2 北伐後に起きた最大の内戦、中原大戦
1928年、蒋介石国民革命軍が北京に入城し、北伐完成、同年9月、蒋介石は、国民党政府主席となったことは、よく知られている。
しかしその後の1930年、軍閥時代最大の内戦とされる中原大戦がおき、30万人以上が死亡していることは知られていない。
(上の地図は中原大戦後の勢力地図(中国サイトから)、張学良の勢力が満州を超えて華北まで延び、北伐後にも関わらず、南京国民政府の勢力は華北までは及んでいない。この後、さらに広州では李宗仁、陳済棠らによって広東国民政府が立ち上がる。南京国民党政府の支配地域内に中国共産党支配地域が点在している(赤)。)
北伐当時、軍閥の正規軍だけで、蒋介石国民革命軍50万、馮玉祥国民軍40万、閻錫山(えんしゃくざん)20万、李宗仁30万、張学良奉天軍35万等もいた。このように北伐完成後も中国にはなお併せて200万人以上の軍閥の陸軍があると推定された。蒋介石は各軍閥に軍縮を提案したが、猛反発が起きた。
蒋介石が李宗仁新広西派と戦争(蒋桂戦争)になったところ、軍縮に反対した閻錫山(えんしゃくざん)山西派、馮玉祥(ふうぎょくしょう)国民軍、呉佩孚元直隷派らが反蒋介石側に加わり、1930年3月、中国最大の内戦であるが中原大戦が始まった。一時は北平(北京)に閻錫山が政府を立てたが、親子で満州を搾取し続け中国中でもっとも金持ちの軍閥(空軍まであった。)となった張学良は、戦争の行方を見極めてから蒋介石側に付いて参戦、奉天軍は南下し中原に入り、奉天省、吉林省、黒竜江省ばかりでなく、北平(北京)、河北省、山東省、山西省、河南四省を勢力下に入れた。(この奉天軍の華北への南下がその後の満州事変を可能にした。)
蒋介石は張学良を味方につけたことで勝利をおさめたが、山東では韓復榘(蒋介石に従ったが日本と通じていた)、広州では李宗仁が健在であり、南京政府の下に完全に支配されている省は、わずかに江蘇省(こうそしょう)、浙江省(せっこうしょう)の2省にすぎなくなった。
北伐開始から中原の戦いの終結までの7年間の内戦で、2千万人以上が死んだとされている。
このような知られていないエピソードが満載ですので、是非ごらんください。
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