9 日中戦争、蒋介石最大の誤算はソ連陸軍義勇軍が参戦しなかったこと
1937年8月13日に第2次上海事変の口火を切った蒋介石には、短期決戦の密かな勝算があった。それはソ連義勇軍や英米仏の介入、スペイン内戦のような国際義勇軍の参戦であったことはあまり知られていない。 (写真は国民革命軍精鋭部隊)
1935年7~8月のコミンテルン第7回総会において対日戦争を要求された中国共産党は、「対日戦争宣言抗日救国のために全同胞に告げる」8.1宣言を行い、対日戦争を中国国内に呼びかけた。
蒋介石は、1936年12月陝西省西安で張学良と楊虎城に拘束され、中国共産党幹部(周恩来)と引き合わされた。(西安事件)
そのとき蒋介石は解放の条件として、中国共産党への攻撃は中止すること、日本と戦うことを約束させられた。(蒋介石はこの後、張学良を自分が死ぬまで軟禁し続け、楊虎城を殺害したことから、決して西安事件を許していなかったことがわかる。
それでも蒋介石が抗日戦の勝利を期待できるある約束があったと考えられる。それはもちろん、わずかな戦力しかない中国共産党との共闘ではない。
1936年11月に日独防共協定が締結され、ドイツとの蜜月に陰りが見えてきたときに、ソ連から向けられた対日戦争への義勇軍の派兵の約束である。
1937年7月7日、盧溝橋付近で、北平(北京)に駐屯している天津軍に犯人不明の銃弾が撃ち込まれ、冀察政務委員会の第29軍と天津軍との間で軍事紛争に発展した。
同年8月13日、中国側は上海居留地の出入口に検問所を設け、上海居留地在住の中国人を人間の盾にして、ドイツ製の最新の武器と軍服を装備した8万人の国民革命軍が4千人の日本海軍特別陸戦隊に対し戦闘を開始し、第2次上海事変がおこった。
7 第2次上海事変で日本軍に戦闘を仕掛けたのはドイツ式軍服と装備の中華民国国民革命軍|CRAFT TOOLS
8月14日、国民革命軍空軍の爆撃機(ノースロップA-17)が、上海国際租界地中心街のキャセイホテルやパレスホテル等を複数回爆撃、欧米人たちを多数死傷させ、それを日本軍の仕業にしようとした。(中華民国軍の爆撃だとばれると、日本の艦船を狙った誤爆だと言い訳をしている。当日、日本の軍艦を狙った爆撃があったのは事実であるが、複数の租界地爆撃は本当に誤爆だったのかは不明である。無差別爆撃で共同租界を危険にさらすことによって、英米仏に対して中国側に有利な介入を強制しようとしたのではないか。(国民党は、そもそも租界地の安全を保障する義務はない、と考えていたと思われる。)
日本は、8月15日長崎の大村基地や台湾の松山基地から96式陸上攻撃機による南京、上海の飛行場に対する渡洋爆撃を開始した。
しかし中国側の嘘を信じた人は当時多かったのであろう、9月10日の国際連盟総会では日本の無差別爆撃だけが非難された。
8月21日、中ソ不可侵条約が締結された。
8月23日に日本の派遣軍2個師団が上海市黄浦江の呉淞(ごしょく)、羅店方面に上陸し、戦場は共同租界(日本)地から揚子江沿岸に移った。日本軍側は態勢を立て直し一進一退の戦いとなった。
蒋介石は、中国共産党にしかメリットがない国共合作には消極的であったが、9月23日、第2次国共合作が成立したと、中国共産党が発表し、蒋介石は認めた。
19 抗日民族統一戦線を世界にアピールしたいだけの実体のない第2次国共合作|CRAFT TOOLS
蒋介石が了解したのは、ソ連義勇軍の派遣を期待してのことと思われる。12月までにソ連から航空義勇隊(40機のツポレフSB2双発爆撃機、同数のポリカルポフI16戦闘機、指揮官ルイチャゴフ少将、兵員数約1000人)が派遣された(漢口、南昌に空軍基地を置いた。)。蒋介石の期待に反し、ソ連陸軍義勇軍、国際義勇軍の中国派兵はなかったが、ソ連から資金援助、軍事顧問団派遣と1938年軽戦車T-26が82両、その他車両や重火器の供与があった。
国民党と中国共産党が連携した作戦は、1937年9月華北で第八路軍が関東軍の補給部隊を攻撃した平型関の戦い以外になかった。中国共産党については、10月に南部8省の紅軍遊撃隊が第四軍に統一されるが、上海、南京の戦闘はもちろん、それ以降も徐州、武漢等、日本軍との会戦には参加していない。主に日本軍占領地内でのゲリラ戦と拠点建設に力を注いでいた。
中国共産党は、蒋介石に日本との戦争をけしかけ、さらに国共合作(兵員数に応じて資金面で共産党を援助することになった。)までさせて日本との講和には反対しておきながら、日本軍との戦闘は避けて紅軍の兵力を温存・増強し、蒋介石側の兵力の消耗を待って、時期が来たら軍事的に打倒する計画だった。(砕氷船理論)
11月から始まったトラウトマン和平工作では、12月13日の南京陥落までは、日本側の講和条件は、1935年の岡田内閣から変わらない広田三原則(排日取締り、満州国黙認、共同防共)であったが、広田三原則を日本が堅持する限り、国共合作を認めた蒋介石は講和に応じられないであろうことは明らかであった。
それを考えると盧溝橋事件の謎の発砲は、誰の仕業か、証拠がなくても、およその推測はできるというものである。(盧溝橋事件の最初の一発は劉少奇が部下に撃たせたという説がある。)
10月には上海四行倉庫の攻防戦、大場鎮攻略戦があったが、いずれも日本軍が占領した。
日本陸軍第10軍(約9個師団)の中支那派遣軍が、11月5日、国民命軍の背後をつく形で杭州に上陸、11月11日には上海を制圧した。
同月、中華民国の要請で緊急招集されたブリュセルの9カ国条約会議(日本はこの会議には欠席した。)では、中華民国は日本糾弾を期待したが、イタリアが日本を擁護し中国を批判し、コミンテルンに対する防共協定に参加を表明、会議の結論が出ないまま終了した。
蒋介石が期待していた中華民国側に立った英米仏の介入も援助もなかった。(このことから英米仏は、第2次国共合作を全く評価していないことがわかる。)
12月の南京陥落後、日本は講和条件に戦争賠償を追加したが、蒋介石は講和要求に応じず、トラウトマン和平工作は不調に終わった。

義勇軍に関して述べると、ソ連空軍義勇軍以外ではわずかに、1937年11月、米退役軍人シェンノートが米仏パイロット義勇軍爆撃隊(B10爆撃機)を漢口で組織し、実戦に投入された。しかし翌年3月、パイロットたちが辞め解散する。
余談であるが、シェンノートは宋美齢に気にいられ、日米開戦前に今度はアメリカ義勇軍戦闘機隊を組織し、ビルマを拠点に合衆国義勇軍AVGフライングタイガー(中華民国のマークをつけたシャークマウスのP40戦闘機が有名)でビルマ援蒋ルートの制空権確保の任務につく。最初の空中戦は1941年12月20日日本陸軍航空隊とである。しかしビルマが日本に占領され、1942年7月に、部隊は解散する。
1938年11月3日の第2次近衛声明(東亜新秩序声明)に対する反発から、アメリカは1938年12月に自ら9か国条約の不干渉主義に違反して、中国重慶政府に対して単独でドル借款を供与を開始し、援蒋ルートによる蒋介石重慶政府に対する物資、兵器の輸出も1939年3月から始まっている。なお無償武器援助は1941年3月レンドリース法成立以降である。
第2次国共合作を受けて、米英の援助が始まったのではないことが、重要である。共産主義勢力が民主主義陣営に加えられたのは独ソ戦、真珠湾攻撃後の1942年1月からであって、第2次国共合作時点では、ソ連、共産党は民主主義勢力を自称していても、欧米諸国はそのように認識していない。
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