5 第1次上海事変は瑞金の中華ソビエト共和国建国が発端、日本軍と戦った第19路軍はその後、中華共和国を建国する
1931年9月に満州事変が起きたが、同年11月、毛沢東は江西省瑞金で中華ソビエト共和国建国を宣言し、抗日を扇動した。さらに上海事変の停戦に不満な中国共産党は1932年4月26日、日本に対して宣戦布告した。中国共産党はこのとき、蒋介石の軍と戦闘中であり、日本とは戦闘はしていない。単に蒋介石の軍隊に対して、日本軍との戦争を扇動するために宣戦布告したのである。
中華ソビエト共和国の抗日扇動に応じた軍閥(国民党第19路軍(タイトルの写真))が、上海の日本海軍陸戦隊を攻撃し、第1次上海事変がはじまったことはあまり知られていない。
1932年1月、関東軍の錦州占領をきっかけに、上海において排日デモと日本人僧侶暴行致傷致死事件が発生した。28日上海工部局(租界地の自治行政機関)が戒厳令を布告、上海を防衛していた英米仏伊日各軍隊が受け持ち地域の守備についたところ、蔡廷鍇(さいていかい)率いる国民党軍19路軍が、前年11月の中国共産党の中華ソビエト共和国建国と抗日扇動に呼応して、蒋介石の攻撃命令なしに3万人以上の兵で、日本海軍陸戦隊1000人に対して攻撃を行った。蒋介石の副官何応欽将軍は戦闘の中止を命じたが、日本海軍の陸戦隊増援部隊が到着し戦闘が拡大してしまった。日本海軍はさらに空母加賀を派遣、日本陸軍が三個師団を派兵する。日本軍の死傷者は満州事変では1200人ほどであったが、上海事変では1か月余りで3000人を超えた。4月米英仏伊の仲介により上海停戦協定が成立した。この停戦に不満な中国共産党は日本に宣戦布告した。
この後蒋介石は、国民党軍19路軍に対して瑞金の紅軍討伐を命じた。すると1933年10月、19路軍は、紅軍との間で反日反蒋の協定を結び、福建省に中華共和国の成立を宣言して、蒋介石打倒に立ち上がる。しかし蒋介石と広州国民政府(第5次広東政府)の陳済棠によって鎮圧される。(福建事変)
第1次上海事変の原因について日本では、満州事変から列強の目をそらすために田中隆吉日本陸軍駐在武官が仕組んだとする日本軍陰謀説が通説になっている。仮に排日デモ、日本人僧侶暴行致傷致死事件が陰謀によるものだったとしても、どうして第1次上海事変が日本軍の陰謀という説明になるのであろうか。
1931年9月、蒋介石は、満州事変について国際連盟に提訴していたが、アメリカ、イギリスの動きは鈍かった。ソ連は同年12月に不介入を宣言する。そのような状況で、海軍陸戦隊千人しかいない上海で日本人居留民2万5千人の生命財産を危険にさらしてまで、日本側から、わざわざ蒋介石軍に武力衝突を仕掛ける必要がないであろう。
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