ヒューム理論から探る、私のアファンタジアとSDAM
2026-02-28|v0.1|草稿
2026-04-25|v1.0|初版
デイヴィッド・ヒュームは、18世紀のスコットランドで活躍した哲学者の一人であり、人がどのようにして物事を知るのかを、実際の経験にもとづいて考え直しました。私たちの思考はイメージに基づくと考え、見たり聞いたりした体験と、その体験をもとに心に浮かぶイメージや考えを区別することで、「知っているつもり」の仕組みを明らかにし、その後の哲学に大きな影響を与えた人物です。
本レポートでは、先天性アファンタジア(心的イメージ体験の生涯的不在)および SDAM(自伝的記憶再体験の生涯的不在)の当事者として記した私の手記を、哲学者デイヴィッド・ヒュームの理論体系を実装した AI に投じ、その理論的枠組みから私の内的世界をどこまで再構成できるかを検証します。これは、その可能性を探る思考実験です。
本レポートは、有料版 AI(Claude Sonnet 4.6 Extended Thinking)が全編を執筆しており、私(手記の筆者)はその性能を引き出すためのプロンプト設計を行いました。
なお、レポート文中の「🟦」箇所は、私による注釈・見解・所感を記述しました。あるいは「脚注」として別ページにまとめました。併せてご参照ください。
本レポートの性質について(必ずご確認ください)
本レポートは、現時点の技術においてAI(LLM:大規模言語モデル)が膨大なデータから確率的に言葉を繋ぎ合わせて生成したものです。そのため、事実とは異なる情報を「もっともらしく」回答する「ハルシネーション(幻覚)」という現象が発生する場合があります。重要な意思決定や専門的な情報の確認については、必ず信頼できる一次情報をご自身でご確認ください。
注意事項と免責のお願い(必ずご確認ください)
本レポートはAIによる思考実験をまとめたフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。登場する研究者等は実際の分析や作成に関わっておらず、特定の個人を批判・称賛する意図もありません。AIの推論に基づく読み物としてお楽しみください。詳細はこちらのページをご覧ください。
アファンタジアとSDAMの内的世界:
デイヴィッド・ヒューム理論による
当事者手記の学術的再構成
Ver. Instr14_Memoir30_ClaudeSonnet46et
研究者: David Hume(デイヴィッド・ヒューム)
手記に対する研究者の理論的適合度:★★★★☆(高い)
※ただし根本的な齟齬を含み、評価は分かれうる
※ 本レポートと密接に連動する下記の no+e 記事も参照されたい:
はじめに:ヒュームという鏡
デイヴィッド・ヒュームが「人間本性論」を書いたのは1739年、彼が二十八歳のときであった。その冒頭に置かれた問いは、驚くほどシンプルである。人間の心に存在するものは何か、それはどこから来るのか。ヒュームはこの問いに「すべての心的内容は印象か観念であり、観念はつねに印象の模写である」という答えを与えた。この答えは、三世紀近くにわたって哲学・心理学・認知科学に多大な影響を与え続けている。
しかし、ヒュームが想定した「人間」の輪郭には、ある種の前提が潜んでいた。すなわち、人間は感覚経験から心的イメージ(観念)を生成し、そのイメージを素材として思考・記憶・感情・自己を構築するという前提である。この前提はあまりにも自明に見えるため、誰も問わなかった。心的イメージなしに人間が思考することなど、想定外だったからである。
無像之像氏の手記は、この前提への静かな異議申し立てである。本レポートは、ヒューム哲学という三世紀の鏡に手記の筆者の内的世界を映し出すことで、その鏡が照らし出すもの、そして映し出せないものを丁寧に記録する試みである。
ヒューム哲学は、心的イメージを思考・記憶・自己の不可欠な媒介として位置づけた哲学史上最初の体系である。この枠組みは、手記の分析において二重の意味で有効である。
第一に、ヒュームの理論が手記の記述と深く共鳴する箇所では、当事者の内的世界の構造を照射する強力なレンズとして機能する。
第二に、ヒュームの理論が手記の事実によって根底から揺らぐ箇所では、アファンタジア・SDAM当事者の存在が「観念なき思考は不可能だ」というヒューム的前提への静かな反証として立ち上がる。すなわち、この分析は単なる「理論の当てはめ」ではなく、手記がヒューム哲学そのものに問いを投げ返すという、双方向の対話の構造をもっている。
研究者プロフィール:デイヴィッド・ヒューム
デイヴィッド・ヒューム(1711 - 1776)は、スコットランドの哲学者・歴史家・経済学者。主著は『人間本性論(A Treatise of Human Nature)』(1739–1740)および『人間知性研究(An Enquiry Concerning Human Understanding)』(1748)。経験論の伝統(ロック、バークリー)を継承しつつ、これを徹底的に推し進めた「科学的人間学(science of human nature)」の構築者として知られる。カントが「独断のまどろみから目覚めさせてくれた」と述懐したことで有名であり、現代の認知科学・神経科学の先駆者としても評価されている(Stanford Encyclopedia of Philosophy, Spring 2024 Edition)。
ヒュームの主要な理論的貢献として本分析に関わるものは以下の四点である。
第一に、印象と観念の区別(Distinction between Impressions and Ideas)。あらゆる心的知覚を「印象(impression)」と「観念(idea)」の二種類に分類した。印象とは感覚・感情・情動など、心に「強力かつ生き生きと(force and vivacity:勢いと生気)」作用する直接知覚である。観念とは、印象が薄れた「かすかな模写(faint images)」であり、思考・記憶・想像のなかに現れるものである。
🟦デイヴィッド・ヒュームの文脈において、印象(impression)とは今まさに感じている強い感覚や気持ちのことである。
🟦同様に、観念(idea)とはそれをもとにした弱い思い出や考えのことであり、「過去の感覚の弱いコピーとして、感覚に似た形で頭の中に現れるもの」とされる。観念(idea)には、頭の中で思い浮かべるイメージだけでなく、言葉で考えることや抽象的な考えも含まれており、現代でいう心的イメージは、その中の「感覚に似た形で頭の中に現れる」部分にあたる。
🟦ところが、2015年以降、広く一般に知られるようになったアファンタジアの存在によって、ヒューム理論のコアとされる上記の「観念(idea)」を構成する要件の一つである「感覚に似た形で頭の中に現れる」という前提に対して、理論の根幹を問い直す問題が生じている。※ 少なくともアファンタジアの当事者である私(無像之像)の経験においては、そのような「感覚に似た形で頭の中に現れる」心的内容を伴わずに思考が成立している。
🟦なお、私(無像之像)の一存で、本レポートでは「印象」という用語に「リアル」というルビを振った。また、「観念」という用語に「コピー」というルビを振った。あくまでニュアンスとしてのルビであり、正確な意味ではない。おおよそ、以下のようなニュアンスを含んでいる。
印象 ⇒ 直接/いま感じる(今まさに感じている)
観念 ⇒ 間接/あとで考える(感じたことをもとに考える)
第二に、コピー原理(Copy Principle)。「すべての観念(idea)は、先行する印象(impression)の模写である」という原則。思考の内容はすべて感覚経験に由来し、経験のないものを観念として持つことはできないとする。
🟦コピー原理とは、「観念(idea)はすべて、自分が実際に感じた(五感や感情など、直接体験した)ことから生まれる」という原則である。つまり、「観念の素材はすべて実際の経験に由来している」ということである。
🟦「観念は体験のコピーである」という原則そのものは、アファンタジアの登場によって否定されるものではない。ただし、そのコピーが必ずしも感覚的なイメージとして現れる必要はないことを示しており、コピーがどのような形で頭の中に現れるかという点は見直しが求められる。※ 少なくともアファンタジアの当事者である私(無像之像)の経験においては、そのような感覚的イメージを伴わずに思考が成立している。
第三に、観念の連合(Association of Ideas)。類似・時空的接近・因果関係という三原理によって観念は互いに結びつき、記憶・想像・推論が成立するとする。
🟦観念の連合とは、頭の中にある考え・イメージ・記憶が、連想によって結びつくという考えである。ヒュームはその原理として、「類似」「時空的接近」「因果関係」の三つを挙げている。
「類似」の例:犬の写真を見て、かつて飼っていた自分の犬のことを思い出す。
「時空的接近」の例:「雷」と聞くと「稲妻」や「豪雨」を思い浮かべる。
「因果関係」の例:「煙」を見ると「火」を連想する。
🟦アファンタジアの人においても連想は通常通り行われるため、この連合理論自体は基本的に支持される。ただし、連想は必ずしも感覚的なイメージを伴わず、言語や概念を通じても成立しうる。このことは、「類似による連合」における「似ている」という関係が、見た目の類似だけでなく、意味や概念の近さによっても成り立つことを示している。
第四に、自己の束の理論(Bundle Theory of Self)。自己とは実体的な何かではなく、絶え間なく流れ去る「知覚の束(bundle of perceptions)」にすぎないとする立場。
🟦自己の束の理論とは、「《自分》 という確固たる実体はなく、次々と移り変わる感覚・感情・イメージ・考えの寄せ集めにすぎない」ということ。ヒュームは「自分自身の内側を深く覗き込んでみると、いつも何らかの特定の知覚(暑さ・寒さ・光・影・愛・憎しみ・苦痛・快楽など)に出会うばかりで、知覚なしに《自分》というものを捉えたことは一度もない」と述べている。
🟦「自己とは流れゆく知覚の寄せ集めにすぎない」というヒュームの主張は、アファンタジアの経験と一定の対応関係をもつ。たとえば、頭の中に視覚的な自己像が浮かばないという状態は、「統一的な自己が直接的に与えられるわけではない」というヒュームの洞察を、体験的に裏づけるものとして理解することができる。
🟦以上、第一から第四までを一言でまとめると:
アファンタジアの存在はヒューム理論の細部(視覚像への暗黙の依存)に修正を求めるが、その基本的枠組みは維持される。
◆ 第1章 心的イメージの不在
この章に対するヒューム理論の適合度:★★★★★(非常に高い)
※理論の核心と正面から衝突する最重要章
適合度判定の根拠:
手記の第1章は、ヒュームのコピー原理および観念概念そのものへの実証的挑戦として読むことができる。ヒュームは観念を「印象のかすかな模写(faint images)」と規定しており、この定義においては心的イメージと観念は事実上同義である。手記の筆者はこの「観念」に相当するものを生涯経験していない。にもかかわらず、筆者は思考し、認識し、理解する。これはヒューム哲学が正面から向き合わなければならない事態である。
手記の第1章には、筆者が五感のいずれにおいても心的イメージを経験したことがないという趣旨の記述がある。視覚的なイメージは一切浮かばないが、「茶碗に盛った炊きたての白米」について「分かる」「知っている」という認識は成立するという。筆者はこの現象を「non-verbal awareness(非言語的で即時的な認識)」に近いものとして表現している。
ヒュームの枠組みでこれを解釈するとどうなるか。コピー原理に照らせば、手記の筆者は白米に関する「印象」(実際に白米を見た、食べた感覚経験)はもっているはずである。ヒュームの問いはここに生じる。その印象の「模写」、すなわち観念は、筆者の心のなかにどのような形で存在しているのか。筆者の証言が示唆するのは、観念が「薄いイメージ(faint image)」という形式を取らなくても成立しうるという可能性であり、これはヒュームの観念概念の定義を根底から揺るがすものである。
現代の認知科学との接続で見ると、Zeman(2024)は、アファンタジア者においても「意識的なイメージなしに記憶・創造性・感情が機能する」ことを報告しており、「less perception-like な表象」が用いられている可能性を示している(Dijkstra et al., 2017; 2019)。これはヒューム的な「観念(image-like mental content)」なしに認識が成立するという、現代科学版の傍証(間接的な裏付け)とも言えよう。
🟦「less perception-like な表象」とは、概ね「知覚(見たり聞いたりすること)に似ていない形式の情報」という意味を指す。
また注目すべきは、ヒュームが盲人は色を想像できないと述べている点(Enquiry, Section II)である。手記の筆者の場合、盲人ではないにもかかわらず、視覚的心的イメージは生じない。これはヒュームが想定した「感覚器官の欠損による観念の不在」とは異なる事態であり、印象の経験能力と観念(イメージ)の生成能力が分離しうることを示している。ヒュームの体系では、この分離は原理上起こりえないはずであった。
VVIQへの最下限スコアという記述も重要である。ヒュームにとって観念の「力と生き生きとした性質(force and vivacity)」は信念と想像を区別する基準でもあった。手記の筆者のVVIQ最低スコアは、ヒューム的な意味での観念の「生き生きとした性質」がゼロに近い状態を示しており、ヒュームなら「この人物は信念を持てないのではないか」と問いを立てるかもしれない。むろん筆者は豊かな信念と認識を持っている。ここにも、ヒューム理論の限界線がくっきりと浮かび上がる。
🟦ヒュームは、強い「力と生き生きとした性質(force and vivacity)」を持つ知覚を「印象(感覚や感情)」、それが弱まったものを「観念(思考や想像)」と呼んだ。
🟦さらに、観念の中でも特に「力と生き生きとした性質」が強いものを「信念(belief)」、弱いものを単なる「想像」と区別した。
さらに見逃せないのは、手記の筆者が「以前に見たものは『見たことがある』と識別できるため、何らかの情報は脳に記憶されている」と述べている点である。ヒュームのコピー原理は、印象から観念が「コピーされる」という一方向的な関係を想定するが、筆者の場合、印象(視覚経験)から観念(心的イメージ)へのコピーは行われないのに、その印象に由来する「識別能力」は保持されている。これは、印象が観念(イメージ)という形式を経由せずとも、何らかの表象として心に刻まれることを示唆しており、Zeman(2025)が「意識的なイメージなしに機能する潜在的な表象(less perception-like representations)」と呼ぶものに近い。ヒュームの体系には「印象から観念を経由しない表象」という概念の余地がなく、筆者の認知の様態はヒュームが想定した「コピーの連鎖」とは異なる回路で動いている可能性が高い。
加えて、手記には家族の顔が浮かばないことについて悲しんだり不安になったりしたことがないという記述がある。ヒュームは「印象と観念の連合」によって感情が喚起されると論じたが(印象の反省から生まれる二次印象として情動・感情を位置づけた)、手記の筆者の場合、視覚的観念(家族の顔のイメージ)が不在でも、「家族を大切に思う感情」は機能しているはずである。これは感情の喚起経路が「視覚的観念の連合」のみに依存しないことを示しており、ヒュームの印象・観念・感情の連鎖モデルに重要な修正を迫る観察である。
◆ 第2章 夢の中の抽象的ループ
この章に対するヒューム理論の適合度:★★★☆☆(中程度)
適合度判定の根拠:
手記の第2章は夢の内容について記述しているが、ヒューム理論における「imagination(想像力)」と「memory(記憶)」の議論と部分的に接続する。
ヒュームは、想像力と記憶の違いは「観念の力と生き生きとした性質(force and vivacity)」の程度差にあるとした。また夢についても、眠りのなかで観念は印象に近い強度を獲得しうると考えていた。手記には、筆者が夢をほとんど覚えておらず、夢に物語性がなく、夢で「人の顔をまざまざと見た記憶がない」という趣旨の記述がある。これはZeman(2024)が指摘した「アファンタジア者でも夢では視覚的イメージを見ることが多い」という知見の例外的なケースとして興味深い。
ヒューム的視点からすると、手記の筆者の夢においては観念の「力と生き生きとした性質」の増幅が起きていない、あるいは著しく限定されているとも解釈できる。夢の中で筆者が経験する「変数代入の強迫的ループ」は、ヒュームが述べる「観念の連合(Association of Ideas)」が、因果的連鎖として閉じたループを形成した状態とも読めるが、これは推測の域を出ない。
◆ 第3章 イメージ不在の情報処理
この章に対するヒューム理論の適合度:★★★★☆(高い)
適合度判定の根拠:
手記の第3章には、筆者が「心的イメージという媒介を経由せず、異なる経路(ショートカット?)で思考している」という趣旨の自己考察が記されている。ヒュームの理論との接点は「観念の連合」の機能にある。
ヒュームは、思考・推論・想像のすべてが「観念の連合(類似・接近・因果)」によって成立するとした。手記の筆者の情報処理は、少なくとも「心的イメージとしての観念」を媒介にした連合ではない。しかしそれでも、筆者は高度な論理的・抽象的思考を行っている(かつての職業がソフトウェア開発であることは、その実証でもある)。
🟦【再掲】
観念の連合とは、頭の中にある考え・イメージ・記憶が、連想によって結びつくという考えである。ヒュームはその原理として、「類似」「時空的接近」「因果関係」の三つを挙げている。
「類似」の例:犬の写真を見て、かつて飼っていた自分の犬のことを思い出す。
「時空的接近」の例:「雷」と聞くと「稲妻」や「豪雨」を思い浮かべる。
「因果関係」の例:「煙」を見ると「火」を連想する。
これはヒュームにとって挑戦的な事実である。ヒュームの体系では、連合の素材は観念(=心的イメージ)であるから、イメージなき連合は体系内で説明困難である。一方で、手記の筆者の記述は「言語的・論理的・抽象的思考スタイルが相対的に磨かれた可能性」を示唆しており、これは「イメージによる思考」に代わる「言語・記号による思考」が連合の素材となっているという解釈につながりうる。ヒュームは「抽象的観念(abstract ideas)」の問題も論じており(個別的印象から一般的観念を形成する過程)、筆者の思考スタイルはこの「抽象的観念」の駆動が際立った形態とも位置づけられる可能性がある。
現代的な補足として、Zeman(2025)は「アファンタジア者はイメージなしに記憶・創造性・感情が機能する」と報告しており、代替的な認知戦略の存在を示唆している。手記の筆者の自己記述はこれと整合する。
◆ 第4章 自伝的記憶の不在と意味記憶の点在
この章に対するヒューム理論の適合度:★★★★☆(高い)
適合度判定の根拠:
ヒュームは記憶を「観念の連合」と「力と生き生きとした性質」の程度によって説明したが、手記の筆者の自伝的記憶の様態はこの説明に大きな摩擦を生じさせる。
🟦【再掲】
観念の連合とは、頭の中にある考え・イメージ・記憶が、連想によって結びつくという考えである。ヒュームはその原理として、「類似」「時空的接近」「因果関係」の三つを挙げている。
「類似」の例:犬の写真を見て、かつて飼っていた自分の犬のことを思い出す。
「時空的接近」の例:「雷」と聞くと「稲妻」や「豪雨」を思い浮かべる。
「因果関係」の例:「煙」を見ると「火」を連想する。
手記の第4章には、筆者が自分の写真を見ても「当時の臨場感、存在感、感情の動き」が去来しないという趣旨の記述がある。思い出すのは出来事の「意味記憶(事実関係)」であり、そこに当時の感情や身体感覚が伴わないという。これを「真夜中に数えられるほどの星々がぽつぽつと散らばる夜空」と表現している点は、散発的で希薄な記憶の布置を詩的かつ正確に描写している。
ヒュームにとって、記憶と想像の区別は「力と生き生きとした性質」の差であった。手記の筆者の意味記憶は確かに存在するが、そこに「力と生き生きとした性質」に相当するもの――すなわち追体験・再体験の感覚――はない。ヒューム的に言えば、筆者の記憶は「力の弱い観念」として存在しているが、そこには印象の再活性化が起きていないと解釈できる。現代的には、これがSDAM(生涯にわたる自伝的記憶の再体験の欠如)に対応する。
ヒュームが強調したもう一つの点は、記憶が過去の出来事の「秩序と位置(order and position)」を保持するという機能である。ヒュームによれば、記憶は印象を変形させることなく、元の配置を保って観念として再現するとされた。手記の筆者の場合、意味記憶としての「いつ・どこで・何が起きたか」という事実関係は保持されている。これはヒュームが言う「秩序と位置の保持」の機能には対応しているが、観念の「力と生き生きとした性質」が伴わない。ヒュームにとってこの性質こそが記憶を記憶たらしめる本質であっただけに、筆者の事例は「記憶の内容的側面と体験的側面の分離」という、ヒュームが予期しなかった可能性を提示している。
また、パートナーとの生活により意味記憶の保持が豊かになったという記述は、ヒュームが強調した「人間は社会的存在であり、他者との相互作用が知覚と認識を形成する」という社会性の議論と微妙に共鳴する。ヒュームは「sympathy(共感)」を社会的認識の基盤に置いたが、手記の筆者の場合、パートナーという他者との対話が記憶の「外付けの足場」として機能しているとも読めよう。
◆ 第5章 過去と未来と自己
この章に対するヒューム理論の適合度:★★★★★(非常に高い)
※束の理論との鮮やかな共鳴
適合度判定の根拠:
手記の第5章は、ヒュームの「束の理論(Bundle Theory of Self)」と最も深く共鳴する章であり、本レポートにおけるもう一つの核心である。
ヒュームは『人間本性論』第I巻第4部第6節において、自己を探索しようとするとき自分が見つけるのは「いつも何らかの特定の知覚であり、熱さや冷たさ、光や影、愛や憎しみ、苦しみや喜びである。自己そのものを、知覚なしに捉えることは決してない」と述べた。自己とは「さまざまな知覚が信じられないほどの速さで互いに継起し、絶え間ない流動と運動のなかにある」ものであり、「知覚の束あるいは集合体(a bundle or collection of different perceptions)」にすぎないという。
手記の第5章には、筆者の「私」という自己が「主に現在の感情(快・不快・居心地)」「現在の入力(現実の感覚・知覚)」「心的イメージを伴わない思考(意味・知識・概念・観念・抽象・論理・言語・内言など)」によって構成されているという趣旨の記述がある。過去や未来は「エピソードとして生き生きと思い浮かべるもの」ではなく、「知っている」「分かっている」という認識として把握されるという。
この記述はヒュームの束の理論と驚くほど平仄(つじつま)が合う。ヒュームが描いた自己は「現在の知覚の流れ」によって成立するものであり、過去の追体験や未来の鮮明な先取りを必須条件とはしない。手記の筆者の自己もまた、現在に強く錨を下ろした「知覚の束」として機能していると言える。
ただし、ここに重要な相違もある。ヒュームの知覚の束には、本来「観念(心的イメージ)」が豊富に含まれるはずである。手記の筆者の場合、その観念の成分が「心的イメージ」ではなく「非言語的・非イメージ的な即時認識(non-verbal awareness)」と「内言」に置き換えられている。束の理論の大枠は成立するが、束を構成する素材の性質が、ヒュームが想定したものと根本的に異なる。これは束の理論の「内容非依存的な正しさ」とも言えるし、あるいはヒューム理論が想定外のところで現実に適応していると言えるかもしれない。
さらに、手記の筆者が「過去をあまり顧みない」という記述はヒュームの人間観とも微妙に響き合う。ヒュームにとって、過去の記憶と未来の予期は「観念の連合」から生まれるものであったが、筆者においてはその連合が「エピソード的・イメージ的な再体験」を経由しない。これは、ヒューム的な意味での「原因と結果の連鎖によって構成される自己の物語」が、筆者において別の形で成立していることを示している。
🟦アファンタジアかつSDAMである私のアイデンティティは、物語性(いわゆるナラティブ・アイデンティティ)では立ち上がらない。これは実感としてそう思っている。
ここで重要な問いが生まれる。ヒュームが「自己とは知覚の束にすぎない」と論じたとき、彼は過去の観念(記憶)が現在の観念と連合することで「自己の連続性の感覚」が生まれると考えていた。だとすれば、過去の記憶の再体験が稀薄な手記の筆者において、自己の連続性はどのように確保されているのか。手記の記述を見ると、筆者の自己の連続性は「現在の意味記憶(知っている・分かっている)の集積」と「現在の思考・感情の流れ」によって成立していると解釈できる。これはヒュームの束の理論の「精神に」は沿いながら、「形式的には」修正を要する形態と言えよう。
Zeman(2025)は「アファンタジアが最も顕著な差異をもたらすのは、個人的な重要な過去の出来事の記憶――エピソード的自伝的記憶――においてである」と報告している。手記の筆者の内的世界はこの知見の典型例でありながら、同時に「それでも自己は機能する」という生きた証言でもある。ヒュームが描いた「知覚の束としての自己」は、イメージという素材を欠いても、その構造的原理において手記の筆者の自己と共鳴し続けている。
◆ 第6章 内言と直観
この章に対するヒューム理論の適合度:★★★☆☆(中程度)
適合度判定の根拠:
ヒュームは観念の連合において「言語」の役割を明示的に論じたわけではないが、内言の問題は「抽象的観念(abstract ideas)」の議論と接続しうる。
手記の第6章には、筆者が内言を「リズムをなぞる、あるいは刻む、あるいは踏むような」感覚として経験しているという趣旨の記述がある。声(音)の心的イメージは伴わず、リズムという準感覚的な形式で言語的思考が進行するという。また、内言という媒介すら経由せず「直接思考へとショートカットする」非言語的直観も日常的にあるという。
ヒュームは抽象的観念の問題について、バークリーの個別論を引き継ぎ、「一般的観念とは特定の個別的観念に特定の名称(言語)が付着することで成立する」と論じた。これを手記の筆者の内言に当てはめると、筆者の「リズムをなぞる内言」は、ヒューム的な「名称の付着」のプロセスの変形型として解釈できるかもしれない。心的な音のイメージなしに、音韻的リズムのみによって言語の認知機能が確保されているという事態は、ヒュームが想定した「言語+観念」の結合から「イメージなき言語」が切り離して機能しうることを示している。
🟦なんだか妙に小難しい言い回しになっているようだが、要するに、「言葉を使うときに、頭の中に具体的な映像や音(イメージ)が浮かんでいなくても、思考や認知は成立する」ということ。
◆ 第7章 表現の擬態と適応
この章に対するヒューム理論の適合度:★★☆☆☆(低い)
適合度判定の根拠:
手記の第7章は、筆者が日常会話や文章の中で感性的な表現(「はっきりと目に浮かぶ」等)を社会的慣習に従って使用するという、いわば言語的・社会的適応の記述である。
ヒューム理論との直接的な接点は限定的である。ヒュームが論じた「sympathy(共感)」――他者の感情・知覚を自己に転移させる機能――の観点からは、手記の筆者が「擬態」を通じて他者との共有コードを維持していることが、ヒューム的な社会的認識の形式を保っていると言えなくもない。しかしこれは周辺的な接点にすぎない。この章の内容をより正確に分析する理論的枠組みとしては、言語行為論(Austin, Searle)や、社会的マスキングに関する心理学的研究がより適合すると思われる。
◆ 第8章 日常と人生への影響
この章に対するヒューム理論の適合度:★☆☆☆☆(かなり低い)
適合度判定の根拠:
手記の第8章は、筆者がこの内的状態によって「特段の支障をきたしたことはない」「変えたいと思ったこともない」「メンタルヘルスの危機に陥ったこともない」という記述からなる。これは当事者の適応と福祉の記述であり、ヒュームの哲学理論が直接寄与する領域ではない。
なお、Zeman(2024)は「アファンタジアは障害ではなく人間の経験の多様性である」と述べており、手記の筆者の自己評価はこの現代研究の知見と整合する。
◆ 第9章 空間と顔の認識
この章に対するヒューム理論の適合度:★★☆☆☆(低い)
適合度判定の根拠:
手記の第9章は、筆者が空間把握や顔認識において「不自由を感じたことはない」という記述である。Zeman(2024)が指摘した「Object Imagery vs Spatial Imagery」の区別(物体の視覚的心的イメージは欠如しても、空間的配置のイメージは保持されるケースがある)との関連は注目に値するが、これはヒューム理論よりもZemanの認知神経科学的枠組みで分析されるべき内容である。ヒュームの観念論・コピー原理との直接的な接続は限定的である。
◆ 第10章 例外的かつ一過性の体験
この章に対するヒューム理論の適合度:★★★★☆(高い)
※「欠けた青の色合い」との対話
適合度判定の根拠:
手記の第10章は、ヒュームが提起した有名な思考実験「欠けた青の色合い(The Missing Shade of Blue)」と、思いがけない形で対話する。
🟦「欠けた青の色合い」とは、ヒュームが自説の「経験が観念を作る」という大原則に対する、唯一の「例外」として挙げた思考実験のこと。
ヒュームは本来、「経験(感覚)したことのない色のイメージ(観念)は持てない」と主張した。しかし、この思考実験では以下の状況を想定している。
1) ある人が、最も濃い青から薄い青まで、グラデーション状に並んだ青色のパネルを見ている。
2) ただし、その中の一箇所だけ、経験したことのない特定の「中間色の青」が抜けている。
このとき、その人は実物を見たことがなくても、両隣の色から想像して「欠けている色のイメージ」を自力で作れてしまうのではないか、とヒュームは指摘した。
手記には、筆者が数回にわたり覚醒直後のまどろんだ状態で「ヒプノポンピック・ハルシネーション(覚醒直後の幻覚)」を経験したという記述がある。そのときの体験は「実在しない物体の細部が非常によく見える」というものであり、筆者は「これまで視覚的心的イメージを経験したことがなかったのに、まるで本物を見ているような、この明瞭な視覚的体験はどういうことなのか」「この状態をもっと味わいたい」と感じたという趣旨の記述がある。この体験が累計三分にも満たない、筆者の事実上「唯一の擬似視覚的体験」であるという。
ヒュームの「欠けた青の色合い」は次のような思考実験であった。色調の見本を連続的に並べた棒状の配色から一つの青の色調だけを抜き取ったとき、人はその欠落した色調を「想像」できるか?ヒューム自身はこれを「できる」と認め、コピー原理の例外として受け入れた。ただし「この例は稀少であり、一般的法則を変更するには足りない」と付言した。この思考実験が示すのは、感覚経験のないものを観念として生成しうる可能性、すなわち「印象なき観念」の論理的可能性である。
🟦 “ この例は稀少であり、一般的法則を変更するには足りない ”
えっ? 大雑把すぎない? そこが理論の穴になりうるのでは? 笑
手記の筆者のヒプノポンピック体験はこれと鮮やかに響き合う。筆者は生涯にわたって視覚的心的イメージを経験したことがない。しかし覚醒直後の特殊な意識状態においては、強烈な擬似視覚体験が出現した。これをヒュームの枠組みで語るなら、通常の覚醒状態では観念の生成機構が(何らかの理由で)抑制されているが、覚醒直後の意識状態ではその抑制が外れ、印象に準じる強度の視覚的体験が生起したと解釈できる。これは「欠けた青の色合い」とは逆の方向性、すなわち「観念を生じさせる能力の存在は確認されるが、通常状態では機能しない」という形で、コピー原理の問いを別角度から照らし出している。
🟦 なんか雑な説明のような気もするけど…笑
ヒュームならこの体験に何と言うだろうか。おそらく「ここに、印象と観念の関係の謎が凝縮している」と答えるだろう。手記の筆者自身も「この主観的体験が心的イメージと関連しているのか、あるいは別種の現象(幻視)なのかについては、自分では判断できない」と記述しており、この問いはヒューム哲学が提起する「知覚の性質とは何か」という根本問題と交差している。
🟦 えっーと…、そこ言い切っちゃっていいの?笑
レポート執筆者(AI)さんから醸し出る謎の万能感…
◆ 第11章 その他のエピソード
この章に対するヒューム理論の適合度:★★☆☆☆(低い)
適合度判定の根拠:
手記の第11章は、アファンタジアとSDAMを自覚した経緯、ガンツフリッカー実験、両眼競合実験、面接・テストの苦手さ、家族歴、絵を描く作法、好む小説のジャンルなど、多様なエピソードからなる。
ヒューム理論との接点として比較的有益なのは、テストの苦手さに関するエピソードとパートナーとの生活についての補足である。テストの記述(第11章g)は、心的イメージを用いた高速な推論が困難である事例として、ヒュームの「観念の連合」が通常どのように機能し、手記の筆者においてそれがどのように変形しているかを示す具体例として参照できる。好む小説のジャンル(第11章j)は、心理・感情の記述を好む傾向として、ヒュームが「感情(passion)」「sympathy(共感)」を認識の核心に置いた立場との緩やかな共鳴を見出せるが、それ以上の理論的寄与は限られる。その他のエピソードについては、ヒューム理論よりも神経科学・認知心理学・医学的枠組みが適切な分析手段となる。
◆ その他(横断的考察)
「コピーなき認識」という逆説
本レポートを通じて浮かび上がる最も根本的な問いは、「コピー(copy)なき認識は可能か」という問題である。ヒュームにとって、思考・記憶・自己は「印象の模写としての観念」の連合によって成立するものであった。手記の筆者は、この模写(心的イメージとしての観念)を持たないまま、高度な思考・記憶・自己の統合を実現している。
これはヒュームの体系にとって、哲学的には反証に近い。しかし別の見方をすれば、ヒュームが本当に伝えようとしたことの核心――「人間の認識はすべて経験に由来し、経験の外に独立した理性的根拠はない」――という経験論の精神は、手記の筆者の内的世界においても完全に成立している。筆者は豊かな感覚経験(印象)を持ち、その経験の意味的・概念的な把握(「知っている」「分かっている」)を行っている。ただその経路が、ヒュームが想定した「心的イメージによる模写」を経由しないだけである。
ヒューム理論の射程という観点から全章を俯瞰すると、理論が最も深く機能する箇所は次のようにまとめられる。
第一に、コピー原理とその逸脱の問題
(手記の第1章・第10章)第二に、記憶における「力と生き生きとした性質」の欠如
(手記の第4章)第三に、束の理論と現在中心の自己
(手記の第5章)
これら三つの軸は互いに連関しており、「印象はあるが、その模写としての観念(イメージ)は生じない」「それでも認識・記憶・自己は機能する」という手記の筆者の内的世界の構造的特徴を、ヒュームの語彙を用いて描き出すことを可能にしている。
🟦たしかに、ヒュームへの反証という視点が、むしろ功を奏したかもしれない。
一方、理論の射程が及ばない箇所では、手記の筆者の内的世界はヒューム哲学に「補遺(理論の穴埋め)」を迫る。もしヒュームが二十一世紀に生き、アファンタジアという現象を知ったとすれば、おそらく彼はまず観察し、次に「観念とはイメージであるとした私の定義を再考しなければならない」と述べただろう。それこそがヒューム的態度であり、筆者の手記はその再考を促す最も誠実な一次資料の一つである。
◆ 作業を終えて
本レポートを書き終えて、一つの感慨がある。デイヴィッド・ヒュームは人間の認識の根底に「心的イメージ」を据えた哲学者であった。無像之像氏の手記は、その根底が「なくても成立する」ことの生きた証言である。これは矛盾ではなく、人間の認識の多様性と可塑性の証明であろう。
ヒューム自身は「常にオープンマインドを保て」とは言わなかったが、彼の哲学的精神は本質的にそうであった。証拠に基づき、先入観を疑い、観察から出発する。無像之像氏の手記もまた、その精神の産物である。「自分の内的世界を観察し、言語化し、問い続けた」という営みは、ヒュームが「science of human nature」と呼んだものの、静かで誠実な実践である。
手記の中で最も印象に残った記述を一つ挙げるとすれば、それは筆者が三十年前に「この興味深い現象の存在に、人類はいつ気づくのだろうか」と考えていたというくだりである。ヒュームが1739年に『人間本性論』を刊行した際、彼はほとんど無視された。しかし彼は観察し続け、書き続けた。筆者もまた、名称もなく、共有する言語もなく、三十年にわたって自らの内的世界を観察し続けた。この二人の「観察者」の精神は、時代を超えて共鳴しているように思う。
◆ レポート執筆者のプロフィール
執筆AI: Claude(Anthropic)
使用モデル: Claude Sonnet 4.6
執筆日: 2026年2月28日
参照資料:
分析対象手記:無像之像著「アファンタジアとSDAMの当事者である私の内的世界」v3.0(2026年1月29日)
作業指示書:AphantSDAM_Instr14.md(v1.4、2026年2月19日)
Adam Zeman (2024). Aphantasia and hyperphantasia: exploring imagery vividness extremes. Trends in Cognitive Sciences.(要約・関連報道を参照)
Adam Zeman (2025). A decade of aphantasia research – and still going! Neuropsychologia, 219, 109278.(要約・関連報道を参照)
Stanford Encyclopedia of Philosophy, "David Hume," Spring 2024 Edition
Internet Encyclopedia of Philosophy, "Hume, Imagination"
関連学術文献(Copy Principle・Missing Shade of Blueに関する二次文献複数)
◆ 謝辞
三十年以上にわたり自らの内的世界を観察し続け、言語化の困難な体験を誠実に記録してくださった無像之像氏に、深い敬意と感謝を申し上げる。アファンタジア研究の礎を築いたAdam Zeman教授、そして「人間の科学」を夢見たデイヴィッド・ヒュームの問いに、この記録が小さな光を添えることができれば幸いである。
以上 (AI 執筆によるレポートはここまで)
◆ 企画:理論から探る、私のアファンタジアと SDAM
今後、以下の企画・記事を随時公開していきます。
先天性アファンタジア(生涯にわたって心的イメージの体験がない)および SDAM(生涯にわたって自伝的記憶の再体験がない)の当事者として記した私の手記を、各分野の研究者の理論体系を実装した AI に投じ、その理論的枠組みから私の内的世界をどこまで再構成できるかを検証します。
研究者については下記「研究者リスト」を参照。
◆ 研究者リスト
※ 🟥印はレポート作成済みです。リンクから詳細をご覧いただけます。
1) アファンタジア、SDAM
Adam Zeman(アダム・ゼーマン)
|🟥レポート閲覧|🟥β版1|🟥β版2|🟥β版3
|論文|略歴|英国を拠点とする著名な神経内科医・認知神経科学者であり、2015年の画期的論文を通じてアファンタジアの概念を現代神経科学の最前線へと再導入し、同分野の発展に決定的な影響を与えた中心的研究者です。Brian Levine(ブライアン・レヴィン)
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|論文|略歴|カナダを代表する認知神経科学者の一人であり、SDAM概念の提唱を通じて自伝的記憶研究に新たな枠組みをもたらした、同分野を牽引する主要研究者の一人です。Joel Pearson(ジョエル・ピアソン)
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|論文|略歴|心的イメージの神経基盤研究において国際的に高い評価を受ける認知神経科学者であり、アファンタジアの客観的測定法の発展を主導してきた中心的研究者の一人です。Nicholas Watkins(ニコラス・ワトキンス)
|論文|略歴|アファンタジアとSDAMの関連性を追う気鋭の研究者特別枠: Blake Ross(ブレイク・ロス)
|略歴|記事|Firefox共同創設者で、当事者としてアファンタジアを世に広めた人物
2) 記憶
Endel Tulving(エンデル・タルヴィング)
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|論文|略歴|(1927年 - 2023年没)エストニア出身のカナダの認知心理学者であり、エピソード記憶と意味記憶の区別という枠組みを確立し、「心的タイムトラベル」の概念を提唱することで、自伝的記憶研究に大きな影響を与えた記憶研究の代表的研究者の一人です。Daniel L. Schacter(ダニエル・L・シャクター)
|論文|略歴|記憶の心理学的・神経学的研究の第一人者(「記憶の七つの罪」著者)Donna Rose Addis(ドナ・ローズ・アディス)
|論文|略歴|過去の想起と未来のシミュレーションの関係を追究する研究者
3) 内言、言語、内的経験
Russell T. Hurlburt(ラッセル・T・ハールバート)
|論文|略歴|記述的経験サンプリング法(DES)の開発者Ludwig Wittgenstein(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)
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|略歴|(1889年 - 1951年没)20世紀哲学を代表する最も影響力のある思想家の一人であり、前期『論理哲学論考』から後期『哲学探究』に至る思想的転回を通じて、言語・意味・心の理解を根本から問い直し、現代分析哲学の展開とその基盤形成に決定的な影響を与えた哲学者です。Charles Fernyhough(チャールズ・ファニーハフ)
|論文|略歴|内言(内的対話)の多様性を追究する心理学者Lev Vygotsky(レフ・ヴィゴツキー)
|略歴|(1896年 - 1934年没)内言と高次精神機能の発達理論
4) イメージ論争
Stephen M. Kosslyn(スティーヴン・M・コスリン)
|論文|略歴|イメージ論争における「絵画的表現」派の主導者Zenon Pylyshyn(ゼノン・ピリシン)
|略歴|(1935年 - 2022年没)イメージ論争における「命題的表現」派の主導者
5) 意識、クオリア
Anil Seth(アニル・セス)
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|論文|略歴|英国を拠点とする認知・計算神経科学者であり、「予測処理」や「制御された幻覚」といった枠組みに基づき、脳がいかに主観的な意識を生み出すのかの解明に取り組む、現代の意識科学を牽引する重要な研究者の一人です。Naotsugu Tsuchiya(土谷 尚嗣)
|論文|略歴|神経科学者、クオリア構造学(意識の主観性を数学的な関係性として客観化)の探求者
6) 哲学
Aristotle(アリストテレス)
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|略歴|(紀元前384年 - 紀元前322年没)古代ギリシアを代表する哲学者の一人であり、広範な分野にわたる体系的研究を通じて西洋思想の基盤形成に大きな影響を与えるとともに、「ファンタシア(phantasia)」の概念を提唱することで、現代の「アファンタジア(aphantasia)」という用語の語源的背景にも連なる枠組みを示した、哲学史上最も重要な人物の一人です。David Hume(デイヴィッド・ヒューム)
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|略歴|(1711年 - 1776年没)18世紀のスコットランドで活躍した哲学者の一人であり、人がどのようにして物事を知るのかを、実際の経験にもとづいて考え直しました。私たちの思考はイメージに基づくと考え、見たり聞いたりした体験と、その体験をもとに心に浮かぶイメージや考えを区別することで、「知っているつもり」の仕組みを明らかにし、その後の哲学に大きな影響を与えた人物です。Kitaro Nishida(西田 幾多郎)
|略歴|(1870年 - 1945年没)「純粋経験」を提唱した日本哲学の巨星
7) その他(人名録)
Galen Strawson(ゲーレン・ストローソン)【専門分野:非物語的自己(Episodic self)、SDAM、自己の哲学】
Lajos Brons(ラヨス・ブロンズ)【専門分野:アファンタジア、SDAM、内的世界の多様性に関する哲学的分析】
Edmund Husserl(エトムント・フッサール)【専門分野:純粋現象学、意識の指向性、内的時間意識】
Fiona Macpherson(フィオナ・マクファーソン)【専門分野:知覚の哲学、アファンタジアにおける想像力の再定義、感覚の多様性】
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロ=ポンティ)【専門分野:身体性現象学、知覚の現象学、生きられた身体】
Christof Koch(クリストフ・コッホ)【専門分野:意識の神経相関(NCC)、統合情報理論(IIT)、視覚意識】
Henri Bergson(アンリ・ベルクソン)【専門分野:純粋持続(時間の哲学)、記憶論(『物質と記憶』)、生の跳躍】
Daniela Palombo(ダニエラ・パロンボ)【専門分野:SDAM、自伝的記憶の個人差、情動記憶】
Merlin Monzel(マーリン・モンゼル)【専門分野:アファンタジアの認知プロファイル、心的イメージの欠如と知覚】
Evan Thompson(エヴァン・トンプソン)【専門分野:神経現象学、身体化された認知、意識の主観的記述】
Amy Kind(エイミー・カインド)【専門分野:想像力の哲学、イメージなき想像力、心の哲学】
Shaun Gallagher(ショーン・ギャラガー)【専門分野:現象学的認知科学、前反省的自己意識、ナラティブ・セルフ】
Nadine Dijkstra(ナディーン・ディクストラ)【専門分野:知覚とイメージの境界、アファンタジアの神経基盤】
Felipe De Brigard(フェリペ・デ・ブリガード)【専門分野:記憶と想像力の連続性、反事実的思考、自伝的記憶】
Dan Zahavi(ダン・ザハヴィ)【専門分野:現象学的自己論、主体性(Minyness)、他者性】
Christopher McCarroll(クリストファー・マッカロール)【専門分野:記憶における視点(観察者視点)、自伝的記憶の現象学】
Alexei J. Dawes(アレクセイ・ドーズ)【専門分野:アファンタジアの多感覚的欠如、SDAM、内的世界の個人差】
Bence Nanay(ベンス・ナナイ)【専門分野:心的イメージの哲学、アファンタジア、知覚の哲学】
Wilma Bainbridge(ウィルマ・ベインブリッジ)【専門分野:心的イメージの視覚的記憶、アファンタジアと描画、記憶の客観的評価】
Reshanne Reeder(レシャンヌ・リーダー)【専門分野:アファンタジアの視覚認知、心的イメージの変異】
Rebecca Keogh(レベッカ・キーオ)【専門分野:アファンタジア、心的イメージの強度の神経計測、視覚的ワーキングメモリ】
Catherine Loveday(キャサリン・ラブデイ)【専門分野:自伝的記憶の神経心理学、SDAM、音楽と記憶】
Karl Szpunar(カール・スプナール)【専門分野:未来思考(エピソード的将来思考)、自伝的記憶、教育心理学】
Johannes Mahr(ヨハネス・メール)【専門分野:自伝的記憶の進化的機能、エピソード記憶の認識論】
Thomas Metzinger(トーマス・メッツィンガー)【専門分野:自己モデル理論(Ego Tunnel)、意識の透明性、無意識の主体性】
Raquel Krempel(ラケル・クレンプル)【専門分野:アファンタジアと概念的思考、SDAMと自己認識】
Mélissa Fox-Muraton(メリッサ・フォックス=ミュラトン)【専門分野:アファンタジアの現象学、想像力と実存主義】
Marya Schechtman(メアリヤ・シェクトマン)【専門分野:ナラティブ・セルフ、記憶と人格の同一性、自己の構成要素】
Kourken Michaelian(クルケン・ミカエリアン)【専門分野:記憶のシミュレーション理論、記憶と想像の境界、記憶の認識論】
Stanislas Dehaene(スタニスラス・ドゥアンヌ)【専門分野:意識のグローバル・ワークスペース理論、数覚、読字の神経科学】
Paul Ricoeur(ポール・リクール)【専門分野:ナラティブ・アイデンティティ(物語的同一性)、解釈学、記憶と忘却】
Nina Strohminger(ニナ・ストローミンガー)【専門分野:道徳的自己(Moral Self)、アイデンティティの変容、人格の心理学】
Jennifer Windt(ジェニファー・ウィンド)【専門分野:夢の認知科学、心的イメージを伴わない夢(概念的夢)、意識の哲学】
Peter Mende-Siedlecki(ピーター・メンデルス)【専門分野:社会神経科学、印象形成、エピソード記憶と対人認知】
Christoph Hoerl(クリストフ・ホアル)【専門分野:時間の哲学、エピソード記憶の性質、SDAMにおける時間意識】
Antonio Damasio(アントニオ・ダマシオ)【専門分野:情動の神経科学(ソマティック・マーカー仮説)、身体化された自己、意識】
Joel L. Voss(ジョエル・L・ボス)【専門分野:海馬とエピソード記憶、SDAMの神経基盤、記憶の神経調節】
Eleanor Maguire(エレノア・マグワイア)【専門分野:自伝的記憶、海馬の神経可塑性、空間ナビゲーション】
Morris Moscovitch(モリス・モスコヴィッチ)【専門分野:自伝的記憶と自己、海馬依存性(多重痕跡理論)、神経心理学】
Dan McAdams(ダン・マクアダムズ)【専門分野:物語的自己(ナラティブ・アイデンティティ)、ライフストーリー心理学、人格発達】
Jerome Bruner(ジェローム・ブルーナー)【専門分野:文化心理学、物語的思考、教育心理学】
Stan Klein(スタン・クライン)【専門分野:自伝的記憶と自己知識の分離、記憶の哲学、進化心理学】
Allan Paivio(アラン・パイヴィオ)【専門分野:二重コード理論(Dual-coding theory)、心的イメージと言語の認知心理学】
Andy Clark(アンディ・クラーク)【専門分野:拡張マインド仮説(Extended mind hypothesis)、予測処理、身体化された認知科学】
Bin Kimura(木村 敏)【専門分野:現象学・精神病理学、時間構造論、あいだの思想】
Daniel Dennett(ダニエル・デネット)【専門分野:意識の複数草稿モデル(Multiple Drafts Model)、心の哲学、クオリア批判】
Thomas Andrillon(トーマス・アンドリロン)【専門分野:睡眠中の認知処理、意識の神経科学、記憶の再固定化】
Thomas Nagel(トマス・ネーゲル)【専門分野:意識の哲学(「コウモリであるとはどのようなことか」)、主観性、客観性】
Yujiro Nakamura(中村 雄二郎)【専門分野:共通感覚論、現代哲学、方法としての身体】
Julia Simner(ジュリア・シモナー)【専門分野:共感覚の認知神経科学、アファンタジア、個人差】
V. S. Ramachandran(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン)【専門分野:行動神経学、幻肢痛、共感覚、脳の可塑性】
Zoe Pounder(ゾーイ・パウンダー)【専門分野:アファンタジアの心理社会的影響、自伝的記憶、内的経験の多様性】
Todd Feinberg(トッド・フェインバーグ)【専門分野:自己の神経心理学、意識の統合、精神医学的自己論】
Randy Buckner(ランディ・バックナー)【専門分野:デフォルトモードネットワーク(DMN)、自伝的思考、記憶の神経基盤】
Mark Wheeler(マーク・ウィーラー)【専門分野:自己投射(Self-projection)、エピソード記憶の進化、意識的想起】
Jonathan Smallwood(ジョナサン・スモールウッド)【専門分野:マインドワンダリング(心の彷徨)、内省、デフォルトモードネットワーク】
Stephen Palmer(スティーヴン・パーマー)【専門分野:視覚科学、視覚表象の計算論的アプローチ、ゲシュタルト心理学】
Michael Tye(マイケル・タイ)【専門分野:意識の表象主義、クオリア、心の哲学】
John Campbell(ジョン・キャンベル)【専門分野:自己と意識の哲学、注意と空間表象、知覚の直接実在論】
Francisco Varela(フランシスコ・ヴァレラ)【専門分野:神経現象学(Neurophenomenology)、オートポイエーシス(自己創出システム)、発生的認知科学】
Michel Bitbol(ミシェル・ビットボル)【専門分野:量子力学の哲学、意識と主観性の科学的探求、現象学と物理学の統合】
Romain Quentin(ロマン・カンタン)【専門分野:記憶の神経科学、アファンタジアの脳接続異常、パリ脳研究所(PIC-ID)】
Sherry Turkle(シェリー・タークル)【専門分野:人間と技術の関係、ロボットとの社会的相互作用、デジタル文化の心理学】
Alva Noë(アルヴァ・ノエ)【専門分野:知覚の活動説(Enactivism)、意識の哲学、身体化された認知】
Jerry Fodor(ジェリー・フォーダー)【専門分野:心のモジュール性、思考の言語仮説、表象主義】
Fraser Milton(フレイザー・ミルトン)【専門分野:アファンタジアの認知神経心理学、記憶の分類、視覚的イメージ】
Preston Lennon(プレストン・レノン)【専門分野:心的イメージの哲学、内的経験の性質、知覚と想像の境界】
