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10 南京陥落後、蒋介石は持久戦を決断、自ら講和の可能性を断つ

 南京陥落後、日中戦争が終わらなかった大きな理由は、蒋介石は12月17日「我軍退出南京告国民書」を公表、南京陥落後、国際的な支援による持久戦を決断し、自ら講和の可能性を断ったことは知られていない。


 西安事件で中国共産党に日本軍との戦いを約束させられた蒋介石は、1937年8月13日、ドイツ製の最新の武器と軍服を装備した8万人の国民革命軍によって、4千人の
日本海軍特別陸戦隊に対し戦闘を開始し、第2次上海事変をおこした。
 しかし9月の第2次国共合作のため、トラウトマン和平工作で日本との講和に応じることができなくなった。期待していたブリュセルの9カ国条約会議も日本に対する非難決議や制裁はなく、空振りに終わった。

 1937年12月13日南京は陥落した。その前に武漢に脱出していた蒋介石は、12月17日「我軍退出南京告国民書」を公表した。
 簡単に要約すれば「いたずらに一時の勝負に拘泥せず、持久戦を最後まで行い、勝利の信念を持つべきである。日本の中国侵略は世界侵略の開始である。民族独立のために戦い、国際平和と正義のために戦う。」と中国国民だけでなく、米英等の列強諸国に呼びかけているのである。これは1928年に田中上奏文という、日本が世界征服を目論んでいるという途方もないプロパガンダ文書を捏造し日本を貶めたが、そのプロパガンダを再び世界に広め、国際的同情と支援を受けて、持久戦をどこまでも戦うという、国民党の戦略がこのとき公表されたのである。
 それを受けて、1938年1月16日、近衛内閣からは、第1次近衛声明「国民党を対手とせず」、すなわち「和平に応じない国民党を無視し、占領地域に新たな政府を立ち上げる」という意味の声明が出される。どの日本の歴史家も我軍退出南京告国民書」に言及しないのは、日本をとにかく悪く描きたいからではないか。

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