12 中国空軍機による九州爆撃、だたし落としたのは爆弾ではなくビラの真相
1938年5月、中国軍機が九州熊本、宮崎上空に飛んできて、なぜか爆弾ではなくビラをまいたことは有名ですが、蒋介石がどうしてそのような事をしたのか知られていない。
欧州での武器調達の商談を有利にするために、中華民国が日中戦争で優勢であると世界に印象付ける必要があったから
前回11から話は遡るが、日本陸軍は1938年4月徐州作戦を開始する。これは黄河一体を占領してきた北支那派遣軍が、津浦線及び平漢線沿いを南下し、揚子江沿岸の中支那派遣軍に合流する作戦であった。(徐州攻略後、6月に漢口攻略戦が始まるが、そのときに日本軍の進軍を妨害するため、蒋介石が黄河の堤防を決壊させた話は前回した。)
その5月に国民党の財政部長であった孔祥熙(宋三姉妹の長女宋靄齢(そうあいれい)の夫)は、軍需品調達のため欧米を訪問していたが(写真は1936年ドイツを訪問したときのもの)、タイミングが悪く、中原の要衝地宿縣が日本軍によって陥落した。
軍需品を首尾よく調達するために、宿縣陥落のニュースが吹き飛ぶような、中国軍優勢の大きなニュースを作り上げることが必要となった。
そこでフレームアップされたのが、中国空軍機6機による大阪爆撃(人道上の配慮から爆弾の代わりにチラシを投下した)というニュースである。
しかし、実際は爆弾を積んだのでは重すぎて日本まで到達できないので、爆弾の代わりにチラシを積んだ2機のマーチンB10爆撃機(輸出機139WC)が漢口から寧波(1941年4月まで日本に占領されなかった。)を経由して日本の熊本、宮崎にビラ(伝単)を投下して帰投というのが真相である。
人道上の配慮などという白々しいプロパガンダを信じるのは、お人よしの現代日本人くらいだ。
中華民国はすでに1938年2月に、日本統治下の台湾の台北市を、中華民国軍のマークをつけ、南昌から飛び立ったソ連義勇航空隊によって、爆撃している。(松山空襲)
(出典 中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実 フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ 芙蓉書房出版 79ページから
2025年 1938年の本の復刻)
このような知られていないエピソードが満載ですので、是非ごらんください。
日中近代史再整理1|CRAFT TOOLS
日中近代史再整理Ⅱ|CRAFT TOOLS
日中近代史再整理Ⅲ|CRAFT TOOLS
1不戦条約違反第1号は張学良とソ連|CRAFT TOOLS
2北伐完成の後に起きた最大の内戦、中原大戦|CRAFT TOOLS
3中原大戦後に広州国民政府が立ち上がる|CRAFT TOOLS
4 満州事変の原因は張学良が、日本と袁世凱との条約を破棄したから|CRAFT TOOLS
5 第1次上海事変は中国共産党の対日宣戦布告が発端|CRAFT TOOLS
6 盧溝橋事件のときに北京に駐留していた軍隊は日本のほかに米、英、仏、伊がいた|CRAFT TOOLS
7 第2次上海事変で日本軍に戦闘を仕掛けたのはドイツ式軍服と装備の中華民国軍|CRAFT TOOLS
8 関東軍はいつから満州にいたのか。 |CRAFT TOOLS
9 日中戦争、蒋介石最大の誤算はソ連陸軍義勇軍が参戦しなかったこと|CRAFT TOOLS
10 南京陥落後、蒋介石は持久戦を決断、自ら講和の可能性を断つ|CRAFT TOOLS
11 蒋介石は首都を漢口から重慶に移転する時間稼ぎのため、黄河を決壊させ、長沙城を焼き払った|CRAFT TOOLS
13 上海租界地を無差別爆撃した国民革命軍爆撃機について1937年8月14日|CRAFT TOOLS
14 そもそも海軍陸戦隊から中国軍に戦闘を仕掛けることはあり得ない|CRAFT TOOLS
