feudalismoより転載

中世ヨーロッパにおける封建制では、主君は臣下に土地などを与え、その代わりに忠誠を誓わせます。

主君のほうも臣下を守る義務があったのですが、そのへんを怠ると、臣下は別の主君に鞍替えしたりしました。意外とドライな関係です。

なお主君の主君は主君ではないため、臣下は主君の主君の命令を聞く必要はありません。

また臣下は複数の主君を持つことができたので、ある日友達が敵になっていた、ということも起こり得ました。

このように封建制は、とにかく複雑な社会でした。非中央集権的なカオス社会で、いちおう「戦乱の世」ともいえます。

そんな社会なので、地方の領主などはなにごとも自分で対処しなければなりませんでした。

領主たちは蛮族の襲撃に備えるため、いわゆる「皇帝」の許可を得ずに私的な城を建てはじめました。まさに中世ヨーロッパ的世界の誕生です。

https://cutiemais5jfstudy.z21.web.core.windows.net/the-system-of-feudalism.htmlより転載

中央の権力が弱いので、主君である王に会ったことのない伯爵もいたほどでした。

領主の私的な城の周辺には、小さな交易センターが発展しました。そしてセンターでは定期的に市が開かれるようになりました。あくまで小規模な市です。

小さな領主と小さな領主は、ときに小さな諍いを起こします。そしていずれかが勝利し、小さな領地を統合します。

このような流れはやがて「都市」を生み出しました。十一世紀末には、西ヨーロッパはすでに経済的な統合を深めていました。

この都市化の拡大は、十字軍の財政的な力になりました。なにはなくともカネです。

十字軍の前に

十字軍の目的は、イスラム教徒に奪われた聖地エルサレムの奪還、ということになっています。広義ではレコンキスタも十字軍に含まれます。

たいていの人は上の説明で納得します。教師は「当時の人たちは宗教心が強かったから」などと付け加えたりもします。

ですがこれは大義名分であって、そのまま信じるのはあまりにナイーブです。「億万長者が貧困撲滅のために財団を立ち上げた」などというニュースを鵜呑みにするようなものです。

そして悲しいことに、ほとんどの人は「億万長者が貧困撲滅のために財団を立ち上げた」などというニュースを鵜呑みにしています。

それでも十字軍は人気なので、十字軍の「真実」を伝える論文やブログはちらほらと見かけます。

キリスト教徒の十字軍は、行く先々でイスラム教徒、ユダヤ教徒の別なく、神の名の下に虐殺、略奪しまくった、という「真実」です。

逆に珍しい現象なのですが、十字軍だけはみなさん堂々と「真実」を伝えています。

なぜ堂々としているのかというと、加害者がキリスト教徒だからです。そして犠牲者はおなじみの「ユダヤ人」です。

逆の場合は、NGです。十字軍に限らず、ユダヤ批判はNGです。ヒュー・オブ・リンカーン事件のような事実も、完全な事実であっても事実ではありません。ユダヤ批判をする論文やブログは基本的に存在しません。

興味深いのは、学者や院生だけでなく、素人のブロガーすら空気を読んでいるところです。ユダヤ人については、下手をするとそのへんの小学生でも知っています。

なぜ日本人はそこまでユダヤ人に「詳しい」のでしょうか。世界史に疎い、ナイーブさで国際的に有名な日本人なら、「ユダヤちゃん」などとおもしろおかしく擬人化したりしそうなものです。

やはりナチス・ドイツとホロコーストが効いています。はだしのゲンでおなじみの必ず爆発する原子爆弾と同様、小学生に伝えたら一発で信じます。

平たくいえば洗脳です。ホロコーストや必ず爆発する原子爆弾だけでなく、なぜかそれなりに知っている、という知識は、すべて洗脳によるものです。メディアを通じて無意識に触れてきたから知っているのです。

十字軍の「真実」はユーチューブにもたくさん転がっていますが、「知る(グノーシス)」というものがいかに危険かをおわかりいただければと思います。

そもそも素人ユーチューバーの解説程度で納得するつもりなのであれば、わざわざ勉強に時間を割く必要はありません。一日中ゲームをしていたほうがよほど生産的です。

それでも十字軍について知りたいという方は読み進めてみてください。

ラシ・ド・トロワ

第一回十字軍の遠征については、一〇九五年十一月のクレルモン公会議で取り上げられました。

https://fx-companion.com/2015/11/27/today-in-middle-easteuropean-history-the-council-of-clermont-1095/より転載

当時のビザンツ帝国は、イスラム教徒のセルジューク朝に小アジア(トルコ)を奪われた状態でした。

https://www.cannedhistorian.com/2014/06/first-crusade.htmlより転載

一〇七一年、ビザンツ帝国はいわゆる「マンジケルトの戦い」でセルジューク・トルコ軍に敗れ、国土が半分になってしまいました。

そんななか、皇帝アレクシオス一世コムネノス(一〇四八年~)は、西欧の軍事支援を得る機会を見いだしました。

一〇八七年、セルジューク朝はエルサレムを征服しました。これは無数の歴史書やブログなどが示しているように、西欧のキリスト教徒を「再征服」に駆り立てる大きな理由になりました。

レコンキスタ、再征服という用語はのちの歴史屋がこしらえた造語ですが、再征服という概念はローマのころから存在していました。

ローマのものはローマのものに、つまり「奪還」という共通認識がすでにあったわけです。しかもこの場合、奪還すべきは聖地エルサレムです。

しつこいようですが、もちろん大義名分です。聖地を奪われたから奪還しました、という説明を信じるのは、すべての営業マンが「オレは世界一の営業マンになる!」という心意気で仕事をしていると信じるようなものです。

アレクシオス一世コムネノスの救援要請を受けた教皇ウルバヌス二世(一〇四二年~)は、クレルモン公会議で軍事遠征を呼びかけました。

ですが皇帝アレクシオスが要請したのは東ローマ帝国への傭兵の提供であって、十字軍のような独自の軍団ではありませんでした。

ウルバヌス二世の煽りぶりはよそのサイトで読んでもらうとして、まずはクレルモンの場所を確認しておきます。

https://ontheworldmap.com/france/city/clermont-ferrand/clermont-ferrand-location-on-the-france-map.htmlより転載

ウィキペディアによると、現在はオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、ピュイ=ド=ドーム県の県庁所在地です。

そして公会議が開かれたクレルモンという場所は、トロワから二〇〇マイルほど離れたところにあります。車で四時間ほどの距離です。

https://www.trenes.com/より生成

トロワといえばトロワ公会議です。一一二八年一月、教皇ホノリウス二世(一〇六〇年~)はトロワ公会議において、第一回十字軍で功績を残したとしてテンプル騎士団を正式に承認しました。

トロワはシャンパーニュ地方の一都市で、十字軍以前から経済的に発展していました。

そしてトロワは、マインツのカロニモス・アカデミーの偉大な卒業生、ラシ・ド・トロワ(一〇四〇年~)の故郷です。

https://rachi-troyes.org/rachi/から転載

カロニモス家については前回お伝えしました。ドイツに神秘主義とタルムード研究を広めた、ダビデ王の血を引く一族です。

ラシは本名をシュロモ・イツハキといいます。ラビの「ラ」とシュロモの「シ」を合わせてラシと呼ばれるようになりました。

このラシは、聖書およびバビロニア・タルムードの中世における代表的な注釈者、として広く認められていました。

中世以降に刊行されたラビ文学の多くは、ラシの立場を支持して引用するか、または反論する形でラシについて論じるかをしていました。まさに時の権威です。

そしてラシは、カロニモス家の出身です。つまりラビ・マヒルの子孫で、ダビデの血を引いています。

百万回くらい繰り返していますが、メシアはダビデの血統から登場します。だれもが認める超重要な血統で、ダビデの血を引く娘と結婚したら、自分の息子はダビデです。もしかしたらメシアになれるかもしれません。

ラシは創世記の最初の節をこのように注釈しています。

ラビ・イサクはいった。「トーラーは、『この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい』(出エジプト記十二章)という節からはじめるべきだった。これはイスラエル全体に与えられた最初の戒めだった」
では、なぜ「初めに」からはじまったのか。それは、詩篇百十一章六節に込められた「主はもろもろの国民の所領をその民に与え、それによって御業の力をあらわされた」という思想を伝えるためである。そうすれば、世界の諸国がイスラエルに「あなたがたは強奪者だ。七つの国の土地を力ずくで奪ったからだ」と非難したとき、イスラエルはかれらにこう答えることができる。「全地は聖なる方に属する。かれはそれを創造し、かれらに与えた。そしてかれ(主)の御心により、かれらから取り上げ、わたしたちに与えた」と。

https://rabbisacks.org/covenant-conversation/bereishit/creation-and-israel/

じつにユダヤらしい解釈で、挑発的でもあります。

この注釈は、非公式の十字軍がライン川とドナウ川周辺を焼き討ちし、ユダヤ人を捕らえて「改宗か死か」と迫った、という事件が背景にあります。

トロワはこの焼き討ちの被害に遭いませんでしたが、ドイツのマインツとヴォルムスは壊滅的な死と破壊に見舞われました。

マインツとヴォルムスといえば、カロニモス家のお膝元、タルムード研究の中心地です。ラシもマインツで学び、二十五歳くらいで帰郷しました。

タルムードについては上の記事でお伝えしていますが、中身はイエス・キリストへの憎悪に満ちあふれています。

かれ(イエス)は(バラムの名で)三十三歳の時、強盗ピンチャスによって死刑にされた(サンヘドリン一〇六b)。かれはゲヘナで、排泄物に煮られて罰せられた(ギッティン五六b、五七a)

https://chuckbaldwinlive.com/Articles/tabid/109/ID/4292/Evangelical-Paganism.aspx

もちろんふつうの「ユダヤ人」にはなんの罪もありませんが、キリスト教徒ならばむしろ激怒りしなければおかしいというレベルです。このような書物を研究している学院は都市ごと焼き払うべきです。

選民思想でおなじみの「ユダヤ人」は、昔から時限爆弾を抱えている存在でした。

なぜかたくなに同化しないのかというと、ラシのような人たちが上記のような解釈によって「ユダヤ人」というイデオロギーを保ちつづけてきたからです。

そんな世界において、少し頭の働く権力者なら、「ユダヤ人」をうまく利用しようとするでしょう。「ユダヤ人」をつつけば世界が動きます。

そしてもう少し頭の働く権力者なら、争乱の種としての「ユダヤ人」を保ちつづけようと画策するでしょう。ラシのような学者を保護したりなどです。

一般の「ユダヤ人」も、ある程度の数がいてもらわなくてはなりません。「ユダヤ人」がいなくなったら虐殺もできなくなるからです。

合わせてラシのような学者には、ユダヤ人かどうかはともかく、知恵(グノーシス)を持っています。その知恵は有用なので、ときに権力者はお近づきになります。

そして権力者は同時に、オカルトを学ぶことになります。

オカルトは人どうしを強く結びつけます。「ダビデの血統」は代表的なオカルト的信念の一つです。

第一回十字軍の指導者の一人、ゴドフロワ・ド・ブイヨン(一〇六〇年~)は、何度かお伝えしたとおり、ダビデの血を引いているといわれています。

ユダヤ教では、メシア(ハ・マシヤハ)は、イスラエルの諸部族の統一、すべてのユダヤ人のエレツ・イスラエルへの集結、エルサレム神殿の再建、世界的な普遍的平和の時代(メシア時代)の到来の告知、などが期待されています。

https://www.etsy.com/jp/listing/875688897/erusaremu-di-er-shen-diannoより転載

ダビデの血を引いているのであれば、機会があったらやるべきです。聖地エルサレムの奪還は主の御心にかなっています。権威であるラシも認めるところです。

そしてちょうど聖地は「異教徒」の手に落ち、ビザンツ帝国から救援の要請がありました。

ダビデの血を引いていなかったとしても、エルサレムを奪還しさえすればあとづけでどうにでもなります。

裏の仕掛け人

ラシの故郷トロワは、のちに有名なシャンパーニュの大市の開催地となる都市です。

この大市は、世界史における重要なターニング・ポイントです。ヨーロッパの近代経済を生み出し、国際貿易の火付け役として、いわゆる「暗黒時代」からの脱却を果たす大きな一助となりました。

当時のシャンパーニュ地方は、シャンパーニュ伯ユーグ(一〇七四年ごろ~)によって統治されていました。

ゆるキャラのようなユーグのシール

このユーグは、裏の仕掛け人というイメージです。

まずユーグは、十字軍前夜、ラシを賓客として頻繁に招いていました。

ラシはダビデの血統なので、当然ユダヤ人です。十一世紀当時の西ヨーロッパは反ユダヤ感情が強かったのですが、当時のトロワは親ユダヤ的でした。ユダヤに優しくすると経済が発展します。

ユダヤに優しいシャンパーニュ伯ユーグは、唯一司教座のあるトロワを気に入っていました。トロワ伯と呼ばれるのを好んでいたようですが、資料にはたいていシャンパーニュ伯ユーグと記されています。

そしてこのユーグは、テンプル騎士団の創設メンバーでもあります。

https://knightstemplar.co/were-the-knights-templar-in-poland/より転載

テンプル騎士団は、第一回十字軍終了後の一一一九年、十字軍メンバーの一部によって創設されました。

ソロモン神殿跡を本部にしていたので、そのまま「神殿の騎士」、ナイト・テンプラーと名づけられました。

創設の目的は、巡礼者の保護とのことです。「オレは世界一の営業マンになる!」です。

テンプル騎士団は、坊主であり騎士、という新しい概念のもとに誕生しました。なのでテンプル騎士団は正式な修道会で、メンバーは正式な修道士です。

大虐殺を繰り広げたとされる荒くれ者の騎士が、突然修道士になったのです。

フランス国王は、トロワ公会議でテンプル騎士団が承認されたのち、テンプル騎士団にシャンパーニュの大市の特権を与えました。これによって騎士団は、大市において特権的に儲けることができるようになりました。

https://knightstemplar.co/fairs-of-the-middle-ages-commerce-culture-and-celebration/より転載

テンプル騎士団はまた、銀行屋としての活動も知られています。銀行といえばユダヤです。

十字軍前夜、ユーグとラシがなにを話し合っていたのかはたいへん気になるところですが、いずれにせよ十字軍は、速やかすぎるほど速やかに開始されました。

クレルモン公会議は一〇九五年十一月に開かれました。そして諸侯(王子)たちが北フランス、南フランス、フランドル、ドイツ、南イタリアからそれぞれ出発したのは、一〇九六年の夏ごろです。

たった半年で、ヨーロッパじゅうの騎士たちがめいめいエルサレムに向かったわけです。教皇が熱狂的に呼びかけただけでこれだけ足並みがそろうのは不自然です。

こちらのチャンネルによると、ウルバヌス二世の「神がそう望んでおられる!」という演説でみんなの目がイッちゃったのだそうです。

そんなわけはないだろう、と思われた方はさらに読み進めてください。

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謎の賢人 この記事はリサーチにかなりの時間を費やしています。有料にはしたくないので無料で公開していますが、チップをいただけましたら精神的にも励みになります。