#644[短編]琥珀色の間[30]──空中宮殿
夜の空港の白い光が逃げ場のない心を照らす。両腕を広げて降り立つ鳳に言葉を重ねる爽子。連載第35回。
1話、2話、番外編・大翔、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、5話-IV、5話-V、6話、7話、番外編・爽子、8話、9話、10話、11話、12話、13話、14話、15話、16話、17話-I、17話-II、18話-I、18話-II、19話、20話-I、20話-II、前半まとめ
※ 連載ですが、どのお話からも読めます。
見上げるほど高い天井から射す白い照明が、自分の中の醜い部分を暴き立てるように見えた。夜の空港が持つ冷えた浮遊感に、何度も呑まれそうになる。大翔は身体ごと、どこか名前のない遠くへ消えてしまいたかった。
「じゃあ、俺、帰ります」
大翔は足元の白い床を見つめ、ゆっくりと天井の光へ視線を上げた。
手にしたライトコートの重みが、辛うじて自分を現実に繋ぎ止めている。「酒も入ってるし……」頭の芯がじんわりと熱を帯びて、こめかみの奥がじんと熱い。
「なんか色々、大丈夫そうですから」
大翔はコートを持ち直した。目尻に薄くにじむ涙を隠すように絞り出した言葉が、高い天井へとあてどなく吸い込まれていった。
「大翔さん、すこしお時間ありますか」 ロビーのざわめきが遮ることなく、爽子の声はまっすぐに届いた。「こっちです」と上りのエスカレーターを指差して、爽子は歩き出す。
◇
「ちょっと風に当たりませんか」振り返り、静かに微笑んだ爽子のまなざしには、夜の闇のすべてを退けるような、引き返さないひとの光が宿っていた。大翔はその歩調が作り出す確かな気流に、ただ巻き込まれるようにしてあとに続いた。
エスカレーターが上層に進み、爽子の背中が遠ざかる。下層の静けさが一段と引き立ち、深い青のマントに透ける、柔らかな肩の線を追う。すっと伸びたうなじの先の、耳元の青いガラスのイヤリングの小さな気泡が、閉じ込められた心を躍らせるように小さく揺れるのを、大翔はじっと見つめていた。
辿り着いた最上階はひと気がなく、シャッターの下りた土産店の先は静寂が支配していた。視界の端にあるカフェからは琥珀色の燈が漏れ、現実との境界を照らしていた。
重厚なアクリル扉を押し開けると、夜の穏やかな風がかすかに湿り気を帯びて、2人の脇をすり抜けていく。その先には、闇の中にまばゆい光が無数に輝く滑走路が広がっていた。
◇
爽子はフェンスに手を添えて、隙間からその光の海を見つめる。吹きつける強い風が、爽子の青いイヤリングを揺らした。
「ここから、飛行機を見るのが好きなんです」
大翔が周りを見渡すと、アマチュアカメラマンのほかには人がいないように見えた。
フェンスに手をかける爽子の隣で、大翔は彼女の視線の高さに合わせようと、わずかに膝を折る。その不自然な距離の近さに、夜風の冷たさとは違う、かすかなこわばりが身体に走った。
一機の黄色い機体が滑走路に身を滑り込ませる。
夜の暗闇を切り裂くようにして、大きな機体が衝撃とともに、滑走路へとその身を預けていく。風をはらんだ主翼が重々しく形を変え、凄まじい轟音がフェンスを震わせて、2人のもとへと響いてきた。
機体はゆっくりとこちらを向き、まるで何事もなかったかのように、ひどく澄ました顔でターミナルに静止した。
「風が……めいっぱい腕を広げた飛行機に当たって、ものすごい音がするんです。帰って来たよ、って」爽子は子供のように目を輝かせ、紅潮した横顔で、その巨大な大鳥が静止していくのを見つめている。
「あんなにすごい速さで降りてくるのに、こっちへ来る時はもう、あんなに澄ました顔で止まってる……」
「ゆっくりに見えて、クルマよりずっと速いんですって」
大翔はその言葉の熱に打たれたように、爽子の横顔から目を離せなかった。
◇
「そういえば大翔さん、英語がお上手なんですね」
飛行機が着陸するたびに、轟音が割り込んでくる。大翔は、ポケットに入れた手を何度も握っては開いてを繰り返し、爽子の耳元をみつめたままで答えた。
「母さんの留学で、アメリカに3年いたんです」
「そうなんですね、どおりで」爽子が頷く。
「please をつけなさい、って。厳しかったですね……爽子さんはどうして医者に?」大翔はポケットの中で、澪から受け取った爽子の手紙の感触を確かめながら、ずっと胸に燻っていた問いを口にした。
爽子はすっと滑走路から視線を外し、自分の指先を見つめた。
「まわりに親が医者という子が多かったんです。部活の仲間も」
「部活って?」
「……変な部活だから、内緒です」爽子は少しはにかんだ。それから、遠いどこかを見つめるような目で、ぽつりと言葉を零した。
「……化学部です。生物化学部。子どもの頃から生きものが好きで」と、爽子はゆっくりと大翔を振り返った。「植物や生きものを見ていると、生きているって、それだけで十分なんだって思えたんです。うまくできなくても、音を外しても、ただ生きていればいいんだって」
爽子の瞳の奥には、かつて彼女が抱えてきた時間の重さ、底知れない海の色のやさしさを湛えて静かに揺れていた。
星の間を縫うようにして、また一機の光の尾が空から降りてくる。それを見つめる爽子の横顔の寂しさに、大翔は握りしめていたコートの裾を、そっと緩めた。自分を必要としてくれる、その瞬間のためだけに、この両手は使いたい。そう願いながら。
訊かなければいけない言葉が、
喉の奥までせり上がってきては、夜風の中に消えていく。
2人の目線の先に、着陸する機体の激しい轟音が、再び掠めていく。
<了, 約 2,100 字>
あとがき
小説らしい表現がほしい場面でした。
頭の中に描いた映像が、言葉にならないのです。
お話の最初から大掛かりに手を入れるのが大変そうですが、書きたい小説の方向性がぼんやりと見え始めてきました。
いきなり書けるようにはなれないので、今はこれでお許しくださいね。
それでは、次回のお話でお目にかかりましょう。
Have a safe and wonderful time for the rest of your trip.🌙

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