アファンタジアとは? SDAMとは?
1. アファンタジア(Aphantasia)
1-1. 定義(ざっくり)
1-2. 用語集より引用
⬛️ アファンタジア(aphantasia)
アファンタジアとは、心的イメージの主観的体験が生じない、または著しく乏しい状態のことです。
具体的な事例はこちら: アファンタジアとSDAMな私の内的世界
2015年にアダム・ゼーマン(Adam Zeman)らによって命名されました。最もよく知られているのは視覚的な心的イメージが生じないという状態、つまり目を閉じて風景や人の顔を「頭の中に思い浮かべる」ことがない、あるいはその体験が非常に薄い状態を指します。なお、視覚に限らず、聴覚・触覚・嗅覚・味覚・運動感覚など、複数の感覚モダリティ(感覚様式・感覚様相)においてイメージ体験が乏しい場合もあります。
一方で、概念や命題といった他の心的表象は通常どおり機能しており、リンゴの姿を頭の中に思い浮かべられなくても、「リンゴとはどのような果物か」という知識や概念を扱うことには支障がありません。アファンタジアは病気や障害というよりも、心的イメージの個人差や多様性の一形態として捉えられることが一般的です。
1-3. 個人的なメモ
Wikipedia による説明はこちら。
心的イメージ(mental imagery)とは、ざっくり言えば「実際の感覚(外部刺激)による知覚とは別に、刺激なしに意識内に生じる、知覚に類似した主観的体験」を指す。(なお、私自身はこれまで心的イメージを体験したことがないため、概念的な理解に基づく推測としてこれを書いている)
多くの場合、視覚的な心的イメージについて議論される。
私の場合、おそらく夢の中でも心的イメージの体験がないため、「覚醒時に、意図的(随意的)な心的イメージの体験がない」に限定されず、全般的に「心的イメージの体験がない」可能性がある。
主要研究者らの見解によれば、現時点では、アファンタジア自体は障害や病気ではなく、個人差や多様性の一形態として理解される。
⇒ Claude のログ(PDF版|画像版)
2. SDAM(Severely Deficient Autobiographical Memory)
2-1. 定義(ざっくり)
生涯にわたり、自伝的記憶の再体験がない(あるいは著しく乏しい)状態を指す。
詳しくはこちら。
2-2. 用語集より引用
⬛️ SDAM(Severely Deficient Autobiographical Memory/セビアリー・ディフィシェント・オートバイオグラフィカル・メモリー)
SDAM(エス・ディー・エー・エム)とは「自伝的記憶の顕著な希薄性(Severely Deficient Autobiographical Memory)」の略であり、過去に自分が体験した出来事を主観的に再体験するエピソード的な自伝的記憶が、生涯にわたって生じない、または著しく乏しい状態を指します。
具体的な事例はこちら: アファンタジアとSDAMな私の内的世界
2015年にパロンボ(Palombo)らによって提唱されました。脳の損傷や神経疾患による後天的な記憶障害とは明確に区別され、生まれつきの状態として位置づけられます。SDAMの特徴は、過去の出来事を事実として知っていても、当時の情景・感覚・感情を伴う形で思い出すことがない点にあります。たとえば「昨年の旅行でどこに行ったか」という事実は記憶していても、そのときの光景や気持ちを心の中に再現することがない、というものです。「どこに住んでいたか」「何をしていたか」といった事実に関する意味的な自伝的記憶は比較的保たれることが多いとされています。また、アファンタジアを持つ人では、SDAMを併せ持つ割合が比較的高いことが研究によって報告されています。
2-3. 個人的なメモ
SDAMを命名したレヴィン博士による説明はこちら。
自伝的記憶(autobiographical memory)とは、個人の過去の経験、エピソード、および自己に関する意味的知識の総体を指す。単なる過去の出来事の羅列ではなく、ストーリーとして構成される側面を持ち、自己アイデンティティの形成に深く関わる記憶を指す。(なお、私自身はこれまで自伝的記憶を再体験したことがないため、概念的な理解に基づく推測としてこれを書いている)
意味記憶(事象の意味や知識など)は、多くの場合比較的保たれる。
しばしばアファンタジアと併存することが知られているが、両者は独立した概念であり、必ずしも常に併存するわけではない。
主要研究者らの見解によれば、現時点では、SDAM自体は障害や病気ではなく、個人差や多様性の一形態として理解される。
⇒ Claude のログ(PDF版|画像版)
3. 私のケース
先天性のアファンタジア(生涯にわたって心的イメージの体験がない)および SDAM(生涯にわたって自伝的記憶の再体験がない)の当事者である私の「内的世界」について書き残しました。
