#502[短編]琥珀色の間[10]──指先の熱がほどくもの
緊張の共鳴。手が触れる前から心は落ち着かない爽子。ゆっくりと、ミシマがロフトから降りてくる。
1話、2話、番外編・大翔、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、本稿
※ 連載ですが、どのお話からも読めます。
大翔と知り合った翌日、高校の先輩・ミシマの家に呼ばれた爽子は思わぬ展開に。第11回。
◇
先輩の家に呼ばれるなんて、初めてだ。
その落ち着かなさが、どこから来るのか自分でもわからなかった。
その後に、まさか家でマッサージをしてもらう。
この瞬間のことは、あとで思い出すことになる。
断る理由はいくつもあったのに、なぜか言葉にならなかった。
それでも自然と、受けてみようと思えた。
大翔と出会った翌日に、まさかのこの展開。
その偶然が、少しだけ胸をざわつかせた。
ミシマのことだから、なにか考えがあるはず。
爽子はそれを知ろうと思う自分に、少し驚いた。
ゆっくりと階段を踏む乾いた音が天井に響き、布の擦れる音まで大きく聞こえた。その音に、爽子の胸の奥がふっと揺れた。
ミシマは「オイルがつくから」と、半袖に着替えていた。落ち着いたチャコールグレーに、少しの光沢とハリのあるTシャツの生地が、ミシマの温かい雰囲気を包んで、上品に引き立てている姿を、横目で見た。
「それじゃ、はじめるね」
ミシマの声は、いつものようにおどけて聞こえた。けれど、その声色の微かな震えから、隠しきれない緊張が伝わってくる。
「はい」
爽子も、少しだけ息を呑んだ。
「途中で、嫌な場所があったら声をかけてね」
「わかりました」
部屋の空気が少しだけ変わった気がした。
ミシマはポンッと肩に手を置いて、オイルのボトルに手を伸ばすと、加湿器の湯気が上り始めて、爽子は呼吸を忘れていたことに気づいた。
◇
──ミシマが静かにポンプを押す。音を立てないようにする気配に紛れて、かすかな動作音と、オイルが手にまとわりつく音に細い緊張が走る。
爽子は背中越しにミシマの心の揺れを感じていた。先輩も緊張してる。なるべくリラックスしよう…。
手の中で温められたオイルが、息をするように音を立て、鼓動を緩やかに大きくしていった──。
「あ、あの、先輩……」
爽子は戸惑いがちに訊く。
「爽子ちゃん、大丈夫」
ミシマの落ち着いた声が爽子を制した。
「ここからはゾーンに入るよ、集中ね」
いつものミシマに戻った、穏やかな笑みを想像した。
「腕をそのまま下ろしておいてね、肩からいくよ」
爽子は少し間を置き「コクン」と、小さく頷いた。
ミシマにすべてを委ねることにした──。
深い、アンビエントな曲と甘い香りが漂う。
オイルを温めた手が、そっと肩に触れた。
触れた瞬間、空気がひとつだけ深く沈んだ。
思っていたよりも熱をおびた掌が肌に吸いつき、
透明感のあるイランイランがふっと立ち上がる。
ふわりとほどけるような軽さで、
ほのかに甘い香りが漂った。
指先が沈むのと同時に、爽子の呼吸がひとつだけ浅くなる。
──沈黙。
ミシマは何も言わず、掌を背骨の横を滑らせるように這わせた。
時々、親指で凝りをほぐしながら、肩甲骨の内側を押し広げるように指を滑らせる。
腰からはじまって、徐々に上へ、そして両手でぴたっと首を包んで、とまる。その繰り返しに、意識しないと眠りそうなほど、緊張がほぐれていく。
その “間” に、部屋の空気も少しだけ柔らかくなる。
「若いうちってさ──」
手が止まる。
「場の空気を読むことに、全力を使っていたかもね」
また沈黙。
言葉よりも、触れ方のほうが先に意味を持つ。
爽子は返事をしようとして、ミシマの手が首筋に移るのを感じて、言葉を飲み込んだ。
「帰ったら失礼かな、とか」
「今帰ったら、相手が困るかな、とか」
親指がゆっくり背骨をなぞって、また静かな “間” が落ちる。
その沈黙の中で、爽子の肩がふっと緩む。
ミシマはずっと、同じ部位をほぐす。
爽子はオイルマッサージを受けるのは初めてだった。
目を閉じると、言葉よりも、
触れ方のほうが本音に近い気がする。
ベッドに顔を伏せていて、
顔を見せないで済むのがよかった。
イランイランの香りに、大翔の夜がかすかに重なる。
──触れられて初めて気づく輪郭がある。
自分では光れない場所に、そっと光が当たった気がした。
その光は、まだ名前のない感情を静かに照らしていた。
ミシマの驚くほど温かい掌が肌に吸いついた。
少しだけ体重をかけて、ゆっくりと背骨に沿って背中をなぞる。
そのわずかな重さが信頼のようで、なぜかとても安らいだ。
涙が落ちそうになる気配の奥で、
あの夜の灯りが、そっと揺れた気がした──。
──このことを、大翔に話すのはいつになるんだろう。
<了, 1,900 字>
🍀♩BGM 作曲しました。
著作権の関係で掲載できませんが、
そのうちどこかでお披露目するかもしれません🙃
🍀改稿のお知らせ
[8]、[9] を改稿しました。
シーンに厚みをもたせ、エピソードを整理しました。
引き続きよろしくお願いいたします💐

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