14 そもそも海軍陸戦隊から中国軍に戦闘を仕掛けることはあり得ない
歴史書では第1次、第2次の上海事変の軍事衝突のきっかけについて意図的にぼやかし、先入観から海軍陸戦隊から攻撃を始めたかのようにミスリードさせる書きぶりになっている。
中国の、外国人を敵視し、生命や財産を軽視する国民性は義和団事件ときから変わっていない。天津条約(英)、下関条約(日本)等で、各国の海軍は、居留民保護のため揚子江をパトロールする権利が与えられているが、それは中国に在中する外国人の安全を保証する義務を、中国政府が果たさないからだ。
20 北伐の過程で実行された租借地実力回収や居留民攻撃は、義和団事件に匹敵する暴挙|CRAFT TOOLS
日本陸軍は、天津と北京に、1901年から北京議定書(北清事変の講和条約)に基づき、支那駐留軍(天津軍)が駐屯していた。
また、満州の関東軍は、鉄道守備隊時代を含めると1905年のポーツマス条約及び清国との満州善後条約に基づき、駐屯していた。
それに対して海軍陸戦隊とは、自国民保護の必要が生じた場合、艦隊の水兵が海軍陸戦隊として上陸し、自国居留民保護の任務につくことになっていた。そのため、海軍は揚子江を下関条約に基づき、パトロールしていた。
なお1927年から、日米仏伊は南京政府の北伐軍から自国民を守るため、水兵を陸戦隊として上海に常駐させ、軽装甲車も装備するようになった。(写真は第1次上海事変の時のもの、バックで駐車している2台の車両はビッカース・クロスレー装甲車)
ちなみにイギリス軍は、太平天国の乱のときから上海に常駐している。
1932年、第1次上海事変の反省と上海停戦協定に基づき、上海の陸戦隊については、特別陸戦隊として、軽戦車や短機関銃を装備した4千人の専門部隊が上海租界地に駐屯する形になった。1937年の第2次上海事変では4千人の特別陸戦隊が迎え撃ったが、任務はあくまでも居留民保護であり、敵部隊を制圧するほどの戦力はない。上海が日本の弱点であることを知っているから、中国軍は、2回も上海を戦場に選んだと考えられる。(中国側に租界地の安全を保障する義務はない、という国民党や共産党側の理屈があると考えられる。)
このような知られていないエピソードが満載ですので、是非ごらんください。
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