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ライン随想録 地震・台風・・災害ニッポン(その2)

1997/9/23 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより

随想録

その1で災害ニッポンの実状を欧州と比較した。
地震、台風、津波、火山噴火などが多発する日本では、みなの間に虚無感、無力感が漂い長期的、緻密な対応が取れないのが、実状と見ている。
しかし、そうも言っておれないので、われわれは何をなすべきかといつも考えている。
たとえば2年半経過したいま、阪神大震災から何を学ぶべきであろうか?

いろいろあるであろうが、結局、大地震のような大災害発生直後は、国、都道府県、市町村のような公 共機関の支援はまず期待しがたい。
発生直後24時間以内は公共機関の職員自体が家族を含め、被災者 なので、組織的・効果的な活動はかなり制約される。結局、被災者が多いと、われわれは当初は自分の 力で、自分なり家族の支援をしなければならないと思う。
また、災害発生時に居合わせたひとで、他人でも助け合わなければならない場面が多く出てこよう。
阪神大震災直後に、たまたま、アメリカ国防総省刊行の「U.S. Army Survival Guide」という本を読んだ。
この第一章に「生存する意思」と書いて ある。第二章は「生存への計画つくり」、第三章は「生存への医薬品」、第五章は「水の確保」となっ ている。
全部で17章からなっているが、どれも、適切で災害後の自助努力に極めて参考になる。
アメ リカでもスイスでも、ボーイ・スカウト、キャンプ、ハイキングなどを通じて、生きる工夫を学んでい るが、こういうことは普段からの積み重ねが重要と思う。
先日、バーゼル近郊でたまたまスイス人と結 婚している日本人のかたがた50-60人のグループと野外バーベキューを楽しんだ。
日本人同志が結 婚している人たちは、自分も含め、コンロ、炭、プラスチックのフォークなどを持参してきたが、スイ ス人の仲間は木の枝を切り、アーミーナイフで先を尖らせて、フォークを作り、火にかざし、巧みに調 理していた。
炉もあたりの石を立てかけて作り、薪も周囲の枯れ枝を集めて利用していた。
それを子供 に見せているのである。

結局、大震災に備え、水、保存食料品、医薬品、懐中電灯、ラジオ、などを備蓄する事は、当然としても、それらが破壊されていたり、そこにアクセスできなかったりして、十分に役に立たないということ が実際にはありえよう。
臨機応変にその場その場での適切な対応をする以外にはあるまい。
先ほどの、 「U.S.Army Survival Guide」では、ズボンないし円筒状のサックに小石・砂を詰め、木につるして、 上から川の水、池の水を注ぎ、インスタントのろ過器、フィルターとする方法が図解入りで書いてあっ た。
阪神大震災のときにも、被災者が倒壊した木造家屋の板、木をはがして、たき火の材料としていた とのテレビ報道があったが、これもその場の応用の一例と思う。
わたしが3-4歳の子供のころ、戦争 直後という事で、東京、神奈川の戦災の焼け跡に子供同志で良く遊びにいったが、そこには役にたちそ うな道具類が多く散乱していた。
大震災直後にも、生活に役立つ品が自宅の跡地に散乱しているに違い ない。
危険を避けつつ、水・食料、医薬品、生活用具を確保する必要があろう。

阪神大震災では、携帯型の電話が役にたったことが多かったという。
それから分散処理型のパソコン通 信ネットワークも威力を発揮したらしい。
連絡がつけば、親戚・知り合いの屈強なわかいひとに、生活 支援物資をリュック・徒歩で届けてもらうか、連絡が付かなくとも支援してもらうよう、日ごろから依 頼しておくのも良いと思う。
その時に、携帯電話、無線機のような連絡手段を持参すると、役に立つと 思う。
また、セカンド・ハウス、別荘も一時しのぎに、役立ったようだ。
会社、企業の保養所も避難の ためのうけ皿となり得よう。
また、戦時中のような、疎開制度を北海道、東北、九州の親戚と結んでお き、災害が起きたら、2-3か月程度は家族をうけいれあうような取り決めを相互にむすんでおくのは どうだろうか。

国、県、市のような公共団体にとっての課題は緊急輸送路の確保であるという事が、阪神の災害時にい たいほど思い知らされた。
病人の搬送、消防車の移動など、緊急の輸送が災害時には急増するが、困っ た事に、一般車両の渋滞のため緊急車両がほとんど動けなかったことである。
全車両の約1%を目処 に、県公安委員会などが緊急車両を認定し、また、災害時一般車両通行を禁じた幹線道路を指定し、そ の旨そうした道路に表示を出し、一般車両に周知徹底することが大切と思う。
災害が発生してから、認 定するのでなく、いまから、全国の指定・幹線道路と緊急車両をいまから決めておくのが好ましいと思 う。
アメリカでは今でもそうであると思うが、降雪のときの緊急輸送道路が指定されているところが多 い。
ここでスノー・チェーンをつけていない車が動けなくなると重い罰金が科される。
緊急時には一般車両の通行が制限される事に、異存をとなえるひとはいないだろう。

阪神大震災時に倒壊し被害を多く出したのは古い木造住宅に集中していたと思う。
東京を始め主要都市 の建造物・住宅の対震度チェックは常時行うべきと思うが、どうだろうか。
個人の判断の問題なので、 強制はできないだろうが、危険地帯の住民にたいする説得は粘り強く進めないといけないないのではな いだろうか。
阪神大震災後に住民と市との間で、地震に強い都市作りのための計画が難航に難航を重ね ていると聞いている。
大地震が来る前から、たとえば、東京・横浜でも22世紀を展望した計画つくり を考え、住民との間で対話を重ねることが必要とおもうがどうであろうか。

災害に強い町作りをするためにも、首都移転は大切なことのように思う。
たとえば、21世紀後半に は、日本の首都は巨大な空港に隣接した仙台を中心とした東北地区、22世紀後半には札幌を中心とし た北海道地区とするなど、はっきり決めて、これにふさわしいような計画作りを考えるのはどうだろう か。

意外としられていないのは、県、市町村、消防、電気、ガス、水道、その他重要な機能の職員が被災の ため活動が長期にわたり続けられないことである。
復旧のための、作業は近隣の同様の機関の応援を仰 がなくてはなるまい。
こうした対応がスムースに行くように、日ごろから連絡調整、相互援助協定作り が大事になってこよう。

それから、大災害時には非常事態宣言を発し、一定の期間に限り、通常の医師法、交通法規などを適用 除外とし、人命救助、応急処置がしやすいようにしなければならない。
たとえば、怪我人の搬出は緊急消防隊がおこない自衛隊はおこなってはいけないとか、医者が同乗しないと救急用ヘリコプターは飛ん ではいけないとか、怪我人救出用の犬の国外からの移動には検疫が必要とか、ばかばかしい事が多い。
また、国外からの救援活動の申し出でには国、県、市の同意が必要という事もタイミング良い救援活動 をむづかしくする。
もちろん、混乱はさけなければならないが、その国在住の日本国大使、公使に、本国の状況をかわりに判断させ、救援の是非を判断させても良いのではないか。

災害ニッポンは自分たちの身をまもることだけで、実に大変なことと思う。
阪神大震災時に中央政府、 地方政府の対応が後手後手に回り、あまりあてにならないといやというほど思い知らされたと思う。
何 百万人もの被災者を救援するにはある程度時間がかかるということは、庶民の側からも理解しなければ ならないだろう。
結局のところ、親から子へ、子から孫へと被災体験を語り継ぎ、災害で困ったとき、 うちの祖父は祖母はどうしたか、どう行動したかを知っておく事が大事と思う。
関東震災時の火災の 話、流言蜚語が事態を悪くした話など、よく語り継いで、おろかなことを繰り返さないようにしたいと 思う。(以上)

老齢プログラマの所感

「大災害発生直後は、国、都道府県、市町村のような公 共機関の支援はまず期待しがたい」と支援がないのが当たり前のようにおっしゃるが、今の時代になっても当たり前で良いのでしょうか。
能登では、なぜ一年経っても不便な生活が強いられるのでしょうか?
仮設住宅の設置や復旧作業など、できることはすぐにやったらいいのでは?
体育館をブルーシートで区切って暮らすより、家族全員で住める仮設住宅の方が良いかと思います。
最低限のことは1ヵ月もしないうちに元に戻してしまう、よりよくするべきことは時間を掛けて目に見える対策が行われる国になれないでしょうか?
住宅のニーズの予想が困難で、用意しても余ってしまうのでしょうか?
支援を厚くすると、災害が起きそうなところにまた再建してしまうからでしょうか?
お金の問題であち、政府がケチだからでしょうか?
国としては経験は十分であり、予想外のことは多くないと思います。
お金も何十兆円もかかるわけじゃありません。
本当に想定外だったのなら、無駄が発生しても国民は許すように思います。

井浦さんは首都移転についても触れています。
書類上は唱えられていても、計画は立てられても、今年度の予算は最終的には東京中心になってしまっています。
将来必ずある災害のために地方に投資するより、今すぐ東京に投資した方が儲かる人の声が勝ってしまうからでしょうか。

補足

上の記事は1997年頃の「ライン随想録(井浦幸雄さん)」の復刻版です。
当時、私の故郷の住職の遺作「おふくろの味」を井浦さんがWebに載せて下さり、今は住職の息子によって公開されています。
当時、このようにお世話になったことを思い出し、復刻していました。

ある日突然、「ライン随想録」の目次が検索で見つかるようになりました。
しかし、ここから記事へのリンクが途切れています。
これが理由で、今まで検索しても表示されなかったのかもしれません。
そのため、復刻作業は今までどおり続けることにします。


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