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6 盧溝橋事件のとき北京には日本のほかに米、英、仏、伊の軍隊も合法的に駐留していた

 1937年7月7日、犯人は不明であるが、日本陸軍支那駐屯軍(天津軍)に対して発砲する事件が北京(北平)で起きた。この盧溝橋事件のことは有名であるが、この時北京(北平)に合法的に駐留していた軍隊は、日本のほかに米、英、仏、伊がいたことはあまり知られていない。

 1900年、義和団の乱が発生すると、清国は8か国(米、英、仏、日、露、独、伊、オーストリアに宣戦布告する(北清事変)北清事変の戦後処理のため北京で締結された条約(北京議定書)で、8カ国は、自国民の安全のため、北京、天津に軍隊を無期限で駐留する権利が認められた。

 

1901年以来、日本の支那駐屯軍の本部は天津にあったので天津軍ともいったが、北京にも駐屯していた。



 1911年の
辛亥革命で中華民国が成立するが、引き続き北京政府のもとで、8カ国は北京、天津に駐留し続けた。
 なお、ソ連はロシア革命後の
カラシン宣言で、ドイツ、オーストリアは第1次世界大戦の敗戦処理で、北京議定書を放棄した(中華民国は第1次世界大戦の戦勝国だったが、パリ条約の署名を拒否したので、ドイツ、オーストリアと個別に講和条約を締結した。)

 1931年、南京政府は1932年1月1日をもって、各国の治外法権を取り消すと一方的に宣言した。南京政府の国際法を無視した宣言の結果、居留民保護のため軍の駐屯の必要性がますます高まった。
 

 日、米、英、仏、伊5カ国は北京議定書を放棄するはずもなく、1937年になっても、北京、天津に合法的に駐留していたのである。

 なお天津軍(支那駐屯軍)は1937年8月末、北支那派遣軍に編入された。


 
 

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